グリモールドプレイスでの日々は、あっという間に過ぎていった。
休暇の終わりが近づくにつれてシリウスは不機嫌になっていったし、オーシャンも彼の気分に引き込まれて行く様に憂鬱になっていった。決して、ルーピン先生と離れるのが辛い訳では、決して、無い。
ウィーズリー氏の容態についてをロンやハリーと話す事は間々あったが、オーシャンは、あの隔離病棟で出会ったネビル・ロングボトムの事については特に触れなかった。
何故彼があの場所にいたのかは確かに気になったが、あそこにいたと言うことは、彼も同じく誰かを見舞いに来たのだろう。そしてそれが誰かという事を本人以外に聞くのは、日本人としてというより人として、あまり褒められたことではない事だろう。ハリー達もその話題に触れないよう努めている様な気がするし、彼らの気持ちをオーシャンは尊重する事にした。
屋敷の中では、時々屋敷しもべ妖精のクリーチャーを見かけるようになった。
今回到着した日に顔を見せなかったので、今年は屋敷しもべ妖精の待遇改善に力を注いでいるハーマイオニーが心配そうな顔をしていたのを、オーシャンは覚えている。
夏にオーシャンが顔を合わせたクリーチャーは、纏った陰気さを常に空気に染み出している顔をしていて、独り言も酷かった。
ところが最近顔を見せるクリーチャーは鼻歌こそ歌いはしないものの、明らかに機嫌が良い様に見える。
「そうか? いつもと同じじゃないか」
そう聞けば、自宅の屋敷しもべ妖精の機微になど全く関心が無いブラックにそう返された。全く、こういう所――使用人を道具か何かとしか見ていない発言をする所だけは、実に純血貴族らしい。
「明らかに夏とは様子が違うわよ。引きこもりが長くてすっかり耄碌しちゃったの? 貴方の様な図体ばかりの大男の介護を先生に任せるなんて、私、絶対に嫌よ」
「何でそこまで言われなくちゃならないんだよ……。君は何でそんなにアイツが気になるんだ?」
渋い顔をしてクリスマスの飾り付けを壁から剥がしながら、ブラックが言った。
「足取りが軽いのよ、見違えるくらいにね。独り言も明らかに少ないわ」
「そんなの単に、調子がいいだけだろう」
明らかに適当な返事をしているだけの家主に、何を言ってもダメだとオーシャンが悟って階段を下りると、一階の階段脇で隠れるようにしていたハリーが「やっぱり、そう思う?」と聞いた。
「あら、盗み聞きとは感心しないわね」
オーシャンは悪戯っぽくくすりと笑ったが、ハリーは尚も真剣な様子を見せた。
「僕も、クリーチャーが何だか変に感じる。あんなクリーチャー、今まで見たことが無いよ」
「貴方も? やっぱりそうよね」
何かあったのかしら、と問うと、ハリーは彼が抱いている疑念を教えてくれた。
ハリーとウィーズリーの子供達が到着した夜に、厨房ををうろつくクリーチャーにブラックが業を煮やして、「厨房から出て行け」と怒鳴りつけてから、しばらくクリーチャーは顔を見せなかったらしい。
ハリーはその時、クリーチャーが厨房だけではなく、この屋敷自体から出て行ってしまったのではないかと疑っていた。
三年前、ホグワーツを襲う危険を警告しにハリーの前に現れたドビーという屋敷しもべ妖精は、当時の主であるマルフォイ一家の屋敷を出て度々ハリーを訪れてくれた――屋敷しもべ妖精が解雇の証であると認識している衣類を与えられずとも、主の屋敷を離れるのは決してありえない事では無いのだ。
オーシャンが思案げに言った。「もしその時本当にこの屋敷を離れたのだとしたら、どこかに行ったという事かしら? それであんなに機嫌が良いの?」
「だとしたら、何でわざわざ戻ってきたんだろう……クリーチャーはシリウスの事を嫌ってるし、ここに戻ってくる必要なんて無いのに」
ハリーの疑問にオーシャンは首を振る。もっとも、説得力としては弱いかもしれないが、それでも理由なんて人それぞれだ。
「全く無い、とは言い切れないかもしれないわね。ここには、ブラックの亡き家族の思い出の品が山ほどあるもの……」
それでもやはり納得しきれず、二人でうーん、と頭を捻る。
彼が本当に一度屋敷を出たのかも、どこに行っていたのかも、何故帰ってきたのかも、現時点では彼自身に確認するしか知る術は無い。しかし、聞いたところで正直に答えが返ってくるとも思えない。結局それについて二人が話すのは、その時が最後になってしまった。
ハリーが、それどころではなくなってしまったのである。
「スネイプの個人授業!? うへぇ、耐えられないぜ!」
夕食の後、部屋の中がハリー、ロン、ハーマイオニー、オーシャンの四人だけになったタイミングで、ハリーは今日告げられたそれをこっそりと話した。本当は誰にも話してはならないと、スネイプ先生から厳命があったのだ。ロンは天を仰いだ。
ハーマイオニーが、ほっと安心した調子でいった。
「でもこれであなたがヴォルデモートの夢を見なくなるのなら、やる甲斐はあるというものだわ」
ハリーは不安そうな顔をしている。その顔を見ながらオーシャンは、今年は『破魔の札』を量産しておくか、と考えた。
次の日は『夜の騎士バス』に乗って、ホグワーツへの帰路を辿った。護衛となって生徒達を送り届けるのは、ルーピン先生とトンクスの二人だった。トンクスは、今日は灰色の髪の貴族風に『変化』している。
屋敷の中でみんなを見送る際、ブラックはハリーを脇に呼んで何かを渡していた。
「あら、私には何も無いの?」
オーシャンが、息子との別れを惜しんでいる『犬』をからかう調子で声をかけると、ブラックは羽虫でも追い払う様な仕草で彼女を送り出した。「いいから、早く行け」
『夜の騎士バス』に乗り込む時、再会したハリーに興奮した様子の車掌のスタン・シャンパイクを、あまり声高にその名を口にするな、とトンクスが脅かして黙らせていた。随分警戒しているんだな、と横目に見て、オーシャンは三階建てバスを上がっていく。
「フレッドとジョージ、ジニー……それからあなたもあそこに座って。リーマス、よろしくね」
トンクスはオーシャンの背中を軽く小突いて、ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人と共に三回まで上がっていく。振り返ると彼女がこちらに向かってウインクしていた。
きっとトンクスは、オーシャンの気持ちを知っている。
今やトンクスどころか、『騎士団』本部に入りびたる連中でオーシャンのこの気持ちを知らないのは、先生本人だけではないかと思われた。
それでも彼女は、先生と名前を呼び合う程の仲の女性であるのは間違いない。夏にハリーを迎えに行くときに、他の仲間達と少し離れて二人が言葉を交わしていた時の、あの雰囲気をオーシャンは未だに忘れていなかった。
あのウインクは、目的地に到着するまでの短い時間を、せいぜい楽しめ、という事だろうか。敵から送られてきた塩の様で、少し、気持ちが悪い。素直には喜べない。
「ウミ、どうしたんだい」
いつまでも棒立ちをしていると、ルーピンに声をかけられた。ジニーの隣に腰を下ろすと、彼女が耳打ちした。
「もう。早くルーピンの隣に座らないから」
ルーピンの隣にはフレッドが座っており、その反対隣をジョージが陣取っている。ルーピンの「学校はどうだい?」の問いかけに、二人はうんざりとした顔で、ホグワーツ生として受けられる残り時間あと僅かの学業の事を話し、嬉々とした顔で自分たちの将来である『悪戯専門店』の計画を話した。
「去年の三校対抗試合はどうだった? ……まあ、好ましくない出来事は確かにあった訳だが、それでも他の色々な競技を観戦できたり、他の学校の生徒が来たりしただろう? 友達にはなれたかい?」
「あー……」「いや、全然」
微かに上を見上げて誰のことを思い出したのだろうか、フレッドがジト目をこちらに向ける。ルーピンを挟んで兄弟の様子を見たジョージは、すました顔で言いながら椅子に座り直した。
「ま、誰かさんは代表選手とだいぶ仲良くやってましたけど?」
バスはすごい音を出して、場所から場所へと飛んでいく。揺れが収まると、ルーピンが聞いた。
「代表って、どこの学校の?」
「我らがホグワーツの」
会話を広げるためにルーピンがした質問はしかし、どんどん双子の機嫌を悪くしていた様だ。それだけ言って双子はむっつりと黙りこくってしまったが、
「ホグワーツの代表選手って……ああ、セドリックの事か!」
謎を解いた先生の声に、オーシャンは飲み込み損ねた自分の唾でむせかえった。
さすがホグワーツで教鞭を執っていただけの事はある。すぐに出てきた個人名に、「よく覚えてるなぁ」と双子は目を丸くした。先生は微笑んで「あの時の新聞は、シリウスと何回も読み返したよ」と言った。
「私が教えてた当時、彼はハッフルパフの監督生だったろう? 授業でも優秀だったし、写真を見て段々と思い出してきたんだよ」
オーシャンが未だに背中をジニーにさすってもらっているのに気付かない先生は、嬉しそうに続けた。
「へえ、彼と仲良くなったのか。友達が増えてよかったね、ウミ」
そう言ってやっとオーシャンを振り向く。恥ずかしいやら止めてほしいやら苦しいやらで、もはやジニーの膝に顔を埋めている彼女にルーピンは言った。
「……大丈夫かい?」