二月の十四日。オーシャンと共に階段を下りながら、アンジェリーナは陰鬱と呟いた。クィディッチを前にした彼女にしては考えられない、屋敷しもべ妖精のクリーチャーにも似た暗さだった。
「ああ……嫌だ……。新しいチームで勝つ為に特訓しなきゃいけないからって、なんで今日まで日程を組んじゃったの、私……。私もオーシャンと一緒にホグズミード行きたぁい……」
ハリーとウィーズリーの双子がいなくなった穴埋めに、急遽開催された新選手の選抜は滞りなく終わって、急ごしらえのメンバーとのチームワークを構築するため、最近のアンジェリーナに休みは無かった。
新しいグリフィンドールクィディッチチーム、それにロンも特訓組で、今日は城に残って朝から晩まで練習漬けだ。らしくない言葉を呟くアンジェリーナの肩にそっと触れながら、オーシャンは心から言った。
「お土産を沢山買ってくるわ。……それに私、チームのみんなのためにここまで頑張る貴女だから、大好きなのよ」
「あうぅぅぅ! オーシャン……!」
担いだ箒を放り投げて、まるで今生の別れを惜しむ様に抱きついてくるアンジェリーナの背をトントンと優しく叩く。彼女が放り投げた箒は、ジニーが拾ってくれていた。
玄関ホールに着いて、練習のために競技場へ向かう面々を送り出したオーシャンがフィルチの検問を抜けてホグズミードへの道を進もうとすると、扉の影からセドリックが姿を見せた。
「あ……やぁ、ウエノ」
「あら、ディゴリー。待ち合わせはここじゃないわよ」
昨日取り付けたばかりの約束の場所は、『三本の箒』だ。ホグズミードはまだ見えてもいない。
それにしても、わざわざ玄関の外側で、寒空の下オーシャンを待っていたのだろうか。彼は赤く染まっている鼻を擦って、「待ち合わせるなら……一緒に行った方が早いんじゃ無いかなっ、て思って」と言った。
その手をすぐポケットに入れたセドリックに、「それにしたって、こんな所で。寒かったでしょう?」と聞くと彼は「君が来てくれたから、むしろ暖かくなってきたよ」と寒そうに肩を寄せて嘯いた。
そこでふと、拳一つ分までに迫っている距離に気が付いた。いつの日かの事がふっと頭を過る。もうすっかり『男性』を感じさせる手。手の甲に残った柔らかい感触。オーシャンは一歩大きく下がった。
「……あ、貴方がいいなら、一緒に行っても、いい……けど……」
「――ああ、ウミ! ありがとう……!」
感極まった様子で言った彼は、せっかくオーシャンがとった距離をつめて、彼女の腰の辺りを抱える様にして高く持ち上げた。急な不安定に驚いて思わず彼の両肩に手を置き、バランスをとる。
「きゃっ、ちょ……や、やめてちょうだい!」
背の高い彼に高く持ち上げられると、酷く目立つ。もっとも、こんな舞台かドラマかの様な事をしていたら、人の目を集めない訳がなかった。
通りすがる三年生の女子達が、頬を赤く染めてこちらを見て囁き合っている。セドリックの友人達も数人、何事かはやし立ててから離れていった。
「もう……下ろして……!」
恥ずかしさにきゅっと目をつぶって言うと、セドリックは素直に従って「sorry,umi」と言って彼女の体を自分の胸で支えながら優しく下ろした。
オーシャンがほっとしたのもつかの間、彼の手が頭にポンと乗り、彼女の赤くなる顔を覗き込みながら優しく撫でる。
オーシャンは心の臓の所で防寒着を握りしめながら、彼の目を見ないように必死に下を見た。――やだ、違うの……! 私の頭を撫でてくれるのは先生のはずで……!
本来叶うことが無いと分かっている夢想までを使って、今自分の身に起こっている現象を否定する。
セドリックは何事かを優しく言って、オーシャンの手を引いて歩き出した。覚えのあるシチュエーション――待って、待って待って、違うの、私は先生の事が……。
セドリックに手を引かれながら、ホグズミードへの道を歩き出す。すると後ろから「Hey,hey hey,you!」と勢いしかない双子の声が聞こえてきて、そのまま二人の間に割って入った。繋いでいた手が離される。
セドリックに突進していったフレッドとジョージは、すごい形相で彼に詰め寄って、英語でいちゃもんをつけていた。その隙に呼吸を整えて、精神を落ち着ける。心の臓の代わりに、和太鼓が激しく叩かれている様だ。
――全く、何のつもりだこの男。先生にも頭を撫でて貰った事なんて無いのに……しかも何かの演劇の様にあんな事を……あまつさえ馴れ馴れしく名前なんて――。
――ん?
「ちょっと、ディゴリー、貴方」
「ああ、ウミ。落ち着いたんだね。良かった」
まとわりつく双子を押しのけて安堵の表情を見せるセドリックは、やはり彼女の『日本名』を呼んだ。
「ウミって呼ばないで! そ、その名前で私のことを呼んでいいのは……先生だけなんだから!」
またも顔に血が上ってくるのを自覚しながらオーシャンが言うと、双子が冷めた表情で訂正した。
「いや、ダンブルドアもいるだろ」「お前の『犬』だってそうだしな」
オーシャンは二人をひと睨みして黙らせる。彼だけと言ったら彼だけなのだ。有象無象の事など、どうでもいい。
しかしセドリックも負けなかった。
「……そうだね。許可を取らないで名前を呼ぶなんて、反則だった――改めて君のこと、『ウミ』って呼んでもいいかい?」
「ダメ」
にべもなく言ったつもりだったが、セドリックは「ダメかぁ~」と嬉しそうに眉を下げた。その表情にフレッド、ジョージ、オーシャン当人でさえも引いてしまう。
「何でそんなに嬉しそうなのよ?」
「そりゃあ、好きな子にそう言われて嬉しくない男はいないだろう?」
セドリックが当たり前のように言うので、隣に立った双子を見る。
二人はセドリックを見つめて、「人によるな」「個人の感想だな」と腕組みした。
「でも僕、諦め悪いから」
『ウミ』という呼び名を使うことについてだろう。覚悟してね、という様にセドリックは笑顔を見せた。
ホグズミードへの道を四人で歩きながらオーシャンは、なんとか『ウミ』と呼ばれずに済む方法を考える。隣では双子が未だセドリックに非友好的ながらも絡んでいて、なんだかんだで仲良くなってるな、とぼんやり思う。
「考え事かい、ウミ?」
「もう……また!」
しばらく押し黙りながら歩いていたのが、何故かセドリックの気を引いたらしい。双子越しにこちらを覗ってくる彼に声を荒げかける。いかん、いかん。彼のペースに惑わされてはいけない。
短い深呼吸をしてから、オーシャンはいつもの表情で彼を見る。多分、いつものだと思われる表情で。
「私の事は、みんなと同じように『オーシャン』って呼んで」
「ん~、でも、それだとほら。『みんなと同じ』って感じだろう?」
オーシャンが言った言葉に小憎たらしい表情で悩んでから、彼はそう返した。ああ言えばこう言う。この人って、元からこんなんだったっけ?
「貴方は『みんなと同じ』なの!」
肩を怒らせて『みんなと同じ』を強調すると、明らかにセドリックの勢いは萎んでいった。萎れる花か、怒られた犬の様だ。
「……そう、だよね……。うん……分かってるんだけど……分かってる、つもりなんだけどさ……」
――もう、何よ! そうやってシュンとした犬みたいな顔で! ……そうやって顔を背けられたら……ま、また私が悪いことをしたみたいじゃない……!
次に、罪悪感の様な何かに口を開かされて出た言葉は、男三人の表情を忙しなく変化させた。
「……じゃあ、か、代わりに……私が貴方を『みんなと同じ』あだ名で呼ぶのじゃだめなの?」
それを聞いて三人ともがきょとんとしてこちらを見、フレッドとジョージは得も言われぬ顔をした。反対にセドリックは満面の笑みを見せる。
「う……うん……!」
その表情があまりにキラキラして、眩しくて、すぐに引っ込めて欲しかった。オーシャンは「ただし!」と付け加える。
「二度と私のこと『ウミ』って呼ばないで! これは交換条件だから!」
「わかった! ありがとう、ウ、――ウエノ!」
また名前を呼びそうになって、何とか修正したセドリックは、キラキラした瞳と紅潮した顔でこちらを見た。まるで「褒めて、褒めて」と胸を張る犬の様で、揺れる尻尾までが幻覚として見えてくる。
「……良い子ね。セド」
呼び方を修正できて満足したオーシャンの口からその褒め言葉が出てくると、セドリックは赤くなって跳び上がり、フレッドとジョージに抱きついて、二人を巻き込んでくるくると回り出した。
双子の悪態がまぜこぜになって、何を言っているのかよく分からない。セドリックは高らかな笑い声と共に、双子を連れて離れていく。
三人が少し離れてオーシャンはやっと息を吐き、ゆっくり彼らを追って歩き出した。
…………。
待って、私、もしかして早まった?
*
「オーシャン、こっちよ」
セドリックと『三本の箒』に入ると、奥のテーブル席の方でハーマイオニーが手を振った。
フレッドとジョージは村に入ったところでリー・ジョーダンに誘われて、悪戯専門店の方へ言ってしまった。
双子はオーシャンとセドリックを二人きりにはさせまいとしていたが、「『三本の箒』でハーマイオニーと待ち合わせてるの」と言ったらすっかり安心した様子だった。
待っていたハーマイオニーは、一人きりでは無かった。ルーナ・ラブグッドが一緒だった。
加えて何と、『日刊予言者新聞』でデマ情報ばかりを書き連ねていた、あの女がいたのだ。確か、名前は――
「コニータ・クワーダ、だったかしら?」
「誰ざんすか、それ!? リータ・スキーターざんす!」
金切り声を出して振り向いた『元』特派記者は、到着したオーシャンとセドリックを見て目の色を変えた。
「あぁらっ、まぁまぁまぁ! 小憎たらしい日本のお嬢さんざんすね! お相手は――なんと『三校対抗試合』の有望選手のお坊ちゃん! これは筆が乗りそうな記事ざんすね!」
「そんなつまらなさそうな記事を買い取ってくれる伝手、今の貴女にあるの?」
セドリックが引いてくれた椅子に腰掛けながらオーシャンが言うと、スキーターは悔しそうに「ぐっ!」と唇を噛んだ。
「そうかなぁ。僕は読んでみたいけどね、その記事。スキーターさん、もちろんそれ、僕達の出会いの話から書いてくれるんだろう?」
「もちろんざんす!」
スキーターが胸を張ると、訳知り顔のハーマイオニーが「やめなさい。長くなるわよ」と言った。
「セドリックがオーシャンを湛える美辞麗句で羊皮紙一巻きはくだらないんだから、取材も紙の無駄。あなたも大切な『外』での時間を後悔したくないでしょう?」
「うっ」と言葉を詰まらせるスキーター。セドリックは「失礼しちゃうなぁ」と眉を寄せた。
「ウエノの事を話し出したら、三巻き分にはなるよ」
その言葉を聞いて、スキーターは開きかけた鞄の掛け金を音高らかにかけた。
いつも読んでくれているみなさま、ありがとうございます!
こらっ、セドリック、ダメ! セド! ダメ、止めなさい!ステイ!
(幻覚の暴走が止まらなさすぎるのでそろそろ本当にどうにかします……本当どうしちゃったんだよ、お前……そんな奴じゃなかっただろ……???)