「待って、セド! 待ってったら!」
オーシャンは無言のセドリックに腕をとられて、当てもなく引っ張られていく。彼女の求めに彼は応じず、また、歩みを止めもしなかった。
「セド!」
呼びかけはまたも届かない。顔の見えない彼が、何だか怖い。
「待ち、なさいって……言ってるでしょう!?」
「あわっ!?」
しびれを切らして、彼の背中に入って掴んでいる方の手をねじり上げ、そのまま自身は彼の正面へ周りつつ、オーシャンは足払いをかけた。セドリックが訳も分からずに転倒する。
一仕事終えた調子で手を叩いて、オーシャンは彼を見下ろした。
「――もう、貴方、どこへ行くつもりだったの?」
セドリックは我に返った様子で、彼女を見上げた。「いてて……。ごめん、何も考えてなかった。とにかく、あの場から離れたくて――彼女から、君を離したくて」
チョウ一人を悪者にするのは良くない。チョウの言い分にも分かる所はあったし――納得できるか、は別の話として――そもそも彼女が怒る理由は、マリエッタの事だけでは無いのだ。セドリックの言い分には感心できない。
「だからって、女の子にあんな言い方は無かったわ」
オーシャンは眉を顰めて腰に手を当てる。『君の顔を見たくない』なんて好きな人に言われたらどうなるか、想像したくも無い。
セドリックはゆっくりと立ち上がろうとしている。オーシャンはその様子を見ながら、言葉を選んだ。
「確かに、彼女の友達は貴方達みんなを危険に晒したわ。それは私も許せない。……けどそれは、あの子のした事じゃ」「なんで!」
セドリックが突然荒げた声に、オーシャンの肩がビクリと震えた。彼は苦しそうな目をして問う。
「何でそんなに、平気そうな顔をするんだよ、君は! 何で、傷つけようとした相手の事まで庇おうとするんだよ!」
手を引っ張られ、その勢いのまま、彼の胸へと連れて行かれる。前よりきつくきつく抱きしめられて、息ができない。
「君が何て言おうと! 僕は、君が傷つく姿なんて見たくない! 君が――君を傷つけようとする奴の事なんて、許せない! 君がしてくれた様に……僕にも君を守らせてよ……!」
息が苦しい。胸がトクトク鳴っている。だけどまた、不思議と全ての言葉は慣れた言語で聞こえていた。最後の絞り出す様な言葉が、胸に染み入っていく。
「……セドリック……」
彼の気持ちが、その胸越しに伝わってくる様だった。オーシャンもいつの日か経験した、『守りたい』という強い気持ち。
「――ごめんなさい、ありがとう。そうね、貴方は私を『いつも助けて』くれるんだもの」
頭の重みを彼の胸に委ねて、呟いた。小春日和に貰った、羊皮紙の切れ端。
目を閉じると、騒がしかったはずの心の臓が静まっていくのを感じる。頭を上げると、彼の瞳の中に自分が映っていた。
「貴方の気持ちをないがしろにして、甘えてたわ。ごめんなさい。……ありがとう、セド」
微笑んで、そのまま見つめ合う。
おもむろに彼が口を開いた。
「……キスしていい?」
「ダメ」
即答。同時にオーシャンは、両腕でセドリックのそれを内側から音が鳴りそうな勢いで弾いた。彼は分かりやすく項垂れる。
「今の流れは、恋愛小説だったらキスしてる所だろう?」
「ごめんなさい、私、冒険小説の方が好きだから分からないわ。――でも」
オーシャンは弾いた彼の左手を優しく取ると、自分の頬にそっと当てた。
「貴方の気持ちには、感謝してるの。……ありがとう、セド」
セドリックの手のひらの温もりと、自分の体温が溶け合う様な感覚を、少しの間目を閉じて味わう。まぶたを開くと、彼の視線と交わった。
「!」
今度はセドリックの方が手を振り払って飛び退いた。上げた顔はまるで、ゆでだこの様だ。
「危ない……。今、ダメって言われたのにキスしちゃうところだった……! ……ウミ、それは罠だよ……あまりにも巧妙な罠だ……!」
耳まで赤くなる彼に、笑みが零れる。何だかちょっと、悪戯心がくすぐられた。
「そうなの? 貴方の自制心が働いてくれて良かったわ。良い子ね、セド」
笑って頭をわしゃわしゃと撫でれば、またそれをかいくぐって距離を開ける。面白い。
彼は赤い顔で、お腹がペコペコだから夕食に行こう、と言った。オーシャンは、そうね、と頷いて、元はと言えば誰のお陰でこの場所にいるのか、言わないであげた。
*
次の日のハリーは心ここにあらず、といった様子だった。
スネイプが『閉心術』の個人教授を止めると言い出したらしく、それを聞いたロン、ハーマイオニー、オーシャンは首を傾げるやら心配しているやらだが、彼にはそんな事よりずっと、心を占めている事があるみたいで、何を言っても返事が上の空だった。
談話室の壁をぼうっと見つめている彼に声をかけると「なんでもない」という、明らかになんでもある答えが返ってきた。ハーマイオニーが、何の気なしに口を開く。
「さっき、チョウを見たけど、あなたたち、また喧嘩したの?」
その問いにハリーはただ、「ああ、まあ」と答えた。
更に原因を問われて、裏切り者のお友達、と端的に答える。オーシャンはダンブルドア校長の逃亡劇の後、合流したメンバーにマリエッタの事を報告していた。
ハリーの回答に、ロンが「そりゃあ、無理も無いぜ!」と憤り、怒りが収まらない調子で色々な悪言雑言を撒き散らした。ハーマイオニーが「まあ」と静かな声で遮る。
「今回の事で一番怒っているのは、セドリックだと思うわね。凄かったわよ、あの人」
「ああ、確かに」何かを思い出している様子で、ロンが言った。オーシャンがびっくりして声を裏返す。「そんなに?」
「ええ、そりゃあもう」ハーマイオニーが深く首肯する。「『闇の魔術』を使い出さないのが不思議なほどの剣幕だったわ」
ロンも口を揃える。
「人ってあんな顔出来るんだなって思ったよな、実際」
そう聞いて、オーシャンの心には昨日のやりとりが更に食い込んだ。いつもより強引な、きつく自分を抱きしめた腕。苦しげな瞳で、静かに響いた切ない声。『僕にも君を守らせてよ……!』
「オーシャーン? オーシャン、大丈夫~?」
「――はっ!?」
どうやら、意識が飛んでしまっていた様だ。ハーマイオニーの手のひらが目の前で振られている。
「もしかして、またセドリックと何かあったの?」
ハーマイオニーがオーシャンの変化を目ざとく指摘する。彼女に言わせると、段々と赤く色づいていくオーシャンの顔には「何かあった」というのがありありと書いているのだ。
「な、なんでもないわよ……!」
ハリーと同じ逃げ口上を口にして、オーシャンは寝室に引き上げた。ハリーの心を占めているものが一体何なのか、分からないまま。
*
イースター休暇の最後、ハリー達五年生は夏学期に控えた進路指導の為に、談話室に設置された就職パンフレットの山と格闘していた。
「ああ、もうそんな時期なのね……」
ハリー達を見て年寄りじみた事を口走るオーシャンを、アンジェリーナが笑う。「ああ、あれ、もはや懐かしいわね」
二年前、オーシャンの心は進路指導どころでは無かった。そもそもあの頃は指名手配犯が学校に出入りした騒ぎで、学校中がそれどころでは無かったが。
それでもマクゴナガル先生に呼ばれたオーシャンは、将来の展望を質問されて、言うことが無さすぎてこう答えた。
「……毎日美味しいご飯を食べて、適度な幸せを見つけて生きていきたいです」
その返答で貰ったのは大目玉所では無く、龍をも起こす程の雷であった。指導が終わってからそれを聞いた友人達は、大笑いしていた。
そんな懐かしい記憶はさて置いて、今気になるのは、パンフレットを手繰るハリー達に混ざっている悪戯双子の存在である。
ハリーが彼らに進路についての助言を求めるとも思えないし、逆も然りである。そもそもあの双子は声を大にして悪戯専門店を開業すると言っているし、その資金も一年前に貯まっているはずだ。今更『進路指導』等に関わろうとしている理由が分からない。
「まさか天下の悪戯双子が、進路についてのアドバイスをしている訳じゃないでしょう?」
そう声をかけると、こちらに背を向けてあぐらを掻いていたジョージが、肩で振り向いた。
「おっと、企業秘密だ。いくらオーシャンでも仲間に入れてあげられねぇな」
何やらフレッドと一緒に、ハリーと頭を突き合わせて話し込んでいたようだ。フレッドも顔を上げた。
「いいや、『オーシャンだから』というべきか? 俺たちが後輩の進路の相談に乗ってやってるなんて、冗談が下手な奴にはな」
「何よそれ、失礼しちゃうわね」
返ってきたいつもの軽口に、呆れる口調でオーシャンは言った。隣のアンジェリーナを見ると、彼女も肩を竦めて見せた。
だから、まさかそれが思いも寄らない方向に転がるなんて、考えてもみなかったのだ。
次の日、休暇が明けて平常通りの授業が始まった。七年生はいよいよN.W.E.T.試験が目と鼻の先に迫っていて、生徒達だけではなく教鞭を執る先生達も鬼気迫る表情をしていた。
一緒にいたアンジェリーナが珍しく教室に忘れ物をして、「先に行ってて!」と促された直後だった。教室に向かおうとする七年生達の波に逆らって、ハーマイオニーがこちらに向かって走ってきたのだ。
「どうしたの?」
急ブレーキをかけたハーマイオニーに、落ち着いて尋ねる。彼女は肩で息を整えつつ、話し出した。
「……オーシャン、あの二人を……止めて……!」
ハーマイオニーがやっとそう口にした、まさにその時、校内のどこかで破裂音が二回、音高らかに鳴った。二人とも、ハッと顔を上げる。
「何、今の!? ……何かの合図……!?」
顔を曇らせるオーシャンに、ハーマイオニーは「行って!」と言った。
「フレッドとジョージよ。あの二人、ハリーがシリウスに会うために、馬鹿げた陽動作戦でアンブリッジを惹きつけようとしてる。ダンブルドアがいない今、こんな事しでかしたら――」「持ってて」
話を聞き終わる前に、オーシャンはハーマイオニーに自分の鞄を押しつけて廊下を駆け抜けた。彼女の勢いに驚く七年生達を巧みに躱して進む。
あの二人はどこだ? あの音はどこで鳴った? 階段を下りるのももどかしく、手すりに足をかけて滑り降りる。上ってくる生徒達が焦って縮こまるが、その頭を鷲掴んで跳躍台にした。
玄関ホールに着くと、そこはすでに沼地と化していた。その辺にちらほらといる生徒が『臭液』の様な液体をかぶって、何が起こったか分からずに右往左往している。
「危ない!」
声が聞こえて、飛び出してきたセドリックが、上階から落ちてきた水風船の様なものから庇ってくれた。もう少しで蹴り飛ばしてしまうところだったので、助かった。
「ありがとう、セド。足が汚れなくて済んだわ」
「お安いご用だよ。……うっわ、酷い臭いだ……」
前髪から垂れてくる液体の匂いを嗅いで、彼はしかめ面をする。その顔でセドリックは、これも君の仕業かい?、と聞いた。
「まさか、我が寮の悪戯仕掛け人よ」
そうセドリックに答える傍らを、怒り心頭のアンブリッジとフィルチが駆け抜けていった。しかしすでに沼地化している玄関ホールに下りられず、別の道を探して階段を再び上がっていった。
「私達も行きましょう。あの女より先に、あの二人を見つけなきゃ」
オーシャンが無意識に言った『私達』の一言に、セドリックは嬉しそうに「うん!」と頷いた。