セストラルは人間二人の重量などものともせずに、薄暗い空に舞い上がった。彼らの姿が見えないロン、ハーマイオニー、ジニー、セドリックは、それぞれ乗るセストラルの手綱を握る四人にしがみついた。姿が見えない動物に騎乗して空を飛ぶという事が、彼らの体を強ばらせている。
「変な感じ……これってすっごく変な感じだよ!」
セストラルの翼が風を切る音に混じって、ロンが泣きそうな声を出したのが聞こえた。手綱(と言ってもたてがみだが)をとるルーナが、「あまり喋ると、舌を噛むよ」と冷静に言った。
前方を行く三頭のセストラルを見失わない様に、オーシャンはたてがみを握り直す。セストラルの騎乗は箒と違って、彼女を振り落とす事はしなかった。卒業したら、天馬を飼育するのもいいわね、とぼんやり思う。
その時、後ろに乗るセドリックの手が迷う様に緩んだので、彼女はたてがみから片手を放して、彼の手を自分の腰の辺りでしっかりと握らせた。
「落ちても助けられないわよ! 放さないで!」
強く言いながら、肩越しに彼を見る。彼は何故かこの状況で顔を赤らめて、上擦った声を出した。
「ちっ、違うよ! あの、あんまりくっつくとその――よくない気がして!」
「この状況で手を放す方がよくないわよ! しっかり掴まってて!」
「うっ、うん……」
勇ましいオーシャンの声にセドリックはしおらしく返して、彼女の肩にもたれかかった。
*
一行を乗せたセストラルはロンドンの上空に到着し、高度を急激に下げると、ハリーの指示した魔法省の来訪者入り口である電話ボックスの前に下り立った。
「はあ……生きた心地がしなかったよ……。もう絶対に乗りたくない……」
言いながらロンが、同乗したルーナとは対照的にふらふらとした足取りで下馬した。最後にオーシャンとセドリックが下りると、四頭のセストラルは近くにあるゴミ置き場に足を向けて、中から腐った食べ物を漁りだしていた。
すっかり日が落ちたロンドンは、オレンジ色の街灯が通りを照らし出していて、得も言われぬ雰囲気を醸し出していた。近くにあるゴミ置き場のせいだろうか、綺麗とも言いがたいし、かといってミステリアスで、何かが起こりそうな空気が漂っている。……まあ、実際もう何かは起こっているのかもしれないが。
憧れの町の、見たことのない顔。せめて、もっと違う時に出会って堪能したかった、とオーシャンは思った。
「こっちだ。早く」
ハリーの急くような声がして振り向くと、彼は電話ボックスの中から身を乗り出して、みんなを中に招き入れていた。
ロンやジニーが戸惑った様子をみせつつも入っていくが、そうはいってもこちらの人数は計八人。このスリムでスタイリッシュ(にオーシャンには見える)なボックスの中に収まるには、些か数が多すぎる。
それでもハリーが全員を中に招き入れようとするので、仕方なくオーシャンはみんなの頭上で、ボックスのガラスとガラスに足を突っ張っていなければいけなかった。みんなの頭が近くて恥ずかしいし、つるつると滑るガラス相手にはそんなに長い時間張り付いていられない。
「ハリー、早くして! ちょっと、セド、こっち見ないで!」
「見てないよ!」
「ハリー、全員入ったわ!」
「じゃあ、電話に一番近い人、番号を! 62442!」
ごたごたしたボックスの中、ロンがハリーの指示通りにダイヤルを回す。すると、ボックスの中に落ち着いた女性の声が聞こえた。
「ようこそ、魔法省へ。お名前とご用件をどうぞ」
それに応えるハリーは早口に全員の名前を言って、「ある人を助けに来ました!」と続けて用件を口にした。
そのような漠然とした用件で大丈夫なのかと思ったが、姿の見えぬ受付らしき女性は「ありがとうございます」と機械的に言って、電話の硬貨返却口から八個のバッジを渡した。
続けて女性が、外来者は杖を登録する必要があるので、守衛室へ立ち寄るよう案内する。しびれを切らしたハリーが呻くように「早く出発して!」と言うと、電話ボックス全体がガタンと動いた。予期していなかった衝撃に、オーシャンはガラスの壁面をずり落ちてネビルの肩に着地する。「あら、ごめんなさい」
彼は一瞬体勢を崩したが、踏ん張って何とか倒れる事無く持ち直した。この子も、ハリー達と同じく立派になったものだ。セドリックがネビルにジト目を向けている。
そのままネビルの肩の上で移動の時間をやり過ごす。どうやら電話ボックス自体が地中に降下している様だった。ガラスや屋根が、地中を擦ってガリガリと音を立てている。
やがて足下から光が差し込んで、オーシャンはネビルの肩の上から魔法省のエントランスを見渡した。広々としたエントランスの中央には黄金の噴水がしぶきを上げており、壁際にはいくつもの巨大な暖炉の様なものが備え付けられてある。日本の魔法省にも行った事が無いのでこの場の印象について滅多なことは言えないが、とにかく、黄金の噴水は悪趣味だなぁ、と思った。
八人の乗った電話ボックスはゆっくりとそのまま降下を続けて、やがてエントランスの床の上で止まった。ポン、と音がしてあの受付嬢の声が「魔法省です。ご来省ありがとうございます」と言うと、ボックスのドアがパッと開いて、開いたドアに押しつけられていたハリー、ジニー、ハーマイオニーがまろび出た。
何とか頑張っていたネビルはオーシャンの重さに耐えかねて倒れ込み、放り出された彼女を待ってましたとばかりにセドリックが受け止める。着地の用意をしていたオーシャンは、一瞬の後に彼から離れた。
「よして、一人で立てるわ。今度は私を受け止めようとする前に、ネビルを助けてあげて」
「なら君も、今度は僕の肩の上にどうぞ」
ロンとセドリックを先に出して、オーシャンはネビルを助け起こす。「私を支えてくれるくらい、貴方も立派になったのね。ありがとう」と彼女が言うと、ネビルは赤くなってもごもご言った。いちいちセドリックが、視界の端でこちらに向けて拗ねた顔を見せる。
ネビルと一緒に電話ボックスを出る。降りてくる途中に見た黄金の噴水はやはり巨大で、よく見ると中央にいる魔法使いと魔女をその周りのケンタウロス、小鬼、屋敷しもべ妖精の三体が崇めている様な造りをしていた。
「エントランスから思想が丸出しなのね、魔法省って……」
「こっちだ」
ハリーの声に顔を向け、そちらに向かう。彼は誰もいない守衛室を通り過ぎ、奥にあるエレベーターのボタンを押した。
「守衛室って、この時間誰もいないものなの?」
隣に立ったオーシャンの質問に、ハリーは頭を振って返す。「変だ」
呼びだしたエレベーターはすぐに現れ、金色の格子扉を賑やかに鳴らしながら横に開いた。ハリーが先頭になり、みんなが入ったところで9階のボタンを押す。
エレベーターは更にけたたましい音を立てて、9階へと滑っていく。乗っているこっちが不安になる程の大きな音だ。今この瞬間の魔法省を支配する静寂が、音を何倍にも響かせているのか。どうにも不安と静寂に煽られて、胸がドキドキと波打つ。どうか、この音に敵が気付いて、降りた先で杖を向けて待ち構えていませんように。
エレベーターが停まり、息を詰めていた乗客八人とは裏腹に、先ほどの受付嬢と似た声が落ち着いて到着地を告げた。「9階、神秘部です」
格子扉が開いて、みんなは神秘部の廊下に出る。相変わらずの静寂はここに来て濃くなった様に思い、耳が痛くなる程の静けさが辺りに満ち満ちていた。ふっと何かが動いた気配にネビルが身を固くして声を上げかけたが、彼らの気配に揺らめいた、壁に備え付けられていた松明の炎だった。
果たして神秘部には着いたが、ブラックがこの階のどこにいるかなど見当もつかない。しかしハリーは、一つのドアの前に吸い寄せられる様に進み出た。
「行こう」
取っ手のない黒いドアだ。それは彼の気配に応えるようにパッと開いた。ハリーを先頭に、慎重に進んでいく。
ドアを潜ったその先は、暗い円形の部屋だった。壁一面に感覚を開けて、同じ様な黒い扉が並んでいる。各扉の横にはろうそくの青白い炎が揺らめいていた。
「参ったわね。こんなに部屋が多いなんて。目的の場所にはすぐにたどり着けるものと思ってたわ」
声を潜めてオーシャンが言う。ハリーが一歩前に踏み出し、「夢ではいつも、反対側の扉に……」と言いかけた所で、ゴロゴロという音と共に壁が回り出した。
「きゃ!」
床も回転すると思ったハーマイオニーがハリーの腕を掴んだが、その心配は無かった。円形の壁のみがぐるぐると回って、ろうそくの青白い灯りが、一直線に輪を描いている。
壁の回転が、やがてピタリと止まった。
「何だったんだ、今の……?」
困惑するハリーに、ハーマイオニーが推測を返す。「多分、帰り道を分からなくする侵入者用の罠ね……」
「どうする? どこの扉に進めば良いか、分からなくなったぞ」不安そうにロンが言う。
「何だかすごく、懐かしい物を見た気がするわ……正面にあった扉、私分かるけど、教えた方が良い? ハリー」
オーシャンの言葉に三人がこちらを見た気配がした。「本当? 今の、結構早かったけど」
「動体視力は忍術を身につける上で、切っては切り離せない能力だもの。普通の日本人魔法使いであれば捉えられないでしょうけど、父による特別な修行を積んだ私なら余裕よ」
言ってオーシャンは、「正面にあったのは、あの扉ね」と向こうに見えている扉を指さしながら、苦い記憶を思い出していた。
同じ様な仕掛けは、日本の魔術学校の忍術科にある。忍術科のある別棟はこのようなからくり屋敷になっていて、偽扉、どんでん返し、回転床等が満載だった。幼い頃に忍術科に迷い込んだ時、従兄弟の長兄・一郎に助けて貰ったものだ。
ハリーがオーシャンの指定した扉の前に立つと、またも扉はパッと開いた。
暗さに慣れていた一行の目が、眩しそうに眇められる。そこはろうそくの灯りだけだった今までの場所とは違い、様々な美しい照明の灯りが煌めいていた。ハリーを先頭にして、部屋に足を踏み入れる。
見回すと至る所に様々な形の時計が設置されており、その盤面が照明の光を反射させて、部屋の灯りを倍にも見せていた。幻想的にも見えるその光景に、思わずルーナが感嘆の声を上げる。「わぁ……」
目の前の光景に思わずハリーの足も鈍りかけたが、すぐにハッとすると部屋の魔力に見せられるみんなに鋭く言った。「立ち止まっちゃダメだ!」
「……そうね、思わず魅入っちゃったわ……。先を急ぎましょう」オーシャンも気を取り直し、足を速める。
全員で部屋を横切る。辿り着いた奥の扉も、音も立てずにパッと開いた。
その向こうはまたも濃い闇だった。どこからか仄かな灯りを感じるが、通ってきた部屋との照明の落差で、みんなが目を瞬いた。
「ここだ……」
闇に消えている天井を見上げて、ハリーが呟いた。
部屋の中には棚がいくつもそびえ立っていた。棚の上の方は、闇が深くて見通す事が出来ない。それが載せているいくつもの小さくて丸い何かが、どこからかの青白い光を受けて中身を浮かび上がらせている。中にはモヤモヤとした煙のような物が閉じ込められていた。
ついにここまで来た。全員、神妙な面持ちで杖を構え直す。ハリーを先頭にして、棚と棚の間に伸びている通路をゆっくりと、慎重に進んでいく。
そのままややしばらく一行は無言で進んだが、ブラックはおろか人っ子一人見つける事は出来なかった。端を見渡せない程広大な部屋の中ではあるから、必ずしも誰かがいないとも言い切れない。しかし、ハリーの夢の中に出てきた棚の近くは手分けをして探したし、「シリウス、いないの……?」と潜めて問いかけるハリーの声にも、応える者はいなかった。
しかし。
「ハリー!」
静けさの中、ハーマイオニーの声がハリーを呼んだ。ブラックの痕跡を見つけたのかとハリーは即座に向かったが、そこに求めている姿は無く、ハーマイオニーは一つの棚を見上げて、そこに並んでいる球体を杖明かりで照らしていた。
目的の者を探さずによそ見をしているハーマイオニーに、ハリーが声を荒げる。
「一体、何なんだ!? そんな事をしている暇は無いんだよ、ハーマイオニー! こんな事をしている間にシリウスは――」
「でもハリー、これ、あなたの名前が書いてあるわ……」
「え……?」
困惑したハーマイオニーの答えに、ハリーは眉を顰める。散っていた仲間達も集まってきて、一緒になってそこを見上げると、確かに彼女が示した球体の台座には、『Harry・Potter』とあった。
うおおおお!!ついに騎士団編佳境です!!
読んでくれるみなさん、感想をくれるみなさんのお陰でついに迎えることが出来ました、ありがとうございます!
本当一生終わらないかと思った……(終わってから言え)
長期間更新を休んでいる間にも、度々「思い出して見に来た」「また読み返したくなった」等々のお声に励まされてここまで来て本当に良かった、本当にありがとうございます
まぁ、騎士団編はもう少し続くし、シリーズはちゃんと完結まで駆け抜け、られないかもしれないけど、失速しても必ず書くので、引き続きお付き合いいただけると嬉しいです!
読者さまと原作者さまに引き続き最大級の感謝と愛を込めて!!