ハリーがそれを手に取るのを、ネビルが止めた。
「ハリー、やめた方が良いよ!」
しかしハリーは、棚に整然と置かれたそれを掴んだ。透明なガラス玉の中に閉じ込められた煙の様な何かが、ゆっくりと渦を巻いている。不安そうな顔を向けるネビルに、ハリーは顔を向ける。
「僕の名前が書かれているんだ」
今まで縁もゆかりも無かったこの場所で――しかもこの様な不気味な部屋で――突然自分の名前を見つけて、不安に思わない者はいないだろう。ハリーは手に取ったガラス玉と、棚に並べられた自分の名前を交互に見ている。
その時、部屋の雰囲気が僅かに変わった。オーシャンは闇の中に目を走らせて、呼びかける。
「誰だか知らないけれど、殺気を抑えられないのなら、姿を見せてしまった方が得策よ」
それに反応して、セドリックが彼女の向く方向に杖を構え直す。他のみんなも声を聞いて、どこにいるか分からない敵に身を固くした。
数瞬の間の後、気配の主は彼女の視線の先にある闇の中から、気取った声を出して現れた。
「これはこれは……。どこから気付いていたのかな……?」
「最初はお上手だったわよ? 気のせいかと思っちゃった程だもの」
あくまでも冷静にオーシャンが応じると周囲の闇が裂けて、そこから現れた『死喰い人』達が退路を阻むように彼らを囲んだ。
「さあ、それを渡したまえ」
ハリーの心臓を捉えようとする様に、最初の人物が気取った声を出す。この感じ、なんだか既視感がある気がする。喉まで出かかっているけど……誰だったかしら?
「……失礼だけど、どこかでお会いしたことあった?」
場にそぐわないオーシャンの質問に、周りにいる何人かの死喰い人が笑い声を上げた。気取った死喰い人が答える。「この私が、君のような下賤な日本人と相まみえた事があるかだと? 馬鹿も休み休み言い給え。――さあ、その予言をこちらへ渡すのだ」
ハリーは手の中のガラス玉を力強く握った。「僕があなたの言うことを素直に聞くと思ったら、大間違いだ。ルシウス・マルフォイ」
「マルフォイ? あの人、あの子のお父さんなのね。あんなお父さんを見て育ったから、威張り散らした物言いしかできなくなったのね……。可哀想な子」オーシャンはハリーを向いてのんきに言った。マルフォイの杖が彼女に向く。
「アバダ――」「緊縛せよ、混沌の鎖!」
マルフォイの死の呪文より早く、硬い床を貫いて出てきた二本の鎖が、彼に襲いかかった。しかしそれは、彼を庇うように前に出た二名の死喰い人の杖の一払いでいとも簡単に撥ね除けられる。その内の一人が静かに口を開いた。
「興奮しすぎだ。――『あれ』を壊してしまってからでは遅い」
どうやらハリーの握るガラス玉の事を言っている様だった。これが何なのかは分からないが、その口ぶりから見るに、奴らにとってとても重要な物である様だ。ハリーはそれをしっかりと両手で抱く。
「――シリウスはどこだ?」
警戒の瞳でマルフォイを睨んでハリーが聞くと、死喰い人達の嘲りの笑い声が木霊した。
「夢と現実の区別がついていない様だな、ポッター」
「ちっちゃな赤ん坊のポッティちゃんは、怖い夢を見たから起っきしてきちゃったのかな?」マルフォイの隣の女が、アンブリッジとは比べものにならないほどにおぞましい猫なで声を出した。
これがどうやら罠であった事は、その場にいる全員が理解した。自分を信じて着いてきてくれた仲間達を犬死にさせないように、ハリーは必死で頭を回転させて会話を長引かせて、時間を稼いでいる。――どうすればいい。
後ろで誰かが、極度の緊張のせいで浅い呼吸を繰り返している。オーシャンは懐の装備を頭の中で確認する。――三郎仕込みの神経毒の鏃に、煙玉。どちらも目の前の全員を黙らせるには、数が足りない。『紋』の改良をした破魔の札は、何かに使えるだろうか……。『身代わりのわら人形』の手持ちは一つ。これを使わずに済めばいいが、それは許してくれないだろう。まきびしでの足止めは、あまり意味が無さそうだ。さっき奴らが突然出現してきたのを見ると、奴らには『姿現し』に似た移動法があるらしい。隙を突いて体術で殴るしかないか……。
ハリーが奴らの言う『予言』という意味を探りながら、活路は無いかと周囲に目を走らせる。
「こんなガラス玉を、ヴォルデモートが欲しがるのは何故だ?」
「お前如きが、あの方のお名前を口にするな!」マルフォイの隣の女が激高した。怒りに支配された杖先から飛んだ光線はしかし、マルフォイの呪文で鋭く屈折した。女の唱えた呪いがオーシャンの斜め後ろの棚に当たって、いくつかガラス玉が落ちて割れる。
封じ込められていたモヤが割れたガラス玉から静かに立ち上り、ぼんやりとした声で何かを言っていた。それぞれの声が重なって、何を言っているか判別出来ない。
「止めろ! 予言を手に入れるまで待て!」
死喰い人が女の方を見たチャンスを、オーシャンは見逃さなかった。通路の両側にそびえ立つ棚の側壁を蹴り上げて、素早く、尚且つ派手に三角飛びの要領で上へ上へと駆け上がる。一人が気付いて杖を向けた所で一度棚板に掴まり、こちらを狙いやすい様に振り返って立ち止まった。
「ステューピファイ!」
死喰い人の杖先から迸った麻痺を、オーシャンは月面跳躍で躱す。彼女が言った一言は、傾いた棚が隣のそれにぶつかった衝撃で、聞こえなかった。「お手伝い、どうもありがとう」
倒れた棚は隣を巻き込み、またそれが更に隣の棚に傾き……。生まれた混乱の中ハリーがみんなに向けて叫んだ。
「逃げろ!」
踵を返して駆けだす仲間達を、死喰い人は逃がさんと追いすがる。二者の間に下り立ち、オーシャンは杖を振った。
「堕ちよ、裁きの大槌!」
衝撃をもろに食らって、死喰い人が三人吹き飛ぶ。仲間達の後を追って駆け出すと、マルフォイがハーマイオニーの「麻痺」に当たってハリーの肩から手を放したのが見えたので、ついでに蹴り上おく。そのまま体を捻って、追跡者達を向いて杖を薙いだ。
「アグアメンティ――凍てつけ、白雪の舞い!」
オーシャンの生み出した水滴が氷の飛礫となって、瓦礫と共に死喰い人達を襲う。生まれた一瞬に、がむしゃらになって叫んだ。
「セド、守って!」
瓦礫降り注ぐ道の中、同じく退路を行くはずの彼の姿は見えず、返事も無い。しかしオーシャンには大丈夫だと分かった。逃げてきた道に鋭く杖先を向ける。
「爆ぜよ! 灰燼となせ!」
「「「プロテゴ、護れ!」」」」
四人がほとんど同時に唱えた。杖を向けた空間が、降りそそぐ木粉に引火してさらに大きな爆発になる。轟く爆音と爆炎に、オーシャンは顔を背けた。
辺りの棚を巻き込んで広がる爆炎から、セドリック、ハリー、ネビルの三人が唱えた防護呪文がみんなを護る。
木粉とガラス片と埃の混じった灰色の煙が収まると、辺りに痛いくらいの静寂が満ちた。
死喰い人達の姿は見えない。逃げてきた道には、瓦礫の荒野が広がっているだけだ。肩で息をするハーマイオニーの声が、静寂を破った。
「……やっつけ、たの……?」
「……そうだといいけど……」
息を整えて、オーシャンは答える。瓦礫で埋もれてくれていればいいが、骸の姿が見えないこの状況では、安心はできない。
とはいえ、少し時間は稼げただろうか。オーシャンは仲間達を振り返る。セドリックが細かい傷だらけの顔で、肩を竦めた。
「全く、無茶するよ。ハリーとロングボトムが助けてくれたから良かったけど、さすがに僕だけじゃ、あの爆発は抑えきれないよ」
「あら、私、貴方を過信していたかしら?」挑発的に返すと、彼は拗ねた顔を見せる。オーシャンは無視して、ハリーとネビルに礼を言った。ネビルの恐々と歪んでいた顔は、少し誇らしそうに明るくなった。
ロンが心底疲れた様子で、「とにかく早く戻ろうぜ、ハリー」と言った。ハリーが頷く。
「うん。ここは危険だ。早く魔法省を出よう」
この状況で、尚もブラックを探そうとはハリーも言わなかった。みんなで顔を合わせて頷きあって、足早に出口へ向かった。
*
「それにしてもハリー、あいつらの欲しがった『それ』、いったい何なんだ?」
「分からないよ……けど、あいつらに渡しちゃダメな気がするんだ」
「でも、これからどうするの?」
幻想的な明かりが灯る部屋を、横切りながら、ハーマイオニーがハリーに問うた。ハリーは「とりあえず、ホグワーツに戻ろう。学校まで戻れば、安全だ」と返す。
ブラック救出という目的を見失った今、それが賢明な判断だと言えよう。しかし、奴らがこれで諦めたと思うのはまだ早計だ。ホグワーツに戻るまでの間、来るであろう追っ手を躱せるかどうか……。
話している間に、取っ手のない扉に辿り着く。先刻にここを通ってきたばかりだというのに、もう遠い昔の様な気さえする。ハリーが先頭に立って扉を開けると、同じ扉がいくつも並ぶ円形の部屋に戻ってきた。各扉脇に揺らめいている青白い炎を見て、ロンがホッと張りつめていた息を吐いた。もうすぐこの階からおさらばできる。
「入ってきたのは確か、正面の扉だったかしら」「うん」
オーシャンがハリーに問うとゴロゴロという音を鳴らして、部屋の壁が入ってきた時と同様に回転を始めた。あの時と同じく、青白い炎が大きな輪を描き始める。
やがて回転が止まると、オーシャンは壁の一点を指した。「あそこ」みんなが疑わずにその扉を潜る。
しかしそこは、見たことの無い広間だった。部屋の中心までが階段状になって窪んだ形状をしていて、まるで日本でよく読んだ漫画の闘技場に似ている。中心が舞台の様に盛り上がっているのが、なおさらそれっぽい。
そしてその舞台の上には、洗練された形の鳥居の様なものが佇んでいた。
「部屋を間違えた様だわ。……変ね、私は確かに……」
見間違えたはずは無い。向かい側にあった扉からは目を離さなかったのに。オーシャンが首を傾げて「戻りましょう」と踵を返しかけた時、ハリーが吸い寄せられる様に、鳥居の方へ足を向けた。
「ちょっと、ハリー?」
みんなもハリーを追って、階段を降りていく。近くで見た鳥居の大きく開いた口には、薄いベールのようなものが波打っていた。
「なんなの?」「どうした?」
ハーマイオニーとロンが鳥居を見上げるハリーに近づいて、声をかける。ハリーはそれを見上げたまま、「声が聞こえないか?」と二人に聞いた。
「聞こえないぜ」「ハリー、急がなきゃ」ロンが返し、ハーマイオニーが急かす。しかし、些か遅かった。
「急いで、どこへ行く気だね?」
いつもお待たせしてすいません。読んでくれてありがとう
不死鳥編もあと2話です(多分)
正直ここで切りたくなかったけど、個人的に一話は5000文字より少なくするようにしてます
理由は私がデジタル画面で5000文字以上を続けて読めないからです笑