オーバーロード ワン・モア・デイ   作:0kcal

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※注意 五話と六話の間のお話です。


From Fear to Carelessly

「……以上だ、では頼んだぞ。鍛冶長」

 

「はっ、至高の御方の統率者であるモモンガ様の為に我が槌を振るえること……真に光栄の極み。感謝いたします」「感謝イタシマス」

 

 頭を下げ平伏する鍛冶長と部下のサラマンダーの鍛冶士達を睥睨し、アインズは言葉をつむぐ。

 

「頭を上げよ、お前たちの言葉は嬉しく思う。だが武具作成はともかく、他の命はお前達の武具鍛冶師としての矜持を傷つけはしないか?私はそれを案じている」

 

「なんと、我らがごとき者共にそのようなもったいないお言葉を」

 

 鍛冶長、そして鍛冶士達の炎が歓喜の念を表すかの如く強く揺らめき輝いた。

 

「至高の御方に命じられた仕事、全て我らの誇りであり、栄光であります。これは我らが創造主、あまのまひとつ様に誓って真実の言葉……」

 

 更に深く平伏し、鍛冶長は言葉をつづける。

 

「なにとぞ我らがために、磨き上げられた神鋼の如き御心を曇らせませぬよう、伏してお願い申し上げます」「オ願イ申シ上ゲマス」

 アインズは未だ平伏したままの鍛冶長達に再び声をかける。先ほどよりもゆっくりとした重々しい口調で。

 

「頭を上げよ……いや、立つが良い」

 

 その言葉で鍛冶長たちが立ち上がる。アインズは鍛冶長に向けて一歩踏み出し肩に手を置く。

 

「お前達の忠義の心、確かに受け取った。改めて命じよう、我が力となれ。お前達の働きに期待している」

 

 「はっ!!我らが力、全て至高の支配者モモンガ様の為に!」

 

 炎を吹き上げ鍛冶長たちが敬礼する。アインズは満足そうにうなずくと、威風堂々とその場を後にした。後に残った鍛冶長たちはアインズの姿が見えなくなるまで敬礼し、炎を強く、大きく輝かせるのだった。

 

 

 

 

 

「ありえねえータブラさあぁん、あれはない、あれはないよー」

 

 自身の生み出したNPCと、かつての盟友に作り出されたNPCから多大な精神的負荷を受けつつ、必死にナザリック内部を駆け回り早急に打つべき手を打ち切ったアインズは“おりゃおりゃー”などと言いながらベッドの上に向けて、明らかに物理法則を無視した滞空時間で緩やかな弧を描きダイブ、枕を両腕に抱え込み“うわーうわー”と左右に転がった後“へあっ”とでんぐり返しを敢行、その後大の字になって“いいいいいやあああああぁー”と両手両足をばたばた動かすという自分史上最高の荒れっぷりを披露していた。

 無論、私室周辺に見張りのデス・ナイトを召喚し、その上で誰も自分の部屋に近寄らせるなと言明。外部への音遮断の魔法を2重にかけてからのご乱心モードである。

 

「……ふう」

 

 ひとしきり喚き、暴れ、ようやくある程度魂の疲労というかストレスを発散しベッドにごろん、とうつぶせになったアインズはふと気が付く。

 

「まだ、ベッドには香水がかかってないみたいだな」

 

 あの香りが漂っていればアロマテラピーではないが、もうちょっと落ち着くのは早かったんだろうか、と記憶にある慣れ親しんだベッドの香りを思い出す。やはり部屋にメイドが出入りするようになってからああいうことは考案・開始されるのだろう。エ・ランテルの部屋は仮の住まいとされていたせいか香水を振りかけることはついぞなかったが。

 

「しかしまいったな、奴とニグレドはともかく、守護者たちとの会見でもあそこまで精神に負担がかかるとは……」

 

 全ては自分に前回の記憶がある事に原因がある。自分には守護者たちと過ごした記憶があるのに、彼らにはその記憶が無い。それによって自分の認識と守護者の行動や発言に齟齬が生じる。それを目の当たりにすることが自分の精神を激しく揺さぶるのだ。頭ではわかっていても感情はついてこない、の典型である。もし自分がアンデッドでなく、精神安定化が働かない種族であったら耐えられなかっただろう。

 また、記憶がある事で生じる弊害として“失敗”がある。記憶の通りに振舞おうとしてその通りに振舞えなかった場合、アインズは失敗したと感じるわけだが、それにより慌てたり羞恥の感情を抱いたりすることでも精神の安定化が働くのだ。記憶が台本のようになってしまい、自身の行動だけでなく精神までも縛っているという状況だ。

 

「まだ初日なのに……これは、かなりしんどいかもしれないぞ……」

 

 精神安定化が働くと本当にわずかだがMPが減少した時のような感覚がある。それが鈴木悟の残滓、魂に負担がかかっている証左であることは前回からわかっていた。まあ、バランスを崩した体勢を無理矢理立て直すような行為なので負担がかかるのは当然だと思っていたが、こうまで多いとそれで済ませるわけにはいかない。早急に対策を講じる必要がある。だがおそらく事前に何をどう準備しても、脳内シミュレーションを幾度行ったとしても、これは避けられまい。

 となれば答えはひとつ。事前対策で発生を防げないのなら、アフターフォロー。魂の疲労を何らかの方法で癒す方向で対策を練るのだ。とりあえず、今は前回培った方法で貯まったストレスを発散しよう。

 

 眼窩に赤い光を輝かせ、黒いオーラを纏いつつ枕に深くうずめた顔をもっふもっふと動かしていたアインズはベッドから降りるとある場所に向かうのだった。その場所の名は

 

――第九階層“スパリゾートナザリック”

 

 

 

 

 

 

「まずは――最優先事項である、モモンガ様の警護に関してだけど」

 

 嫁論争などの騒ぎをひとしきり終え、セバスが去った後にアルベド及び守護者達がまず考えたのは至高の御方であられるモモンガ様の警護。他の事はそれからである。

 

「至高の御方は、守護者最強であるわらわが警護をするのが当然でありんすね」

 

「待テ、シャルティア。貴人ノ警護ヲ行ウハ、古クヨリ同性ノ武人ガ務メルノガ習イ。身分ノ尊キ御方ニハ体面トイウモノモアルノダ。ソレニ御身ノ盾トシテ用イラレルノデアレバ、常ニ防御ガ最大状態デアル私ガ適任ダロウ」

 

 シャルティアとコキュートスが自らの戦闘能力や特性を理由に立候補すれば

 

「今は緊急事態なんだからさあ、階層守護者不在の階層があるってのはまずいんじゃないの?しかも地上に近い階層の。だからさ、階層に守護者が二人いる第六階層のあたしと、マーレが交代でモモンガ様に付き従えばいいんじゃないかな?」

 

 と、さらっといい始めるアウラ。姉の言葉に深く頷き、後はただただじっとアルベドを見つめるマーレ。先の二人の主張を潰し、自分達にしかないアドバンテージを最大限活用する鋭い一手だ。

 だが愛しの君を守るのは自分でなければならない、とある理由により必死なアルベドはその主張を許さないし、通さない。アルベドは一気に勝負を決するため、自らの持つナザリックにおける最大の切り札を早々に切った。

 

「モモンガ様は、各階層守護者は守護階層の警備をチェックし強化せよ、とも仰っていたでしょう。至高の御方々より、ナザリック大墳墓の指揮権を与えられた守護者統括として皆に命じます。各階層守護者は己の守護階層に置ける警備の強化を最優先とし、新たな命あるまでは己の守護階層を離れぬように。モモンガ様が第九、十階層にいらっしゃる間は私が警護を勤めます」

 

「ちょっ、それは横暴ではありんせんか?」「ヌウ……」「ちぇーっ、ずっるー」「…………」

 

 不満の言葉と非難の視線が浴びせられるが、それで意見を変えるほどアルベドの面の皮は薄くはない。そして守護者達も不満を口にしてはいるが、役職上指揮権を持つアルベドに本気で逆うことはできない。至高の御方々が定められた役割と言うのはそれだけ重いのだ。アルベドの顔に勝った、と勝利のドヤ顔が浮かびかけた時―

 

「アルベド、ちょっとすまないが」

 

 沈黙を守っていたデミウルゴスが動いた。何を言おうとしているか察したアルベドの顔が、見る見るうちに曇る。

 

「緊急事態においての警備……と言うことならナザリック防衛に関する事項。つまり私に指揮権が移っている、とまでは言わないが私にも裁量権があるように思うんだがね?」

 

「!、確かにその通りでありんす!」「筋ハ通ッテイルナ」「そうだったね、防衛戦の指揮官はデミウルゴスだもんねえ」「……!」

 

 そう、平時のナザリックにおける守護者及びシモベの指揮権は確かにアルベドにある。だが、防衛戦に於いてはその指揮権はデミウルゴスに移る。これも至高の御方々が定められたことだ。気がはやるあまり、一気に勝負を決しようと切った切り札を逆手に取られたアルベドは、眼前のスーツ悪魔をギロリ、と眼力で威圧するが当のデミウルゴスは涼しい顔だ。さて、と前置きし悪魔は言葉をつむぎ始める。

 

「皆の意見を聞かせてもらったけれども、至高の御身をお守りするという大任につくモノに、相応の戦闘能力と格が必要だというのはもっともだと私も思うよ。あえて私が付け加えるなら品位、という言葉だね。だがそれはそれとして、階層守護者が守護階層を離れるというのは防衛責任者として許可しかねるね」

 

 守護者たちからやっぱりか、と諦めの息が漏れる。チラとデミウルゴスはアルベドに視線を送り

 

「当然、私と共に情報管理の責任者でもあり、これからナザリック内部の様々なチェックをしなければならない筈の統括殿が、至高の御方の警護に就かれるというのも防衛責任者としても、一守護者としても、容認はできかねる」

 

 ギラリ、とアルベドの視線がいっそう剣呑にデミウルゴスに注がれる。だが、全く効果は無いようだ。

 

「そこで、至高の御方の警護を誰が担うかですが……各守護者が親衛隊より警護の部隊を選抜し、交代で至高の御身をお守りするという方式を提案しよう。ただ今現在は異常事態。先ほどのモモンガ様の勅命によれば、第八階層は封鎖し私の第七階層と第九階層を繋ぐとの御言葉でした。それであれば、まずは私の階層のシモベが警護をすることが今の状況では最も適当だと、防衛責任者として判断いたします。いかがでしょう、統括殿」

 

 物腰と口調は丁寧だが、怒るアルベドの耳に聞こえるのは圧縮・超訳された「文句ねえな?」である。デミウルゴスの狙いはここで自身の提案により議論を終結させ、至高の御方の警護の責任者はアルベドではなくデミウルゴスであると決定付ける事である。それが解っているアルベドはこの事態を打開すべく、頭をめぐらすが状況は決定的に不利だ。ここでアルベドが再度強権を発動させようともデミウルゴスに封殺され、守護者達は自らの親衛隊が交代で警護に当たることができる、という部分でデミウルゴスを支持するのは間違いないだろう。顔真っ赤で考え込んでいたアルベドの頭上、左斜め前の当たりに電球のアイコンがともった……ように見えた。

 

「デミウルゴス。貴方の防衛責任者としての意見、確かにもっともだわ。デミウルゴスの意見を加味し、先程の指示を修正します」

 

 様子が明らかに変わったアルベドを、守護者達は怪訝な顔で観察する。

 

「各階層守護者はモモンガ様の警護をするシモベを早急に選出し、ここに集めるように。その後は新たな命あるまで守護階層に常駐し、警備状況のチェックと強化に専念すること。ここは変わりません。ですが、至高の御方を直接御守りするものはやはりモモンガ様に事前に謁見し、御近くに侍る御許可を頂く必要があると判断します。私は選出されたシモベがここに到着し次第、至高の御身を護るものとして相応しいか面接を行い、その者達を引き連れモモンガ様に謁見し警護のご許可を頂きます」

 

「……それは、我々が選抜するシモベが至高の御方を警護するのにふさわしくない可能性がある、という意味ですか?アルベド」

 

「違うわ、デミウルゴス。明確に定められてはいないけども守護者統括である私は実質第九、第十階層の階層守護者でもあるもの。で、あれば自身の守護階層の警備に入るシモベのチェックを行うのは当然でしょう?」

 

「ですが、貴女自身も仰られているとおり、それは至高の御方々に明確に定められているわけではありませんね?」

 

「だったらそれも含めて選抜されたシモベと一緒に第九階層に向かい、モモンガ様に判断して頂くわ……それでも何か問題があるかしら?」

 

「……いえ、モモンガ様にご判断いただけるのであれば何も問題はありません」

 

 議論の劣勢をじゃあ至高の御方の判断を仰ぐ、という禁じ手で脱したアルベドにデミウルゴスの表情が硬くなる。至高の御方の御指示に、守護者達だけでは判断が付きかねる部分があるので御判断を仰ぐ、という提案に対して反対はできない。ナザリック大墳墓で最終決定権があるのは、至高の御方々なのだから。

 だが、それは自分たちの存在意義を揺るがすことになりかねない行為でもある。御指示に対して結論を出した上で報告を行い、御許可を頂くのであれば問題はない。だが、結論をだせなかったという理由で御判断を仰ぐというのは無能がする事ではないだろうか。コキュートスもその懸念があるのか、黙り込んでいる。ぶんむくれているシャルティアとアウラはわかっていないようだ。マーレは目が怖い。

 ここでもう一手返す方法がデミウルゴスの脳裏に浮かんだ。だが所詮は嫌がらせにしかならない内容であったのと、心情的に選択したくない方法だったのでここで議論を終えることにする。そこでデミウルゴスは一つの疑問を持つ。なぜ、アルベドはそんな手段を選ぶほど余裕がないのかと。

 

「他の皆も反対意見は無いようね、では次の議題に移ります」

 

 

 

 

 

「これは統括殿、何事でしょうか」

 

「今後、第九階層にてモモンガ様を警護する者達を守護者達から預かってきたの。モモンガ様は今どちらにいらっしゃるかしら」

 

 アルベドは選ばれたシモベ達を引き連れて第九階層を進んでいたところで、セバスとその背後に付き従うプレアデスに遭遇した。アルベドの言葉にセバスとプレアデスの顔がわずかに強張る。すでに、セバスもプレアデスも第九階層に警護のシモベをいれるとは聞いていたが、この階層の警護は本来は自分たちの役目なのだ。至高の御方の判断とはいえ、やはり縄張りに侵入されたような不快感は生じる。プレアデス達の思いを受けて、セバスはせめて身の回りの警護は自分達にお願いできないかと、嘆願に行くところだったのだ。

 

「モモンガ様は先程自室に戻られた、と一般メイドより聞いております。我らも今お訪ねするところでございます」

 

「そう、でもセバス。今の事態を貴方達は理解しているけれどペストーニャやエクレア、一般メイドには周知したのかしら」

 

「……いえ、異常事態であることは伝達しましたが、先程のモモンガ様の御言葉や我々が外部にて得た情報に関してはまだ」

 

「でしたら、貴方は家令としてプレアデスだけでなく一般メイドたちの責任者でもあるのだから、まず部下への現状の伝達を優先なさい。そうね、食堂に一般メイドを早急に集め説明を。モモンガ様への謁見はその後とします」

 

「畏まりました」

 

 セバスの鋭い視線がアルベドを射抜いたが、表面上は滞りなく命令を受諾し、セバス達はその場にとどまってアルベド達を見送った。その表情はやはり強張ったままだった。

 

 

 

 

「あら?」

 

 アルベドは通路で1体のデス・ナイトを発見する。この気配は間違いなくナザリックに属するシモベだが アルベドの知る限りデス・ナイトはナザリック大墳墓、ましてや第九階層には配備されていない。だがデス・ナイトがここにいるということは……と近づいていくとデス・ナイトが通路に立ちふさがり低く唸り声をあげる。

 

「知っているわ、この先はモモンガ様のお部屋でしょう。え?誰も通してはならない?それに今モモンガ様はいらっしゃらないと?困ったわね」

 

 おそらく自分と同じく、警護に関する嘆願を行おうとしていたセバスとプレアデスをモモンガ様の私室より遠ざけたのにこれでは意味がない。あの真面目と堅物が執事服を着ているようなセバスが、まさか自分に嘘を言ったとは思わないので純粋に入れ違いなのだろうが、これは不味い。このままではセバスが先にモモンガ様に接触・嘆願し、セバスとプレアデスを自身の警護と決定してしまうかもしれない。一刻も早くモモンガ様を見つけ出さなければ。

 

「貴方、モモンガ様がどちらにいかれたかわかる?わからないですって?……歩いていった方向はこちらなのね。わかりました、貴方はこのままモモンガ様の命を遂行なさい」

 

 一般メイドを集めさせたのも裏目に出ている。これでは聞き込みを行うこともできない。

 

「はあ……モモンガ様をお探しします。各員、使用できる感知系能力を起動しなさい」

 

 やむを得ず、集めたシモベ達と共に第九階層を探索していたアルベドは、ついにその場に到達した。

 

 

 

 

「ふうううううううううぅうう」

 

 ジワジワと骨身に温かさがしみ込んでいく。やはり人間だったときの程の心地よさはないが、よほど疲労していたためか風呂に浸かっているという状況だけで心が弛緩していくのがわかった。湯に浸かってからいかほどの時間がたったか。

 

「あー、やはり風呂はいいな。だが、やはり体を洗うのは面倒だ。早いところ三吉くんを呼び出さないと」

 

 湯に浸かる前に持ってきたブラシで体を――気が逸った為少々おおざっぱではあるが――洗い流したが、それでもやはり時間はかかったし面倒だった。洗っている途中で、己の体洗浄の歴史と共に、自身の三助である蒼玉の粘体(サファイア・スライム)三吉君を何度も思い出した程だ。

 スポンジでの三十分以上の体洗いから始まり、洗剤風呂に入って回転洗浄。掃除用ブラシによる体擦りを経て、ついにたどり着いた三吉君スライム風呂。

 様々な騒動も起こった。一般メイドによるアインズ様のお体を綺麗にするのもメイドの仕事でございます!という労働争議。男性守護者達と共に風呂に入った時、マーレに体を洗わせたことをどこからか、というか間違いなくアウラが聞きだして女性守護者一同が再度嘆願に来るという事態、そして三吉君をめぐるあの事件……本当に様々なことがあった。自分の体を洗うだけの事なのに。

 その騒動のいずれも要約すると、アインズと一緒に風呂場に入り体を洗いたいということなのだが……冗談ではない。ここにコミュニケーションや慰労を兼ねて男性守護者と共に入った時が例外なのであって、アインズは本来風呂に入る時は一人で、静かに、豊かな気持ちで誰にも邪魔されず、自由に入るべきものだと思っているのだ。そうでなくては体はともかく、心の洗浄にはなりえない。そうでなくては、魂は救われない。

 

 そんなことを考えながら湯に浸かっていると、肋骨周りや背部をもうちょっとしっかりと洗い直すべきかとの考えが頭をもたげてくる。一度考え始めるとどの部分がちゃんと洗えてないかが朧げに浮かんでしまい、とても気になり始める。これはいかん。

 

「よし、もう一度洗うか」

 

 その後でまた別の湯に浸かるのもまたよし、チェレンコフ湯で〆るというのもありだ、とアインズは洗い場へと移動する。ブラシにたっぷりと液体洗剤を付け、手で泡立てながら面倒ではあるがこの方法は洗っている感があるんだよなあ、などと考えつつ体を洗い始める。だが、程なくアインズはこの方法の最大の難関に直面し、無い眉を顰めた。

 肩甲骨の裏。ここがこの洗浄方法、いや自分で体を洗う際の全てにおける最大の問題点である。肋骨内部は妙な気分にはなるが、みぞおち付近から中型のブラシ等を差し込んで磨くことでクリアできる。肋骨と肋骨の間などもスポンジやタオルを間に通し、擦ることで上下ともに洗浄可能だ。

 だが、肩甲骨の裏は肋骨が邪魔で内部から洗うこともできず、同じ理由で大きなブラシも差し込めず、スポンジやタオルを通して擦ろうにも手を届かせにくい場所にあることや、腕の可動域的に無理があって存分に擦ることができない。更には肩甲骨の裏側というのは、当然ながら曲面を描いている。この形が洗浄コンプの難易度を跳ね上げるのだ。仕方なく、歯ブラシのような小さいブラシでちまちまと手を回し擦るのだが、手間はかかるし充実感も爽快感もない上、中央部分に99%洗い残しが出来るという最悪の難所なのだ。何度取り外せないか試しに引っ張ったものか……無論取り外す事などできなかった。悪戦苦闘しつつも、アインズは目下最大の敵である、左側の肩甲骨の裏に挑み続ける。

 

「よっ、この……ぐぬぬ」

 

 あと少し、と小ブラシをつかんだ指先に全神経を集中させ左肩甲骨の裏側、中心部分を磨こうとするアインズ。しかし骨格の可動限界なのか、あとわずか1㎝程届かない。これ以上ブラシの柄を長くすると侵入角度が確保できないし、既に小ブラシは端っこぎりぎりを指先でつかんでいる状態にも関わらず、である。諦めて三吉君を呼び出してから改めて洗えばいいのだろうが、このわずかな距離に挑むのはコンプリート出来ない気持ち悪さと、意地からである。だが、届かない。我が死の支配者の力を以てしても、このわずかな距離を届かせることは出来ぬのか、何と無力な……と思わず支配者ロール口調で考え始めてしまうほどにアインズがその頂きの高さに戦慄していると、その時は訪れた。

 

 つい、と小ブラシが指先より離れる。アインズはしまった、ぎりぎりを持ちすぎて指先から滑り落ちたか、と己の敗北を覚悟したが……驚くことに小ブラシはついに肩甲骨の裏の中心部、その頂きに到達したではないか。予想しえない展開と、その心地よい感触に思わずアインズの声が上がる。

 

「おおっ、ふおう」

 

「ここでよろしかったでしょうか?」

 

「ああ、助かった!ありがと……う?」

 

 かゆいところに手が届いた恍惚感の中、かかった声にごく自然に返答をしたアインズは、途中でこの場で聞いてはならない声であることに気が付く。

 

「アルベド、一体ここで―――!?……アルベド、なぜお前がここにいる」

 

「はい、モモンガ様が湯あみをされているようでしたので、お背中を御流ししようと思いまして」

 

 振り向いて叱責しようとしたアインズは、全裸で前かがみになっているアルベドを思いっきり見てしまい、可能な限りの速度を以て慌てて正面を向く。その際に光ったのは言うまでもない。幸いなのかどうかわからないが、重力に引かれた二つの双丘によって視界がふさがれ、肝心な場所は見えなかった――いや、こんなことを考えている場合ではない。

 

「そんな恰好で、他に誰かが入ってきたらどうするのだ!」

 

「入り口は連れてきた第九階層警護候補たちによって封鎖してますので、その心配はございませんわ……右側もこうでよろしいでしょうか」

 

 違う、そうじゃない。と思いながらも、アインズは自分の手ではどれほどの時と幸運が必要なのかわからなかった、肩甲骨裏側の中心を擦られる感触にしばし沈黙する。そして動揺を悟られぬように正面を向いたまま重々しい口調で、この状況に警戒しつつ再度アルベドに問いかけた。

 

「アルベド……もう一度聞く。なぜここにいるのだ。確かに私は風呂に入っている。だがよもや、背中を流すだけが理由ではあるまい」

 

「申し訳ありません、モモンガ様。ここが第九階層の大浴場とはいえ、御身の警護がだれ一人いないようでしたので警護に参りました。そうしましたら……恐れながらご苦労なされているようでしたから、つい……ご迷惑でしたでしょうか?」

 

「いや、迷惑ではない、むしろ助かったが……」

 

「では、引き続きお背中を御流しします。ここは……こうでしょうか?」

 

「うむ、おお、そこはそう、もうちょっと突起の根元から擦りあげるように――」

 

 違う、そうじゃない。己の手が届かぬ場所が容易に洗われる快感に流されそうになっている自分を、アインズは叱咤する。この状況は前回の記憶から考えると非常に不味い。暴走事案が起こる前に、一刻も早くアルベドにここから去るように命じなくては。

 

「アルベド、お前の言い分はわかった。だが、ここは男湯。お前が本来立ち入ってはならぬ場所だ。警護のためというのであれば、今ここにいることは不問とする。即刻立ち去るのだ。心配であるならば入室を許可する故、警護候補という男性のシモベ達と交代せよ」

 

 己に負けぬため、やや気合を入れて一気に宣言する。だが、前回の様々な記憶がアインズにこれで終わりにはなるまい、更に強く意志を保たなくては、と覚悟を決めつつあった時

 

「承知いたしました。モモンガ様には御無礼を働いてしまい、申し訳ありません。この場より立ち去り、警護は交代いたします」

 

 アインズは、聞こえてきた言葉に耳を疑った。随分とあっさりしすぎている。これはいったい?

 

「ですがモモンガ様。それでも、あえてお願いいたします。私は今、モモンガ様の御背中を御流ししている最中でございます。御身の苦難をお助けするこの行いを、途中で放り出すことはしたくありません。終えましたら即刻浴場より退出いたしますので、御背中を流すことだけはご許可頂けないでしょうか」

 

 アルベドのやや事務的ともいえる口調の嘆願を受け、アインズは考える。先程から自分は思わぬ事態に動揺し、前回のアルベドの所業を思い出していたが、ちょっと警戒しすぎてはいないか。

 耳に荒い息は聞こえてこない。口調も守護者統括としての仕事をしている時と変わらず、冷静なものだ。考えてみれば今は転移初日、あれらの所業は転移から一か月たってからのこと。居合わせたアウラやマーレも、あれは異常事態にNPCのトップとして多忙に働いているが故のストレスだ、と言っていたような気もする。実際は、その時自分でそう考えただけであの二人がそう明言したわけでもないのだが、アインズはそこまで細かくは覚えていなかった。さてどうするか、とアインズは考え込む。

 

 もしその場に第三者がいればモモンガ様、お逃げ下さい!と必死で叫んだに違いない。アインズはアルベドの裸体を見ないようにしているため、正面を向いているし、鏡も視界にいれぬようにしていた。そのため気が付いていなかったが、アルベドの肌は桃色に染まり、汗だか何だかわからぬものを流しつつ湯気を上げていた。翼はビクビクと動き、目は金色に輝き、表情は見るに堪えない程の情欲に染まっている。両手や他の場所にも液体洗剤を塗りつけている様子などは、もし他の守護者が目撃すれば、即攻撃を躊躇しないであろう危険行為である。アルベドは己が持つ戦闘スキルである殺気・視線の感知妨害や動揺の隠蔽、己が戦闘動作を敵に読まれぬようにするスキル等を全力で展開していたのだ。

 

 普段であれば隠密系職業のものではない感知妨害スキルなど、アインズには通用しない。その身に宿る数々のマジックアイテムや、その眼に込められたパッシブスキルが打ち破っただろう。だがそのマジックアイテムは今は無く、視線にアルベドを入れることの無いアインズは、アルベドの捕食者モードに気が付かぬまま許可を出すべく、口を開いてしまった。その気配を敏感に感じ取り、捕食者は戦闘態勢に移行する。

 

「よか――何事だ!?」

 

 その時、遠くから轟音が響いた。まるで硬質で巨大な質量をもつ何かが、同質の物体に高速で激突したような重い金属音を含んでいる。そしてその発生源はアインズとアルベドの背後に、先程に倍する轟音をあげて降り立った。獅子の顔を持ち、見た目はアイアン・ゴーレムながらその装甲や中核の内部に希少金属を使用、魔力を蓄積することで驚異的な戦闘能力を誇る、アインズ・ウール・ゴウン随一のゴーレムクラフターの作品にしてお調子者のトラブルメーカ―、るし☆ふぁーのお茶目ないたずら心(本人談)の結晶が吠える。

 

「マナー知らずに風呂に入る資格はない!ましてや混浴など……万死に値する!これは誅殺である!」

 

 

 

 

 

「アルベド」

 

「あい」

 

「第九階層の警護体制に関しては、守護者で再度協議し決定せよ。だが、私の周辺警護に関しては私が検討し指示する。異論はないな?」

 

「あい」

 

 周辺のシモベが空気を読んで見ないようにしているが、アルベドは正座である。これはアインズが液体洗剤まみれのアルベドを目撃し、色々何かを悟ったためだ。よし、とアインズは呟くと自室に向かうべく、歩み始めた。その口から、ボヤキとも嘆きともつかない言葉が漏れたのは仕方がない事であろう。

 

「タブラさん、俺も悪いんだけど、もう色々勘弁してください……」

 

 タブラ・スマラグディナの創造した三姉妹の内、二人に振り回されたアインズの心から出た真実の言葉であった。




多数のご感想、お気に入り登録及び誤字報告をいつもありがとうございます。修正は随時反映させていただいてます。

本日はこの話の投稿前に、旧12話後半の加筆修正を行っています。

今回のお話は、以前カルネ村スパートのため飛ばしたお話です。次回は原作二巻に当たる内容に移ります。

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