オーバーロード ワン・モア・デイ   作:0kcal

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※このSSは10巻までの知識と、それに基づいた妄想設定で書かれています。あらかじめご了承下さい。


Cleanup

 全身が痛み、泥のように重い。朱に染まった視界によって“隊長”は自身が地に伏していることを知った。今も耳を打つ悲鳴により目を覚ませたようだが、意識が戻っただけで体はほぼ動かない。自らの状況を確認するのは必須だが、その間にも響く悲鳴が気を逸らせる。

 

(一刻も早く立ち上がらなくては……秘薬を用いればこの傷でも動ける筈)

 

 全神経、全力を以て秘薬――最高位ポーション――がある腰帯に近い左腕を動かすが、僅かずつしか動かない。まるで亀の歩みの様だ。それでも悲鳴が数度響く内に震える指が、腰帯にある秘薬の蓋にかかった。必死で急ぎ、しかし慎重に指を動かし場所を調整しつつ蓋を開ける。

 

(……よし) 

 

 狙い通り掌に流れ出た秘薬が自身の身体を回復させ、左腕の動きが戻る。続けざまに己の持つ残り二本の秘薬を開け、体力を回復させる。だが、未だ全身は痛みに蝕まれており、頭も手足も鉛のように重い。おそらく、神々の加護の及ばぬ何かに心身が蝕まれていることは間違いないだろう。急ぎ現状を確認せねばならない。神々の至宝を杖代わりにして上体を起こし、顔を上げた“隊長”は悲鳴の発生元を確認し、怒声をあげそうになった己の喉を押さえつけ、瞬時に頭に昇った血を沈めることに全力を尽くす。

 

(カイレ様!なんと……なんという……)

 

 悪魔の拷問としか言いようのない、おぞましき光景を目にした“隊長”の心にある決意が灯る。大罪人は邪悪な行為に没頭しているのか、こちらが意識を取り戻したことに気づいてはいない。

 

(ならば、勝機は今しかない……だが)

 

 思考が走り、自然と与えられし神々の至宝に目が落ちる。

 

(神々の至宝ケイセケコゥクが通じなかった、このルーンギンルゥスも奴を傷つけることはかなわなかった)

 

 この事実が示すことは、間違いなくあの存在は秘伝に記された“ぷれいやー”しかも、世界に害悪をもたらす大罪人であることはもはや疑うべくもない。神々に等しい存在を、この体で倒す術はただ一つ。己の命を神に捧げることで、如何なる存在であっても必滅させるという至宝の真の力を開放するのだ。

 最高執行機関に所属せし者と神人にのみ伝えられる秘伝によれば、真の力を解放した者は蘇生魔法でも復活することは叶わず、至宝は永遠に輝きを失い二度と神の力を発揮する事はないとされる。だが、このままでは神々の至宝が二つ人類から失われ、あの大罪人の手に渡ってしまうのだ。たとえ己の命と至宝の一つを失うことになろうとも、最悪の事態は避けねばならない。

 

「ぐっ」

 

 最高位の蘇生魔法であっても復活は叶わない、という意味が頭に浸透し長らく感じていなかった感情が蘇る。神人として生を受け、ただ一人以外は脅威とも感じたことはなく、常人であれば即死するような魔法も強大な魔物も、神の加護を得た自分自身を傷つけることはできなかった。漆黒聖典の“隊長”となった後もそれは変わらず、彼はまさに無敵であった。それゆえに、あの日以来彼が一度も抱くことの無かった感情――恐怖。

 

(情けない話だ……神の子とはいっても、私も所詮弱き人だったのだな。だが)

 

 そう考える間にも、自身の体から力が抜けていく。体表を液体が流れる感覚が煩わしい。秘薬を用いたにも拘らず怪我が塞がらず、出血が未だに止まらないのだ。彼に知る術はなかったが、月女神の弓が与え続けている効果は鈍足、出血、毒、疲労、衰弱、消耗、ステータス下降の呪いといずれも致命的ではない。しかし、重複した効果は彼のあらゆる能力、感覚を著しく低下させ、毒と出血は確実に死に向かわせていた。“隊長”は自身に残された時間が少ない事を悟り、あらためて決意する。

 

(神々が去りし後、漆黒聖典は人類を守る最後の守護者、敗北は許されない)

 

 かつて折られた神人としての誇りが、心の奥底より蘇る。かつては傲慢と共に在ったそれは今、人類の守護者たる覚悟と共に在った。

 

(そして、私が……俺こそが漆黒聖典。偉大なる神々よ、我が祖よ。俺に力を!)

 

 神に祈りを捧げ、全身から血を流しつつ人類の守護者たる漆黒聖典第一席次“隊長”は、必滅の槍を投じるべく立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

「あれは!?」

 

 真なる闇すら見通す眼を持ったシャルティアは進行方向、おそらくヴァンパイア・ウルフが消滅した地点に向けて一条の光が走ったのを見た。極一瞬の事だ、大半の者が知覚することはできず、驚異的な能力で知覚した者ですら流れ星、または見間違いと切って捨てるかもしれぬ程の刹那の光。だが、他の誰が間違えても、シャルティア・ブラッドフォールンだけは間違えない。

 

「ペロロンチーノ様の武具の煌めき……」

 

 感覚を集中するが、周辺に至高の御方々やナザリックの気配はない。シャルティアは先程己が見た光景を正確に思い出し、発射箇所の予測地点を即座に割り出した。その高度に該当する山などは周囲にはない、発射箇所は間違いなく天空。可能性が高まったことで、シャルティアの動いてない筈の心臓がはねる。

 

 もし、至高の創造主であらせられるペロロンチーノ様を発見したのであれば、何を置いても駆けつけなければいけない。だが自分は至高の御方であるアインズ様より受け賜った任務の遂行中、しかも多くの失策を重ね、その挽回のために翔けている立場だ。

 

「う……ああ、私はどうすれば……」

 

 立ち止まり、進行方向と己の眼に焼き付いた光の射線元を交互に何度も見る。どちらに向かうにせよ、卓越した感知能力がない自分は一刻も早く、目的の場所にたどり着かねばならない。

 

「そ、そうだ。上空から様子を窺えば……射線が通っているならばあの場所にも視界が通る……それに、アインズ様も至高の御方々の手掛かりは何より重要と判断される筈……」

 

 誰に聞かせるでもない言い訳を口にし、シャルティアは上空へと翔け上がった。彼女の持つ戦闘スキル、知覚強化が発動され、吸血鬼の持つ鋭敏な視覚や聴覚が更に強化される。だが、空中から地上まで周辺を走査しても、痕跡らしきものは何も発見できない。シャルティアは焦りと共に口をわずかに開き、己に与えられた力の一つ<エコーロケーション/反響定位>を使い発射箇所と予測した範囲をくまなく埋めるように飛翔する。

 

『ペロロンチーノ様、ペロロンチーノさまぁ!』

 

 反響定位は己の口から超音波を発し反射によって周辺の状況を把握する、状況によっては不可知化すら看破しうるスキルだが、出力を限界まで上げても数十メートルまでの範囲までしか知覚できない。だが、戦闘に特化したシャルティアには、これ以上の感知系能力はないのだ。大半の生物には知覚不可能な音域で創造主の名を呼びながら夜空を駆け巡る。だがやはり、不自然な個所は発見できない。

 

「ペロロンチーノ様……うう、ぐすっ」

 

 飛び回るうちに、やはり先程の光は自分の願望が見せた幻視なのかもしれないという思いが湧き起こり、シャルティアは空中で制止した。愛しき名を呼び続けるうちに目に貯まった涙をぬぐっていると、頬を風が撫でる。

 

(血の匂い?)

 

 吸血鬼としての血に対する鋭敏な嗅覚が、風によって運ばれてきた人間の血の匂いを捉える。流れてきた方向は、吸血鬼の狼が消滅した地点からだ。常ならば興奮や高揚を与えてくれるその匂いは、シャルティアに冷静さを与え自身が任務中であることを思い出させる。

 

「……不味い、ああ、でも」

 

 頭を抱え込み、己の内より湧き出す欲求を抑え込みつつ、必死に考える。たとえ、先刻ここにペロロンチーノ様が居られたとしても、自身の呼びかけに答えが無いという事は、余程遠くに行ってしまわれたか、何かの事情で姿をお見せになれないという事。後者の理由がシャルティア自身にあるのではないか、という恐怖が体の芯を貫くが、頭を振ってその考えを身より追い出す。

 

(どちらにせよ、私の能力ではこれ以上は……)

 

 痕跡すら見つけられなかった己の不甲斐なさに、再び涙が流れる。だが、だとすれば自身のするべきことは今目の前の任務を遂行し、一刻も早くこの情報をナザリック、いやアインズ様へと持ち帰ることだ。そう判断したシャルティアは目標地点に翔けようと体の向きを変え……もう一度だけ未練がましく周辺を見回した。だが、空は星々が静かに煌めき、木々は風に揺られるのみだ。落胆と共にしばし目を閉じ、見開くとシャルティアは当初の目的地へと翔けた。

 

 

 

 

 

 

「無駄なことはおやめなさい、もったいない」

 

「!?」

 

 槍を逆手に持ち替え、片腕を引き絞って投擲の構えをとりかけていた“隊長”は、突如、至近距離より発せられた声の主に対して、反射的に槍を振う。

 眼に映った黒い影を、槍の軌道が確かに捉えたと確信するが、手に衝撃が伝わってこないまま宙を切る。だが、黒い影――正体不明の何物かはその場に佇んだままだ、回避した気配もない。その姿をはっきりと捉えた“隊長”は知識から導かれたその正体と、至近に接近されていた驚愕により、敵の不意を突こうとしていたことも忘れ声を上げてしまう。

 

「イジャニーヤだと!?」

 

 覆面、黒装束、致命傷を防ぐためとおぼしきわずかな、だが強い力を感じる装具。伝え聞く暗殺集団イジャニーヤの特徴と合致する。だが、なぜここにイジャニーヤが、と考えた瞬間、敵は信じられないような行動をとり始めた。武器も抜かず、そのまま高らかに声を上げ踊り始めたのだ。

 

「イジャニーヤ?――ノン!この御姿は~~~ニンジャ!間違えないでいただきたい!」

 

「くっ!」

 

 敵が意味不明、かつ奇怪な動作を行った隙に飛びのき、距離をとろうと試みる。自身の動きと共に地面より上がった水音を耳が捉え、思わず舌打ちがでた。自分が考えるより、かなり多く出血しているようだ。

 これだけの動作でも全身に激痛が走ったが、なんとか体勢を整え槍を構え――られない。柄をつかむ筈の左手が空を切り、何百回、何千回と行ってきた構えを失敗する。

 

「な……」

 

「御探し物はこちらですか?」

 

 視界に飛び込んできた光景に信じられず、思わず眼を剥いた。ニンジャと名乗る敵の手に、己が手にあった筈の槍が現れ出たのだ。幻術かとも思ったが、すでに己の手足の延長と化していた強き気配を持つ神々の至宝を、自身が見間違えることはないと断言できる。余りの驚愕に、眼前に敵がいることも忘れ手元に視線を移し、再び信じられぬ光景を目の当たりにする。

 

「失礼、貴方が至高の御方に対して、あまりにも愚かな事をしようとしていたので――」

 

 槍を握っていた己の右手がすでになく、手首から血が流れ出ている事実に絶叫する。思わず手首を押さえるが、流れ出る血は止まらない。敵は手に持った槍をくるくると回転させつつ、この場にそぐわない口調で言葉を続ける。

 

「――声をかけると同時に手首を切り落とし、奪わせて頂きました。気がつきませんでしたか? ああ、流石は至高の御方々の御技!本来であれば――おっと」

 

「ぐうっ!<能力向上>、<能力超向上>!」

 

 痛みよりも焦燥感によって呻きをあげつつ、武技を発動させ、残る片手で小剣を抜き放ち、奇妙な動きを続ける敵に斬りかかる。だが、敵は転移魔法の如く、瞬時に位置を変えて此方の攻撃をすり抜けた。恐るべき身のこなし、ならば。

 

「<疾風加速>、<流水加速>!」

 

「<無想転生>、音もなく――背後から忍び寄り――」

 

 続けざまに身体速度を上昇させる武技を発動させ、疾風が如き斬撃を見舞う。だが敵も何らかの武技を発動させたのか、滑るような動きで残像を残しつつ、攻撃を躱し続ける。こちらの動き、間合いを完全に把握した神業と言える体術だ。だが、そこに活路がある。

 

「――己が死んだことも気づかせず、その命を絶つ――」

 

「<輝気刃>、<神技一閃>!!」

 

 刀身より魔を切り裂く光の刃が噴き出すように伸び、同時に発動させた武技にて剣速を爆発的に上昇させ、神速の秘剣を繰り出した。光刃が空間を断ち、残像を含む全ての敵影を切り裂く。間合いと速度、威力全てを瞬間的に向上させ、魔神をも屠ると言われる秘中の武技――<断空>――残光より一瞬遅れて生じた衝撃波と共に、全てが上下に分かたれた。

 

「やったか!?」

 

 だが、切り裂かれた筈の複数の残像は言葉を途切れさせることなく、間合いの外に寄り集まって一つとなり、煩わしそうな声を上げた。

 

「――ま・さ・に!無影瞬殺の神技!……相手が話している時は、最後まで聞くものですよ?」

 

 その様子には、こちらの秘技を破ったことを誇る態度も、嘲りも感じられない。今の攻防を何とも思っていないのだ。化物め、生涯で一度しか吐いたことの無い言葉が、感情と共に自然と湧き上がってくる。片手で剣を構え“隊長”は無駄と知りつつも、押し寄せる感情のままに怒声を上げた。

 

「その手にある槍を返せ!それは神々の至宝、人類を守られた神々が残せし希望だ!」

 

 血を吐くように上がった己の叫び、それを聞いたニンジャが覆面の下で嗤った――ように思えた。そして、我が意を得たりとばかりに先程よりも大仰な動きと共に、高らかに嬉しげな声をあげる。

 

「そぉうです、これは神の至宝!わかっているではないですか!ならば人の手などにあるのは間違い!神々である……いや!神を超える至高の御方のもとにあるのが、当然ではないですか!」

 

「くっ……」

 

 “隊長”は己の予想が、最悪の形で的中していたことに歯噛みする。神人である自分を凌ぐ体術、そして大罪人……“ぷれいやー”を神と呼んだとなれば、目の前の存在は最高位の魔神以外にありえない。己に残された力を振り絞った、六の武技を発動させる秘技が通じなかった以上、傷つき、神々の至宝を失った己にもはや勝機はない。心中に絶望の色が広がり始めたその時、“隊長”の脳裏にかつて自身を敗北させた、ただ一人の人物の姿がよぎった。

 

(……なぜ、こんな時にあの人の顔が浮かぶんでしょうね)

 

 思わず苦笑する。その様子を見ただろう魔神が訝し気にこちらを見ている気がするが、顔に浮かぶ笑みを止めることはできなかった。きっとあの人は、大罪人や目の前のニンジャの事を聞けば、目を輝かせ喰いついてくるだろう。そんな事を考えながら、微かに震え始めた手で“隊長”は剣を構え直す。それに応えるように眼前の影が陽炎のように揺らめき、その姿が多重の像を結んだ。先程と違うのは、その両手に二振りの小太刀が構えられている事だ。

 

「死の間際に笑うとは、興味深い……ですが、時間もないようですし、そろそろ終わりに致しましょうか」

 

「ああ」

 

 

(法国には、人類にはまだあの人が、“絶死絶命”がいる……すみません、後の事は頼みました)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズは小さくため息をつき、改めて目の前の老婆を見た。今の一撃に悲鳴を上げなかったのは、とうとう老婆が気を失ったからのようだ。

 

「むしろよくここまで持った、と考えるべきなのだろうな……ちっ、<ライオンズハート/獅子の心臓>が使えればな……」

 

 何か代わりになるアイテムはなかったかな、と空間を開こうと手を伸ばしかけるが、<不死の祝福>に高速で接近するアンデッド反応があることに気がつき、途中で止める。残念ながら時間切れの様だ。

 

「……ニューロニストの真似事をするには準備が足りなかったか。まあいい、後は奴に任せるとしよう」

 

「アインズ様!?」

 

 空間の一部が波紋のように歪み、そこからシャルティアが飛びだしてくる。いつのまにか、この周囲を何らかの魔法が囲んでいたようだ。アインズはその声に、シャルティアをついに救う事が出来たという実感と、それとともに湧き出る喜びの感情に支配されかかり――眩いほどに光り輝いた。

 

(……なんで、こういう時はすぐ抑制されるんだ……だが、よくやった……よくやったぞ、俺)

 

 強制的に精神を平衡させられたが、未だ心の内には暖かい喜びの感情がふつふつと湧いている。しかし、この感情を表に出すわけにはいかない。アインズは練習通り、ことさらつとめて威厳のある声を出して、堂々とした態度で振り返った。ローブを翻し、絶望のオーラを纏う事も忘れない。

 

「……シャルティアか」

 

「な、なぜアインズ様が?今まで全く御身の気配が、それにその人間は一体……いや、それよりもアインズ様!先程ペロロンチーノ様の!」

 

 うわ、見られたのか、何やってるんだあいつは、と心中で多少慌てつつも、アインズはゆっくりと片手をあげ、混乱の極みにあるシャルティアの言葉を止める。

 

「静かにせよ。周辺にまだ何者かが潜んでいないとも限らん」

 

「し、失礼いたしました。ですが、ペロロンチーノ様の」

 

 自身の言葉をもってしても止まらず、なお言い募るシャルティアを見て、アインズは心臓を掴まれたような痛みを覚えた。ペロロンチーノの姿をパンドラズ・アクターに使わせたのは、屋外に置いて“爆撃の翼王”と呼ばれた彼の物理的な観測手段に依る超々遠距離攻撃を事前に感知し、防ぐ術が殆どないからだ。事前にわかっているPvPならともかく、ペロロンチーノに全力で奇襲をされれば、アインズは必ず敗北すると言っても過言ではない。だからこそ、敵の正体や能力が不明である今回のプランは、彼がその身をもって恐ろしさを知り、最も信頼できるペロロンチーノの能力を主軸に据えたのだが……

 

(……万が一を考え、完全不可知化まで指示したのに、まさかシャルティアに目撃されるとは……しかしどうやって?)

 

「シャルティア、お前が何を見たのか私にはわかっている。だが、それは違うのだ。パンドラズ・アクター!」

 

 頭をよぎった疑問を横に置き、アインズは顔を横に向け、呼びかける。そこには血だまりに倒れ伏した“隊長”の側に忍者装束――弐式炎雷を模したパンドラズ・アクターが、手にした槍をじっと見つめ、静かに佇んでいた。

 

「に、弐式炎雷様!?」

 

「シャルティア。気持ちは痛い程わかるが、しばし待つのだ……パンドラズ・アクター?」

 

 反応がない事を怪訝に思ったアインズが、再度声をかける。ようやく気がついたのか、ゆっくりとこちらを向くとその姿がぐにゃりと崩れ、本来のパンドラズ・アクターの姿へと変わった。

 

「どっぺる、げんがー……」

 

 その姿を見て先程の言葉の意味を悟ったのか、呟きと共にシャルティアはへなへなと力が抜けた様に内股でへたり込んだ。その呆然とした表情を見て、シャルティアを救えた喜びも、復讐を達成した愉悦も吹き飛び、アインズの心は哀しみと罪悪感に包まれた。

 パンドラズ・アクターが姿を見られたことはアインズにとって誤算だったが、それが何の免罪符になろう。いくらシャルティアに目撃されぬよう対策を講じたとしても、シャルティアの心が傷ついたのは、今回のプランを立てたアインズの責だ。

 

「……辛い思いをさせてしまったようだな。すまないシャルティア、こいつは」

 

「あああああああああああいんずさまぁ!!」

 

「おわっ!?」

 

「ひっ!」

 

 突然、パンドラズ・アクターが全力ダッシュから小さく飛び上がって両膝で着地し、アインズの名を叫びながらそのままの勢いで地面をずさーっと音を立てて滑り込んできた。サッカーで言う、フィニッシュムーブという動きだ。如何なる能力によるものか、アインズの目の前で急停止する。その異様な動作にアインズは光り輝き、シャルティアは引きつりながら飛びのいた。

 

「こぉちらをご覧ください!」

 

 パンドラズ・アクターはその姿勢のまま、神に供物をささげる神官のように顔を下に向け、両手を掌を上にしてあげている。装飾の少ない、一見したところ普通の槍が両の掌の上で差し出されていた。

 

「パンドラズ・アクター、周辺に」

 

「大丈夫でございます!私が到着してす・ぐ・に!防音・幻影及び対感知の魔法を展開しております!それよりもこちらを!」

 

 それでシャルティアが飛び込んできた時、空間に波紋が広がったのかと妙な迫力に押されつつ、アインズが納得していると、言葉と共にパンドラズ・アクターは更にぐぐっと両手を持ち上げた。予想はついているが、確認はしなくてはならない。アインズは槍を手に取り、魔法を発動する。

 

<オール・アプレイザル・マジックアイテム/道具上位鑑定>

 

 果たして、流れ込んできた情報はアインズの予想した通りだった。

 

「世界級・聖者殺しの槍(ワールドアイテム・ロンギヌス)まさか、この地で手にするとはな」

 

「世界級!ほ、本当にそれが……至高の御方々が数多の世界を旅して追い求めていた?」

 

「そのとおおおおおぉりでございます!!」

 

「ひいいっ!」

 

 弾かれたようにパンドラズ・アクターが立ち上がり、ポーズを決める。槍を持ったまま再びアインズは光り輝き、シャルティアは脅えるように後ずさった。

 

「ワァァァァルドアイテム!世界を切り裂くぅ!強大な力!至高の御方々の偉大なる秘宝ぉ!」

 

「うわっ……アインズ様、こやつはなんなんでありんすか?」

 

 世界級を前にテンションが上がりきっているのか、特務モードが吹き飛んだパンドラズ・アクターにドン引きしたシャルティアが、心底嫌そうな口調で問いかけてくる。その言葉はアインズの羞恥心を爆発させ、さらに鋭い刃となって切り刻んだ。特に“うわっ”の部分が素だとわかってしまいダメージが倍加し、連鎖的に前回宝物殿の黒歴史との初遭遇を思い出して追加ダメージが入る。結果、アインズは実に数秒間もの間、秒間数回の勢いで発光するという今回に於いて最大のダメージを受けることとなった。

 

(うう……いっそこのまま光になって消えてしまいたい……)

 

 人に見られるのがこんなに恥ずかしいとは……いや、わかっていた。ただ、忘れてしまっていた、もしくは見ないふりをしていただけである。慣れとは恐ろしいものだ、とアインズは羞恥にまみれつつ戦慄した。

 

(下手に訓練なんかしてたせいで、こいつに対する感覚が麻痺していた。うわー、超はずかしい、死にそう)

 

 それでも自身はシャルティアと、パンドラズ・アクターの主人である。どんなに自身のトラウマが抉られていようとも、ふさわしい態度をとらねばならない。アインズは精神を平衡されてなお残る羞恥を必死に押し殺し、切れ切れながらなんとか声を発することに成功する。

 

「ぅぅ……こいつの名は、パンドラズ・アクター……私が、創造した、宝物殿の、領域守護者だ」

 

「アインズ様の!しっ、失礼いたしました!そ、そう言われてみればどことなく気品……が?」

 

(やめて!)

 

シャルティアのとってつけたような世辞が、更にアインズの心をズタズタにする。光りつつゴホン、と咳の真似をして仕切り直し、威厳のある声を出すように強く意識する。

 

「世辞はいい。うむ、それで先程の姿を見ればわかるだろうが……」

 

「……はい、先程ペロロンチーノ様の武具を使っていたのはこ奴……失礼、こなたでありんすね。ですが、なぜアインズ様とこなたはここにいるんでありんしょうか?」

 

「詳しくは私から説明しよう、シャルティア。だが、まずは一度ナザリックに帰還する」

 

 腕に巻いた時計を確認する。想定制限時間――かつて自分達が挑んだ山河社稷図TA(タイムアタック)最速記録――からするとまだまだどころでない時間があるし、もはや今夜はこれ以上何も起きないだろうが、念には念を入れて安全な場所へと退避したほうがいいだろう。

 

(……まあ、見立てが確かなら全身神器級(ゴッズアイテム)だったとしても、この中であいつらには万に一つも勝てぬがな)

 

 山河社稷図には不可知化したシモベを数体、漆黒聖典と同時に吞みこませてある。絵画の世界は一切外部に連絡を取る方法はない。伝言は通じず、召喚したアンデッドとの精神の繋がりも断たれてしまうが、命令を遂行し支障なく活動できることは実験済みだ。LV差を考えても既に捕縛は終了しているだろうが、想定制限時間内に安全な場所へと戻り、発動者――アインズ自ら絵画の世界に入り確認、場合によっては処理する時間も考慮しなければならない。そこまで考えたところで、ある事に気がついたアインズはパンドラズ・アクターを問いただす。

 

「あの男は、殺してしまったのか?」

 

「いえ、アインズ様の御考えをお聞きしてからと思いまして、意識を封じるに留めております。ただこのままでは……そうですな、出血と毒で2分で死亡致します」

 

 情報源としての価値は長老というあの老婆がいる以上、特殊部隊の隊長と言えど大幅に下がる。だが、LV80と言うのはこの世界では魔樹以来の高レベルの存在だ。もしかしたらプレイヤー本人ではなくとも、その子供という可能性もある。殺すには惜しいし、利用価値は大きいだろう。

 

「……解毒し保存せよ。保存方法はお前に任せる、言うまでもないが装備は全て剥ぎ取っておけ」

 

「畏まりました。では私がこの場の後始末を致しますので、アインズ様とシャルティアお嬢様は、ナザリックにお戻りになられてはどうでしょうか?」

 

「む、そうか?」

 

「お嬢様って……」

 

 アインズは少し考える。どちらにせよシャルティアは宝物殿には連れていけないし、他の守護者と接触をする前に説明、その時の判断によっては少しの間他の守護者やシモベ達と隔離しておく必要もある。そもそも自分は夜明け前にカルネ村に戻っていなければならない以上、使える時間は限られるのだ。

 

 ならば先に戻っていた方がいいだろう。そう考えていると<不死の祝福>にシャルティアよりはるかに遅いが、野生の獣のような速度で接近するアンデッドを感知する。吸血鬼の花嫁達だ、シャルティアも顔を向けたので間違いないだろう。

 

「ならばまかせよう、ではわたしはシャルティアとシモベ達を連れて戻ることとする。頼んだぞ」

 

「はっ、おまかせ下さい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深々と頭を下げていたパンドラズ・アクターが上体を起こす。周辺には血だまりとそこに沈んだままの人間、月光に照らされた夜の森の静寂があるばかりだ。少し考え込むようなしぐさを見せた後、パンドラズ・アクターの体が歪み始める。

 

「<ゲート/転移門>、<グレーター・ウーズ・ウェイブ/上位粘体の波>」

 

 姿を変え、魔法を続けざまに展開する。背後に転移門が開き、周辺により上位粘体の“知性ある粘体(イド・ウーズ)”の群れが召喚された。イド・ウーズは知性が高く、テレパシー能力を持ち高度な意思疎通が可能な上位粘体だ。パンドラズ・アクターはイド・ウーズを操って“隊長”を運びながら装備を剥がさせ、解毒を施し、出血を止めて生命を保護させる。その間に周辺に散らばった血飛沫も、戦いの余波で折れ飛んだ草木も、痕跡は全てイド・ウーズ達によって吞みこまれ消失させられていった。仕事を終えたイド・ウーズ達はそれらの血液や収集した草木を包み込んだまま、転移門へと飲み込まれてゆく。

 

「……<スピーク・ウィズ・プランツ/植物会話>、<プラント・グロウス/植物の驚異的成長>、<エクスペディシャス・エクスカベイション/迅速な開削>」

 

 再びパンドラズ・アクターの姿が歪んでトレントと呼ばれる種族へと変貌し、森司祭(ドルイド)の高位魔法を連続で唱える。途中で何度か頷きつつ、手をかざしていくと周辺の傷ついた木々が癒され、新たに草木が生えてくる。周辺の血だまりの跡や足跡が残った地面が蠢いて消えてゆき、森は瞬く間に戦闘前の状態に修復されていった。その作業の全ては、静寂の内に行われた。

 

 元の姿へと戻り、周辺をゆっくりと見まわし満足げに頷いたパンドラズ・アクターはある方向に向きなおり、手術前の執刀医の様に指先を上に向け両手を上げる。

 

「さて」

 

 言葉と共に手に銀色の弓と、瘴気を纏わりつかせた黒い矢が一本現れる。矢をつがえ、弓を引き絞る間にその姿は光の粒子を纏った鳥人、ペロロンチーノの姿へと変化した。 

 

「Agana belea……今宵はこれにて閉幕です」

 

 言葉と共に静かに矢が放たれた。黒き矢は絶対命中の効果を以て無数の木々の間をすり抜け、狙いを過たず獲物に命中する。黒矢は命中と同時に滅びの力を解放し、獲物と共に塵へと帰った。

 目標の破壊を確認したパンドラズ・アクターは元の姿に戻ると、大仰に一礼しそのままの姿勢で、転移門の中に吞みこまれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 『プラチナム・ドラゴンロード』、ツァインドルクス=ヴァイシオンは、急激にもたらされた、大量の断片的な情報に身を震わせた。ゆっくりとその首を持ち上げ、ある方向を無言で見つめる。

 

「……何も見えないか」

 

 その現象が意味するのは、操作していた白銀の鎧が完全に破壊されたということ。

 

「気に入ってたんだけどな」

 

 彼をよく知る者、あるいは同種のドラゴンであればわかっただろうが、その軽い口調とは裏腹に表情は硬い。漆黒聖典の反応が完全に消える少し前に捉えた、凄まじい音を発して飛翔する強大な気配を持つ存在。あれ程の高音は自分達や、一部の魔物にしか聞こえないだろうが……とんでもない音量だった。まだ耳に痛みと残滓が残っている。

 

「それにしても“ぺろろんちーのさま”か。さま、という事は主人の名前なのだろうが、あれが主人と仰ぐ存在がいるってのは恐ろしいね」

 

 一目見て、最高位の魔神クラスとわかった吸血鬼王。流石の彼も警戒し、慎重に鎧を観測可能なぎりぎりの距離に置いて様子を窺っていたのだが、漆黒聖典の反応が消えた地点に到達したのを確認した後、おそらくは捕捉され破壊された。

 

「まさかあの距離で見つかっているとはね、おお怖い怖い。それにしても、ちょっと見ていただけでいきなり攻撃をしてくるなんて、ひどい話だよ、全く……」

 

 独り言が止まらないのは不安からだ。漆黒聖典を排除し、彼の鎧を感知し、超々遠距離より破壊する。そんな事が出来うる存在は、彼の知る限りただ一つ。最強の竜王、そう呼ばれる彼は知っている。自身が最強なのは、あくまでもこの世界に生きる者達の中でのことだ。遥かな昔に出会った六大神、世界を汚し、竜帝を含む真の竜王を殺し尽くした八欲王。ともに旅をした英雄の姿が走馬灯のように駆け巡る。

 

「百年の揺り返し。やはりまた来たのか“ぷれいやー”今度も世界の破壊者なのか。それとも……リーダーと同じくこの世界を愛する者なのか。そうであることを心から願うよ」

 

 

 

 

 

 




 ご感想、お気に入り登録及び誤字報告をいつもありがとうございます。修正は随時反映させていただいてます。

 はい、無理でした。11巻で判明した山河社稷図の性能に併せて何とかしようと色々いじってたのですが、私にはうまく処理することができず、時間を浪費しただけで、何の成果も、得られませんでした。

 11巻はもう皆さん読まれてると思いますので、今後は前書きに必ず
 
 ※このSSは10巻までの知識と、それに基づいた妄想設定で書かれています。あらかじめご了承下さい。

 を付けることにします。タグに捏造設定ってありますけど一応念のため。

今後もお付き合いくだされば幸いです。

※八翼王→八欲王に修正いたしました。これは誤字ですが、天空城のギルドは天使だけだったという事なので、最初はこう言われていたかも?

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