瓶
ーピコンーピコンーピコン
そんな風な機械的で無機質な音が耳に入ってくる。
時折ノイズが混じるのは、やはりこの機械が開発途中の未完成品だからだろう。技術開発部門が寝る間も惜しんでこれの制作に取り組んでいるが、初代機の制作には通算10年もの時間と何億もの費用を要したという。この機械がそれの第3世代となることを考慮すればそれも仕方ないことかもしれなかった。けれどだからといって、これの完成が遅れてもいい理由には何一つとしてなっていないし、なってもいけないのだ。
パトロン(正確には支援者なのだが本人がそう呼ばれることを望んでいる為に仕方なくその名で通っている)は早急にこれが世の中に出る事を望んでいる。制作を依頼した時にはもちろんのこと、2ヶ月に1回は必ず進捗状況を確認するためにかここを訪れてくる。正直いってうざったいく感じている。しかし、それも当たり前といえば当たり前なのだ。先ほども言った通り初代機ですら何億、第3世代機はそれよりも充実した機能やらを整備しなければならないのだから必ず費用は嵩む。いくら金持ちのパトロンといえども億単位の投資は成功して欲しいに決まっている。現時点でも軽く20を超えているのだ。彼は金に糸目はつけないと言っているし実際その通りでもあるのだが、こちら側としても費用を無駄にかけすぎるのは良いことではない。万に、いやそれこそ億に一つの間違いがあってこの機械に問題が見つかるなどということにでもなればパトロンの怒りを買うのは自明の理。この会社も簡単に潰れてしまうかもしれない。2人の息子と女房を養う身としてはそんなことはあってはならない。女房は専業主婦だし息子2人はもうすぐ大学生になろうかという最も金のかかる時期だ。そんな時に職を失うなど笑い話にもならない。このちっぽけな機械には俺を含めた多くの人間の人生がかかっているのかもしれないと思うと慎重にもなるというものだ。むしろそうならないほうがどうかしている。
「バイタル安定。接続値良好。血圧、脈拍ともに正常値を記録。脳波はやや乱れあり。興奮状態からくるものと思われる。
ーー主任、接続終了しました!‥…‥…主任?」
「…あ、あぁ。よし、暫くその状態を維持出来るか見てくれ。危険と判断したら中断。被験体についてはその場で判断してくれ。」
「はい、了解しました。主任はどこに?」
「ん、なに少しタバコだ。30分ほど空けるが問題ないな。」
自分で聞いておきながら助手の返答は聞かないままに近未来的な机には似つかわしくない引き出しからセブンスターを取り出す。最近ではこれもなかなか手に入りづらくなってしまったなと嘆息しながらも、青白い部屋から出るための幾つかのセキュリティを解除していく。
まず首から提げているセキュリティカードで第一ロックを解除、それから30秒の間にすぐさま網膜と光彩認証をするために目を近づける。近づけてからすぐに青っぽいレーザーのようなものが照射され出す。それに驚いて途中で目をつぶったりすると面倒なことになるのを知っているので、なんとか我慢し続けていると本人確認がやっととれたらしい。最後に親指を押し付けてやっとドア本体のロックが解除される。ここまででものの2、3分程度。
もう慣れたものだといえるだろうが、ここに来た当初は何度も警報が鳴ってしまって随分と慌てたものだ。その頃を思うと実に進歩したものだと自画自賛してやる。ここでは1週間に1回休みが与えられているのでその間に家族に会ったりストレス発散の為に街に繰り出せるのだが、残念なことにそれまでは基本的に同僚くらいしか話し相手がいない。自分を癒してくれるのは自分の独り言かこのタバコ、もしくは暑苦しい同僚といったものだ。そんな訳でここでは可能な限り自分に関する事は自分の力で処理しなければならないわけだ。真っ白なリノリウムの廊下で独りごちているこの状況もそのせいといえよう。
ーしかしここの警備に気を遣うのは分かるが、もうちっと楽にはならんものか。
独り言のついでに全く無意味な疑問を誰に対してでもない、強いて言うならここの警備態勢を管理している誰かに向けて問いかける。別に届くとは思っていないがここには不満が多すぎるのだ。心の中で愚痴を吐くくらい許されてもいいはずだろう。これも閉鎖環境たるここで上手くやっていくコツだ。しかし愚痴を溢しながら青白い研究開発部門から出てもすぐにセブンスターを頬張れるというわけでもない。
ここのセキュリティの厳しさは異常な程で、もはやそれに執着しているのではないかと思うくらいだ。まあ今時廊下で喫煙出来るようなところは何処を探してもそうそう無いだろうし、まずこの施設自体精密機器みたいなものだから、それらに対する配慮は必要事項なんだろう。
そうやって自分を納得させてから、ここの職員に《ぬいぐるみ部屋》と呼ばれている実にファンシーな名前が与えられた喫煙室に足を進める。ここに配属された時はその可愛らしさに思わずほんとにここが喫煙室なのかと疑ったものだったが、ここの職員らは全くこれっぽちも嘘はついていなかった。寧ろ彼らが名付けた《ぬいぐるみ部屋》は素晴らしいくらいにその部屋を象徴していると言えよう。なんせその部屋の中にはぬいぐるみそのものがところ狭しと置かれているのだ。
彼ら(彼女ら?それともあれら?)はここのパトロンでも警備担当でもなく総管理者の孫娘の趣味で部屋を埋め尽くす役目を与えられているらしい。総管理者はどうもその孫娘を溺愛しているようで、ある職員によればその娘専用の部屋まで用意しているとか。ここのパトロンが風に聞く金持ちとするなら総管理者となるともはや嵐レベル、それも超が10個は軽くつく大富豪と言える。
しかし1度お会いしたときに聞いたが《その程度は大富豪とも言えない》という我々一般庶民からすればいっそ恨みたくなるくらいの言いぐさであったのを覚えている。総管理者の孫娘については本来部外者を入れないようにしているこの施設とはいえど、子供でしかも総管理者の愛娘でもある彼女は特例として出入りが出来るようになっているらしい。そんな理由で大体どの部屋にも彼女のお気に入りのアニメキャラクターを模したぬいぐるみが置かれている。
喫煙室に置かれている時点で大量に煙を吸い込んでいること間違いなしのぬいぐるみらを彼女が好き好んで抱くとは思えないのだが部屋に置かれたぬいぐるみはある種の儀式みたいなものだと思っておけばいい。実害があるわけではないのだから気にしないのが得策というものだ。因みに喫煙室が《ぬいぐるみ部屋》と呼ばれるのは単にぬいぐるみの量が異常なくらい多いからに過ぎないらしい。
ただ一つ疑問があるとするならば俺はその愛娘とやらを1度として見かけた事が無いし、他の同僚についてもそれは同様らしいと言う事だろうか。
まあどこの世界にも不思議なことはある。大体ここの総管理者がなんでパトロンよりも金持ちなのかがまず疑問だ。
しかし噂通り本当の金持ちなら資金援助の1つでもしてくれればいいものを。実際《例の機械》は当社の予定ではもう完成している頃だったのだ。それをあの自称パトロン野郎はあれこれと手間のかかる機能を注文してきやがって。よしんばそれが製品としての評価を高めるのに役立つならまだしも、それらの機能はどの角度から見てみてもほぼほぼ意味が分からないというのが本音だ。それでいてさっさと作れと言うのだから余計に腹が立つ。全く理不尽な世の中だと思う。
そんなこんなで意味のない思考を続けながらも件の《ぬいぐるみ部屋》の目の前に到着し、今まさにドアを開けようとした矢先に胸元いれた端末に連絡が入ってきた。この施設ではどんな緊急事態がいつ起こるのか全く予測出来ない。そういう理由でここの職員は余程でない限りすぐに新しい情報に対応出来るような準備をしている。
ークソッたれのあん畜生めが。今度は一体どんな無理難題を吹っ掛けてきたんだ?
社内でならどこでも使える携帯型のモバイル端末には短文の業務連絡と所望されている新機能の理想モデル画像が添付されている。下の方には期限が明記されており、そこには驚きの期限が記されていた。思わず誰もいない廊下で叫びそうになるところをなんとか我慢してもう1度見直す。何かしら見落としがあるかもしれなかったし、もしかすれば単なる見間違いかもしれなかったからだ。結果として分かったのは見間違いなどではなくそれが現実だと言うことくらいだったが。
そこに記されていること以外には他に何も書かれていない。どうやらあのハゲ豚野郎は俺たち研究職員の精神を磨り潰したいらしい。もう今現在ですらかなり危険な域まで納期が迫っているのにそれに加えてこの注文はそうとしか思えない。控えめに言っても軽くぶち殺してやりたいくらいはあるだろう。人間が殺意を抱くのはなにも愛情やら憎悪やらがなくとも問題ないのだというほぼ研究とは関係ない情報が手に入ってしまった事を喜ぶべきか、それとも哀しむべきなのか。
確実なのは、このメール(大抵は理不尽メール)が他の人らにも同タイミングで送られていて、そしてこれを読んだ全員が間違いなくため息をついてることだ。こう考えれば確実なことは意外と多いな、と現実逃避しながらこの状況ではタバコなど吸っている暇はないとようやく気づいた。
ークソッたれ
もう一度だけさっきよりも怨念と殺気を込めた悪態を吐いてから、さっきの部屋に戻るべく足の向きを180度変えて再度歩き出す。研究開発部門に立ち込めているであろう殺意を含む負のオーラについてはこの際だから目を瞑ろう。
どうせ止めようとしたって無駄だろうし、まずもって何を言おうとも焼け石に水どころか油をぶっかけるようなものだ。その矛先が俺に向くのだけは勘弁願いたい。というかまず俺がそのオーラを出さないなんていう、聖人かもしくはある種の変態にしか発揮できない能力は持っていない。あっても使ったりしないだろうが。
そうこうしている内に端末に新しいメールが入ってきた、と思っていたらどうやらメールではなく電話の着信だったようだ。こんなにしょうもないことで驚いたのは久しぶりだ。まさか着信音を変えていなかった事でこんな弊害があったなんて思いもしなかったが、まあそれは今はどうだっていい。電話の主は見たこともないヤツからだ。むしゃくしゃしている時にまた新しい無理難題でも押し付けられちゃたまらないと、思わずぶつ切りしてしまいそうになる。
けれど、もしこれが何かしら重要な事柄を伝えるものだとするとまた面倒だ。ここでは例えどんな理由があろうとも連絡は1度しかなされない。何故かは分からないし説明もされていなかったが、ここにはここの守るべきルールが多く存在しているのだ。これはその内の1つでしかない。いわゆる《暗黙の了解》というやつだ。
その考え通りでいくなら、これを切ることは即ち以降このワケも分からない通信は絶対にかかってこないという事だ。そう考えるとこれには出ざるを得ない。意を決して会話開始ボタンを押してみる。
「やぁ、どうもこんにちは鷺村主任さん。調子はどうかな。僕はあなたの事をよく知っていてね。実はちょっと頼みがあってさ」
「‥‥……は、はあ。すんません、ちょっと立て込んでて。出来ることなら用件だけさっさと教えて貰えませんか」
口調と声音から言って年下だろう。少し砕けた言い方になってしまったがまあいい。というかなんで俺の事を知っているのだろうか。さらっと言ったからスルーしてしまったが個人情報を知られているなんてかなり重要な事ではないか。
「うんうん、あなたの言う通りだ。用件はまず先に言うべきだよね。」
「じゃあさっそく。‥…‥…君らが造ってる例の機械だけどね、あれの製作を今すぐ止めてほしいんだ」
‥…‥…いきなり呼び方が変わったらと思ったら、本題はなんだそんなことかといった程度だった。
《例の機械》の製作については前から一悶着あったし今なお続いている。大体今の日本社会でアレが売れる確率など実はほぼない。パトロンにしても
しかしわざわざ一個人を調べきて、その蓋を開けてみたらこうもあっさりとなると少しがっかりしてしまうものがある。正直もっと何かあるかと期待してまった。まあ、なんにせよこの会話は受付にでも回して終わりだ。余談だがここに受付なんて無い。他にもここと同じような研究をしている施設があるらしいけど、そういうちゃんとした情報は回ってこない。同じ目標でも完全に外部とは遮断しているのだ。
「あ、あーそうそう。これ、今までと同じような倫理観だとか道徳観から言ってるんじゃないよ」
「あくまで警告なんだ。君らがそれを止めないと非常手段を取らざるを得なくてさ」
「僕としてもやりたくはない。だからと言って君らが止めないならやるしかない。そういう板挟みな状況にいるわけだから罪悪感もあるんだ」
「まあそんなわけで、取り敢えずは主任たる君に一報を入れてみたんだよね。まあ、止まる気がないならそれはそれで僕的にいいんだけどさ」
こちらが何かを言う前に先んじてマシンガンが撃ち放たれた。ふん、なんだっていいさ。
キュッキュッと新品のブーツを鳴らしながら歩いるといつの間にか研究開発部門の前に戻ってきていた。喋ったままでセキュリティ解除はさすがにできない。無断で切ってやろうと思ったがそれは少し大人げないと思い直した。やはり切る前に一言文句でも言うのがこの場合は礼儀だろう。そんな訳で端末に浮かんでいる顔のない人形に向けて返事をする。
「申し訳ありませんがあなた様の言っていることは理解しかねます。私どもの研究は必ずや社会に貢献しますし、あなたが思うような危険性は全くありません」
「それから‥…‥…大人にいちゃもんつけんなら大人に対する態度を学んでから来やがれ」
「‥…‥…‥…‥…ふふっ、はははっ!」
「確かにそうだよね。うん、やっぱりあなたの言う通りだ。そんなあなたに免じてそこは暫く待ってあげるよ。」
「じゃあ余生を楽しみたいなら僕が次に連絡するまでに研究止めといてね。じゃないと僕はやらなくちゃならないからさ」
そう言うなりプツンと電話は切れ、いきなりのマシンガンは止まったらしい。全く嵐のような出来事だったが中々悪くない刺激だった。ここの刺激の無さはもはや病気のレベルなのでこういうのはたまにならあってもいいかもしれない。そんな風に思いながら出たときと同じ動作で部屋に入る。
「あ、主任、お帰りなさい。タバコ残念でしたね」
「まったくだよ。あのデブ、この仕事が終わったら絞め殺してやろうか」
「ははっ、主任が言うと笑えないすね。そうそう、被験体はあの後10分保ちましたがすぐに処分しました。今は3体目です」
「まだ上手くいってないのか。そろそろ成功させないとな」
青白い光のせいで同じく青っぽく見えてしまう部屋の中央に据えられた筒。俺は密かに《瓶》と呼んでいるが、それが普通のと違うのは中にヒトが浮いている点だ。
ーまあ、正確にはヒトじゃないが。
コレは研究に必ず必要な存在だ。コレがないと何もできないとすら言える。さっさとコイツに耐えられるのを見つけた方が早いかもしれんな。
キューっと《筒》に添えていた手を下ろしながらゆっくりとソレを眺める。さて、そろそろ仕事に取り掛かろう。
今の俺の顔はきっと、清々しいほどに歪んでいるだろう。