総理大臣の娘である小橋若葉の海外公務の為、その公務地への送迎と護衛をする事になったもえか達、櫛名田。
正確には若葉の乗る艦の随行護衛だ。
もえかと若葉は今回の任務にて初対面であったが、若葉の方はもえかが高校時代に遭遇したラット騒動についてもえか達、天照の活躍を知っていた様子で、あの騒動の立役者であるもえかに出会う事が出来て、若葉は少し興奮している様子で、なんと彼女は出会い頭になんともえかにキスをした。
突然のキスに、キスをされたもえか本人は勿論の事、櫛名田副長の納沙幸子、若葉が乗艦する夷隅艦長の相模南と同艦の副長、由比ヶ浜結衣も唖然としていた。
「素晴らしい航海を期待していますわ。知名艦長」
唖然としているもえか達を尻目に若葉は笑みを浮かべてそう言った。
夷隅と櫛名田は浦賀水道を出て列島沿いに外洋を目指す。
そんな中、夷隅の艦橋では、
「むぅ~」
夷隅副長の由比ヶ浜結衣が不満そうな顔をしていた。
「結衣、どうしたの?そんなふくれっ面して」
そんな由比ヶ浜に対して、相模が何故不機嫌そうなのかを訊ねる。
「だって、今回の任務は私達が総理大臣の娘さんのわかっちを乗せる筈だったのに、なんであっちの艦に乗る訳!?マジっ、意味わかんない!!」
(わかっち‥って、相変わらず結衣の仇名のセンスは壊滅的に悪いわね)
総理大臣の娘に『わかっち』といきなり仇名呼びをする由比ヶ浜。
彼女は仇名をつける癖があるのだが、その仇名をつけるのは自分に親しくなれそうな者につけるのだが、その仇名のセンスは壊滅的に悪い。
相模はそんな由比ヶ浜のセンスにちょっと引いた。
そして、由比ヶ浜の言う通り、本来の予定では総理大臣の娘である、小橋若葉は相模と由比ヶ浜の艦、夷隅に乗艦する予定だったのだが、乗艦直前で、若葉本人が自分の乗る艦に変更をかけたのだ。
そして現在、若葉はもえかの艦である櫛名田の方に乗っている。
「まぁ、いいじゃん。面倒な要人の世話をする手間が省けるし、総理大臣本人が乗って居る訳じゃないんだから、海賊やテロリストの襲撃なんてどうせ無いわよ」
と、相模は要人の世話をする手間もなければ、要人のレベルとしては低いことから海賊やテロリストの襲撃は無いと言い切る。
それに今回の任務が成功したら、要人護衛を成功させたと言う評価を受け、自分の株があがると思っていた。
要人の世話をする必要もなく、航海中に海賊やテロリストの襲撃がなければ、まさに楽をして自らの株を上げる事が出来るので、相模は若葉がもえかの艦に乗艦した事について、由比ヶ浜の様に不機嫌になることもなく、むしろ感謝していた。
しかし、相模はすっかり忘れていた。
夷隅に予定通り若葉が乗れば、万が一海賊やテロリストの襲撃があった場合、責任回避を出来る要素があったのだが、その要素である若葉は今、もえかの艦である櫛名田に乗っている。
つまり、万が一海賊やテロリストの襲撃があり、櫛名田が被弾し、若葉が死傷でもすれば、それは櫛名田を守り切れなかった相模にも責任が及ぶと言う事である。
もえかに責任を全て押し付けたつもりが、知らず知らずのうちに自分にも責任が及ぶ事態になっていることを相模はすっかり忘れていた。
そんな責任問題を忘れ、相模は思い出したかのように由比ヶ浜に話題を振る。
「それにさ、見た?さっきのアレ」
「えっ?ああ、もっちーとその‥キスをしたアレね」
由比ヶ浜は若葉の他に今回の任務で初めて出会ったもえかに対しても『もっちー』という仇名をつけていた。
しかし、こちらは親しくなれそうな者ではなく、自分よりも年下にもかかわらず、艦長職についているもえかに対する嫉妬と自分の方が年上であり、ブルーマーメイドの経験が自分の方が上だと言う見下した部分があった。
「そう、ソレ、ほんと信じられないよね。女同士でさぁ」
埠頭での事を思い出したのか、相模は女子高生がファミレスなどで、学校の教師や気に入らない同級生の陰口を言うノリと笑みを浮かべながら小馬鹿にしたように言う。
艦橋にいた相模の取り巻きの乗員も相模と同じようにニヤニヤしている。
「う、うん‥確かに‥‥あれは見ていて『ないわぁ~』って思ったけど‥‥」
「でしょう?あの人がウチらの艦に乗っていたら、ウチらもキスされていたかもしれないんだよ。そういう意味ではウチらは助かった訳じゃん」
「そ、そうだね」
確かに相模の言う通り、若葉が自分達の艦に乗っていれば、もえか同様、若葉にキスをされたかもしれない。
そう思うと彼女が櫛名田に乗っている方が自分の貞操が守られた事になる。
しかし、相模も由比ヶ浜も知らなかった。
若葉は相模も由比ヶ浜も眼中になかった事を‥‥
眼中にない人物とのキスなんて元々望まない事を‥‥
一方、櫛名田の艦橋では今回の任務の主役である小橋若葉と付き人であろうメイド服を着た女性が居た。
もえかにとってメイドは最近になって巻き込まれたテロリストが着ていた衣装なだけにあまりいい思い出がない衣装だ。
「この度の要請に応じていただき、まことにありがとうございます」
「‥‥」
もえかとしては若葉と面と向かっていると先程、埠頭であったことを思い出してしまう。
「ん?どうかしましたか?知名艦長」
「えっ?あっ、いえ‥‥なんでもありません」
「そうですか‥‥でも今回、あの騒動解決の立役者である知名艦長と出会えたことに震えるような感動を覚えております。ましてや、知名艦長の指揮する艦に乗せていただけるとはまさに僥倖ですわ」
「し、しかし、若葉さんには本来、相模艦長の夷隅に乗艦する予定だったのでは‥‥?」
「ええ、本来ならばそうでした。でも‥‥あちらの艦は‥‥」
「夷隅は?」
「美しくなくて‥‥」
「えっ?」
「例えば、あの足場が沢山取り付けられたマスト、まるで細かい意匠が施された祭壇の様です。ステルスだとか言ってドンドン無機質になって行く艦船デザインの中で愚直なまでの武骨さと作業効率を優先させたあのデザインが残っていること自体が驚きです。そういう美意識があちらの艦にはまるっきり欠如しています」
若葉は艦橋脇のウィングに出て櫛名田の後部マストをうっとりとする様な目で見て褒める。
反対にインディペンデンス級沿海域戦闘艦の夷隅には興味なさげな表情で見る。
もし、もえかが須佐之男級の櫛名田ではなく、夷隅と同じインディペンデンス級沿海域戦闘艦に乗っていたら予定通り夷隅に乗っていた可能性もあるが、もえかが艦長をしていると言う事で、やはりもえかの艦に乗っていたかもしれない。
「はぁ‥‥」
(なんか、若葉さんの声、駿河さんに似ているなぁ‥‥)
確かに櫛名田はインディペンデンス級沿海域戦闘艦を主力とするブルーマーメイドと異なり、海洋高校で使用しているような旧海軍型の艦影をしている。
天照、大和級戦艦、そして長門を始めとする40cm砲搭載戦艦はあの実習以降の現在ではブルーマーメイドの艦艇として活躍しているが、巡洋艦級で旧海軍型を模した艦艇は今のところこの櫛名田だけである。
最も形を模しているだけであり、櫛名田は新型の艦艇の部類に入る。
若葉としては天照に乗りたかったかもしれないが、もえかと出会い、そして旧海軍型の艦に乗れた事で満足している様子だ。
なお、若葉の声を改めて聴いたもえかは今、横須賀女子にて教官職についている元クラスメイトの駿河留奈と若葉の声が似ていると思った。
「申し訳ございません。お嬢様は重度の艦艇オタクでして‥‥あっ、申し遅れましたが、私、お嬢様の付き人を務めさせていただいております、篠崎咲世子と申します」
若葉の付き人のメイド‥篠崎咲世子はペコッともえかにお辞儀をして自己紹介と共に若葉の性格を伝える。
「あっ、どうも、艦長の知名もえかです」
(艦船オタク‥‥また濃い性格ね。私の周りには変わった人が集まるのかな?)
高校時代からもえかの周りには変わった性格の持ち主が集まる。
そして、今回の任務の要人もかなり変わった性格の人物だった。
「艦長、まもなく外洋にでるぞな」
勝田が海図に書かれた計画航路と現在位置を確認してもえかに報告する。
「わかった。勝田さん、予定通り速度を上げるよ」
「了解ぞな」
勝田がテレグラフを操作し、針を全速前進の位置へと合わせる。
艦橋からの指示は直ちに機関制御室へと伝わる。
カン、カン、
機関制御室のテレグラフが艦橋から速度のオーダーがきた事を知らせる。
「ん?おっし、オーダーだ!!全速前進!!」
「全速前進」
麻侖が艦橋からの指示を確認し、機関員に指示を出し、黒木が復唱して、返信の為、テレグラフを操作する。
そして、機関員らが機関を操作するとピストンが轟音を奏でその動きを加速させる。
その加速はやがてスクリューシャフトへと伝わり、スクリューは回転数を増していく。
天照と同じクローズド・バウの作りの艦首が波をかき分け海を進んで行く。
勝田の一連の動作を見ても若葉は目を輝かせていた。
艦橋の航海機器も櫛名田はテレグラフの形状、操舵輪の形状は現代の船舶の型よりも古い形をしているので、旧軍の艦船オタクにとってはたまらないのだろう。
最も艦の外見同様、航海計器も形が古い様に見せているだけで、性能に関しては現代の艦船と同じ性能を有している。
自分に操作させてくれとは言わなかったが、今後その可能性もあるのだが、流石にそれだけは出来ない。
その後、若葉は自分が乗る艦の艦内見学を申し出てきたので、もえかは幸子にその役目を頼もうとしたら、
「此処はやっぱり、艦内を隅々まで知る艦の長たる艦長の務めではないでしょうか?艦の運航に関しては副長の私が責任をもって行いますので、艦長は若葉さんを案内してあげて下さい」
(ココちゃん、逃げたわね!!)
幸子自身、埠頭でのもえかと若葉とのやり取りを見ていたので、若葉と行動を共にすれば、自分も若葉の唇の餌食になると思い、案内役をもえかにおしつけた。
若葉自身も自分よりも、もえかに案内してもらいたいだろうし丁度いい。
もえかとしては断りたいけど、ゲストと言う事で無碍には出来ないし、なによりも若葉の機体に満ちた綺麗な目が自然と拒否できない状況を作り出している。
「で、では、参りましょうか?若葉さん」
「はい」
もえかは少しぎこちない表情で若葉を連れて櫛名田の案内をする事になった。
まず最初にもえかが若葉を案内したのは櫛名田の主砲が装備されている艦首、前部甲板。
若葉は櫛名田の主砲、15サンチ成層圏単装高角砲の感触を確かめるかのように頬ずりをしていた。
そして艦首では、
「I'm the king of the world!!」
若葉は両手を広げて流暢な英語で叫んだ。
「先日、拝見した映画を見て、今回の海外公務の際にはぜひこれをやってみたかったんです」
「はぁ‥‥」
やることがやれて満足そうな若葉。
反対にもえかは、
(確か、その台詞の映画って、実際にあった海難事故をテーマにした恋愛映画だったけど、船は大西洋に沈没したから縁起が悪いよね‥‥?)
若葉が見た映画は船乗りにとってはあまり縁起のいい内容ではなかった。
「あの映画は主人公とヒロインとの身分を越えた恋愛も素敵ですが、船の乗員達の姿も格好よかったです。音楽隊のリーダーの方がバンドのメンバーと別れ、一人賛美歌をバイオリンで弾くと、それを聞いてリーダーの下に戻り、最後まで一緒に演奏した音楽隊のシーンでは私、思わず涙を流してしまいました」
「は、ハァ‥‥」
確かに若葉の言う通り、あの映画は船乗りにとって決して縁起のいい内容ではなかったが、今日の海運業にとって様々な教訓を与える結果となっていることも確かである。
次に案内されたのは櫛名田の心臓部とも言える機関室。
機関室では常に轟々とした機関音が鳴り続けている。
もえかは若葉を機関制御室へと案内する。
「あら?艦長、どうかしましたか?」
もえかが来た事に最初に気づいたのは黒木だった。
「今回の護衛対象の小橋若葉さんを案内していて‥‥」
「はぁ~全く、いつから櫛名田は武装艦から客船になったんですか?護衛対象の案内だなんて‥‥ましてやこの機関室は常にピストンや機械が動いていて危ないのに‥‥」
黒木は呆れながら言う。
「クロちゃん!!」
そんな黒木の態度を窘めるかのように
「せっかく来てくれたお客さんになって事を言うんでい!!しっかりと持て成すのが人情ってもんだろう!?」
麻侖が黒木に注意する。
「でも、マロン、此処は上と違って常に状態を維持しておかないといけないのに‥‥」
「まぁ、それはわかっている。確かにクロちゃんの言う事もあるが、見るだけならいいだろう?」
「‥‥ま、まぁ‥見るだけなら‥‥‥」
黒木も見るだけならば‥と、渋々であるが、若葉の機関室での見学を許可した。
若葉が機関室を見学中にもえかは麻侖と今後のスケジュールについて確認を行う。
「夕方ごろには難所のカラケチル海峡に到着すると思う」
「カラケチルか‥‥交通の難所だな」
「うん。航行中は速力も全速から巡航まで落としてその都度、速度調整をするとおもうからよろしくね」
「おう、がってんでぃ」
若葉の方は黒木に櫛名田の機関について説明を受けていた。
あれだけ皮肉めいたことを言ったにも関われば、若葉は黒木本人に説明を頼んだのだ。
若葉曰く、麻侖も黒木も誇り高きプロフェッショナルだからだと言う。
嘘偽りのない言葉と目に流石の黒木も毒気を抜かれたのか、やれやれと言った感じであったが、ちゃんと若葉の質問には受け答えしていた。
なんだかんだ言っても面倒見のいい黒木であった。
粗方艦内を案内した後、最後にもえかは若葉を艦内食堂へと案内する。
「此処が、櫛名田の艦内食堂です」
「まぁ、食堂の内装には随分と気が使われていますのね」
若葉は櫛名田の艦内食堂を見渡しながら言う。
櫛名田は戦闘艦艇であるので、客船とことなり、通路などは破損してもすぐに取り換えられるようにパイプやボルトが剥き出しの武骨な風景となっているが、今回の様に要人警護にてその要人を乗せる事も考慮してこうした食堂の内容にはそれなりに気を使っている。
「ご夕食はお部屋よりもこちらの食堂で摂る方がよろしいかと思いまして、その様に手配をしておきました」
「まぁ、ありがとうございます。知名艦長」
「いえいえ、では、間もなく本艦は狭水道に入りますので、私は艦橋で指揮をしなければなりません。等松さん」
「はい」
「すみませんが、若葉さんの事を任せても良いかな?」
「はい、わかりました」
「では、後の事は此方の主計科長の等松さんに聞いてください」
「はい、お忙しい中、わざわざありがとうございました。知名艦長」
「では、私はこれで」
若葉の事を等松に託したもえかは艦橋へと上がる。
「達する、本艦はこれより、カラケチル海峡へと入る。総員、狭水道配置部署につけ、繰り返す、本艦はこれより、カラケチル海峡へと入る。総員、狭水道配置部署につけ!」
もえかはこの先の狭水道を航行する為、櫛名田を狭水道航行部署につかせる放送を流す。
「総員、狭水道航行部署につきました。予定通り、本艦及び夷隅はカラケチル海峡へと入ります」
副長の幸子が総員の部署配置が完了した事を報告する。
カラケチル海峡‥マラッカ海峡と同じく海峡の幅が狭いが船舶の往来が激しい渋滞海域‥若葉の海外公務地へ行くにはこの海峡を通らなければならない。
狭水道であるが、船舶の往来が激しい分、管理ネットワークは通常の海域よりも完備されている。
よってこの海域での海賊、テロリストの襲撃はないだろうと判断した海上安全整備局は要人警護にはもってこいの海域だと判断していた。
その為、公務地がこの海峡を通った先の地になっていたのだ。
「速度を落とせ、巡航維持」
「巡航速度、アイ・サー」
勝田がテレグラフの針を全速から巡航へと移す。
「相変わらず、此処は船舶の往来が激しいですね」
幸子が外を見ながら呟く。
櫛名田の周りには大小さまざまな大きさ、様々な形の貨物船、タンカー、フェリー、自動車運搬船、コンテナ船などの商船が航行していた。
「うん、そうだね。だからこそ、衝突事故には十分気をつけないとね」
「はい」
(何事もなければいいけど‥‥)
海上安全整備局はこの海域は船舶の往来が激しいから海賊、テロリストからの襲撃は無いと踏んでいるが、同じ狭水道のマラッカ海峡でも海賊による襲撃例はある。
だからこそ、このカラケチル海峡だけが海賊、テロリストの襲撃は絶対にないとは言い切れない。
他船との衝突以外にこの狭い水道だからこそ、海賊、テロリストの襲撃に注意しなければならなかった。
カラケチル海峡を航行する中、もえかは言い知れぬ不安を感じていた。
櫛名田、夷隅がカラケチル海峡に入った頃、反対側の海峡口では、一隻の大型コンテナ船が海峡に入って来た。
そのコンテナ船のブリッジでは、
「奴等、カラケチル海峡に入ってきましたよ、姉様」
「そうね、レム。まさか本当にセオリー通りの航路を通るなんて、連中も随分と間抜けね」
あの双子のテロリスト、双角鬼と呼ばれたラムとレムの姿があった。
もえかの不安はこのあと的中する事になった。