1 本当は飛び出したかった
五度目の空港。
五年前。はじめて来たときは、ことりちゃんを止めることで頭がいっぱいで、それだけだった。
四年前。μ'sのみんながいたときは、ファンの人達に囲まれて逃げるように帰った。
三年前。高校卒業後、パリ留学に行くことりちゃんを見送った。空港のおみやげ物屋さんで、ことりちゃんが買ってくれたお別れのフランスパン。帰ってから食べたら日本風の味がした。
そして今日。ついにことりちゃんが帰ってくる。もちろん朝はフランスパン。を、昨夜ミルクに漬けておいたフレンチトースト。
一晩漬けると本当に口の中でとろけちゃっておいしーんだよね~。
「穂乃果? 私の隣でニヤニヤするのやめて下さい。他人のフリしますよ?」
ずっとソワソワしてる海未ちゃんもどうかと思う。
「ごめんごめん。でも大丈夫! 今日は食べすぎてないから!」
三年ぶりのことりちゃんのおやつのために!
「はぁ、そうですか……」
「ほら海未ちゃん、フランス語できる?
ぼんじゅ~ぅる?」
「……」
「まどもあぜ~る?」
「……」
「……」
「やりませんよ?」
海未ちゃんはこの数年で冷たくなったと思う。大学に入ってから厳しくなった家のお稽古のせいか、高校の時よりずっと凜々しくなった。
というか隙がなくなった。恥じらいもなくなった。むぐぐ……。
「? 私の顔に何か付いてますか?」
そのとっても綺麗な済ました顔も今日までだよ。ことりちゃんにかかれば海未ちゃんなんてすぐに負けちゃうんだから!
「あ~ぁ。ことりちゃん早く来ないかな~」
フレンチトーストもう一切れ食べてくれば良かったかも。
「……穂乃果、私と二人でいるのはつまらない。ですか?」
「ううん? 何で?」
「い、いえ。嫌じゃないならいいです」
もうずっと一緒にいるのに何言ってるんだろ?
最近じゃ稽古で夜遅くまで大変な海未ちゃんの家に、なぜか私が家事しに行ってるし。
まさかうちのお母さんって私のことグータラ大学生とでも思ってるのかな?
そりゃあ確かに雪穂の方が和菓子センスあるけどさ。
私だって経営のこととか結構勉強してるのに。
……やっぱり隣に座ってる人がニヤニヤしてると他人のフリしたくなるかも。
「穂乃果ちゃ~ん、海未ちゃ~ん」
この三年たっても変わらない声はまさしく。
「ことりちゃーん! おーい!」
「ほ、穂乃果? そんなに騒がなくても」
まだ少し遠くにいることりちゃんに手を振ったら、ふりふり振り替えしてくれた。
「お~い」
てててっと小走りで近付いてきたことりちゃんは、三年前とあまり変わってないような?
いや、着ている服が違う。
ことりちゃんらしさはそのままに、華やかさがグッと上がっている。
「これがパリジェンヌ……」
さすがことりちゃん。この三年で花の都を自分のものにしてきたんだね。
「穂乃果ちゃん会いたかったよ~」
そう言いながら抱きついてくることりちゃんの匂い。あれ? 前と違う?
でもこれはこれで。この連絡しか取れないスマホじゃ味わえない柔らかさったらもう。
「私もー! ていうか、お正月ぐらい帰ってきてくれてもよかったのにぃ!」
「あはは、ごめんね? 同期の子達に負けるわけにはいかなかったから」
再会の抱擁もそこそこで離れていくことりちゃんに物足りなさを感じる。
三年分のもぎゅを今日一日で取り戻すことを決めた。海未ちゃんは二人で寝てくれないもんね。
「海未ちゃんも久しぶり。ぼんじゅ~ぅる?」
「えっ?」
「海未ちゃんはすっごく美人さんになったね。まどもあぜ~る?」
「えっ、あの、ことり? お、お久しぶりです……」
ことりちゃんのフランス語を、海未ちゃんは精一杯聞こえないフリしてた。
「じゅて~む、海未ちゃぁん?」
「こ、ことりぃ……」
海未ちゃんは、笑顔で迫ることりちゃんにたじたじだった。
飛行機で空を飛んでスキルアップしてきたことりちゃんに追いつくのは難しい。地道に航海を続ける海未ちゃんには私のサポートが必要かな?
うん、助け船を出してあげよう。
「海未ちゃん海未ちゃん」
内緒話のためにちょいとお耳を拝借――したら、ことりちゃんが少し不満そう。
(ジュテームの返事はアンブラッスモアって言うんだって)
(えぇ? はじめて聞く単語です……)
(大丈夫! 絵里ちゃんを信じて!)
(絵里ですか。それならまあ……)
「それでは、ことり?」
「なになに?」
「三年も待たせてくれた大切な貴女へ贈る、歓迎の挨拶です。
ことり、アンブラッスモア」
自信満々に飛び出した海未ちゃんの言葉。
それを聞いたことりちゃんは、いつもの優しい笑顔で一時停止した。
赤くなった。照れてる?
「ふぇ? 海未ちゃん? 穂乃果ちゃん? 何かあったの?」
「? 何かとは?」
何か間違えたかな? 海未ちゃんと視線を合わせて困惑した。
「だ、だめえぇぇ!」
私と海未ちゃんとの視線の間に、慌てたことりちゃんが入ってきた。
「だめです! こんなところじゃ絶対だめ!」
「ことりちゃん? 何が?」
「知りません!」
「ことり? 意味が分かるのですか?」
「分かりません!」
「ことりちゃん分かってるよね、やってみて?」
「できません!」
「ことり、大丈夫です。私達三人にできない事は――」
「三人で!?」
そうそう、今日のために部屋を片付けてお布団三つ敷けるようにしたんだよね。ちょっと、かなり、狭いけど。
「うん! 一緒のお布団で寝ようね!」
「一緒のお布団で!?」
ロビーでの立ち話もほどほどに。
空港から穂むらまでの帰り道、ことりちゃんはプワプワしていた。長旅お疲れ様。
「ことりちゃん、本当にそれでいいの?」
ただのほむまん。空港からどこにも寄らずに、私の部屋へ来たことりちゃんが望んだもの。
「うん。渋めのお茶が合うねぇ……」
「そんなにいいかなー」
パリって餡子ないの?
はむはむすることりちゃんの隣では、なぜか海未ちゃんまでほむまんを食べていた。
「穂乃果、売る側の人間がそんな風に言うものではありません」
「そんなこと言われても……」
穂むらの営業部長(バイト)としてお得意様をまわったことはある。でも、どこに行っても至れり尽くせりのおもてなしをされて、営業してるのかされてるのか分からなかった。
結局、商品の良さは分からずじまい。残ったのはお客様との記念写真やカラオケ動画、そしてごちそうを食べすぎて付いたお腹のお肉。
よく隣にいる海未ちゃんがスリムなせいで凄く目立つ。海未ちゃんは柔らかくて良いって言ってくれるけど、μ's時代だったら絶対怒ってる。
「あ、穂乃果ちゃん海未ちゃん。小さなお土産だけ今渡すね」
ことりちゃんはそう言って、カバンからハンドクリームみたいな物を二つテーブルに置いた。
「練り香水だよ」
「「練り?」」
「うん。普通の香水より香り控えめだけど、長い時間消えない、ぐらいかな。
あんまり違わないよ? 良さそうなの見つけたから買ってきたんだ」
なるほど。空港でのことりちゃんの匂いは新しい香水。うちの餡子の匂いとか、海未ちゃん家の畳の匂いとはまるで違うおフランスな香り。
「絵柄は苺のケーキですね。ベリー系の香りですか?」
「うん、嗅いでみて?
結構強いはずの甘い香りが、練り香水のおかげでマイルドになってるの」
ことりちゃんがフタを開けると、部屋がなんとなく甘酸っぱくなった。
「大人な甘さ控えめって感じだね」
やんやん遅れそうでも、駅まで早歩きぐらいで間に合いそう。
そんな、少し大人になった私達みたいに甘酸っぱい部屋で、ことりちゃん帰還の一日は過ぎていった。
お布団の中で私と海未ちゃんに挟まれた、どこか緊張したようなことりちゃんは、私の唇ばかり見ていたような気がする。
何か付いてたかなぁ……?
2 とにかく動き出してみよう
留学が終わって、色々身の回りの整理が済んだ日。
それすなわち、わたし南ことり一世一代の決戦日。
約束もせず、海未ちゃん家の道場に来ました。
「たのもー!」
突然なわたしの一喝に、お稽古に励むみんなは驚いている。その奥の方にいた海未ちゃんが慌てて出てきた。
「えっ、こ、ことり? 道場破り? えっ?」
「そうです! 海未ちゃんをもらいに来ました!」
「ええぇぇぇ!?」
海未ちゃんが面白い顔で驚いているのを久しぶりに見た。お稽古を止めて私達を見ていた子達からは歓声が上がっている。
まずまずの滑り出しに満足していたわたしは、いつの間にか近くにいた海未ちゃんのお父さんに追い出されちゃいました。
海未ちゃんに部屋まで案内されて中に入ると、この前プレゼントした練り香水の甘酸っぱい香りがした。和風の部屋で。
少し残念な気持ちで三年ぶりの海未ちゃんの部屋を見ていると、海未ちゃんがお茶を持って入ってきた。
「何か面白いものでもありましたか?」
「ううん。懐かしいなぁって」
海未ちゃんより面白いものなんて中々ないかな。
普段は本当にかっこいいんだけどね。と、湯飲みを渡してくれる海未ちゃんをみて思う。
「それでことり。今日は一体どうしたのですか? あんな皆の前でわ、私が欲しいなどと……」
もじもじする海未ちゃんの中では、わたしはプロポーズしたことになってたみたい。全く違うとは言わないけど全然違う。
「えっとね、その、海未ちゃんの人生をちょっと貸して欲しいの」
「や、やはりそうなのですかー!?」
思ったよりプロポーズでした。
海未ちゃんは真っ赤になった顔を両手で覆った。誤解を解くため寄り添って背中をさすると、驚いた海未ちゃんは震えた。
「ち、違う違う。あのね、海未ちゃんにはメイドになって欲しくて」
「ことりがご主人様ですか!?」
すごくいい。
じゃなくて、あれ? なんだかどんどんアヤシイ雰囲気に向かってるような。海未ちゃんとの距離も広がってる気が……。
「待って待って、海未ちゃん落ち着こう?」
「は、はい……その、ふつつか者ですが日々勉強していきますので――」
OKもらっちゃった! 話伝わってないのに!
どうしよう……初心色少女みたいに頬を染め、わたしをチラチラ見る海未ちゃんに本当のことを説明するのかな。
「海未ちゃーん! 今日も夕飯作りに来たよー!」
沈黙が占める海未ちゃんの部屋に、穂乃果ちゃんの元気な声が届いた。
「穂乃果ちゃん? 夕飯? 今日も作る?」
聞いたことのない情報が頭の中をぐるぐる回る。
「ち、違うんですことり。これは、その、穂乃果が勝手にし始めた事で。私は頼んでないのに花嫁修業だって言って――」
「そうなんだ~……」
通い妻みたい。何年続けてるのかな。
でも、それなら穂乃果ちゃんもかなりの戦力として期待できるかも。複雑だけど。
階段を駆け上がってくる足音が聞こえると、すぐに部屋の扉が開いた。
「ことりちゃん!? もー、どうして誘ってくれなかったの~」
「えっと……穂乃果ちゃんは断らないかなって思って」
海未ちゃんに断られたら、このお話はなかったことにって返事するつもりだったし。
「え、ことり? 穂乃果にもプ、プロ……するんですか?」
「なになに? 何の話?」
「あのね――」
これがわたしの新しい人生第一歩。
「メイド喫茶をしてみないかって言われてて」
「ほぇ?」
「……まさか、店を起こすとでも?」
わたしだってまだ戸惑ってる。
「うん、留学先の先生がメイド喫茶も経営しててね」
服飾の技術を生かした、制服がオートクチュールのメイドカフェだった。
あの時のアキバ路上ライブ。仕事の関係上そこで偶然ワンダーゾーンを見た先生は、パリに帰るなりメイドカフェをオープンしたらしい。
「その先生が日本でも店を開きたい、それができるのはアナタしかいないって」
「ほぇー」
「それって、ことりが店長になるのでは?」
「うん、立場上はね。でもそういうのはよく分からないから、パリでお世話になってた事務メイドさんに頼むことになるかも」
先生のメイドカフェは学生寮の食堂も兼ねていた。食事の度に伝説のメイドと冷やかされ、大変だったのも今ではいい思い出。
「ふっふっふ……」
穂乃果ちゃんがすごく嬉しそうにしてる。わたしも嬉しい。
「何ですか? いきなり笑い出したらまた真姫に言われますよ」
キモチワルイって? とんでもないこんな可愛い子をつかまえて。真姫ちゃんにもお土産もっていかなきゃ。
「何か忘れてないかな、二人とも?」
「「?」」
「私、高坂穂乃果! 経営学部です!」
なんと、わったっしが~♪
メイド社長に~♪
二人のススメでなっちゃった~♪
そう歌い出しそうな穂乃果ちゃんを横目に、海未ちゃんがわたしに提案した。
「ことり、絵里に頼んでみたらどうですか?」
「ちょっとちょっと海未ちゃ~ん。私、できるんじゃないかな!?」
「えぇ……」
あはは……海未ちゃん露骨に嫌な顔。
「ことりちゃんはどう?」
「えっと……いい、と思う。よ?」
大切な幼なじみを信じきれない自分が悲しい。
「この日、穂乃果社長が誕生した」
「それ自分で言ってて恥ずかしくないんですか? あと、あくまでも社長はことりです」
ノリノリな穂乃果ちゃんも可愛い。
「ん~。園田君? 君、私に意見するの? 君、どんなときもずっと平メイドね」
「はあ!? ふざけないでください! 料理もまともにできない穂乃果に言われたくないです!」
あ、やっぱりそうなんだ。じゃあ海未ちゃんの夕食を作ってる件は、穂乃果ちゃんのお母さんに言われてかな。
愛する人のために料理してたら自然と上手くなるはずだし。
「園田君!? ことりちゃんの前で言わなくてもいいでしょ!? そもそも呼び方がなってない!」
「呼び方? あぁ、『あ』が抜けてましたか? アホのか、これでいいですかアホのか?」
「ちっがーう! 私、社長! ご主人様って呼びなさい!」
ムキになる穂乃果ちゃんを完全に馬鹿にしてた海未ちゃんが、打って変わってしおらしい態度で穂乃果ちゃんに寄り添った。
「ご主人様ぁ……これでいいですかぁ?」
穂乃果ちゃんが完全にときめいてる。
「そ、園田君……。君、ご、後日面接するから。
お、覚えてろー!」
そう言い捨てた穂乃果ちゃんは部屋を飛び出していった。わたしの分の夕飯も作ってくれるのかなぁ。
「ふぅ。まったく、いつまでも子供なんですから」
海未ちゃん、強くなったね。ことりが教えることは何もないよ、即戦力のメイドさんだ……。
その後、穂乃果ちゃんが作ってくれた夕食はとても美味しかった。
海未ちゃんは今日だけのまぐれだって言ってたけど、たぶん明日からも美味しいと思うな。
これからは私も来なきゃ。
3 新しい日々の中で
ことりの先生が確保していた土地は秋葉原にあった。というか、私達μ'sが路上ライブでお世話になったお店を買ったらしい。なんとも剛胆な方です、先日の顔合わせではずっと微笑んでいて優しそうな人だと思いましたが。
そのお店の事務所。机を挟んで向こう側にいることりも、幸せそうな笑顔をしている。
「では高坂さん、あなたの志望動機は何ですか?」
「え? ことりちゃんが誘ってくれたからだよ? ていうか私が海未ちゃんの面接するんじゃ……」
不満げな穂乃果を見たことりは、ますます楽しそう。
「まあまあ穂乃果ちゃん。形だけのものだから、もうちょっと付き合ってね」
「は~い」
「それじゃあ、高坂さんの希望する職種は何ですか?」
「社長です! 経営学には自信があります!」
「それは頼もしいですね」
「えっへん!」
不安しかないんですけど……。
「それでは高坂さんには、ホールチーフとして最前線に立っていただきます」
「任せて――あれ?」
妥当な判断です。穂乃果は皆の中心で輝いているのがよく似合う。
「あとは、過去のバイト経験などはありますか?」
「実家の和菓子屋で店番をしてました。おばあちゃん達との世間話が得意です!」
メイド喫茶におばあちゃん達が来るといいですね……。
「そういえば、高坂さんはμ'sのリーダーを務めていましたね。歌って踊れるメイドさんの活躍、期待してます」
「うっ……動けるかな……」
久しぶりにダイエットメニューでも組んであげましょうか。今の触り心地、あれはあれでいいんですけど。
「はい、穂乃果ちゃん採用です。
それでは穂乃果ちゃん、園田さんの面接を始めましょうか」
「うん!」
無事(?)社員となった穂乃果が、ことりの隣に席を移した。
何なんでしょうか、この茶番。
ことりも随分お茶目に……あぁ、パリの人達はこんな感じなのかもしれません。
「園田君、よそ見はダメだよ」
「ふふっ、面接を始めます。
園田さん、触られてくすぐったいところはどこですか?」
「は? ……意味が分かりません」
仕事と何の関係が? と、ことりを見るとごまかすような笑顔をされた。
「ほら、来店されるお嬢様方に触られたくないところがあったら衣装でカバーしようかなって」
「はあ、それならスカートは長い方が――」
「「え~!? だめ!!」」
まあ、そうですよね。期待はしてませんでした。
「この面接でちゃんと答えなかった分、園田さんのスカートは短くします」
「ことり!? 待ってください!」
「園田君、静粛に」
やけに真面目な顔をした穂乃果が不気味だった。
「ときに、園田君は好きな人いるの?」
「はい?」
ことりがあんなことを言ったせいで、穂乃果が調子に乗りはじめた。
困った顔でことりに助けを求めると、何を考えているのか分からない穂乃果の顔が視線をさえぎってきた。
「ことりちゃん?」
「……わかりません」
こういう時、なだめに入ってくれるはずのことりはスマホを触っていた。
「大変、園田さんのスカートがなくなっちゃう」
「短くしすぎです!?」
「穂乃果ちゃん、もう少し海未ちゃんが答えやすいのにしてあげて?」
「え~……じゃあ、この前のバレンタインどこ行ってたの?」
面接って何でしたっけ???
「園田さん? 詳しく」
「別に、絵里に珍しいチョコをもらっただけです」
簡潔に説明したら、ことりの笑顔が少しむっとした。
「はじめて聞いた。穂乃果ちゃんは?」
「あれおいしかった」
「そうなんだ、じゃあいいかな」
あの日は一日中絵里に引っ張り回されて大変だった。
「それじゃあ園田さんも採用です。
でも、当店のメイドはあくまでお嬢様方のメイドですからね?
もし特定の誰かと親しくするならちゃんと報告してください」
「はい」
「あと、海未ちゃんには宿題があります」
ことりはそう言って、一枚の紙を渡してきた。
「何ですか?」
「このお店の名前。それと、オープン記念に配るビラの文面を考えて欲しいんだ」
近寄ってきた穂乃果は、私の持つ何も書かれていない紙をのぞき込むと不満そうな顔をした。
「えー! 私は私はー!?」
「穂乃果ちゃんはこれに目を通しておいてくれるかな?」
ことりが取り出したのは書類の山。
大変だけど楽しかった、今では懐かしい生徒会での光景がよみがえる。
「おおぅ……」
「メイド社長なんだよね?」
拒否を許さないことりの顔は、やはりどこか楽しそうだった。
『Cafe Fraisier』
お店の名前ならとっくに考えていた。
イチゴの木というフランスのケーキ。それをフレジエと言うらしい。
一見、穂乃果が好きそうなだけだが、木から連想されるのは幼い頃の思い出。
私達にしか分からない暗号のようなもの。きっと、ことりもそのつもりであの練り香水を買ってきた。
大丈夫、三年離れていても私達は通じ合っている。
準備期間は慌ただしく過ぎ、ついにオープン前日。
この店の主要スタッフが若すぎることもあり、今日は練習を兼ねて招待客のみのプレオープンとなった。
「ラ ー メ ン !」
「おうどんさん!」
招待した覚えがない。
「ラ ー メ ン !」
「おうどんさん!」
なのに一番乗りで来店した、私が最も手を焼く二人がそこにいた。
「あの、お嬢様方。メニューにないご注文はお控えください」
正直、この状態の二人に絡みたくはない。ですが、これも練習の一つなのかもしれません。
「あぁん? ウチの言うことが聞けへんメイドぉ?」
「ちょーっと美人だからって調子乗りすぎじゃないかにゃ~?」
「……申し訳ございません」
とりあえず謝るのは良くないと思いますが、他になんと言えば良いのやら。
(凛ちゃん褒めんでええよ)
(え、そう?)
「メイドさん。ここどこか知ってる? 日本やよ?」
「ラーメンのない日本ぅ? 認められないわぁ」
「フランスのインスタントラーメンならございますが?」
この前、穂乃果が興味本位で取り寄せていたものがある。
「メイドさん素敵……」
(こらこら凛ちゃんトキメいたらアカン)
(うぅ、希隊長。お湯で三分なんです……)
無駄遣いが役に立つ事もあるんですね。
凛さえ挫ければいい。希は一人だと、恥ずかしくて悪ふざけできないはず。
新しいお嬢様の来店を知らせるベルが鳴ると、穂乃果が出迎えに行った。
「いらっしゃいませお嬢様ー!」
また間違えた。穂むらでの癖が抜けないのか、穂乃果はいまだに挨拶が不安定だった。
その穂乃果の後ろから、派手なピンクのメイド服を着た子が詰め寄った。
「違うでしょ! お嬢様への挨拶はこう!
にっこにっこにー。
今日もお嬢様とにこにこにー。
明日も会える魔法の笑顔。
お嬢様も~、にこっ」
「ハラショー! もういい大人なのに、さすがにこね!」
煌びやかな金髪メイドが、幼そうなメイドに精神ダメージを与えているが気のせいでしょう。
私は何も見ていない。
私が見ているのは、我関せずとばかり優雅なお茶会に勤しんでいる三人。
ことりと花陽の優しい空間。そこに真姫が加わることで華やかさが増している。
まあ、ことりはメイド接客なんて今更でしょうけど。もう少し私や穂乃果を指導してくれてもいいと思います。
まだ太陽の昇り始めた午前中。
いつものメンバーが帰って客層が変わる頃、私達はもう少し動けるようになっているのでしょうか。
願わくば……この苺の木が、陽の光に照らされて花開きますように。
あのビラのシーンがニコ生などで何回か使われてるらしいです。
何の意味もないどころか本編にない予告用のシーンだったら悲しいね。