霊夢は夢想封印の光を放つも、青娥は不思議なバリアで反射。いや、反射しただけではなく、いきなり7本の光の槍に変じて霊夢の体を容赦なく貫通、致命傷を負ってしまうのであった……。
何か胸騒ぎがしたのだ。良くないことが起きるのではないかと。霊夢が一人でオカルトボールの調査に向かうと言い出したあの時のことである。
霊夢が異変の犯人に完膚なきまでに叩きのめされてしまうのでは、途中で不幸な事故に遭ってしまうのではないか。そんな事、そうそうあり得る筈ではないのに、何故か私はこの時に限ってそう焦燥感を募らせていたのである。
その胸のザワザワが私の足を自然に博麗神社へと運んでいった。そこで私は信じがたいものを目にしてしまったのだ。
「ちょっと何よコレ!?」
幻想郷を外の世界から隔離する「博麗大結界」。よりにもよってその結界の要たる博麗神社に大きな結界の穴が開いていたのだ。向こう側に外界の景色まで薄っすらと見える有様。
言わんこっちゃない。霊夢ったら異変の解決に執心し過ぎて結界を維持することを忘れているわ。
「霊夢っ、貴方の家の結界が大変なことになっているわ? 結界よ! 結界が綻んでいるの!」
あの子は気を抜くとこうやって結界を緩めてしまう。その度に私が注意していくことになるのだ。今回もスキマを用いて私の声を霊夢の傍に送り込む。「しっかり結界を管理しなさい」というメッセージを伝える。しかし返事がない。
「ちょっと霊夢っ! 聞いているのかしら!?」
今回は結界が緩むどころか壊れてしまっている。居留守なんて使ってやり過ごそうとしているに違いない。早く閉じないと大変なことになるというのに。だが、いくら叫んでも全く反応が見られない。
「霊夢……? 霊夢っ!?」
否応なしに膨れ上がる不安感。いくら呼びかけても反応のない霊夢。さすがの私も異常だと感じた。絶対にあり得ないって思っていたのに、もしや調査の途中で本当に誰かにやられたのでは?
このままスキマに潜り込んで霊夢を叩き起こすか? いや、それはリスクが高い。もしも霊夢と敵が交戦していた場合、最悪スキマから飛び出した瞬間に手痛い一撃を喰らう可能性もある。それに私の存在はいわば切り札のようなもの。出来ることならスキマの能力を、とっておきの手段を敵に明かしたくない。
「藍、橙。出てきなさい!」
ゆえに私がスキマで呼び出すのは巫女ではなくて式達。ただただ命じたのは霊夢の捜索。もちろん私も足を使って探し回る。
霊夢っ! どこにいるの? ……ここにもいない。
霊夢っ!! もう怒ったりしないから、隠れていないで出てきて頂戴。……だけど姿を見せてくれない。
霊夢っ!!! お願いだから返事をして! 何かあったの? 困っているのならすぐに助けに行くわ! ……しかしいくら叫び声をあげても。声が空しく響き渡るのみ。
いない……いない……いない……。
めぼしい場所を回っても見つけることが出来ず、とうとう博麗神社にまた戻ってきてしまう。だが、その様子はかなり様変わりしていた。
妖怪狸と超時空戦闘機が戦っている。霊夢がいないうちに好き勝手にして……。そうしているうちにアールバイパーが勝利。オカルトボールとやらを集めきる。
直後、異変が起きた。再び結界が割れようとしていたのだ。なんてこと!? 霊夢が危惧していた異変はこの博麗大結界にダメージを与えるってことだったらしい。ボールを集めたから結界にダメージが?
まさか霊夢は外界に誘拐されたの? アイツの手で? こうしている場合ではない。私は轟アズマをスキマに閉じ込め、叩きのめそうとした。
だが、アズマには「寅丸星を救出する」というハッキリとした信念が、そのためにするべき行動にちゃんと一貫性があった。それに比べて私はどうだ? 霊夢と連絡が取れなくなり、パニックに陥って特に根拠もないのにアイツを犯人扱いしていただけではないか。
これでは勝負になる筈がない(加えてアールバイパーもあの時に比べてずっと強くなっていた)。私はあっさり敗北。結局居合わせていた山の神と蓬莱人に取り押さえられるという醜態を晒すこととなった。
藍や橙だって必死になって探しているんだ。主が式を信用できないでどうする? ひとまず私は頭を冷やすべく、スキマの中に籠ることにした。
博麗神社を揺るがす轟音に驚き、私は目を覚ます。ああ、どうやら私は疲れていたらしい。スキマの中であのまま居眠りしてしまったようだ。轟音の正体が何か確認するべく、私はスキマの外に出る。
そこには地面に突き刺さり大破したアールバイパーと、伸びている見たことのない人間の姿が見えた。周りの会話から察するに、どうやら外の世界からオカルトボールをばら撒いて幻想郷を混乱させた黒幕をあの銀翼は懲らしめたらしい。
住職サマに彼女の処遇をどうするかと聞かれたので、私は異変も解決したのだし、外界に返してあげるようにと言う。しかしその直後でマミゾウが何やら面白い計画があるから外界に返すのは少し待ってくれというではないか。
「せっかく幻想入りに憧れた少女が外から来てくれたのじゃ。妖怪集めて幻想郷流の『歓迎会』を開くのじゃ。選りすぐりの妖怪たちによる誠心誠意の『おもてなし』で恐怖一色に染め上げるのじゃよ。顔も広いのじゃろう? ちぃとばかし妖怪賢者サマも協力してくれんかのぉ?」
私は乗せられる形でこの計画に加担することになった。そうやって外来人を脅かす役の妖怪を集めようとした矢先、鬼気迫った表情の黒猫の妖怪が私の名を叫んで近づいてきた。
「紫様紫様大変です! 頼まれていた人を見つけました!」
遂にやってくれたか。流石私の式(の式)。うちの猫も何かと役に立つ。
「ごめんなさい狸さん、急用が出来てしまったの。妖怪集めは貴女に任せるわ。くれぐれも外来人を殺さないように気をつけなさいよ? 後始末が大変になるのだから」
妖怪狸と別れた私は藍を呼び出しながら自らも橙と一緒にスキマに潜る。
「よくやったぞ橙。お手柄じゃないか!」
「えへへ~♪」
呑気に戯れてる式達を咳払いでこちらに集中させると、橙にどんな様子だったかを聞く。
「博麗の巫女は魔法の森の入り口で弾幕決闘をしてました。相手はなんか青い髪をしたフワフワした雰囲気の……」
まさか相手は青娥!? 私は思わず橙の肩を強くつかむ。
「たくさんのキョンシーを連れていた?」
「(コクコク)」
「なんてこと……! 霊夢が危ないわ!」
その後も信じがたい話を橙から聞くことになる。
橙の証言をまとめると、霊夢は香霖堂付近で青娥とオカルトボールの取り合いをしていたということになる。
いつもの青娥なら霊夢の敵ではないだろう。だが、今の彼女は大きな後ろ盾を、とんでもない切り札を隠し持っている可能性が高い。
「助太刀に向かうわ。私一人でいい。藍、もしも私に何かあったら結界の管理は貴女に任せる」
二人をスキマの外に解放しようとする。だが、藍がそんな私につっかかってきた。
「待ってください紫様! 先程の物言いですと、まるでこれから死にに行くように聞こえます。そんな戦いに一人で行かせるわけにはいきません! 青娥とやらがそんなに脅威的な相手なら私達も一緒に……」
「足手まといになるだけよっ!!」
いけない、つい怒鳴り散らしてしまった。私は深呼吸をすると出来るだけ語気を落ち着かせ諭すように続ける。
「藍、今の青娥は普通ではないの。貴女をこのことに巻き込むわけにはいかないのよ。分かって頂戴。そんな心配せずとも藍だって結界の運営は出来るでしょう? 免許皆伝よ。それにちゃんと帰ってくるから、私に何かあるだなんてもしもの話なんだから。だからそんな悲しそうな顔をしないで」
藍の頬を優しく撫でながら落ち着いた口調で諭す。落ち着かせるのは藍だけでなく、私自身もかもしれない。
式達を連れて、もしも全滅してしまったらいよいよ幻想郷が崩壊してしまう。それだけは避けなくてはならないのだ。
「また会いましょう。藍、私に楯突いてくれて嬉しかったわ。主人が間違った道に進みそうになったら止める。今までの貴女に足りていなかったことよ。橙、貴方の大事な主のこと、任せたわ。ではしばしのお別れ……」
それを最後に二人をスキマの外に追いやる。これでいい、これでいいのよ。今の青娥には霊夢も勝てないだろう。あの巫女をもってして打破できない状況にあの子達を巻き込むわけにはいかない。待っていてね霊夢、すぐに助けに行くわ。
「夢想封印が、どうして矛に……?」
私は確かに夢想封印を青娥に喰らわせた。それに対してアイツはバリアを張って防御した。そこまでなら分かる。次にバリアに阻まれた夢想封印は今度は私を標的と認識して追いかけ始めたのだ。これも反射されたからと考えればまだ納得がいく。随分とえげつないバリアではあるが。
だが、一つだけどうしても納得いかないことがある。なぜ、光の球だった筈の夢想封印が突然矛の形となってこの私を貫いたのか。
どうやら致命傷だったらしく、私は地面に倒れ伏せ、随分と出血したらしいことが分かる。私からあふれ出た血で周囲は赤い池となっていたのだ。
「ほら芳香、よーく御覧なさいな。アレが貴方の新しい体よ。可愛い女の子、それも強そうな巫女さんよ。よかったわねー♪」
簪を首もとでちらつかせている。このまま私の首を切り取り、芳香の体にするつもりだ。何と悪趣味、なんと邪悪な……!
「青娥、何を……あの時一体何を使ったというの?」
今もこちらを見下しながらニタニタと不気味な笑みを浮かべる青娥。余裕綽々にこう返してきた。
「あらあらしぶとい。まだ息があったのかしら? そうですわね、このまま疑念を抱いたまま殺して化けて出てこられてもアレですので、ちょっとだけネタばらししましょう」
こちらの頭に近づいて彼女は続ける。
「霊夢、貴女ご自慢の弾幕はね……究極の光の盾に阻まれたの。その後、ご自慢の光弾がそのままわたくしの究極の光の矛となり、貴女を貫いたのですわ♪ 分かったでしょう? 貴女では決して私を屈する事は出来ないの」
私の首元の地面を簪で叩き、カツカツと音を鳴らす。少しずつ叩く場所を首に近づけながら。そうやってこちらの恐怖心を煽らせているのだ。
「じゃ、そろそろバイバイしましょうか? あの美しい胴体と、その痛みと恐怖と、そしてこの世と♪ あっははははは、死ねぇぇぇぇい、れぇぇいむぅぅぅぅ!!」
スッと簪を振り上げる青娥。アレで壁に穴を開ける要領で首を一瞬で切断するつもりだ。私は恐怖のあまり両目を硬く閉じた……。
空を切るのは簪ではなかった。だが、青娥の簪にも負けず劣らずの鋭い「何か」が私の首元をかすめたのだ。
恐る恐る眼を開けると、そこにはいつもは見せないような真剣な面持ちの紫がいたのだ。
「間一髪、間に合ったわね」
紫は青娥の手にとっさに平手打ちをし、簪を弾き飛ばしたのだ。クルクルクルと宙を舞う簪はそのまま地面に突き刺さる。そのまま紫は傷口に優しく手を当てる。傷の痛みがみるみる引いてきた。
「こうやって傷口という名の境界を塞ぐの。でも青娥はあんまり待ってくれないみたい。時間が取れないから応急処置くらいしかできないわ」
そのまま私を庇うように青娥に挑む紫。
「霊夢、致命的な傷が塞がったからって、あんまり暴れると傷口が開くから一緒に戦おうだなんて思っちゃ駄目よ? 後でちゃんとした治療をするから、ちょっと待っててね」
だけど今の青娥は普通ではない。あのことを紫に伝えなくては。ゆっくりと体を起こしながら、声を絞り出す。
「ゆか……り。気を、つけて。アイツは妙なバリアを使ってくる。下手に攻撃したら私みたいに……ゴホッゴホッ!」
駄目だ、大きな声を張り上げることすら出来ない。吐血しながら私は再び地面に倒れ込んだ。あれで伝わったのだろうか? あとは紫に任せるしかない。
「貴女は退屈させたりなんてしませんわよね?」
オカルトボールの異変が発生する前から断続的に発生していた外界の技術が流れ込むという異変、怪しいのは轟アズマか青娥といったところ。二人はグルと思っていたフシもあるが、アズマは殺意を持って青娥(正しくは彼女に化けていたキョンシー)を木端微塵にしている。
そこにどんな確執があったのかは私にも分からない。だが、アズマと青娥がタッグを組んでいた時期もあることは確実。
「もしもーし?」
それに今回のオカルトボールに関する異変についても疑問が残る。ボールを揃えたはずの<アズマが結界を破壊しながら外界に赴き、そこで異変の首謀者である菫子を懲らしめている。なのに霊夢、あるいは霊夢を撃破した青娥が何故かオカルトボールを持っていた。霊夢はオカルトボールが増えているという疑念を持っていたが、守矢神社のまがい物ではなくて本物も増殖していたことに?
「ダンマリ?」
菫子は今頃マミゾウの策略にはまり、立て続けに妖怪に襲われて多大なトラウマを植え付けられているところだろう。そう、オカルトボールによる異変は終焉を迎えている筈なのだ。だけどどうしてオカルトボールが残っている? 青娥はどうしてボールを集めている? 結界を壊す為? そんな筈はない。ボールなんてなくてもその気になれば彼女の能力で結界に穴を開けるなんてことは可能である。
「やーいやーい、妖怪スキマババア~」
霊夢が最後に口にしていた妙なバリアというのも気になる。霊夢につけられていた傷は鋭利な刃物で突き刺されたようなもの。夢想封印がどうして槍に?
「ねぇねぇ、そこまで無視されると流石に傷つくんだ……」
「今考え事してるんだから静かにして!」
とにかくこちらから仕掛けるのは不利になる。かといって何もしないのわけにもいかない。早くコイツを懲らしめて霊夢にちゃんとした治療を受けさせなくてはいけないのだから。とりあえず致命的な傷を塞ぐことと止血と消毒くらいは出来たが、あれだけではまた体調を崩すのも時間の問題だ。
「やれやれ、わたくしのバリアとやらを警戒しているようですわね。確かに攻撃されなければ何の意味も成しませんもの。さすが賢者サマ。切れ者ですわー。だけど、敵を目の前にして余裕ぶっこかれるのはなんだか癪ですわね。というわけで、こちらから仕掛けさせてもらいますわ!」
そう言って仕掛けてきた。だが、何の変哲もない黒い弾幕。こんなの私の敵ではない。彼女はベルサー艦で神子を狂気に駆らせた。ああいった切り札を使ってくるはずだ。軽くひねってやる。
「あまり手の内は見せないおつもり? でも私知っているんですよ、ベルサー艦のような外の世界の技術を色々と持っているのを」
「ベルサー艦? ああ、そういうのも使ってた頃もあったような?」
とぼけるつもりか。とにかくあの口ぶりからすると海洋生物型巨大戦艦は呼び寄せないつもりのようだ。では霊夢を倒したというバリアが今の切り札か。私も霊夢からの伝聞でしかその存在を知らないので、それをよく知る必要がある。
試しに軽く弾幕を放ってみた。待ってましたと言わんばかりにバリアを張って防御する。反射する弾幕は途中で爆ぜたのだ。
「!?」
爆ぜて白い閃光となった私の弾幕は光の矛となり、この私に向かってきた。赤い飛沫が飛び散る。どうにか致命傷にはならなかったが、なるほど、霊夢はこの矛を喰らって……。だけど突破口も見えたわ。傷口を抑えながら私は凄む。
「まさか『ゾディアック・オヒュクス(※1)』の技術を持ってくるとはね」
「やはり……気付きましたか。さすがですわ♪」
どんな弾幕も防ぐ盾に、突然反射した弾幕が光の矛になる。こんな特徴を持つのはあの機体しかない! 迂闊だったわ。どうしてもっと早く気が付けなかったのかしら。確かにあのシールドは無敵だ。たとえ幻想郷全土を焼き尽くすようなレーザーが発射されたとしても、あのシールドの前では無力になってしまうのだ。
いつでも、いつまでも展開できて、なんでも防いでしまうシールド。ただしそれは光学兵器に限った話。物理的なダメージには全く対応できないという弱点があった筈。私は青娥の真上にスキマを呼び出すと、墓石を落としまくる。
「そのままお前の名前を刻んでやる。その驕りと共に往ね!」
やはりそうだ。せっかくのバリアも実体のある墓石を阻む事は出来ず、青娥にぶつかっている。だが、これでは決定打にならない。驕り。そう、奴はこちらを完全に見くびっている。ならばその虚を突くのが最も有効である。私は再び弾幕を放った。
「墓石は弾切れかしら? 石は防げなかったけれど弾幕は全部防いでしまいますわ」
そう宣言する通り、青娥の展開したバリアに私の弾幕ははじき返される。だがそれでいい。私は隙間を通じて一気に青娥と距離を詰める。次の瞬間、反射された弾が爆ぜた。
「(にやり)」
青娥のひきつった顔が見えた。ようやくこの後何が起こるのかを把握したのだろう。それはほとんど一瞬の出来事。私を狙った光の矛はその傍にいた青娥をも貫いたのだ。肝心の貫くべき私はというとスキマの中に逃げ込んでいる。
「あが……」
「やはり、今のは『ゾディアック・オヒュクス』の閃光。またの名を……『フォトンブラスター』。その光はバリアをも貫く矛になる。それは自分自身のバリアも例外ではないって事よ」
地球に放たれた「ゾディアック」の名を冠する12機の光翼兵器たちは、前もって地球に送り込まれ、眠りについていた裏切り者の「ゾディアック・オヒュクス」によって次々と屠られていった。彼らは光学兵器を何でも反射してしまうシールドを持っていたが、無敵の盾を突き抜ける矛「フォトンブラスター」を持っていたオヒュクスには敵わなかったのだ。
青白いバリアを貫通した光の矛。スキマから脱出し丁寧に解説をする。もっとも聴いてなどいないだろう。そのまま邪仙は地面に落ち、同時に3つの球体が私の手元に舞い込んでくる。これで……よし。私は青娥から奪った3つの球体を手にする。わずかにチクリと手に何か刺さる。まったく、最後の最後まで嫌がらせをするか……ん?
「くくく……。最後に笑うのは結局このわたくしのようですわね。それ本当にオカルトボール? よーくご覧になってみては? あは、あはははは!」
急にムクリと起き上がる青娥。まさか……!
オカルトボールだと思って受け取ったもの、その一つはオカルトボールではなくてキョンシーの首であった。その鋭利に伸びた牙が私の手に思い切り噛みついていたのだ。やられた!
慌てた私は芳香の首をふりほどこうとするが、その牙は深々と刺さっておりなかなか抜けない。
「知ってますか、賢者サマ。キョンシーに噛まれたものは、キョンシーになってしまうんですわ。もう腕の感覚がなくなっているのではなくて?」
必死にブンブンと振り回してようやく芳香の牙が外れた。だが、戦慄する。痛みがないのだ。さらに芳香に悪戦苦闘しているうちに……。
「スキだらけですわ♪」
「がぁぁぁっ!」
モロにどす黒い弾を喰らってしまった。思わず私はフラフラと墜落。青娥は待ってましたと言わんばかりにキョンシーを地面から呼び出しており、私に襲わせる。
四肢が上手く動かせない今の私では逃げることも反撃することもままならない。そのまま袋叩きにされてしまう。しまった、首筋を噛まれてしまったわ。
「まあ大変! このままじゃ負けてしまうわ! どうするの、紫? 早く考えてっ! 早くしないと脳みそまでキョンシーにされちゃうわ! あっははははは……」
まずは逃げないと。しかしロクに曲がらない関節ではそれすらも困難。どうしよう、どうしよう……。駄目だ、キョンシー化のせいか、焦っているせいか思考がまとまらない!
「な、ナメるじゃないわよっ!」
渾身の一撃。全方位に魔力を拡散させる。弾幕というにはあまりにも下品なもの。それでゾンビどもを再び土に還してやるには十分な威力が出せた。だが、もう限界だ。ここまでキョンシーに引っかかれたり噛みつかれたりしたのだ。さすがの私も耐えられない……。
焼けるように体が熱い。だというのに内臓は、その体の芯は凍える程に寒い。無数の切り傷は熱せられた鉄の棒で抉られたかのように痛み、起き上がろうにもまるで見えない枷が我が身を縛っているかのように体の動きが鈍い。
ああ、私は負けたのだ。力では圧倒的に優勢だったのに、心で負けてしまった。そうだった、私の無二のパートナーは無茶ばかりするどうしようもない人間だったわ。あの子を庇う為に、私はあの子にされるはずだった仕打ちを受けた。
あの子? あの子の名前が出てこない。生意気ばかり言うくせにぐうたらで、そうかと思ったら確かめもしないうちに異変が起きればすぐに飛び出す。私の可愛い可愛い……。
関節のぎこちなくなった腕を伸ばし、泣きじゃくるあの子の頬に手を伸ばそうとする。
あと少し、あと少し……。真っ赤な大きなリボンをつけたどうしてだか、脇を露出させた奇妙な巫女服に身を包んだ……、ああなんてこと! こんなにも大切で愛おしい人なのに、名前が、名前が出てこない。
恐らくは脳にまでダメージが到達しているのだろう。もはや関節は固まってしまい、自由に曲げることもままならない。だめ、このままでは自我をも失ってしまう。
「ゆかりー! しっかりしなさいよー! ゆかりー!」
ああそうだ。巫女が騒いだいる通り、私はゆかり、誰よりもこの幻想郷を愛する八雲紫。自分の名前すら忘れかけていた。伸ばした私の手、その親指でこの子の流した涙を拭う。柔らかい、瑞々しい頬……。食べてしまいたい……いけないいけない。これ以上ここにいてはあの子を傷つけてしまう。そうする前に……。
私は誰も傷つけたくない。私の為に涙を流すこの子はなおさら。だから私はスキマへ避難することにした。もはや能力を行使するのも限界なようでスキマの淵が不安定に揺れ動いていた。よかった、間に合って……。境界を維持できている間に私はその身をスキマの中に投げ入れる体勢に入る。
「アイツは一人でどうこうできる相手ではないわ。私も傷が癒えたらきっと加勢する。だから泣かないで、決して激昂しないで。今は逃げなさい。そして、この幻想郷に希望をもたらす『エース』を頼りなさい……。れい……む、しばしのお別れ……よ」
ああ霊夢、この子は霊夢。涙を拭った指が離れ我が身がスキマへ吸い込まれるその時に、この子の名前を思い出した。
だけれど、今は愛おしい霊夢と一緒にいるわけにはいかない。愛おしい、大切な存在だからこそ……。
私は最期の力を振り絞り、何とか開いたスキマの中に身を投じた。
半ば肉体がキョンシー化していた紫は私に危害を加えまいとスキマに逃げ込んだ。その直後にスキマはその境界を維持できなくなり瞬く間に消えてしまった。
その様子を見ていたのは今もスキマ妖怪の名を叫ぶ私のほかにもう一人。そう、先程まで戦っていた青娥もいるのだ。
「くくく……あははははは! 八雲紫は今まさに死んだ。いいえ、生きてはいるけれど、本当に死んだ方がまだ幸せだったかもしれないわね」
狂ったように高笑いをする邪仙を涙で潤んだ目でキッと睨み付ける。ヨロヨロと立ち上がりながら。
「どういうことっ!? 紫はいずれ戻ってくるわ。その時こそ貴女の命日よ!」
そんな真っ直ぐな姿勢を最初は驚いていたものの、すぐにカラカラと笑いながらのらりくらりとかわし始める青娥。
「あらあら、まだ立ち上がるだけの力が残っていたのね。さすがよ♪ それにしても、何を言い出すかと思ったらとんだ幸せモンね。いいわ、何が起きたのか説明しましょう。スキマ妖怪は自らがキョンシー化しかけた状態で本人しか操れないスキマの中へと逃げ込んだ。他でもない貴女に危害を加えないように……と」
ビシと櫛で私に向けながら続ける。
「あの傷だとスキマの中で完全にキョンシーになってしまっているでしょう。キョンシーとなり、能力も自我も失ったデク人形はもはや誰もコントロールできないスキマの中で永遠に漂うことになるの」
スススと音もなく私に近寄るとトドメと言わんばかりに大声を上げる。
「ああ可哀想! 紫は自我を失った自分が貴女を襲わないようにとスキマに逃げ込み、そもそも貴女へ向けられた攻撃から庇ったからあんなゾンビーな姿になってしまった。すべては博麗霊夢を守る為……ですって。深い深い愛情が感じられますわねぇ。くすくす……」
「せいがぁーーーー!!」
私にしては随分と我慢した方だ。これだけ言われて黙っておくほうが無理な話である。お札、針、陰陽玉とデタラメに投げつけていくが、冷静さを欠いた状態では、何よりも傷口が完全に塞がっていない状態ではまともに戦えるはずもない。すぐに吐血して膝をついてしまった。
「さっき一人で挑んで負けたことをもう忘れたのですか? わたくしを傷つけようとすればするほど傷つくのは……自分自身だというのに!」
それは確かにそうだ。だが、闘志は違う。あんなバリア、あらん限りの攻撃を当て続ければいずれ壊れてしまう。だが、そんな私の期待むなしく、全てが反射されてしまった。そしてその後に待っているのは……。
「がはぁぁぁ!!」
前よりも何倍も何十倍も多くの光の矛が私の体を貫いた。だが、こんなことで負けるわけにはいかない。倒れてもなお起き上がる。今度こそあのバリアを……。ギラギラとした眼光で青娥を睨みつけ続け、呪いの言葉を吐く。
「絶対に、絶対に許さない。アンタ、だけは……絶対にっ……!」
しかし体がついていかない。私はついに力尽きたようである。再びドウッっと血の池に突っ伏してしまった。
後には青娥と首だけになった芳香、そして満身創痍となった霊夢のみが残る。
「口では何とでも言えますわね♪ さて、邪魔者も居なくなったことですし……。芳香、新しい体よ」
だが、フォトンブラスターを受け過ぎた霊夢の体は先程よりも穴だらけになってしまっていた。芳香もなんか気だるげだ。
「いらないぞー……。弱っちいし、穴だらけで汚いし」
「あらまあ、それもそうですわね。やっぱり串刺しはマズかったかしら? えっと、それじゃあもっと綺麗な体を探しましょうね♪」
「わーい!」
首だけになった芳香を抱えながら、青娥は魔法の森入り口を立ち去っていった。
「まあ、芳香の新しい体は手に入らなかったけれど、厄介者二人を黙らせたのだから、いよいよ『計画』も大詰めってところね♪」
霊夢が完全に気を失ってしばらく後、香霖堂に張り付けられていたお札がペラリと剥がれる。封印を施した者が気を失ってしまったからだろう。その扉からは勢いよく霖之助が飛び出してきた。
「急に見えない力で首を絞められるわ、ドアが開かなくなるわで……。霊夢、一体何があったん……霊夢? 霊夢っ!?」
血まみれになって倒れている霊夢を見つけて血相を変えて駆け付ける香霖堂店主。頬を叩き意識の有無を確認するがまるで反応がない。次に心臓に耳を当てる。弱弱しいながらも鼓動しているのが分かった。
「まずは蘇生薬だ。ええっと確かこの辺に……」
ガラクタをかき分け目当ての薬を探すがなかなか見つからない。
「駄目だ見つからない。心臓マッサージか? だが、素人がやって上手く出来るものでもなし、そもそも霊夢は呼吸をしていたか?」
慌てふためきながらとりあえず止血だということで包帯を取り出して霊夢の傍に寄る。そこには背の高い九尾の狐がやはり愕然とした面持ちで立ち尽くしていた。
プツンと何かが切れる感覚を覚える。これは私達式神が感じるもっとも忌み嫌うべき感覚。主を守り切れなかった式失格の感覚。それをハッキリと認識できてしまったのだ。私は直属の式だからすぐに分かった。紫様との繋がりが切れたことが。あの戦いで紫様に何かあったに違いない。
やはり紫様はあの時死闘に赴き、そして今はもうこの世にいないのだ。どうしてもっと強く引き留めることが出来なかったのかと自分を責めながらも、直前まで紫様がいたと思われる場所に私は引き寄せられていった。
最後に確認したのはこの辺りだけど……。
「そんな……そんなまさか! 博麗の巫女までもが……」
なんということだ。紫様に続いて博麗の巫女までがやられてしまったのか。そうしているうちに気を失った血まみれの霊夢(と傷の手当てをする香霖堂の店主)の姿を発見する。橙は藍の後ろで目を覚ますようにと声をかけ続ける。
「おきてー!」
しかし、かなり手厳しくやられたのか、霊夢は目を覚ます兆候を見せない。
「どうしよう……。お医者さんを呼ぶ?」
「そうだな、橙の言う通りだ。まだ辛うじて息はある。だが、すぐに最良の医療施設で適切な治療を受けないと恐らくは……。永遠亭だ、そこへ向かおう」
うむ、橙や彼の言い分は至極真っ当だ。だが……。
「いいやダメだ。紫様が行方不明な上に霊夢までこんな状態であることが明るみに出たらきっと幻想郷の人々は混乱してしまうだろう。二人とも博麗大結界と密接な関係を持っているからな」
「体裁を気にしている場合ではないよ。博麗の巫女に万一のことがあったら……」
「うう、返す言葉もない。では永琳には内密にと伝えるか。ああもちろん君もこの件については他言無用だ」
私は空を見つめる。
「高高度を通って永遠亭に向かうぞ。橙、ついてこれるかい?」
元気よく「もちろん!」と返事をした我が式は小さい体でよいしょっと紅白の巫女の体を持ち上げる……が、流石に一人では重たいらしく、ヨタヨタとよろめいてしまう。慌てて藍が霊夢の腕を取る。そのままふわりと浮かび、竹林へと向かっていった……。
「(博麗の巫女に万一のことがあっては大変だ。どうにか息を吹き返してくれればいいが……)」
ああ、スキマの中ね……。霊夢は無事に逃げ切ったかしら? 藍は私なしでちゃんとやっていけるのかしら? それにアズマは……。
心配事は尽きないけれど、もうマトモに体も動かないわ。なんとかキョンシー化を抑えて外に出なきゃだけど、時間がかかるわね……。
霊夢、本当に逃げたのかしら? 昔から無鉄砲な所があるしもしかして、また戦い始めて傷ついているのでは……? だけど今は様子を見ることさえできない。霊夢、今度あの時のように負けてしまったらもう誰も助けてくれないのよ?
はや……く、もどら……な……と……
…………
……
…
3つのオカルトボールを前に青娥は肘をつきながらじっくりと調べている。
「やはり、このボールだけは幻想郷で作られたものですわね。その目的は……なんて忌々しい!」
ボールのうちの一つに簪を突き刺す。オカルトボールにひびが入り粉々に砕け散ってしまった。
「やはり、幻想郷の物質なら、わたくしを否定するようなこともないわけね。さて、こんな小細工をしたところで運命からは誰も逃げられない。誰も目を逸らせない。ねぇ、そうでしょう?」
一人愉悦に浸る邪悪。そしてそんな彼女を無言で瞬きもせずにじっと見つめ返す大きな影。
「相変わらず愛想が悪いのね。そんな顔ばかりしていては折角のいい男が台無しですわ? まあ賛同しているってことは分かったからいいけれど」
今も無表情な大きな影にもたれかかるように、青娥は人差し指でツンツンとつっつく。
「厄介者二人も消えて、遂に私達の『計画』が最終局面を迎えたのよ。素敵な、素敵な『計画』のね。あっははははは……!」
邪悪は高笑いを続ける。いつまでも、いつまでも。
変革の時は近い……!
(※1)ゾディアック・オヒュクス
「RefleX」に登場した自機。この中に封印されていた「オヒュクス・コア」が覚醒した状態であり、ほかのゾディアックと冠する兵器と同じく光翼を携えている。
光学兵器なら何でも無力化したり反射してしまうバリアを無限に張ることができる上に、反射した弾をバリアすら貫通する光の槍(フォトンブラスター)に変えてしまう能力まで併せ持っている。