写し鏡が砕けるまでに 作:マーブルカラー
日差しが眩しい。
色素の薄いボクの瞳にとって、あの光り輝く恒星はとても刺激的だ。見下すようなその光線を手で遮り顔の上に影を作る。
──ああ、顔に当たる風が心地よい。素直にそう思うし、目の前に広がる草原を見れば心癒される。でも、きっとそれは、ボクが憂鬱ではないという前提条件があって初めて成り立つものだ。
助手席の車窓を開けて自然を眺めていたボクは運転席にいる存在をちらりと盗み見る。そこにいるのはたぶん美人さん。目を引き付ける金の髪や赤の瞳、それをまとうのは見事なプロポーションを獲得するのに至った妙齢の女性。世の男性なら一度は淡い気持ちか醜い欲望を抱いてしまうような、あるいは抱かせてしまうような魔性。
でも、ボクにとってはどうでもいいこと。そう、とてもどうでもよいこと。ましてや、齢を十と二年しか重ねていないボクには関係のないこと。
──だから面倒だと思った。
いっそその魔性に騙されれば楽になれた。きっとその母性にほだされれば喜になれた。だけど現実のボクはそのどちらでもない。曖昧な憂鬱の中で揺れている。
彼女が、時空管理局の執務官フェイト・T・ハラオウンが辺境も辺境の村にやって来たのは突然だった。いいや、あれもある意味では必然なのか。それでもいつの間にかボクが彼女の庇護下にいたのは、彼女にとっては必然だったのだろう。それに対して微かな抵抗しか見せなかったボクは、たまたま体調が悪かったという偶然だ。
つまり彼女はそういう人間で、ボクはこういう人間だ。
「──それにしても」
沈黙を崩すようにひとしずく。ボクはきっと唐突に口を開いた。
「あなたはとても物好きだ」
特に聞かせるつもりはなかったし、特別な反応も求めていなかった言葉は、それでも彼女は耳聡く聞いていたようで、微笑みを向ける。
「よく友達にも言われる。私ってそんなに物好きに見えるかな?」
「そうですね……」
彼女の微笑みに、こちらも表情筋を動かして微笑を作り応える。
「物好きというより好き者だと思いますよ、個人的に」
「さすがにその返答は予想できなかったかなぁ……」
苦笑を浮かべる彼女は、それにしても容赦ないねと続ける。その言葉を聞いたボクはとてもいい笑みができたと思う。
「ええ。あなたは言いました、家族になるのだから遠慮なんていらないと。ならばボクはあなたに遠慮なんてしませんし、あなたもボクに遠慮する必要はありません。きっとそれがあなたの望むカゾクのカタチだと理解したからです」
あの日、ボクの前に現れ、保護者となった彼女。そこに恩義を感じることはなかったし、家族に特別な意味を見出すこともなかったが、きっとそれは善いことだと思ったから。だから彼女が喜ぶと思ったことは言ったしやった。そして彼女の笑みを見たボクはそれが正解だと思った。
「うん、私も遠慮して欲しくないから嬉しい。そうだね、私達は家族なんだから。──でも私は好き者じゃないからね?」
それはきっと優しい笑み。そう思うことにしたし、それ以外は考えない。うん、考えない。今はただ、頭の上へと現れた優しい感触に身をゆだね、目を細める。彼女の掌が動くたびに揺れる白い髪は、たぶん幸せを感じている。
──ジリ。
「……っ」
こめかみの辺りに感じた違和感に顔をしかめる。そしてそれが何を意味するかも理解する。ボクにとってはなれたことで、彼女にとっては初めてのこと。
ボクの方を見て驚いた様子の彼女は微か唖然とする。それに対してボクは──
「大丈夫だよ、
片手運転とよそ見運転をする彼女に注意する。フェイトがミスをするとは思わないけど、私は落ち着かせるように言う。それはたぶん、つい先ほどまでフェイトが浮かべていた暖かな笑みで、優しげな声の言葉だ。
私はフェイトに撫でられた
「初めて見たけどそれが君の力、いや性質」
驚きから立ち直った彼女の言に頷き肯定を示す。
つまりこの変化が、
「少し、フェイトに
私は『私』に侵食されつつある『ボク』を意識し、表層へと連れ戻す。そうすることで髪の色も瞳の色も肌の色も声も性格も、『ボク』へと戻っていく。金は白に、赤は月白へ。そしたらそこにいるのは『ボク』であるはずだ。
「ほら、大丈夫でしょう」
言ってそこにいるのはきっとませた子供。混じり気のない純白に染め直された無垢がいたずらっ子のように笑みを作る。それを見た彼女はどこか安心したようだったのは、ボクの気のせいだったのだろうか。
「そういえば君はまだ力の制御ができてないんだったね」
「制御ができない、というより感度が高いんですよ。白は簡単に穢せる。そういうことです」
当たり前だが感度が高いなんて言葉は比較対象がなければ使えない。つまりはそういうことで、ボクが特別だということだ。
「管理局についたら制御用のデバイスを作って守らなくちゃね。そうすれば君の負担も減るだろうから」
その言葉を聞いて、彼女の観察眼を素直に賞賛する。見せないようにしていたけど、彼女にはボクの微かな疲労がわかったようだ。原因は心拍数の増加か、はたまた頬を伝う一筋の汗か。
「それはとてもありがたいですね。こればかりはボクじゃあどうしようもありせんでしたし」
内心の動揺を隠して感謝を述べる。感謝を述べたはずだ。そこに気持ちがこもっているかは別として。
だって、やっぱり、そうだろう?
今さっき、彼女が放った一単語、『管理局』という言葉、その意味がボクの心に波紋を作る。何故なら、それは彼女の後ろに『管理局』という組織があって、ボクの保護も彼女の意思もあっただろうが、そこに『管理局』の影が否が応でもつきまとう。だから彼女がボクを
それに『管理局』という田舎者のボクでも知っているような大組織。そこにあるのが完全な善なんて思えるわけがないし、きっと清濁が気持ち悪いくらいに混ざっていると想像できる。それは魔女の鍋の中身よりもおぞましいと思う。
だから──だからボクは思い出す。ボクの一族がどういう存在かを。古代ベルカの時より、奇跡的に、あるいは意図的に続いてきたこの系譜を。
きっと
「…………」
そのときボクは顔に影を作ったんだと思う。何故なら心優しい彼女が心配そうな視線を向けてきているから。それでもソレを尋ねなかったのは彼女の良心か、それとも全く別の何かか。でも、ボクはそれをありがたいと思ったし、聞かれなかったことに安心を覚えた。
「そういえば……」
彼女か
「そういえば私達は家族なのに、まだ名前で呼び合ってなかったね」
あまりにも唐突な話に……いや、思い当たることはあった。先ほどボクが変化したときに、ボクは彼女をなんと呼んでいたか。そう、確かボクは『フェイト』と呼び捨てにしていたはずだ。それは他人行儀に『あなた』などと呼んでいたボクとは違った。それが彼女の琴線に触れたのだろう。
「それじゃあ改めて──」
そう言って彼女は話を進める。
──ああ、ちょっと待って。まだボクは彼女をどう呼ぶか決めていない。フェイト、フェイトさん、フェイト姉さん、選択肢にしたって沢山ある。だからもう少し考える時間を。
などというボクの心の叫びは聞こえるはずもなく。
「これからよろしくね──ハンス」
「こちらこそ──フェイト」
考える時間ないから呼び捨てになってしまった。別にこれでいいとは思わないが、そう呼んでしまったのだからもう遅いのも確か。
そう呼んで、少し照れくさくなる。少し顔の温度が高くなった気がする。誰かがくすりと笑った気がした。ボクは彼女の、フェイトの視線から逃れるように外の景色に顔を向ける。しかし、期待した緑の自然はなく、もうそこには文明があった。
ボクが住んでいた場所が田舎ならここは都会。それでもここはまだまだ都会の外円もいいところなのだろう。
だからボクは憂鬱だ。大きな不安。でも、それでも、ボクはフェイトから小さな幸福を貰って、それを少しの勇気に変えた。
きっと大丈夫ではないんだろう。けれど、それは決して今が幸せではないということにはならない。先にあるのが不幸でも、今が幸せならそれでいいかな、いいんだろう。
そしてきっと今日、ハンス・シュピーゲルはフェイト・T・ハラオウンの家族となった、たぶん。
たぶん続かな……どうしよう?