その夜、夢を見た。
春も終わり梅雨に入った、雨が続くある蒸し暑い夜だった。
茜は部活からもどり、一刀に誘われ共に道場で汗を流した後、自宅の自室にいた。ふと、気配に気づき、寝転んでいたベットから降りた。眼をこらして気配のする方を探った。すると目の前に人がいた。それも一人二人ではない。大勢がそこで群れていた。
皆そこで椅子に腰掛けたり、床に座り込んだり、寝そべったりしていた。
やがて、皆の顔がはっきりし出すと、茜はこれは夢なのだろうと思った。
一人一人の顔に見覚えがあった。皆、劉璋様に使えていた頃のように、のんきそうな顔をしていた。
その横では、李厳が胡坐をかきながらぼんやりと茜を見ている。
その他、何人もの同士がいた。
(…最近、よく昔の夢を見る。己はまだ未練があるというのだろうか。)
茜は、ベットのふちに腰掛け、そう思った。
「どうかしたのか。」
桔梗が、茜に言った。
茜は無言で
「…紫苑、相変らず璃々と仲が良いな。」
「親子ですもの、当然よ。」
と、紫苑は膝の上の璃々を覗き込み「ねー」と笑い合う。そうかと茜は薄く笑った。
皆、本当にあの頃のままだな、と茜は思った。
思えばあの動乱の時代にあっても蜀という僻地とあってか、多くの臣下が怠惰な生活を送り、崩れゆく蜀の屋台骨の「威信」をこれだけの人数で支えてきた。それが民にとって吉だったのか凶だったのかは、今となっては茜にもよくわからない。それでも、やはりあの頃は楽しかったと、そう思える自分が今もいる。
しかしそれでもやがて彼女らは疲れた、凡庸といわれた君主の下、蜀といわれる国を維持しつづけることに。
それで当時から名君と誉れ高かった劉備に蜀の未来を託した。
茜はこの事態を罵倒すべきであった、だが皆が疲れ心にみずみずしさを失っていたのを知っていた。疲れて、心がカラカラに枯れ果ててしまっていた。
だがら、凡庸な主君を捨て、劉備へと走った連中を責める気は今も昔も茜にはなかった。皆がそれぞれに蜀の未来を考え行動した結果、敵味方に分かれた。ただそれだけの事であろう。
だがそれでも、そんな
(一度、主と定めたならば最後の最後まで忠節を尽くすのが武士の本懐ではなかろうか。)
桔梗には劉璋を見限る理由があった。紫苑には己が忠義を尽くすより守りたいものがあった。焔耶は使えるべき本当の主君を劉備に見出した。皆それぞれに理屈があった。
だが『張任』という武将には理屈などない。ただ主に対する忠義があるだけであった。
茜はそんなことをぼんやりと考えた。
「茜よ、何やらまた小難しいことでも考えておるな。」
桔梗が酒から口を離し、皮肉がかった口調で、そんな、ことを口にした。
「…そう見えるかね」
と、鈍い表情で言うと、桔梗は頷き、
「お主は存外顔に出るからな。そんなしかめっ面をしてれば、誰でもわかるさ」
かかかっとからかうように笑うと、再び酒に口をやる。
茜は、そうかねと呟くと一層顔を顰めるようにし黙りこくった。茜という女性の拗ねたときにでる癖のようなものである。紫苑のほうを見ると少し困ったような顔をして此方を見ていた。焔耶はまだ刀の手入れを続け、李厳は何時の間にか他の皆に混ざって談合しているようだった。
「それにしても、」
と茜は思う。普段は茜として生き、張任であった頃の事は割り切っているはずなのに、こうして未だに皆のことを夢にまで見るとは
(人生とは夢の中の夢のようなものか)
陳腐な思想だが、今の茜には生臭いほど実感で湧き上がってきている。かつて生きた張任としての生涯は、夢のように過ぎ去ってしまった。
貧しい幼少時代をすごした故郷でのこと、文武を認められ益州の従事となった日のこと、劉備の侵攻、同胞との離別、主の降伏、雒城での戦い、敗戦そして死…それらのいくつかの情景は、まるで芝居のように嘘めいた色でしか、もう浮かび上がってこない。
(夢のようなものだ、今の世も、過去の世も)
と、茜は思った。
茜は回顧するような自分の思考を振り払うように首を振るともう一度皆を見た。皆薄く笑いながら何かを言ったが、もう茜には聞き取れなかった。
……………。…………。……。…。
――――寝返りを打ってベットの上に起き上がった。稽古着のまま、まどろんでいたようであった。
(夢か。――)
茜はベットから起き上がると部屋の中をうろうろと歩き回った。確かにたったいま桔梗が座っていた椅子がある。さらに紫苑が座っていた床の辺りに茜はしゃがんだ。
そっと床を撫でた。
妙に、人肌の温かみが残っていた。
(紫苑め、来ていたのかな)
茜はそこに座り込むと、紫苑がしてた格好とそっくり真似てみた。
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梅雨も終わり、夏になった。
道場では相変らず竹刀を振るう茜と一刀の姿が合った。
「それにしてももうすぐだな。」
茜に並び素振りをしていた一刀が唐突にそう言いだした。
「…何がだ。」
「決まってるだろ、修学旅行だよ。」
ああ、何かと思えばそんなことかと、ジト目で見る茜気づかず、一刀は振っていた竹刀を下ろし興奮気味に詰め寄って来る。
「何だよその冷めた反応。茜は楽しみじゃないのか?」
「楽しみじゃないわけではないが…そこまで興奮することでもないだろう。」
そう言って休めていた素振りを再開させる茜に対し、「判ってないなー。」と両の手のひらを上に向け、肩まであげるとやれやれと言わんばかりに首を振る。
「…何が言いたい」
少し不機嫌そうな顔でそう言う茜の目の前に指を一本突き出すと、満面の笑みを浮かべた一刀が道場に響き渡るように弾んだ声でこう言った。
『今年の修学旅行の行き先は、海外…それも中国なんだぜ!』
誰か文才を分けて下さい…。