――――あの日、張任が最後に雒城の城門を出たその日の朝は、まだ天地は暗かった。空からは何時の間にか降り出した雨が、大地に激しく降り注いでいた…。
張任は馬上。
従うはわずか五十人。張任の配下の中でも最強といわれた古参の部下、最後まで張任の元にと残った同胞である。
対するは劉備軍精鋭が五万人、率いる武将も馬超、張飛に趙雲、魏延、黄忠そして厳顔と一騎当千の猛将揃い。
この無謀さは、実の所張任自身が驚いていたが、張任は、すでにこの日、この戦場を境に先に逝った同胞のもとにゆくことを心に決めていた。
もう数日うかつに生き延びてしまえば、戦うことすら出来ず、降伏者となりうることは自明だったのである。
(降りたい者は降れ、己はいまさら劉備などに降れるか。)
と、思っていた。出来れば蜀最後の武将として敵陣深くまで斬り込み、屍を前へと向けたまま死にたかった。
張任は白刃を肩にかつぎ、馬上で凄まじく指揮を執りながら戦う。だが、戦勢は当然のごとく非であった。
次々と部下達は討たれ、自軍が崩れるのを支えるのが精一杯。
張任はもはや突撃しか手がないと見た。幸い敵左翼からの弓射が途切れたのを見て、兵を振り返った。
「己は敵本陣へといく。おそらく雒城へは再び帰れまい。世に生き
というと、隊伍も組まず敵の本陣へと吶喊を開始した。
張任は、敵の頭上を飛び越えるようにすると片手に持った白刃で敵を左右になで斬りにするように進んでいく。まるで鬼としかいいようがなかった。
そこへ左右から馬超、張飛が率いる一軍が後方からは黄忠や厳顔の隊が駆けつけるや、かろうじて残った部下達が一気に崩れ去る。
これ以上は進めない。
が、唯一騎、張任だけはゆく。悠々と白刃の中を進んでいる。
それを部下が追おうとしたが、敵軍が壁となり一歩も進めない。
みな、呆然と張任の後ろ姿を見送った。味方だけではなく敵軍の兵士たちも、白刃の中悠然と進む敵将の姿に気圧されたか、誰も近づかず、剣を向けることさえ一瞬忘れた。
張任は、ゆく。
ついに戦場を抜け、敵本陣まで迫ろうとしたとき、部下を制した厳顔達が戦場から駆けてきた。
馬超が張任の前に立ちふさがる。
「張任あんたの部下は制した。もはや残ったのはあんた一人だ。ここで戦っても勝ち目なんか無いのはあんたにもわかるだろ?無駄な足掻きはやめて武士らしく潔く降伏しな。桃香様はあんたを高く買っている、無下にあつかったりはしないはずさ。」
「降伏?」
張任は馬の歩みを緩めない。
「可笑しなことをいう、己の意思はすでに伝えたはずだ、己は
張任は馬腹を蹴って加速する。
「斬り込みにいくときのみよ!」
加速した勢いのまま、張任は刀を正面の馬超に叩きつける。
あ!との声を上げ馬超がそれを槍でなんとか受け止めるが、体勢を崩し馬から落ちそうになる。
が、それに追撃をかけようとした張任の刀は、横合いから突き出された張飛の
その間に体勢を整えた馬超は厳顔や黄忠と共に張任の周囲をぐるりと囲む。
張任はゆっくりと首をまわし、ぐるりと周囲を見回したあと、ゆっくりと駒を進め始めた。
「いま申した通り、己は劉備を斬りにゆく。邪魔するならばそれも斬り捨てるのみ、だ。」
いざと一声かけると張任は再び馬腹を蹴って突き進む。口元を僅かに歪めながら。
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「――――おい、あかね、茜!」
はっと誰かの声で眼が覚めた。目の前には心配そうに此方を覗き込む幼馴染の顔が。
「うなされてるから心配したぜ。大丈夫か?」
言われて額を拭ってみれば、ずいぶんと汗で濡れていた。ああ、また昔を見ていたのかと思うと茜にはそくそくと迫るような感慨が沸き起こってきた。
あの頃の事に未練があるわけではない。そのはずだと割り切ってるはずなのに、この頃妙に夢に見る。そしてその夢が、思い出すには余りに生々しすぎるからであろう。
一刀は何やら沈黙に没してしまった茜を引き戻すべく、自身が飲むべく買って置いたペットボトルの茶をさしだした。
「とりあえずこれでも飲めよ」
茜は黙ってそれを受け取り、一口飲み、暫く考えてからぐっとあおるように一気に飲んだ。
「落ち着いたか?」
「ふむ」
夢から覚めたように顔を上げ、
「ああ、ありがとう」
と、ハンカチを取り出し、額の汗をもう一度拭った。
そうして置いてから、ふと未だ此方を心配そうな顔で覗き込む幼馴染の顔を見て今の状況を思い出す。
(確か己は修学旅行の為、空港から飛行機に乗っていたはず、その機内でつい転寝をしてしまったのだろう。まあそれは良い、が)
茜は、目をすえた。もう一度一刀の顔を見ると小首を傾げて此方を見ていた。
(なぜこいつが隣にいるのだ?)
確かに一刀とも同じ機内にいたが、クラスは別で当然席なども離れていたはずである。
それが何故当たり前のように己の隣にいるのだろうと茜は眉を顰めた。
「なあ、一…北郷」
「うん?」
「何故お前がここに座ってるのだ。ここは確かうちの委員長の座席だと思ったが?」
不審である。確か決められた座席では、茜の隣には小柄な同級の委員長(女子で珍しく一刀に好意をもってない)が座っていたはずである。それがいつの間にやら、この能天気そうな顔で此方を見てくる幼馴染に取って代わっていたのだ。
「ああ、離陸してから暫くは皆大人しく決められた席に座ってたけど、今はけっこう好き勝手に席移動してるぜ」
そういわれ周りを見渡してみれば、確かに周囲なぞ見慣れぬ顔がぽつぽつと座っていた。
一応は名門といわれている我が校の生徒がそれでいいのか、教師は何故注意をしない、など茜は頭を抱えたが、それよりも問題なのはこの阿呆が隣に座っていることである。これではまた周囲の女子共から要らぬ誤解を生むのではないかと、視線を周囲に張り巡らしたがどうやら皆、修学旅行、それも多くの者が始めての海外ということで興奮してるのか、特にこちらを見ているものはいなかった。
「それより見ろよ、茜!!」
そんな茜の葛藤を知ってか知らずか、一刀は興奮を隠せない様子で茜に詰め寄る。
「…なんだ、そんなに慌てて?!」
「そら中国だ、中国大陸が見えてきたぜ」
そういって窓の外を指す一刀に釣られて見れば、その眼下に確かに広大な大陸が広がって来ていた。
気づけば周囲の皆も近くの窓へと顔を寄せている。
「やっぱりこう見ると広いな。いかにも大陸って感じだぜ」
「…ああ、そうだな。」
瞳を輝かせながら眼下に広がる光景を見入っている少年を横目に、この地に広がる荘厳さをみていた茜だったが、何故かそこには郷愁のようなものは沸いて来なかった。
(ここ最近、妙に昔のことを夢にまで見るようになったからこの目で実際見たら、懐かしさでも浮かぶかと思ったが…実際はこんなものなのか)
茜は苦笑いしながら窓の外から目を放し、深く席へと座りなおすと静かに目を閉じるのだった。
それから一時間余りたったろうか、聖フランチェスカ学園の修学旅行生一行は、成都双流国際空港に降り立っていた。
―――成都
今更言うまでもない事だが、かつて張任達が仕えた劉璋が牧を勤めていた益州の都があった場所である。
「うう~ん、やっとついたね、長かった~なっと」
「ほんと、ほんと。ずっと座りっぱなしで肩こっちゃったよ」
「うう、お腹減ったよ~。御飯まだ~?」
「あんた機内食とか、あれだけ食べてまだ食うとか、どんだけよ」
と、茜の後ろで女子達が固まった体をほぐすように、背を伸ばしたり肩をほぐすなどしながらはしゃいだ様に声をあげていた。
(成都だな)
さすがに茜も感無量である。
もちろんここは記憶にある過去の成都の面影などまったく残しておらず、その風景は郷愁を引き出すような物ではなかったが、それでも成都とはかつて己の忠義の全てを捧げた主に最初に出会った場所。いわば、武将・張任の発祥の地といっていい。
「ほら、騒いでないで、クラスごとに整列しなさい。点呼を取ったらバスでホテルまで移動しますよ」
と、いつまでも騒がしい生徒達を諌めるように学年の主任たる老教師が手をぱんぱんと叩く。それに従うようにそれぞれの担任の下へと移動する生徒達。
茜の側にいた一刀も、また後でな、と一言かけてから自分のクラスへと駆け寄っていく。
「それでは皆さ~ん、集合ですよ~、ちゃっちゃと移動してくださいね~」
クラス委員長の掛け声の下、茜もクラスの皆に混ざりながら移動を開始した。
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うららかな秋空の午後だった。
成都の町並みは観光客などで、人があふれかえっていた。
修学旅行二日目、茜達は成都にある寺院などの観光名所を周っていた。
諸葛亮や劉備を祀った『成都武侯祠』と呼ばれる祠堂を見たときには、さすがに複雑な心境を隠せなかったが。
「うわーっ!すごい人出ですねぇー!」
茜のクラスの委員長が驚きの声を上げた。そのまま大きな目を見開いたまま、辺りをきょろきょろと見回している。
「もう委員長ったら、はしゃぎすぎ、少しは落ち着きなよ」
そんな委員長を微笑ましげに見ながら声をかけたのは、クラスでも派手好きで有名な女子であったか。
「だってしょうがないですよー私海外初めてですもん」
委員長は目を輝かせながらあっちこっちへと視線を動かす。
「ね、茜さんはどうです?楽しんでますか」
委員長が茜の袖を引きながら楽しげな声で言う。
この同年代と比べて少し小柄な委員長は、普段周りから孤立しがちな茜を心配してよく世話を焼いてくる、茜のことを名で呼ぶ数少ない同性の友達である。
「…ああ、それなりに楽しんでる」
茜は楽しげなクラスメート達の手前そう答えたが、実の所人混みが苦手なため、少々うんざりしていた。
先ほど周った成都武侯祠に飾られていた、劉備達の像をみたのも多少の原因であろうか。
(確か集合時間まではまだかなり時間があったな)
茜は携帯で時間を確認すると委員長に休憩する旨を伝え、人混みが途切れるほうへと歩き出した。
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茜は、人も少ないような裏通りのような道を歩いていた。
人混みから抜け出した茜は、大した当てもないままに、ぶらぶらとここまで歩いてきたのだ。
道を一本隔てた大通りは、片側に土産屋、もう片方に茶屋のような休憩処がずらりと立ち並び、人の波で埋め尽くされ喧騒がここまで響いてくる。
空には、ほんのり赤く染まった雲が浮かんでいる。暫くすれば、周囲には薄暗闇が漂い始めるだろう。
日暮れはもう間近であった。
(…そろそろ戻らなければ、辺りが暗くなってしまうな)
秋の日暮れは早い、集合時間まではまだあるが、そろそろ戻った方がいいだろうと来た道へと踵を返す。
そのうちに、
(あれは…)
茜の目が鋭く光る。
路地の入り口あたりで、こちらをじっと見ている人影に気がついた。
頭から全身を覆い尽くすようにすっぽりとローブを被りそのローブで顔を隠すようにしているその姿は、まるで御伽噺に出てくる魔法使いの老人のようだったが、それよりも明らかに此方に向けてくる視線が不快に思えた。
茜は、さりげない足取りで、その人影に近づいていく。
と、その人影が路地を離れ、茜のいるほうへと歩いてきた。
まだ陽は落ちておらず、周囲は明るいのだが先ほどまで聞こえていた喧騒が何時の間にか聞こえなくなっていた。
人影は特に大柄というわけでもなく、特徴のある体つきというわけでもなかった。
しかし、もう一度見かけたなら、すぐにこいつだと絶対にわかるだろうと茜は確信していた。
それほどに、この人影には隙というものがなかった。
特に緊張しているようには見えないが、自然に歩くその姿から異様なまでの禍々しい気が発せられてるのだ。
茜は素知らぬふりで、その人影をやり過ごそうとする。
すれ違いざまにフードから僅かに見てとれたのは、以外にも若い女性と思われる顔だった。
茜は足音が充分離れたのを確認してから、くるりと向きを変えてそのあとを追った。
別段、この人影に疑いのようなものを抱いたわけではないが、このままほっては置けないような雰囲気があった。
人影は、茜のことを気にするようなこともなく、歩いていく。
ところが、二十メートルも歩いた頃だろうか。
その人影が、茜の目の前でふっと消えてなくなった。
道の途中に脇道らしいものはなく、急に姿を消すことなど出来ないはずだが、あの人影はまるで煙のごとく姿を消していた。
(なんとも奇態な…)
茜がいぶかしげな顔をする。
狐か狸にでも化かされたかのようであった。
「…まいったな」
茜は珍しく苦笑いを浮かべると、その頬を指で掻いた。
それから、気を取り直すようにして、皆がいる方へと向き直ろうとした。
――――その瞬間
茜の背後から、凄まじい殺気が吹き付けてきた。
いつになったら、ゲーム本編にいけるのだろう…。