「先輩」
三者凡退の後、溜息交じりにベンチへ戻った石杖に、霧栖が声をかける。
「あのアンダー、名前なんて言うんですか?」
「鋳車和観だ」
「そう、すか」
ジッと、霧栖は鋳車を見ていた。
何故だろうか。
会ったことも無いはずなのに。
対戦もしたことが無いはずなのに。
―――霧栖の胸奥から、チリチリと何かが燃え上がっていた。
―――アレは他人ではない、と脳が訴えかけていた。
浮かび上がる直球に、沈んでいくシンカーに、霧栖弥一郎は、目を離せずにいた。
※
―――あかつきの四番は、今日はいつもの男ではなかった。
バットをぐるりと回し、パワプロが打席に立つ。
山口はその様をじっくりと眺める。
構えは、実にシンプルであった。
オープンスタンスからバットがピン、と立っている。少々外寄りの立ち位置で、パワプロはボールを待っている。
―――成程、確かに評判通りのバッターではありそうだ。
パワプロの評価は、理想的なクラッチヒッター、というものであった。
この男には弱点と言える弱点が無い。猪狩守の様な出鱈目な長打力こそないものの、ボールの見極めも上手く、ポイントを自在に操る器用さがあり、球種によって打つ打てないの弱点もそれほどない。
それ故に、状況関係なく、また特殊な打球傾向も無いこのバッターは、猪狩の後ろに置いておくにはまさしく適任であった。
しかして、本日は四番である。
大炎上の責任をとってか、はたまた怪我でもしてしまったのか―――いつも四番に居座る猪狩守は今日の試合には帯同する事すらしていない。空いた打順が繰り下げられ、自動的にパワプロが四番に存在している。
―――いい眼をしている。だが、残念だったな。
打線とは、機能してこそ「線」となる。
今ここにおいて、あかつきは不動の四番を欠いている。
打線というメカニスクの中枢部分を失った状況で、急遽この男は四番に居座る事となった。
―――お前に、四番の仕事はさせない。
監督が猪狩守を外した理由の半分は、チームに伝えた通りである。エースとしての自覚を促す、そして投球の改善を促進させる。その為に敢えて守を外した。
―――もう一つは、守を欠いたチームが、打線を機能させられるかどうかをチェックする意図があった。
夏の戦いは、長く、厳しい。その中でエースと四番の両輪を一人に負わせてしまえば、その一人が調子を落としてしまえばチーム全体がガタガタになってしまう。
エースを担わせる目途はついた。鋳車和観―――とんでもない掘り出し物であった。パワプロと猪狩兄弟の推薦で入った無名の男は、瞬く間にあかつきのエースに駆け上がった。
ならばもう一人―――四番を担わせるに足る、人間が欲しい。
だからこそ、ここでパワプロに四番を経験させたかった。
相手は山口を擁する帝王。練習試合であっても、その相手に不足無し。この相手に「四番」を経験させてこそ、肥やしになってくれる。
―――山口は、迷いなく外角厳しめのボールを投げ込んでいく。
外角低めギリギリのコース。そのコースを軸に、山口は直球とフォークを投げ分けていく。
1-1、1-2とカウントがボール先行となっても、それでも構わずギリギリのコースへと。
―――何だよ、これ。配球がまるで違うじゃないか。
パワプロは、明らかに戸惑っていた。
外角一辺倒―――しかも、ボールカウントに関わらずそれでも厳しめのボールを投げ込んでいく。
要するにだ。この配球の意図はこの言葉に集約される。
『歩かせてもいい』
その意識が、常に根底にある配球であった。
―――くそ。
外角へと投げ込まれていく球は、常にボールゾーンギリギリ、もしくは大きく外れて投げ込まれていく。絶好球となる可能性が高い内角へは一切放らない。歩かせたって構わない。―――どうせ、後ろにはもう長打を打てる選手は存在しないのだ。
1-3からパワプロは外角の球をカットする。2-3のフルカウント。放たれたボールは、外角から落とされたフォークボール。
パワプロはそれを見逃し、一塁へと歩いて行く。
五番横溝がバッターボックスに立つ。
一塁のパワプロは、横目でセカンドを守る石杖を見ていた。
―――ん?
その動きに、何処か違和感を覚える。
ゲッツ―体制でセンターに寄った守備位置を守りながら、山口の球が放たれた瞬間、一瞬だけ石杖の身体がファースト方向に流れた気がした。
―――あ、そうか。
パワプロがその意図に気付いた瞬間に、横溝は一二塁間へゴロを放っていた。
石杖の左手側へ流れていくその打球は―――しかしてすぐに石杖によって正面に回り込まれていた。
そのままぐるりと体幹を回しながら二塁でパワプロを封殺。そして友沢の送球によりゲッツーが完成した。
―――石杖は、捕手のサインと要求を見て、そこから打球予測を行っているのだ。
だから、投球の瞬間にはもう一歩目が始まっている。正確な予測から迅速な走り出しが開始されていた。
―――ショートも、セカンドも、変わらず堅い。
友沢と石杖。この二遊間は、誇張なく帝王最高の二遊間かもしれない。
六番の柳がショートゴロに倒れ、二回の表が終了。
―――取られたアウトのうち、三振を除けばその全てが二遊間によって稼がれている。
山口の投球スタイルと堅守の二遊間は実に相性がいいのだろう。角度のあるボールとフォークの組み合わせはゴロを打たせやすい。その処理はキッチリ一流が仕事してくれる。まさしく「帝王」の野球であった。
※
友沢亮と石杖所在は実の所仲は良くない。
―――というより、友沢が一方的に石杖を嫌っている、というのが実際の所かもしれない。
二遊間を組む上で、その能力の高さを認めながらも―――石杖の何処か冷めた態度が、友沢をイラつかせていた。
友沢は、ある日後輩を叱っていた。
よくある話だ。一年が練習をサボって先輩に叱られる。そんな当たり前の事を当たり前にやっている時、その一年は反射的にこんな事を口にした。
―――ああ、クソ。友沢先輩かよ。石杖先輩は笑って見過ごしてくれてたのに。
「石杖」
友沢は、問い質した。
「何故、サボりを容認していた」
石杖はその問いかけにきょとん、と一度呆けると、変わらぬ口調で答えた。
「やらねぇ奴をやらせなくて別にいいだろ」
「士気に関わる。キッチリ締める所は締めないといけない」
「やる気ない奴を無理矢理参加させた方が士気に関わるだろ。それに連中、才能ないし」
才能、という言葉が友沢の耳に届いた瞬間―――明らかに不機嫌そうに、その顔を歪めた。
「才能が無いなら、努力させるしかないだろう」
「努力できるのも才能だろうが。神様は平等じゃないんだよ」
―――努力も、才能?
不機嫌の基が、溢れ出さんばかりに胸の奥に染み渡っていく。
友沢は努力の人間だ。不屈不断の権化である。貧乏な家庭の中で育とうと、肩の故障で投手を諦めても、それでも野球にしがみ付いた。その人間からしてみれば、その過程全てを「才能」の一言で片づけるこの男の言葉はひどく乱暴に思えた。
思えば、この男は―――友沢とはまさしく真逆の性質を持っていた。
実に、割り切りが早い。悪く言えば、諦めが早い。
この男は頭がいい。
だからこそ―――自分も、他者も、その才能を正確に判断できる。その比較の中で勝てないと思えば、瞬時に割り切れるのだろう。
諦めがいい男と悪い男。
―――相性は、最悪だろう。
それでも、二遊間を組むにあたってはしっかりと息を揃える辺り、流石といった所だが。
―――いつか、この男が変わる時が来れば。
―――この男も、果ての無い進化の中に組み込まれれば、
きっとこのチームは強くなる。それなのに、この男はまるで変わらない。
その事が、無性に友沢は腹立たしかった。
ウィーランド。勝っておくれ、勝たせておくれ。何で君は0勝なの?