―――なあ、聞いたか。友沢の奴、肩壊したらしいぜ。
―――うわ、可哀想。中学で130出せる奴なんざ稀だってのに。あいつもつくづく運がねえな。
―――蛇島先輩も嘆いていたな。
―――噂だけどよ、肩、ぶっ壊されたらしい。ほら、一年後輩の瀬倉っているじゃん。あの左の変則。
―――え、マジかよ。だったら何で友沢は何も言わねえんだよ。
―――瀬倉の家は金持ち。アイツの家は貧乏。仮にぶっ壊されたって言ってどうすんだ。学校に言っても揉み消されるだけだし裁判する金も無い。泣き寝入りするしかねえのよ。
―――くそ、胸糞悪い話だ。
―――それでもよ。それでも、アイツに張り付いているスカウトがいるんだ。あのジャージは、帝王のスカウトだった気がする。まだ、ピッチャーは無理でも、野手の芽はあると判断されたのかもしれないな。諦めんのは、まだ早いよ。
「ピッチャーだけが、野球の全てじゃない」
山口賢は、そう友沢に笑いかけた。
「元ピッチャーがこんなバッティングできるなら、俺なんざもう形無しも形無しだ」
石杖所在は、そう溜息交じりに毒づいた。
―――かつて、ライオンズブルーのユニフォームに身を包んだ両打ちの名ショート。野球を始めたきっかけは、彼が放つ華やかさに魅かれたからだ。常にピッチャーの対角線上に存在するその姿、強肩を生かした力強い守備、そして唸りを上げて客席へ襲い掛かるホームラン。
彼の様に、なれるのだろうか。
―――いや。
そんな疑問によって、自問自答のサイクルに陥るような馬鹿な真似はしない。
なるのだ。超えるのだ。憧れが薄まらぬうちに、あのブラウン管の向こうにいたレジェンドの様なプレーヤーに。夢を夢のまま終わらせてしまえば、それこそ本当の「泣き寝入り」だ。諦めてたまるものか。如何なる障害も、踏み越えていける力が自分にはある―――そう信じさせてくれる存在が、いくらでもあったはずだ。ずっと自分を見てくれたスカウトも、支えてくれた仲間も、そして共にいてくれる家族も。彼等が自身にくれた期待という名の力を、大したモノなんかじゃないと吐き捨てたくない。その想いが、彼を作りあげていった。彼を―――帝王の四番という名の玉座へと運んで行ったのだ。
※
友沢が、打席に立つ。
彼は両打ちのバッターだ。故に彼は左打席に立つ。
―――右肩が壊れた友沢を、帝王はそれでも拾い上げた。
治療費とリハビリ費用まで捻出し、その復活のサポートまで行ってくれた。
しかし、現在帝王の打線の中枢にこの男が存在するのは、それだけが理由なのではない。この男には不断不屈の強靭な精神力があった。苦痛を耐え歯を食いしばり、人の幾倍もの努力を重ねられる野球人としての骨子が存在していた。
左の打席と、右の打席。彼はその二つをマスターするにあたり、当然人の二倍素振りをした。高校に入りアルバイトで家計を支えながら、それでもこの男は血が滲みかじかむ両手の痛みに耐え、振り続けた。
その姿を、鋳車は眺める。
自らと、同じ姿をそこに見た。
―――獲物を射止めんとする、獰猛な眼。
それは、野球だけにかけられる情熱ではない。それ以外に、様々なものを背負った眼だ
進のサインに、いつも通りに頷いた。
一投目が、放たれる。
※
両打ちの選手は、必然的にどちらかのバッティングを「作る」必要があると言われる。
右利きの選手であるならば左打席でのバッティングは、今まで培った右でのバッティングの感覚を捨て、一からバッティングを作らねばならない。
しかし、友沢は違う。彼は幼少の頃から両打ちに憧れ、投手の傍ら両打ちを行っていた。ピッチャーを諦め本格的にコンバートすると、初めから両打ちの選手としてバッティングを作りあげた。
だからこそ、左右の打席によってバッティングのズレが見えない。隙が無い。まさしく完成されたスイッチヒッターである。
―――先頭打者であるが、歩かせるのも一つの手だ。しかし―――
進はネクストバッターズサークルに佇む、巌の如き男を見やる。
一年、霧栖弥一郎。あの男が気味が悪い。データが一切ない上に、一年にして帝王のクリーンナップを打たせている程の実力者。出来るならば、あの男とは集中して対戦したい。だからこそ、塁に出れば足もある友沢の出塁は避けたい所だ。
進は外角に構えると、鋳車は球を投じる。
駒回しの如き腰の旋回と共に、友沢はバットを振るう。
金切り声の如き空振りの音が聞こえた。
外角外側から落ちるシンカーに、友沢は空振った。
―――友沢選手には、やはりシンカーが有効か。
基本的に両打ちの選手は外へと変化する球を体験しない。左右の打席で切り替える事により、基本的に彼等は内側へ切れ込む変化球の対応をすべくバッティングを作りあげる。
よって、外側の変化を伴う球―――鋳車の持ち球においてはシンカーが有効となってくる。友沢から見てみればシンカーは外側へと落ちていく変化球だ。対応が遅れてくるだろう。
ならば、もう一度投じる。友沢、次はしっかり見極めシンカーを見送る。ワンストライクワンボール。
―――初見でしっかり見極められるのは流石だ。けれど、もうここで絵図が出来た。
次の球、更に次の球。進は外角の直球を要求する。友沢は二球ともそれに差し込まれる。―――シンカーを警戒し、バッティングのポイントが若干後ろ気味になっている。
ここで、進は再度シンカーを要求した。
―――ストライク、バッターアウト!
打ち気を察した進の配球によって、鋳車はシンカーで三振を取った。
完封された悔しさか、静かに眼を瞑り怒りを抑えながら、友沢は去って行った。
そして―――
「五番、ライト、霧栖弥一郎―――」
その名が、コールされた。
次号、あの対決