「県予選は、山口抜きでやる」
監督は部員全員をグラウンドに集め、開口一番そう言い放った。
皆が皆、疑問に思う。
―――県予選、まで?
関節唇が損傷した状態で、甲子園までに間に合う算段が立ったのだろうか。
「アイツは、左で再起を図るそうだ」
―――皆が皆、息を飲んだ。
「馬鹿な話だと思うだろ?実際馬鹿でしかない。アイツは左右のバランスを取る為に左の練習もしていたそうだ。無論、それだけでどうにかなる問題ではない。―――だが、アイツはこの手の事を有言実行しなかったことは無い。俺はアイツを信じる。ここまでずっと信じてきたんだ。今更裏切られる事はないだろう」
だから、
「県予選で、とにかく投手は使いまくる―――久遠。県予選はお前が中心となる」
「---はい」
「いいか。お前等。ここが正念場だ―――山口抜きで勝ってみて、はじめてお前等は“帝王”となれる。気合い入れていくぞ」
※
―――いいか、久遠。お前は何も気にせず家に帰れ。
そう、友沢亮は彼に言った。
中学の頃、匿名の名前が書かれた手紙を、久遠ヒカルは受け取った。
内容はごくごく単純なモノだった。
指定された場所に来い。そうでなければ、お前の選手生命を終わらせてくれる―――単純にして、明快な脅迫。
当時の中学で先輩にあたる友沢に、意を決して相談すると、ただ一言友沢はそう言い放ち―――代わりに自分が行くと言った。
そして、その後。
―――友沢の右腕が破壊され、投手生命が終わらされたのだと、聞かされた。
その頃からだろうか。
自分の精神が臆病になったのは。
打ち込まれる度、ピンチに陥る度―――最悪の結末しか脳裏に写らなくなってしまったのは。
自分は無力なのだと、自分の所為で尊敬する先輩の選手生命を終わらせかけてしまったのだと。
そんな積み重ねが、自分の心を脆弱にさせてしまった。
だからこそ―――久遠は、山口にも尊敬の念を抱いていた。
ピンチになっても動じない不動の姿。
三塁にランナーを置いた状態でも迷いなくフォークを投げ込むその姿。
圧倒的な技術と、不動の心が一致したその姿。
―――あれこそが、エースなのだと。心の底から思った。
それに比べて―――自分は何なのか。
ランナーを置くと心が焦る。変化球の制球が定まらなくなり甘くなった直球を打ち込まれる。そんな場面を幾度も幾度も繰り返してきた。
解っている。焦っちゃいけないんだって。普段通りに投げなければいけないんだって。
なのに、なのに。その意識がまた更に更に自分を焦らせる。
今、自分は山口賢の代わりを担おうとしている。
出来るのだろうか?
その疑問に、当然自分は出来るのだと自己暗示をかけようとする。
だが、出来ない。脳裏に写るのは打ち込まれる自分の姿と崩れ落ちるナイン、失望の溜息を吐きつけるスタンドの観客。
こんな想定しかできない。
出来るのか?
自分の右腕で、甲子園まで戦うことが出来るのか?
そのビジョンが、定まらずにいた。
※
一方、帝王高校クリーンナップ三人衆は、―――目下最大のライバルになるであろう、海東学院のビデオを見ていた。
そこには、左サイドのエースが登板している。
瀬倉弓也。
身体を軽くひねり、クロス気味に踏み込んだフォームから最速143キロの直球とスクリューを投げ分けるその男は、現在非公式試合含めて一点たりとも得点を許していない。
「右にはインサイドの直球とアウトコースからのスクリューを投げ分けているのか。クロスステップからインハイに投げられたら、そりゃあ打てんわな」
「元々左打者に対しては凄まじい能力を持った奴だったが、高校に入って球威と制球が格段に上がった。それで右のインサイドに投げ込めるようになって開花した、って感じか」
「スクリュー以外の持ち球は?」
「スライダーとパワーカーブかね。あまり肘を抜くタイプの変化球は使ってないみたいだな。ま、あんなフォームから緩い球投げたらそれだけで肩肘消耗しちゃうししゃーないか」
「とはいっても―――高校入ってからはあんまり使ってないな。余程決め球のスクリューに自信を持ってるんだろうな」
「と、いうかね。ちと、コイツのスクリューはおかしい」
「おかしい、―――というと?」
「球速表示―――直球が大体130後半から140あたりに推移しているが、このスクリューは130前半は常に球速が出ている。直球との差異が精々5キロ程度しか違わない」
「ふむ―――ちなみに、鋳車のシンカーだとどれ位の違いが出るんだ?」
「奴は直球が129~132でシンカーは大体そこから10から12は遅くなる。つまり、直球との差異は鋳車よりもないんだ、奴のスクリューは。それでいて―――奴のスクリューは、きっちり浮かんで沈む、二段階の変化を伴ってボールを落としている。変化量を抑えてボールの球速を速くしているタイプのボールじゃない」
「プロの選手の中には、直球と変化球との差異を抑える為に、あえて直球の球速を抑える選手もいるというが------」
「いるだろうな。だが、奴がそのタイプの選手ではない事は確かだな。そういうタイプは、基本的に変化球の曲がりも抑制している選手がほとんどだ。その分、フォームと腕の振りを一致させることで幻惑してバッターと相対するのがそのタイプ。奴の投げ方でそれをやってしまうと、折角のフォームの利点が失われてしまう」
「利点ってなんすか?」
「クロスステップしながら腰を捻って投げてるだろ?あの投げ方、腰の回旋をかけて負担をでかくする代わりに、その分腕をぶん回せる距離を稼いで球威を稼げるフォームなんだよ。わざわざ腰に負荷をかけてまで腕を思い切り振れる距離を稼いでるのに、振りを緩ませて直球遅くしちゃ意味無いだろ」
「ああ、成程-----」
「多分----相当無茶な肘の使い方しているんだろうな。そうでなければ、あのスピードを保ちながらあの回転かけたスクリューは投げられん」
「高校から夏でも長袖着てるらしいけど、そこら辺隠す為なのかもしれんな」
ふむん、と三人は一つ頷いた。
「対策はどうする」
「今の所出来そうなのは、クロスに入ってくるボールの対策だろうな。それさえ出来れば、一先ず奴の武器は一つ潰せる。スクリューは、現物を見ないとちょっと対策法が解らん。鋳車と同じで、曲がりとスピードが特殊過ぎる」
「中々、強敵っすね」
「おう―――だが、打ち崩さねえといけねえ。キッチリ、奴にはカタに嵌めてやる」
三人は、それぞれの顔を見渡す。
「奴の心をへし折ってやる―――少し、奴は調子に乗りすぎた」
三人は、ここで声を一致させた。
「ぶっ潰す」