何も思うことは無い、と言えば嘘になる。
右肩が破壊された時の絶望は今でも覚えている。
もう二度と野球が出来ないかもしれない恐怖。
あの時ばかりは子供の様に泣き喚きたい気持ちでいっぱいになった。家族の前では強がれていたが、それでも心には常に絶望で心が染め上げられていた。
だが、それでも。
あの“野球が出来ない”時間が、自分を見つめ直すきっかけとなったのも確かだ。
どれだけ自分にとって野球が大きいモノで、
どれだけ自分は周囲に支えられている存在で、
そして―――自分が目指すべきプレースタイルも。
決して許しはしない。あの男は許されるべきではない。
だが―――それでも、あの男と同じ下賤な手段を以て対抗したりはしない。
俺は野球人だ。
―――であるならば、この感情が向かう先はグラウンドのみ。
自分の仇。そして―――尊敬する先輩の仇。討つ手段も場も、野球というフィールド以外には存在しない。
友沢はそれ故、今日も変わらずバットを振るっていた。
泰然自若。
何事にも動揺せず、日々の積み重ねを行えばいい。
ただ、それのみだ。
※
「こんにちわ」
帰り道、石杖所在は声をかけられた。
目つきの悪いロンゲがそこに立っていた。高校球児にあるまじき姿だ-----それは別にこの男に限った事じゃないが。
「私の事を知っておいでですか?」
「蛇島なんたら。県予選でぶつかる相手の事くらい知ってるわ」
「ああ、ありがとうございます----以前は、ウチのエースが迷惑をかけたようだったので、詫びでもと」
「----詫び入れる眼じゃないな。別に謝らなくても結構だからさっさと帰れ」
「まあまあ、そう言わないで下さい。私は貴方に興味があったんですよ」
「俺は別に興味はないが」
「----恥ずかしながら、貴方と山口さんとの会話を聞いてしまいましてねぇ」
実に白々しい言葉だ。忌々しい経緯と胡散臭いオーラ全開なこの男のそんな言葉に、“偶然”なんてものがある訳が無い。
「ふーん。それで?」
「どうして、あんなことを言ったんですか?今更左ピッチャーへの転向なんて不可能に決まっている。貴方が一番知っている事でしょう?」
「はあ?お前何言ってんの?」
「む?」
「出来るに決まってんだろ。そんな事も解んねえのかよ」
両者の間にある空気が、瞬時に冷え込んだ。
「世の中、天才はいるんだよ。出来ねえことをやってのける奴がいるの。そのうちの一人はまさしく山口さんだ」
「―――何故それが解ると?」
「逆に何でお前は“出来ねえ”って解るんだよ。―――才能なんざないくせに」
蛇島の目が、吊り上がる。
その眼には―――確かな怒りの感情が芽生えていた。
「----結構な言い分ですねぇ」
「事実だろ。アンタのバッティングも守備も滅茶苦茶うまいけど、所詮“上手い”だけだ。天賦の足も肩もセンスもねぇ。泥臭くやってきた“凡人”の野球だ。俺と同じだよ」
「------」
「―――お前だって右肩ぶっ壊れた友沢がショートであれだけの活躍が出来るなんて思ってなかっただろう?瀬倉利用して友沢の肩をぶっ壊したのだって、アレでもう再起不能だとでも思ったからだろ」
「----何を言っているんですか?」
「別に、シラ切るつもりならそれでいいよ。アンタ、あの馬鹿と違って頭はいいみたいだな。瀬倉を焚きつけて邪魔者消していけばいいもんなぁ。-----知ってんだよ、海東学院の三年のセカンドが何故かお前が入学したタイミングで右足がぶっ壊されてんの。証拠も残さずそれできるってのは凄いぜ?アンタ、そっち方面じゃ間違いなく天才だ。野球の才能なんかよりずっとある」
「------」
その眼を、石杖は見る。
写る感情は“嫉妬”。
―――石杖には到底理解できない感情だ。
「-----貴方は、」
「あん?」
「邪魔だと、思わないのですか―――自分に出来ない事を、さも当然の如く行使できる連中を」
「思わないね」
「何故ですか?」
「何で思わなきゃいけないんだよ。自分にできない事が出来る奴のプレーをずっと見ていたいと思うのは不自然なのかよ」
「------」
才能がある者と、ない者。
両者に横たわる隔絶をこの男は素直に受け入れられる精神を持ち合わせているのだという。
何故だ?
何故だ?
何故―――そのような精神構造を保てる?
蛇島は、この男を同類だと思っていた。
この男のプレーは、全てが全て思索に溢れた代物だった。
配球を念頭に置いたバッティング。打球傾向に基づいた守備。
全てが全て、凡人が何とか這い上がろうと泥臭く計算し作りあげたプレースタイル------だと、勝手に思っていた。
それ故―――口八丁を用いて帝王の情報を与えてくれるとも。
だが、違った。
この男は「這い上がろう」なんて精神は持ち合わせていない。
ありのまま、つまりは凡人として―――自分より上の存在がいる事をさも当然に受け入れながら、この男は野球をしている。
蛇島程極端なものはともかく―――人は何かに嫉妬しながら生きているものだ。
出来ない事、持っていない物。
その全てにどこかしらの劣等感を持ち合わせながら、生きているはずだ。それは、アスリートに限った事ではない。
だが、この男はそうではない。
これは―――この男は、何処かしら壊れているのではないか?
蛇島は―――初めて、他者の才能以外の要素を、恐れた。
「------貴方とは、解り合えないようだ」
「あ、そ。俺は初めから解っていたぜ―――ま、いいじゃないか。どうせお前等の夏は早めに終わる事は決定してんだ」
その言葉に、蛇島は下唇を噛む。
覚えていろ。
―――県予選の二回戦。順当に上がれば、連中とぶつかる。
地獄を、見せてやる。
なんか、帝王ばかり書いててすみません---。主人公?そろそろ出ると思います----。はい。