圧巻の投球であった。
二者連続三球三振。
高めのボール球に振らされ、シンカーで三振を取られた。
一球たりとも、ストライクゾーンに投げ込んでいない。それでも、あの男の球にバットは空回る。
三番小山雅がコールされる。
―――怖い。
打席に立った瞬間、異様な雰囲気を投手から感じていた。
これは、何なのだろうか。正体が解らずとも、やはり確かな恐怖を感じてしまう。思わず気圧されそうになってしまうが、
―――これが、強豪校のピッチャーなんだろうか?
そう自分の思考にケリをつけ、彼女の意識は眼前の投手に集中する。
身体を沈ませ、鋳車の一投目が放たれる。
その球は―――左打席に立つ彼女の内角を抉る綺麗な一等線を描くクロスファイアであった。
―――ストライク!
コールを宣告されてなお、彼女の身体は固まっていた。
まるで―――自身の身体に向かってくるような錯覚すら覚える、対角線上の角度が付いた、クロスファイア。
その硬直した様を、はっきりと進は見ていた。
―――成程。確かに鋳車さんの言った通りだ。
※
「進」
「どうしました、鋳車さん」
「今日の試合―――クリーンナップに対しては内角を中心に攻めていくぞ」
そう彼はベンチで進に言った。
ふむん、と進は頷く。
「理由をお聞きしてもよろしいですか?」
「簡単な話だ。―――練習試合を含め連中のビデオは見た。どいつもこいつも外中心の攻めをしている」
「まあ、そうでしょうねぇ」
内角を使うピッチングは、デッドボールのリスクと表裏の関係にある。デッドボールのリスクを恐れボールを置きに行って痛打を食らう場面も数多くあり、それ故内角をつくタイミングこそが“リード”の本懐なのかもしれない。
そんな状況下で、中々女子相手に内角を使って配球していく事は難しいだろう。デッドボールを与えたくない心理が、より強く働くのであろうから。
「奴等は恐れず外角に踏み込み入っているし、相手は何故か内角への要求の際は腕の振りが緩くなってど真ん中に球を置きに行っている。あれじゃあ打たれるのも当たり前だ。だったらこっちは遠慮することは無い。ガンガン内角を使って踏み込みを阻止する」
「それは、そうですけど―――大丈夫ですか?」
「何がだ?」
「万が一デッドボールを食らわせれば―――批判は免れませんよ?」
「それがどうした」
ふん、と軽く息をつき、彼はごく当然とばかりに言い放つ。
「長打を食らうより、デッドボールを当てた方が万倍もマシだ。男も女も関係あるか。批判なんか知った事じゃない。デッドボールが怖いのなら今すぐ野球なんざやめてしまえばいい」
ああ、そうか―――。
この男の強い所は、鋼の如く鍛え上げられた精神力だ。
動揺もしなければ、手段も選ばない。如何なる状況であろうとも不動でいられる心の強さ。
この男にとって―――女にデッドボールを与えるリスクなぞ心揺らす原因にもならないのだ。
解りました、と。そう進は一つ頷いた。
※
そうとなれば、容赦はしない。
内角を抉る直球を二球続け、膝元に大きく食い込むスライダー。これでカウントをツーストライクまで追い込む。
小山雅は、はじめての感覚に大きく動揺していた。
―――踏み込めない。
慣れない内角への球の対応に、彼女は無意識の内に身体を徐々に開いていった。その視点から眺める外角までの距離が、大きく開いていっているように感じられる。
その変化に目敏く進は気付いていた。
そして―――外角からシンカーを投げ込む。
内角を抉っていく配球から、唐突に現れた外角へ逃げながら落ちるシンカーに、バットは掠りもせずに空振った。
愕然とした表情のまま、小山雅は打席から立ち去って行った。
※
二回へ入っても、早川あおいの勢いはとどまる事を知らなかった。
下位打線二人を三振と外野フライに打ち取ると、続く9番鋳車の打席。
カーブと直球でカウントを稼ぎ、アウトコースからのマリンボールを投じ、これを鋳車は引っ掛けショートゴロとした―――が、
小山雅のまさかのファンブルによって、無事出塁が果たされた。
くそぅ、と彼女の喉から漏れる。
―――さっきの打席がまだ尾を引いているのか。
リードする聖はそう顔を顰めた。
―――次回の攻撃。かなり大事になる。このままだと、ずるずると悪い連鎖が始まってしまう。
※
四番は、六道聖。
彼女は一回の小山雅への配球の意図をしっかり読み取っていた。
―――内角への球に慣れていない事が、露呈してしまった。
あのバッテリーの間には筒抜けだったのだろう。女子故に内角への球を投げられず、それに対応して知らず知らずのうちに大きく踏み込んでバッティングをしていた事が。
だからこそ、あの執拗なまでの内角の球ははっきりとした「警告」なのだろう。
こちらは一切の容赦はしない。
内角への球を放らないなんて、手加減をするつもりはない。
そう、あの配球ではっきりと示していたのだろう。
―――恐れては駄目だ。
バットを握り、打席に立つ。その眼には一切の恐怖は浮かんでいない。
―――さあ、来い。
一投目。
インハイの、丁度バットの横を通り過ぎる様な球が到来する。
足を引き、避ける。ワンボール
二投目。
アウトローからボールゾーンへ曲がっていくスライダー。これをハーフスイングを取られ、カウントを稼がれる。ワンストライクワンボール。
三投目。内角から更に抉り込むボールゾーンへのシンカー。見逃す。ワンストライクツーボール。
―――成程。この人は肝が据わっている。
内角への攻めによって、バッティングの変化が見られない。
変わらず、踏み込んでいく。
―――けれども、配球は変えない。
変わらず進は内角へと構える。
四投目。シュート回転と共に抉り込むような球が、ゾーンギリギリを掠めるように放たれる。
思い切り引っ張り上げるようにこれを打つも、ファールゾーンへと流れる。
直球が、二種類ある。
シュート回転がかかった直球と、上方向へと少しジャイロ回転をかけた真っ直ぐ。右バッターに対しては、前者の直球を積極的に投げ、内角の球で詰まらせようとしているのだろう。
―――くそ。解ってはいたが、内角の球があると、こうも打席の景色が変わるのだな。
内角の球を警戒し踏み込みが浅くなる。その状態において、どれだけ外のボールを打つ事が難しいのか。
だが、恐れない。
四番を任されている以上、絶対に恐れてはならない。
そして五投目―――内角から落ちていくシンカーが聖に襲いかかる。
―――ぐぅ!
内角から落とされたシンカーは聖の足元に叩きつけられ、脛に当たってしまう。
デッドボールが、宣告された。
その瞬間―――観客席から凄まじい怒号と悲鳴じみたヤジが巻き起こった。
執拗な内角攻めならばいざ知らず、それが原因で女性選手へのデッドボールになったのだ。―――恐れていた事が現実となった。
聖は一塁へと向かう中途、チラリと鋳車の姿を眺める。
―――変わらぬ、無表情。
少しだけ、デッドボールを出してしまった自身への悔しさは一瞬醸し出しながら、しかし周囲の雑音を気にしている様子もない。
―――ああ、成程。
これが、あおい先輩が言っていた、彼の精神力というやつなのだろう。
こと、こう言った状況に陥ろうと、一切斟酌しない。この恐ろしく力強く形成された自意識こそが、彼のピッチングの原動力なのだろう。
その後―――五番の川星ほむらを併殺に打ち取り、六番を内角へのクロスファイア三球で見逃し三振で仕留める。
あの状況でも、一切惑う事無く内角へと投げ切った。その姿に、思わず聖は拍手をしていた。
ありがとう。
―――自分達相手に、一切わけ隔てる事無く「全力」であってくれて。
ならばこそ―――一切の手加減を排し、容赦なく叩き潰そうとしているこの相手だからこそ―――自分達は、全力を尽くせる。
全力対全力。そう。このグラウンドに立つ者は皆、この図式の下戦っているはずなのだ―――。
戸柱すごぉい。うわーい。