―――六回の表。
変わらず、早川あおいの姿がそこにあった。
「意外ですね」
「そうだな」
猪狩進と鋳車和観は、そう声を合わせた。
「アンダースローは投げ方によっても違いは出るが、筋肉よりも股関節周辺の柔軟性が重要となる投げ方だ。女が投げるスタイルとしては理に適っている。―――だが、疲労が肩肘よりも下半身に集まりやすい。だから、球数を重ねていくと踏ん張りが効かずに明らかに制球が悪くなる。そして、あの早川というピッチャーは明らかに80~90辺りがボーダーラインだった」
「ええ。僕もそう考えていました」
「だからこそ、低めのボールは見逃して、粘って、球数を稼いでさっさと降板させろと監督が戦略を立てた訳だが―――まだ投げられるみたいだな」
「恐らく―――制球の意識を消して、球威重視の投げ方に切り替えたのでしょう」
「投げ方が明らかに変わってたな。―――あれじゃあ、そのうち怪我するぜ。肩の上げ方がかなり無茶苦茶になってる」
「もう、この試合で燃やし尽くす気でしょうね。―――厄介ですね」
「早めに早川を降ろして、リリーフを燃やして、後は継投で俺を温存する予定だったらしいが、そうは楽にさせてもらえないみたいだな」
「ええ。―――今の所、鋳車さんの球数は65球。90球くらいで、七回の継投に入れれば一番いいでしょうけど」
「それまでに相手を燃やせればな。セーフティーになるまでは、流石に監督も変えないだろう」
「この回、ですね。四番から始まるこの回で、早川選手を下ろせるかどうか-----」
「まあ―――俺としては、投げられるなら本望だ。どっちでもいいさ。どっちにしろ、俺のやる事は変わらない」
※
対峙する。
先頭バッターパワプロ。聖は未だこの男の攻め方を編み出せずにいた。
内角と外角で違うポイントを持っている。そして、どちらも長打を編み出せる確かな技術がある。
低めのボールの見極めも上手く、アンダーの軌道にも全くバッティングに狂いを見せない。
―――だが、ここは勝負をするしかない。
後ろに控えるは猪狩守。先程の打席の様に低めのマリンボールでカウントを稼ぎたい所だが、今のあおいに正確な制球は望めない。甘い所への失投は確実に捉えられるだろう。と、なれば、今の守の前にランナーを出すなどやってはいけない。
イチかバチか。捉えられるかどうか。―――勝算の薄い勝負に、今飛び込もうとしていた。
一球目が、投じられる。
球は、パワプロの頭部付近へ迫る直球。
パワプロは背後へと飛び跳ねるようにして避ける。
―――中々の暴れ馬だな。
今、あらん限りの力を込めて早川あおいは投げているのだろう。リリースもバラバラだ。あれで制球が定まる訳が無い。
だが、それはそれで面倒であった。
球がばらつき、散る。目先も配球もてんでバラバラ。速球もまちまちのシュート回転が絡んで軌道すらもバラバラ。目先が追えなくなる。
だからこそ、バットの軌道をどう出そうか、迷ってしまう。ギリギリまで見定めようとしていては、差し込まれる程の球威があるから、余計に。
大きく外れたボールが二球。ゾーン内の球を打ち損じた球が二球。ツーストライクツーボール。パワプロはゆっくりと意識を集中させ、次のボールを待つ。
集中しているのは、六道聖も同じであった。
―――ここが、一番の集中所だ。
キャッチャーは、制球が定まり完璧な球を投げるピッチャーだけを受け続ける訳ではない。球速も変化球もパッとしないピッチャーこそ、優秀な捕手が必要となる。
今が、一番自らの力を発揮しなければならない場面だ。
―――集中だ、集中。
そうして意識の中にのめり込むに辺り、聖の中に不思議な感覚が蘇ってくる。
周囲の音が、聞こえなくなっていく。
パワプロの打席上での動きが、ひどくゆっくり見える。
―――今、限りなく六道聖は集中状態を維持している。
聖は、ミットを構える。
外角低めの、コース。
あおいは一つ頷くと―――投球した。
集中しているのは、パワプロとて同じ事。
―――六道選手のフレーミングは脅威だ。
だからこそ、外角のストライクゾーンをボール半個分、彼は感覚的に広げていた。そこまで、彼女はストライクゾーンに出来る技術を持っている。
そして、あおいの投球は―――微妙な低めのボールゾーンへと、行く。
手を出すべきか、否か。
パワプロは見逃しを選択する。バットを引き、その軌道を追う。
結果は、
―――ストライク!バッターアウト!
そう、聞こえてきた。
え、とパワプロは思わず審判を眺めた。これは誤審ではないか、とほんの少しの抗議を込めて。
しかし、審判は―――その様子からしても、誤審をした意識が無いように思えた。自信を持って、判定したのだろう。
どういう事だ―――そう思いながら彼はとぼとぼとベンチに向かう。
そこで、進が声をかけてきた。
「凄いですね。あのキャッチャー」
「----?」
「あんな技術、僕も始めて見ました」
「技術-----って?」
「彼女のフレーミングは、ミットは動かさずに、体軸を動かす事で審判の眼を欺いている。それを―――コースだけでなくて、高さにまで応用したのです」
どういう事だ、とパワプロは尋ねる。
だって、そうだろう。
身体が横に向かう動きで、ミットを動かす理論は理解出来る。ミットを動かさずフレーミングするには、ミットを持つ腕ではなく、身体そのものを動かさねばならない。それを実現する為に、彼女は捕球動作を体軸ごと割り込ませる形でストライクを取っていた。
しかし―――それは外角のコースだから出来る事。低めのストライクゾーンでそれをする為には、身体を浮かせるしかない。そうでなくば、ミットそのものを動かさねば成立しないし、その動きは審判にはばれてしまうはずなのに。
「浮かせたんですよ。文字通り。―――彼女は、自分の身体を、浮かせていた」
「浮かせていた?」
「両足の膝を、捕球の瞬間にだけ力を入れて、ミットを動かさずに高めに修正したのです。相当な瞬発力と、集中力と、足腰の柔軟性が無いとできない芸当です」
それは、かつて稀代の名捕手であった男が駆使していた、唯一無二のフレーミング。
低めのコースのボールを、捕球の瞬間と間断なく合致したタイミングで、腰を浮かせる。そうすることで、自然に捕球位置を高めに修正し、審判を騙す。
「―――ここぞ、という時にアレが出せる。僕も、勉強になりました」
そう言う進の顔面は、苦渋に満ちていた。
※
そして、五番の猪狩守は敬遠する。
四番を決死の覚悟で片付け、残る五番は塁に進める選択を行う。
守は冷静に一塁まで進むと―――六番の打席での初球、迷わずスタートを切った。
―――ぐ。
暴れるあおいの投球の捕球に手間取り、送球が遅れる。その間に彼は悠々と二塁まで進んでいた。
そして―――二球目を放るその瞬間、更に守が動く。
―――三盗!
かなりいいタイミングであったが、それでも十分に送球が間に合うタイミング。同じ轍を踏まぬよう捕球体勢からスローイングに速やかに移れるよう三塁方向に意識を置きながら、身体を浮かす。
六番田井中は、その瞬間に二塁方向へのプッシュバントを敢行する。
ほぼグラウンド上の全員が三塁方向へと意識が流れた瞬間に、見計らったようなそのバントにより転がされたボールに―――セカンドの捕球動作が一瞬遅れてしまう。
俊足の田井中は快足を飛ばし一塁へと向かう。
セカンドは田井中の内野安打だけは許すまじと、ベアハンドからのファーストへの送球を敢行する。
全てが全て、焦りによる悪循環が発生する。
上方への悪送球をファーストがとれず、サードへの意識が向いていた所為で、更に言えばカバーに遅れていた聖のミスの所為でランナーの動きを止めることが出来ず、―――猪狩守を悠々とホームインさせ、田井中をセカンドまで行かせてしまった。
セカンドのエラーが、記録され、失点1が刻まれる。
―――残念だったな。
ふん、と猪狩守は鼻を鳴らす。
―――戦いは、バッテリーだけの勝負じゃない。バックがザルならば、それを利用するまでだ。
1-0。
試合が、大きく動いた瞬間だった。
田井中は、モブに関わらず私がパワプロサクセスをプレイしていた時に二回連続でバント○と走力Aが付いていたので、そんな感じのキャラにしてみた。