「高校に、行けないって---どういう事だよ?」
「文字通りだよ。------なあ、パワプロ。どうして俺は、こんな場所でずっと投げ込みなんかやっていると思う?野球が好きなら、何処か別のクラブにでも行けばいい話じゃないか」
パワプロは―――改めて、鋳車の風体を眺める。
痩せぎすの身体、ボロボロの衣服にグローブ-----裕福ではないのだろうとパワプロは思っていた。しかし―――まさか、高校にすらいけない状況なのか
「俺の家は、単純に貧乏なんだ。親父が死んで、お袋が女手一つで俺を育ててくれている。―――高校に行きたい、なんて我儘が通る状況じゃない」
鋳車は淡々とそう呟いた。
―――貧乏。それは、あらゆる子供を強制的に大人に変える呪いに等しい。
あらゆる我儘が、この言葉の下封殺される。夢見る子供を切り裂く、死神の鎌。
―――そんな中、クラブに入る事もせずにただ一人土手で投げ込んでいた鋳車の心中は如何なるものだったのか、パワプロには計り知れない。
「俺の野球は、中学までだ―――だから、せめてこの間に、俺はお前を一流のバッターに仕立て上げててやる」
鋳車は、そんな事を言った。
「一人で投げ込むよりも、ずっと楽しかった。お前の成長が嬉しかった。だから―――俺はお前にそっぽ向かれるのが怖いんだ。お前のスイングはどんどん強く、速くなってきている。高校に上がれば、俺よりも速い球を投げる奴なんざごまんといる。今のままじゃあ、俺は―――」
鋳車は、ポツリ、ポツリとその心境を吐露していった。
もう一人にはなりたくない―――そんな子供じみた願望を、パワプロを目前にしてようやくつかむ事が出来たのだ。
打てずとも、パワプロはこの土手に来た。悔しくて、打ちたくて、ここに来ていた。
―――なら、打てるようになったら?
もう―――そうなれば鋳車に存在価値はない。そう、心の底から想っていたのだ。
「------鋳車。一つだけ聞かせてくれ」
「何だ?」
「―――野球は、好きか?」
初めて会った時、この男は実に楽しくなさそうに投げ込みを行っていた。
今―――パワプロというバッターを前に球を投げ込んで、どう思っているのだろうか。
無表情の仮面の底に隠した、感情は―――どう感じているのだろうか。
「好きに-----決まっている。当たり前だ」
鋳車はパワプロの眼を直視しながら、言った。
「お前をどう打ちとってやろうか。ずっとそれだけを考えていた。ただ壁にぶつけていただけの投球に、緩急が付いた。配球が付いた。打たれたら悔しい、三振にとったら気持ちいい。考える事が増えて、必死になって投げて、それに感情までついてきた―――そんな事の繰り返しが、たまらなく好きだった。俺は―――野球が好きだ。やめたく----ねぇよ---!けど、しょうがねえじゃないか----!」
鋳車は、唸る様にそう言葉を吐いた。
しょうがない―――その言葉が、パワプロにとってたまらなく悔しかった。
「言ったな!?野球が好きだって!だったら―――絶対に、もうお前を野球から逃げさせないからな!しょうがないなんて言い訳、もう二度と聞いてやらないからな!」
いいか、覚えておけ―――パワプロは宣言する様に、鋳車に言った。
「俺は、俺の夢を叶えるぞ。お前の為じゃない、俺の為に―――お前には野球を続けてもらう!」
パワプロはそう言うと―――荷を抱えて、走り出した。
「一ヵ月だ!その一ヵ月で―――アンダーのフォームを完成させろ!絶対だぞ!」
土手を去る間際、声を張り上げパワプロはそう言った。
―――その姿を呆然と見送った鋳車は、一つうわ言の様に口に出した。
―――何だよ、アイツ、と。