「帝王の山口-----残念だべ」
海東高校部室内にて、大柄な男がそう文字通りの残念そうな面持ちでそう呟いた。
少しガラの悪そうな男が、その声に答える。
「去年、アイツのフォークにくるっくるだったからな。お前もリベンジがしたかっただろう」
「だべ。このまま勝ち逃げってのも、オラとしちゃつまんないだよ」
そうやりとりするのは、海東高校四番五番コンビであった。
―――中之島幸宏と、渋谷秀喜である。
「俺は一応一本打ってるからそこまで心残りはねぇかな。―――ま、ラッキーっちゃラッキーだな。今年の帝王は打線だけみりゃ去年より遥かに強敵だ。鬼に金棒かと思ったら鬼がそのままいなくなっちまった。何の茶番だよ」
「ま、その分全国で大暴れするだよ。―――今年は、立派なエースがいるだべ」
「------エース、ねぇ」
中之島はふん、と少し息巻く。
「気に入らねぇな。アイツだけは、何か気に入らねぇ」
「どうしただよ、中之島?」
「俺には解るぜ。何でアイツが野球をやっているのか。―――アイツはな、きっと誰彼見下したくて仕方ねぇんだ」
「見下す?」
「“勝つ”為じゃねえ。“見下す”為だ。アイツの野球は。勝って、相手が自分より下である事を知って安心してぇんだ。アイツは、そういう奴だよ」
―――こうまで中之島が言い切る理由は、その過去にある。
期待の一年。瀬倉弓也。
中之島と瀬倉は、中学時代幾度となく対戦していた。
中学時代の対戦成績は、四割を超えていた。
左サイドから放たれる切れ味鋭いスクリューは、中学時代から健在であったが、しかし右打でかつずば抜けたミートセンスを持つ中之島にはひたすらに相性が悪かった。
打たれる度に悔しがる瀬倉を、内心で中之島は認めていた。
―――身体が出来上がって、球威が増して、しっかりと右のインサイドに投げられるようになれば、きっとアイツは化ける。そう心の中で確信していた。
そして、今年瀬倉が高校に入学し―――まるで別人になっていた。
球威も、スクリューも、凄まじい進化を遂げていた。
―――その進化は、果てしなくあの男を増長させていった。
自分より下の実力の者には傲慢さを。自分より格上の者には憎悪を。そしてすり寄ってくる連中のみ庇護を与えて、海東高校野球部にあからさまな「派閥」を作っているのだ。
その派閥は―――例えば、中之島や渋谷のような段違いの実力者ならばそれは例外となるが―――多少の実力差であるならば、レギュラーの優先権を与えられる程度には強力なモノであった。---渋谷に至ってはその存在そのもの知らない訳だが。
学校理事長の息子とあって、監督ですら口を出せずにいるこの状況下において、超高校級の実力を手にしたともなればもう誰も奴を止められるべくもない。
その姿を見て―――心底、中之島は失望した。
瀬倉弓也にとって―――野球は、所詮下らない自己承認欲求を満たす道具以外の何物でもないのだ。それが理解出来て、中之島は瀬倉を心底嫌っていた。
「―――おや、二人ともどうしたのですか?」
「お、蛇島だべ。どうしただよ?」
部室の扉を開き、現れたのは蛇島桐人であった。
泥まみれのユニフォームで額の汗を拭いながら、彼は部室内に置いてあったスポーツドリンクを喉元に流し込む。
「いえ。今ノックを終えたので休憩がてら寄っただけです。そろそろ、バッティング練習が始まりますよ」
「お、待ってたべ。今からオラは行くだよ」
「はい。試合は二日後ですからね。ド派手なのを頼みます」
「おう。じゃあ行ってくるべ」
渋谷秀喜はるんるんと嬉しそうに練習へ向かっていく。
「中之島君はいかないのですか?」
「------少し、疲れてんだ。もう少ししたら行く」
「解りました。サボらないようにお願いしますね」
そう彼は一言残すと、そのまま部室のドアを閉じて、練習へ向かっていった。
蛇島桐人。
歳の上下に関係なく物腰柔らかな態度を崩さず、それでいてしっかり周囲を見渡せるキャプテンシー溢れる好漢-----と、実に完璧に見える男だ。
けれども―――中之島は直感的にこう解釈していた。
物腰の柔らかさは、自分の腹の中を読まれぬ為に行っているものであり、周囲を見渡しているのはその猜疑心ゆえであると。
―――レギュラー争いもする暇もなく、当時のセカンドレギュラーが怪我をした。ただの偶然であると思っていたが、奴の姿を見てきて、実の所偶然でもなんでもないとも思えてしまう。
「くそ-------」
中之島はポツリとそう呟いた。
今の所―――中之島は部室内で誰も味方がいなかった。
瀬倉の金魚のフンに囲まれ、二遊間を組む男は腹の底が読めない。この状況は、自分がこの学校にいる限りずっと続いてしまうのだろうか。
その未来に悲嘆し―――がくりと中之島は肩を落とした。
※
海東高のグラウンドには、炎天下の中必死にバットを振るう姿があった。
何としてもレギュラーを取らんと、またそれを保持せんと―――皆が皆、その為にバットを振っていた。
それを尻目に、瀬倉と蛇島は物陰でひそやかに話し込んでいた。
「―――中之島君は、危険ですねぇ。彼は実に鋭い。貴方と私の関係が、もしかするとばれてしまうかもしれない」
「だったらぶっつぶせばいいだろ。―――今なら“兵隊”だって動かせる」
「いえいえ。今現状において彼の代わりはいません。悔しいですが、この甲子園が終わるまでは頼らざるを得ない。貴方も、流石にザル守備をバックに投げたくはないでしょう?」
「------ふん」
「瀬倉さん―――一つお尋ねしてもよろしいですか?」
蛇島の眼が、鋭くなる。
「何だ?」
「貴方は―――どうやってそれ程までに急激な進化を遂げたのですか?」
その問いが放たれた瞬間―――右頬に衝撃が走る。
どしゃり、と蛇島の身体が崩れ落ちる。
「身の程知らずが―――下らねえこと聞いてんじゃねぇ。テメエは所詮、俺の庇護で好き勝手出来ている事を忘れてんじゃねえぞ」
「ふ-----ふふふ。それはそれは、申し訳ない。聞いてはいけない事のようですねぇ。中学からの付き合いの私でも、話せない事ですか?」
「------話す義理なんてねぇだろ」
それっきり、瀬倉はプイっと蛇島に背を向け、グラウンドへと向かっていった。
-----ふ、ふふふふふふふふふふ。
蛇島は、思う。
------その態度が、もう仰っているようなモノじゃないですか。自分は、まともな方法でそこまでの力を手に入れた訳じゃない、と。
中学からの付き合いだからこそ解る。あのスクリューはあり得ない。以前使っていたものとは完全なる別物であろうと。
-------どんな方法なのですかねぇ。それはそうすれば手に入れられるのですかねぇ。絶対に突きとめてあげます、瀬倉さん。
さすれば、自分は―――瀬倉すらも支配し、そして自らも超常なる力を手に入れられるかもしれない。
この好機を、逃してたまるものか。
ふふふふふふふふふふふふ。
はははははははははははは。
物陰の中、誰にも聞こえない程に密やかな声で、蛇島はそう嗤っていた。
―――さあて、だが今は凡人なりに、練習しようか。
すくりと立ち上がり、蛇島はゆっくりとグラウンドへ向かう。
―――帝王高校。貴方達なんぞ、眼中にありません。
―――――――――――――――
そうして、両校が向かい合う。
帝王高校と、海東学院高校が。
県予選二回戦―――しかし、どちらも予選突破候補だからか、まばらに観客はいる。
ホームベースを挟み、互いに一礼。
その瞬間―――奇しくも、目が合ってしまった。
石杖と、蛇島。
友沢と、瀬倉。
一礼するその瞬間に、確かな敵意を交錯させながら、それぞれが解散していく。
一回表。海東高校先攻。
マウンドには、久遠ヒカルが上がる。
―――逃げるな。
まっさらなグラウンドを彼は見据える。
ここが、運命の分水嶺。
―――逃げず、立ち向かえ。さすれば―――
あんな連中に負ける訳がない。あんな奴等に、友沢先輩が、石杖先輩が、霧栖が、負ける訳がない。
自分さえ負けなければ。
自分さえ逃げなければ。
それだけなのだ。それだけが―――この勝負の命運を、分ける。
プレイボールのコールが鳴り響く。
第一投を―――今まさに彼は放とうとしていた。