―――圧倒的であった。
二者連続三球三振。一番有島は直球とスクリューのコンビネーション。二番木島は三球スクリューを投げられ三振を喫した。
「-------やべえよやべえよ。何だよ、あの球」
有島はブツブツと、不平を漏らしながらバッターボックスを去って行った。
「球速表示じゃやっぱり130出てるなあのスクリュー---有島、どうだった?」
同級生のキリスは、ベンチに戻って来た有島に尋ねる。
「わ、わけが解んねえよ。普通、変化球投げるときって、直球より腕が緩む分、早くリリースされるもんだろ。アイツ、逆だぜ。スクリューを、
「------なんじゃそら」
いや、それはあり得ない。
本来、変化球を投げるという行為は直球を投げる動作に何かを付け加えながら行う動作だ。捻って切ればスライダーになるし、肘を抜けばカーブになるし、指を挟めばフォークになる。その余剰動作分だけ、どうしてもリリースが緩み、早くなる。この緩みをどれだけゼロに抑えられるか、それをピッチャーは常に追求しているはずなのだ。
だが、直球よりリリースが遅れるとはどういうことだ?
そんな事をしてしまえば、すっぽ抜けか叩きつけるかの二択でしかないはずである。基本的に直球も変化球も「落ちる」球だ。ストレートはバックスピンによって落ちていく軌道を揚力で修正する事によってその落ちを抑制しているにすぎず、変化球は落ちながら別方向に曲がって行く。よってだ。自然と直球より変化球の方がリリースは早められるはずなのだ。「落ちる」のだから。落ちていく距離だけ、リリースで高めに修正していかねばならないのだから。直球と同じリリース、というならばまだ解る。だが、直球よりも「遅く」リリースされたボールは、ストレートの軌道よりも更に下方向へと向かう。その結果として、叩きつけられる帰結にしかならない。
「あり得ねえと思うだろ。けどありゃあ、マジだったぜ。直球待とうとタイミングを合わせてたら、球が来ねえ。タイミングが外された一瞬で、球がもう足元に来てやがった。打てねえよ、あんなの」
通常、バッティングはストレートを待ちながら変化球に対応していく。
一番早くミットに到達するであろうストレートのタイミングにまず標準を合わせながら、変化球が来ればそれに合わせて修正していく。相手投手の腕の緩みやリリースを観察し、放たれた瞬間にそのタイミングに合わせていく。それがバッティングの基本的な作業だ。
あり得ない話だが―――仮に直球よりも更に「遅く」リリースされる変化球がそこに存在するのならば、その根本が崩されてしまう。
直球が放たれるリリースのタイミングに合わせて、バッターはバッティングの準備を開始する。足を上げ、腰を旋回し、バットを振るうのだ。
そのタイミングから「遅れた」形で変化球が来ればどうなるのか?
はっきり言ってしまえば―――バッティングした後にボールが放たれている感覚なのだろう。
本来、直球のリリースより「早い」事はあれ「遅れる」事はあり得ないのだから。スクリュー自体の曲がりやキレやスピードもさることながら―――一番おかしいのは、このリリースのタイミングなのだろう。
―――どういうこった、こりゃあ。
キリスは三球三振しベンチに帰って行く木島と代わり、バッターボックスに立つ石杖をジッと見る。
―――まあ、アリカ先輩ならただじゃあ終わんないっしょ。
何かしらの手がかりを掴んで、帰ってくるはずだ。
------山口先輩の事もあって、バッティングの修正に本格的に乗り出したんだ。ここで終わる訳がねぇ。
―――頼むぜ、先輩。
※
「石杖先輩、何か不思議な左手の使い方してるっすね」
ある日の事、石杖アリカはキリスにそう言われた。
「どういうこった?」
「先輩、右利きっすよね」
「そうだが?」
「ちと、トスしますんで打ってみてください」
そう言うと、キリスは石杖をバックネットまで連れていき、トスバッティング練習をさせた。
20球ほど費やし、キリスはうんうんと得心あり気に呟いている。
「俺のバッティングがおかしい、って先輩言ってましたけど、俺から見れば先輩の方がおかしいっすよ」
「何がだよ」
「普通、バッティングは利き手で捉えに行きますよね。そんで、利き腕とは逆の手で押し込んでいきますよね。捉えに行く作業と球を押し込む作業は別々にしなきゃいけないんだから」
「----?まあ、意識はしてねえけど、多分そうなんじゃねえの?」
「アリカ先輩のバッティング見て、俺、最初左利きの両打ちなんかな、って思ったんすよ。先輩、打席じゃ右腕より明らかに左腕主体でバッティングしてるな、って。明らかに、左で捉えに行っている。けど、右利きだって言うじゃないっすか。よく解んねえバッティングだな、って思うんですよね」
そうなのだろうか?
実際、そういう風に言われた事は始めてだった気がする。
少年野球の頃より―――少なくともフォームに関して何かしら文句を言われた事は少なかった気がする。動きが少なく、シンプルでいいフォームだ、と。そう言われてきた。
―――ああ、でも。
小学校の時、左腕を骨折した事があった。
その時、麻酔もかけられて腕もガッチガチにギブスで嵌められた状況下の中―――アリカは瞼を閉じた時、確かに感じたのだ。
ギブスに嵌められ、動けないはずの左腕が、確かにそこに在って、暗闇の中自由に動かせるイメージが―――そこにあったのだ。
そうか。
それが、石杖所在の中にある唯一の「異質性」なのかもしれない。
自分の肉体部位の中でも―――「左腕」に関してだけ、その動作イメージが容易なのだ。
だからこそ、キリスの言う事は正しいように思えた。
―――左腕の方が、動作のイメージがしやすい。だから、球を捉える最初の段階を、利き腕だけでなく「左腕」でも行っていた。
その分だけ、ミートを容易にさせていたのだろう。
「先輩、スイングがめっちゃ綺麗な水平ですよね」
「まあ、ゴロ打たねえと俺の存在価値はねえからな」
「いや、インパクトまでバットを水平に出せるのはいいんすよ。けど、フォローまで水平にする必要はないっしょ」
「あ?何でよ?」
「左腕でタイミングが取れるなら、コントロールしやすい利き腕でインパクト出来る訳じゃないですか。なのに、低めの球をゴロ打つだけじゃもったいないっすよ。―――インパクトをもっと強くしましょう。打球を上げましょうよ。そうすれば、先輩はもっとアベレージが残せると思いますよ。勿論、ゴロが必要な時はそのままでいいんですけど」
「-----お前、どうした?」
アリカは、今のキリスに違和感を覚えた。
―――こういう風に、積極的に人の打撃に干渉して来るキャラじゃなかったはずだ。
いい意味で、この男は干渉しないキャラのはずだ。いい加減なようで、この男はしっかりと他者を見ている。下手な干渉によってバッティングが崩れる事をしっかりと考慮しているのだろう。
けれども、今のコイツは―――こうして、バッティングに付いてああだこうだと、言ってきているのだ。
「まあ、何というか------。俺も、色々思う事があったんすよ」
「何だよ、色々って?」
「―――あんな糞野郎に敗けるのは、とことんまで胸糞悪いんすよ。野球で勝った負けたの話じゃない。これは全力で売られた“喧嘩”なんすよ。決して勝負じゃない。負けてしまえば何の意味も無い、糞みたいな喧嘩なんすよ。勝負に負けるのはいい。けど―――喧嘩に負けるのだけは、ありえねぇ。奴等はキッチリカタに嵌めなきゃいけねえんだ」
キリスは、―――何処となく真剣な目で、呟く。
「山口先輩も、友沢先輩も、久遠も、仲間っすよ。仲間が糞みたいな目に遭ったんだ。だったら、し返さなきゃいけねえ。それが道理だ」
これは勝負ではない。
喧嘩であり、報復である。報復は―――徹底的にやらねば、意味がない。
「だから------」
「はいはい、解った解った。ちょっと見間違ってたよ、キリス。意外に、お前も熱い奴だったんだな」
「-----」
「解ったよ。―――俺も、出来るだけの事はする」
―――どいつもこいつも、変わっていきやがって。俺だけが、取り残されているじゃねえか。
別に取り残されても、気にはしなかったはずなのに。
―――解っている。解っているさ。
何を無視したって構わない。けれど―――心に宿った「憎悪」の感情だけは、どうしようもないのだと。
※
こうして、石杖所在は打席に入る。
―――さあ、来やがれ。
ツーアウトランナー無し。
相手は、明らかに傲慢なタイプの性格だ。
無理をせずとも別に構わない場面。二者連続三球三振中。
―――この場面で、初球から切り札を使うだろうか?
ない。
絶対に、ない。
余計なカウントを稼ぐことは、絶対にしない。
この予想に賭ける。
―――そら、来た。
左腕が、反応する。
ボールを、捉える。
バットは綺麗な最短距離を描きながら、インハイの球を捉える。
―――押し込め。
けたたましい金属音と共に―――ボールはレフト方向へ大きく流れていく。
あわやホームランか―――そう思ったのも束の間、ボールはポールフェンス際で切れ、ファールが宣告される。
瀬倉は―――プライドが大きく傷ついたのだろうか。悔し気に表情を歪めながら、石杖を睨み付ける。
―――ヘイヘイ、ピッチャー。まだ勝負は続いているぜ。
石杖はそう心の中で相手を嗤いながら、打席に入る。
―――ぶっつぶしてやる。早く投げ込んで来やがれ。
石杖と、瀬倉が対峙する。
不思議な静寂と共に―――第二投が投げ込まれようとしていた。
あんま進まなかった。すみません。