信じがたい思いであった。
一塁ベース上、石杖はジッと瀬倉を眺めてみた。
敢えて、挑発的なニヤケ顔で。
瀬倉はこちらを一切見ない。しかし、―――次の打席に立つ友沢を見るその表情は、明らかに苛立っていた。
タネを明かせば、瀬倉は―――肘関節を伸ばしているのだろう。
信じられない話だが、それでもそうとしか仮定できない。
肘関節は、筋肉によって繋がれている。
肘の可動部分の間にある腱によって繋がれた筋肉が伸縮し、肘関節は動き出す。
スクリューを投げる場合、肘を捻り、シュート回転をかける事で初めて曲がり出す。握りによって投げる事も出来るが、瀬倉のような大きく曲げるタイプのスクリューならば肘の捻りなくして投げる事は不可能だろう。
スクリューを投げる時、真っ直ぐより“リリースのタイミングが遅れる”。
これが可能となる仮説を考えれば―――奴自身の腕が伸び上がる事が必須条件となる。
瀬倉は、あのスクリューを使いだしたタイミングで―――ユニフォームを長袖に変えている。
腕の使い方を変えたから、それを隠す為だと奴は言っていたという。
嘘は言っていない。
例えば。例えばであるが。―――外科的手術を用いて肘の間にチューブでも埋め込んだのかもしれない。人工筋肉に取り換えたのかもしれない。ここからは完全なる想像でしかないが、しかし考えられる可能性はこんなものだ。
「------ありえねぇ、よなぁ」
自分の想像力に、思わず苦笑する。
まあ、しかし何らかの要因によって「スクリューを投げる際にリリースが遅れる」という事象が起こっているのは間違いあるまい。あの霧栖であっても、実際に自分の感覚と完全にズレていたと報告していたのだ。ここだけは、実際の所どうしようもない厳然たる事実として存在している。
しかし、収穫はあった。
一つ。スクリューを投げた直後には、あの男はピッチャーゴロを処理できない。恐らく一塁ベースまで走り寄ってトスする位ならば出来るかもしれないが、間違いなくサード方向へのゴロ処理などの一塁へ素早い送球する必要が出来た場合には不可能になるだろう。
二つ。
「―――セーフ!」
―――やっぱり、アレは厳然たる魔球だ。しかし、魔球故にアマレベルのキャッチャーには荷が重い。スクリューが投げられた時点で捕球が精一杯であり、スチールには対応が効かない。瀬倉自身、あまりクイックが早くない事もあり―――塁を盗む事は然程難しくはない。
石杖所在のスチール成功により、ツーアウトランナー二塁の状況下となる。対峙するは帝王の四番、友沢亮。
―――うぜぇ。
ちょろちょろちょろちょろ。先程頭部死球をぶち当ててやった奴が、こっちの手を見透かしたようにごちゃごちゃごちゃごちゃ。ウザいったらありゃしない。さっきは戦略的な頭部死球だったが―――今度は、感情面で奴にデッドボールを与えたいくらいには、瀬倉は石杖にイラついていた。
―――はん。だからなんだ。
―――お前はしたり顔かもしれねぇな。弱点を見つけたってな。これで攻めの筋が出来たってな。よかったなぁ―――。
表情が、歪んでいく。
イラつく。ムカつく。頭が沸騰したように熱くなって目の先がチカチカする。
この程度の怒りですら、この男は我慢することが出来ない。いや、する必要なんてなかった。ムカつけば解消すればいい。壊せばいい。それが許される特別な存在こそが瀬倉弓也であるからだ。
「―――く」
インサイドの直球を二球。アウトサイドの直球を更に二球。その全てがファールゾーンに飛ばされ、ツーストライクワンボールまで追い込まれる。
―――ここに来て直球の球威が増してきた。
明らかに、ギアを入れてきた。その感覚が打席に立つ友沢にも如実に伝わってくる。
そして最後は―――外へと逃げるスクリューを外角から投げ込んだ。
タイミングを外され―――空振り三振を喫する。
―――けどなぁ、バットに当たらなきゃ意味がねぇんだよ。
三回裏をしっかりと抑えた瀬倉は、雄叫びを上げながらベンチへと帰っていく。
まるで、内にある靄を消さんとするばかりに。
※
ベンチに戻る時―――石杖を監督が呼び出し、あのプレーの真意を尋ねた。
だからこそ、石杖は自らの仮説を隠すことなく監督に伝えた。
「-----本当か?」
「うす。------何か肘の間に細工があるのは間違いないかと」
ううむ、と監督は一つ唸る。
当たり前であるが、にわかには信じられない話だ。
「しかし------あのピッチャーゴロ処理は、明らかに不自然なのは間違いあるまい」
「ねえ、監督」
「何だ?」
「ちょっとだけ、面白い事を思いついたんですけど―――聞いてくれません?」
※
四回表の海東学園下位打線の攻撃。しっかりと久遠が三者凡退で終えた、その裏。
「------」
霧栖弥一郎が三振を喫した次の打席。―――異変が、起きていた。
六番、新垣。
始めから―――バントの構えで打席に立っていた。
―――いいか、お前等。正直、瀬倉の変化球にまともに対応できる可能性があるのは、クリーンナップの三人だけだ。
監督が皆を集めて、開口一番そう言い放った。
―――だが、打つ手はある。
そう宣言し―――打ち出した手が、これである。
その意図が理解できない瀬倉ではなかった。
―――スクリューが来たら、全部こっちにバントするつもりか!
先程、露呈してしまった瀬倉の「弱点」。
それは、スクリューを投げてしまえば、その後のピッチャーゴロの処理が出来なくなるという弱点。
―――まさか。
さっきの「アレ」を偶然と片付けず、本気でこれをチームがかりで攻め立てるつもりなのか。
石杖には、何となくこの仕掛けが見抜かれた事を感じていた。
しかし、―――普通に考えればあり得ないその論理。スクリューを投げる時に肘関節を伸び切らせている所為で、まともな送球が出来ない―――そんな、常識はずれのカラクリ。
それを、信じているのか。このチームは。
ギリ、と瀬倉は歯軋りしながらセットポジションに入る。
―――舐めんな。
一投目。直球を投げる。
すると―――新垣はそのままバットを引き、振った。
あからさまなバスター打法だ。バントの構えからバットを引き、打撃へと転化する打法。
それを、新垣はやった。
当然―――バント構えからスイングへと移行する為、余計な動作が入り混じる。その為、瀬倉の真っ直ぐは打ち返せずファールゾーンへと飛んで行く。
同じ様に、二投目も真っ直ぐを投げ、同じ様にファールゾーンへと飛んで行った。
ツーストライク。一気に追い込まれる。
―――しかし、新垣のバスターは変わらぬまま。
「------」
三投目。真っ直ぐ。ファール。
四投目。真っ直ぐ。ファール。
五投目―――。
「-------」
遂に、瀬倉が折れる。
低めへと沈んでいく、スクリューを投げ込む。
当然、バントを行使し、ファールゾーンへ飛べばスリーバントによってアウトとなる。
しかし、新垣はそれでもバントを行使した。
バットの上っ面を叩いたその打球はフラフラとファールゾーンへ飛んで行き、アウトとなる。
新垣はアウトを宣告されると同時にベンチへ戻る。―――出迎える連中の全員が、バシバシと頭を叩いて「よくやった」と言っているようであった。
七番宮出が、打席に入る。
瀬倉は、ぞわりとした感覚に襲われた。
何故なら―――同じ様に、バスターの構えをしていたからだ。
※
「つまりだな―――俺達は、周囲にアピールするんだよ。“あいつのさっきのプレーは、インチキの匂いがする”ってな」
石杖は、作戦の意図を皆に説明する。
「真っ直ぐは振れ。スクリューはバントしろ。追い込まれてスリーバントの状況だろうがやる事は同じ。―――これでまぐれ当たりでスクリューのバントをあいつに転がすことが出来れば万々歳だが、そうじゃなくても別にいいんだよ。意図は二つ。奴にスクリューを投げにくくさせて、真っ直ぐを投げるように誘導する事。そんでもって―――周囲に、つまりは観客だとか審判だとかに、さっきの瀬倉のピッチャーゴロ処理の怠慢プレーは、偶然じゃないと想定して俺達は思っている、と。そう思わせる事だ」
「----どういう事だ?」
友沢が、石杖に尋ねる。
「見た所、アイツは相当イラつきやすいしプライドが高い。そういう奴にとって、周囲の空気ってのは結構敏感に感じ取れるもんなんだよ。―――アレ、アイツ何かがおかしいのか?そう周囲に思わせれば、それだけで冷静さを奪える。そして、ますますスクリューを投げ込みにくくなる」
要するに。
これは奴のスクリューをとことんまで封じる作戦であり、奴のイライラを誘う作戦だ、と石杖は解説する。
「だから、徹底してやるぞ。スリーバント上等。むしろ“スリーバントしてまで、バントしたいのか”と思わせればこっちの勝ちだ。無為に三振の山を重ねるよりこっちの方がいいだろ」
さあて、と石杖は締めの言葉を喉元へと持っていく。
「―――こっからが、俺達の攻めだ。徹底して、ぶちのめすぞ」
大和加入記念。ばんじゃーい。