取り敢えずピーナッツ野郎と若菜は許さん。
よくここには走りに来るんだ、と彼女は言った。
「ここ、山道にかかって長い階段があるでしょ。家が近所だから、ランニングには丁度いいかな、って。-----鋳車君は、お墓参り」
「ああ。------今日が、親父の命日でな」
「-------」
親父、というワードを発した瞬間、早川あおいの表情が歪んだ。
「そっか-----。お父さん、亡くなられているんだね」
「ああ」
その後、早川あおいは暫し―――次に繋ぐ言葉を失った。
鋳車和観。
彼を見知ったのは、高校生になってからだ。
猪狩守と双肩を並べる右腕エースが、中学の頃まで全くの無名だったという事実。
リトルでもシニアでも、彼の噂は一つたりとも聞いた事が無かった。
改めて彼の姿を見る。
よれよれのTシャツとパンツ。汚れたシューズ。
試合の時に見た姿を思い出す。
つぎはぎだらけのボロボロのグラブに、異様な雰囲気の中でも動じなかった―――あの表情。
きっと彼は、いわゆる「普通」の人生を歩んで来れなかった人間なのだろう。
それが、何故なのかは解らない。推測ならば幾らでもできるが、それは触れてもいい問題ではない。
だから言葉を失った。
自分が吐き出す言葉が―――無神経なものになるかもしれないから。
その様子に勘付いたのか、鋳車は一つ息を吐く。
「別に気にする必要はない」
「あ-------うん」
その言葉に、少しだけ安心する。偶然とはいえ、父の命日の墓参りというシチュエーションを邪魔してしまったのは他ならぬあおい自身なのだから。
「ねえ、鋳車君。一つ聞いてもいいかな」
彼女は、どうしても鋳車和観に聞きたい事があった。
それは、シンプルな事だ。
「君は、―――女の子が、男の子の舞台に立った事を、どう思った?」
「女」が「男」の舞台に立つ。
甲子園という球児たちの祭典に、自らも立たんと、彼女達は必死にこれまで野球をやって来た。
どうしても聞きたかった。
―――あの時。迷いなく自分達を全力で叩き潰してくれた、張本人に。
あの時。恐怖すら感じる程の容赦のなさを感じ取った。周囲の雰囲気に流される事なく、徹底して弱点を突き続けた鋳車和観は―――自分達をどう思っているのだろうか。
その問いに、鋳車ははっきりと言い放った。
「どうとも思わなかった」
そう、変わらぬ表情で。
「―――マウンドに立つ事を選択したのなら、そこには『男』も『女』も関係ない。だから、俺は野球をしている」
「そっか。―――ねえ、鋳車君」
「何だ?」
「鋳車君は、何で野球を続けたいと思ったの?」
―――マウンドに立つ事を選択したのなら、そこには『男』も『女』も関係ない。だから、俺は野球をしている。
何が、『だから』なのだろうか。
マウンドに立つ事が、彼にとってはどんな意味がある事なのだろうか。
それが、どうして野球を続ける原動力になっているのだろうか。
それが―――どうしても、あおいは気になってしまったのだ。
「―――何で、か」
彼は下を俯きながら、ボソリとそう呟いた。
今度ばかりは、少し言い淀みながら、答える。
「―――多分、野球が俺を救ってくれたからだと思う」
言葉を選ぶようにして、彼はそう言った。
「親父が死んで、脛齧り持ちの子供を抱えた女が一人残されて。家も追い出されて学校にも居場所がなくなって。それでも野球を続けていたら友達が出来た。チームメイトが出来た。生活が変わった。―――野球が好きでよかったと、心の底から思えた」
だから、と彼は続ける。
「俺は、ようやく―――ようやく、野球で居場所を見つけた。もう手放したくない。だから俺は野球を続けている」
「------そっか」
―――野球で居場所を見つけた、か。
この人も、同じだったんだ。そう早川あおいは思った。
居場所が欲しくて、必死に足掻いて。足掻いてもがいてようやく見つけた居場所を守る事に必死になって。
だから、あんなに容赦が無かったんだ。
だから、いつもあんなに必死だったんだ。
マウンドに立った時に感じられる、異様な威圧感。それは―――真剣さと必死さの顕れ以外の何物でもなかった。
『男』も『女』も関係ないなら、『生まれ』も『境遇』も関係ない。
金持ちも貧乏も、あの場では関係ない。全てが平等な機会を担保してくれる。
その平等さに、彼は救われたのだろう。
「アンタは、どうなんだ?」
今度は、聞き返された。
「僕?僕は―――最初は、お父さんに復讐したかった」
家庭を顧みず、母親の葬式にすら出る事無く、そのまま自分を捨てた父。
憎かった。
だから―――プロ野球選手になって復讐を果たそうと。そう心から思っていた。
「でもね。気付いたんだ。あの子たちと一緒に野球をやってて―――野球は、憂さ晴らしの道具じゃないって」
野球をやってて、楽しかった。
一緒に努力して、一つの目的を持って皆で突き進んで。
その道がいざ途絶えてしまった時でも、それでも諦めきれない程度には―――野球が持つ引力に囚われてしまった。
「やっぱり―――僕は野球をやりたかったから、必死になってたんだと思う。僕だって、あの舞台に立ちたい。皆と一緒に野球がしたい。僕の全てを、あの場所で見せたかった」
その全てが、自分の高校生活を推し進めた原動力だった。
父への復讐。その台詞を聞いた瞬間に―――鋳車もまた、複雑気に表情を歪めていた。
「------これは、お前にとっては余計なお世話だろう。だから、聞き流してくれて構わない」
鋳車は、言う。
「―――親は、どう足掻いても親だ。憎んでも、愛していても、どうしてもついて回って来る。だったら、早めにケリをつけていた方がいい」
「------どういう事?」
「お前が父親を憎んでいる理由は解らん。けど―――死んでしまえば、ずっと恨み続ける事になってしまうぞ。だったら、早めに恨みだったら晴らした方がいい」
死ねば、死ぬまで恨み続ける事になる。
―――子供の頃。父親が死んだ所為で母親が苦労している事が理解できた鋳車だからこその、言葉だった。
「うん」
早川あおいは、少し微笑んで、
「そうだね」
と呟いた。
※
「ねえ、鋳車君」
「なんだ?」
やけにすっきりとした表情を浮かべた早川あおいは、鋳車に言う。
「鋳車君のシンカー、高めの軌道から落ちていくよね」
「ああ」
鋳車和観のシンカーは、高めの軌道から消えるように急激に落ちる。高めに浮きあがるアンダーの軌道を最大限に利用した変化球だ。
「凄い球だよね。―――でも、アレを活かす為には高めのボールがどうしても必要になる」
「------ああ」
鋳車の弱点は、恐らくそこにある。
高めの真っ直ぐ。そこから落ちるシンカー。高低差を利用するこのボールは、されど諸刃の刃でもある。
強打者相手に決め球のシンカーの為に高めの真っ直ぐを放らねばならないリスク。それは常に被本塁打の危険が付きまとう。
今回覚えたカーブも、どちらかと言えば“高め”のボールを更に活かす為のボールだ。より、配球が高めに集中する事になるかもしれない。
鋳車は、低めにボールを集められる制球力もある。されど、彼のスタイルとして低めのボールを活かせる球はスライダー位しかない。
ピンチに陥れば陥る程、頼らなければならないのは長打の危険が付きまとう高めのボール。当然、それこそが鋳車の強みでもある。されど、それを逆手に取られ石杖にシンカーを見切られヒットを打たれた事もまた事実なのだ。
「―――ここで、提案。鋳車君。同じサブマリンのよしみってわけじゃないけど」
「何だ?」
「僕のマリンボール―――覚えるつもりはない?」
そう言えば、気付かぬうちに感想がごっそり減ってる----。何か気に障る事しただろうか?何だか申し訳ないっす。