「お、山口さん。まだいたんですか」
「-----石杖か」
「調子はどうっすか?」
「ぼちぼちだね。君の方は?」
「ぼちぼちです」
帝王実業すぐ近くの河原に、いつもの影が見えた。
山口賢(イケメンVer)が、壁に投げ込みを行っていた。
石杖は通り過ぎようかとも思っていたが――やはりというか、何というか。先輩相手にあれだけの啖呵を切って、実際にやり遂げた実績を少しばかり目前の男に提示してやりたい思いといいますか。とにかくあまり性格のよくなさそうな理由で声をかけた。
「-----久遠、勝ったんだね」
「勝ちましたねー。まあ五失点はあんまり擁護できねーすけど。アイツにしては頑張ったんじゃないっすかね」
「いいじゃないか。ここで勝てば、きっとアイツは成長できるよ。――君もね」
「ん?」
「成長しただろ?」
少し意地悪気に、山口は石杖に言葉を吐きかける。
「----どいつもこいつも、同じ事を言いやがりますね。俺は何も変わっちゃいませんよ。長いものに巻かれたボーイです。現代っ子の怠け者の極致っす」
「素直じゃない所は変わらないね。――じゃあ、お互いの進捗具合を確認しようか」
そう言うと山口は、グラブに球を入れ、セットモーションに入った。
「え。俺今練習終わって疲れてるんですけど」
「俺もそうだよ?」
ほらほらと催促を受け、石杖は顔を顰め、溜息を吐く。
石杖は心底嫌そうな顔で、背負ったバッグからバットを取り出した。
「――ん?」
意外そうに、山口はその光景を見ていた。
「石杖。君――木製バットなんか持っていたのか?」
「まあ、そうっすね。――素振りする時、軽いんで」
石杖は少しばかりバツが悪そうにそれを取り出し、構えた。
「キリスがくれやがったんです。バッティング改造するなら、金属よりも飛びにくい木製の方が効果が実感しやすいって」
「そうか。――じゃあ、構えて」
「うっす」
石杖は、構える。
「――へぇ」
そのフォームを見て、山口は気付く。
その、変化に。
ほんの微弱な、フォームの変化。僅かに左肩を前に出し、足先の開きを小さくした――石杖の新フォーム。
「フォーム、変えたんだね」
「あ、気付きましたか?」
「うん。――それじゃあ」
山口は、右足を引く。
大きなワインドアップから、大きく足を跳ね上げ――そして大きく身体を逸らす。
反り返った身体が前へ押し出される同時に――唸るような直球が石杖に放たれる。
石杖は、すり足のように左足を僅かに上げる。
それと連動する様に――入れた左肩から右への腰回転が連動し、バッティングが行使される。
ボールとバットがぶつかり合う音と共に――石杖は脱力した左手に、グッ、と力を籠める。
その瞬間――ボールが面に接地させたまま――バットを前に押し出した。
「――おお」
その声は、山口から放たれた。
石杖は見事、山口の直球を捉え――そのボールを引っ張り上げていた。
3、4秒ほどの滞空の後――ボールはぼちゃりと河へと消えていった。
「まだまだ復活には程遠いっすね」
「そうだね。――けど、驚いた。君、そんなに飛ばせるんだ」
石杖は今のような――滞空時間の長いフライを打てる打者ではなかった。
どちらかと言えば、ライナー型の打者だった。鋭い打球をあらゆる方向に打ち分け、ヒットを量産する。それが今までの石杖のバッティングだった。
「まあ、ちょっとだけコツを掴んだんすよ。俺の身体はどうやら、左手が一番利口に言う事を聞いてくれるんで。もうそっちにインパクトを任せる事にしました。左手側に上手く力が伝わる様に肩を入れて、タイミングの取り方を摺り足にしただけで――引っ張りの威力が格段に上がりました」
「-------うーん。よく解らないな」
「解んなくていいっすよ。これもキリスの受け売りすから。――まあアイツみたいに内の球を反対方向にぶっ飛ばせるようなアホな技術じゃなくて、真っ当な技術すよ。内だろうが外だろう真ん中だろうが引っ張り上げる。それだけ」
「そうか。――けど、それだとインパクトのポイントが前になるだろう。変化球の対応はどうする?」
「あー。それは大丈夫っす。肩を入れる時、外の変化球だったら
「----え?」
「変化球だったら肩を入れるだけで、そこから一瞬身体を止めてくれるんすよね。で、止めた時変化球がボールゾーンに言ってくれたらそのまま。ゾーンに残るタイプの変化球なら、止めたバットを
「-------」
今、石杖は気付いているのだろうか。
この男は――キリスのバッティング論以上にイカレた理論を自分で振りかざしているという事を。
足を上げ、腰を回旋させ、バッティングをする。
この三段階の中で――普通は、第一段階でバッターは直球か変化球の判別を行う。
第一段階で投げられたボールの判別を行い、直球なら直球の、変化球なら変化球の、タイミングに合わせバッティングを行使する。
それ故に――バッティングのポイントを前にしなければならない引っ張り系のバッターは、変化球に空振りをしやすい。
バットとボールを当てるタイミングを前にすれば、それだけバットを出すタイミングを早くしなければならない。その為――直球よりも遅く、更に曲がって来る変化球に対応できないのだ。第一段階を素早く終わらせ、さっさと第二段階に入らなければならないから。
だがこの男は――あろうことか第一段階が終わり、第二段階へ完全に移行したタイミングであっても、変化球が来た際にバットを止め、あろうことかゾーン内であれば対応が出来るとまで言っていたのだ。
キリスは、第一段階で直球か変化球を見極める嗅覚が異常発達しているが故に、あのバッティングが出来る。これも普通ではない事であるが――直球か変化球かを見極めるのは、タイミングを取る時という大前提は崩していない。
それだけに、石杖所在という男の異常性が際立つ。
「まあ俺はキリスみたいな出鱈目なパワーが無いんで、引っ張らねえと長打が打てねぇんですよ。だからまあこんな感じに――あれ、どうしたっすか、山口さん」
「いや」
――いや、参った。
山口は一つ――笑いながら、溜息をついた。
――俺は見縊っていたのかもしれない。
石杖所在という男を。この男の異常性を。
――そうだ。この男も中学時代は「支倉の至宝」なんて異名で通っていたんだ。
「俺も――頑張らなければな、と思っただけだよ」
そう言って、山口は河原を眺めた。
夕陽に映えて、水面が真っ赤に燃え上がっているようだった。
※
両軍が並び立ち、互いに一礼する。
空のように鮮やかな青模様のユニフォームのあかつき大付属。
対照的な燃える様な赤を基調としたユニフォームのパワフル高校。
互いが列をなし、一礼する姿は――実にグラウンド上で映えていた。
「パワプロさん。――お久しぶりです」
「あ、うん。久しぶり、東條君」
互いに握手を行う瞬間――かつてのシニアの後輩が、声をかけて来た。
「今度は、敗けませんから」
そう言い残して、彼はベンチに戻って行く。
「-----東條君」
クールに見えて、熱い魂を持つ選手――それが、東條小次郎という男であった。
その在り方が妙に――自分が追い続けてきた親友の姿と重なって、ずっと好ましく思っていた。
そしてその様は、今も変わっていないようで。
「----よし」
ならばこそ。
後輩に恥ずかしい姿を見せる訳にはいかない。
彼は――ずっとその手で守り続けてきたポジションへ走って行く。
プレイボール!!
その宣言を聞き――互いのチームの表情が引き締まった。
この日で、決まる。
甲子園行きの切符が、誰の手に渡るか。
猪狩守はゆっくりと腕を上げ、モーションに入った。
一番、駒坂。
その初球。
「――え」
思わず、そう呟いていた。
破裂音のような――空気が割れる音と共に、ミットが唸り声を上げていた。
そして、
――ストライク。
その宣告が響いていた。
――打てるものなら、打ってみろ。
猪狩守はボールを受け取り、また構える。
僕は敗けない。誰にも打たせやしない。これが、僕の解答だ。エースとは、何なのか。その問いの。
猪狩は投げる。
縦に倒した身体から。
縦軌道の腕を通して。
真っ直ぐなスピンを真っ直ぐに立てた指をかけて――縦回転と共に、押し出す様に。
空気が割れる。
風を切り裂く。
そして――破裂音のような鳴動と共にミットに突き刺さる。
「さあ――真っ向勝負だ」
そう言って――猪狩守は、笑った。
「ここはもう、僕のマウンドだ」
横浜のキャンプ情報が入る度に思う。仕事辞めたい。