二番矢部は、まさしく相手の術中に嵌まった。
内角へのシュートから外角のスライダー。共に厳しいコースを突かれた後に、ふと訪れた真ん中付近へ投げ込まれたボール。
当然それを打とうとして、――足元に微妙に曲がって来た。
バットの下っ面を叩き、ボールは三遊間に転がっていく。
ショートの佐久間が難なくこれを捌き、素早い送球で矢部をアウトにとった。
――成程。
ネクストバッターズサークルからその光景を見ていた猪狩進は、一つ頷く。
厳しいコースを連続させての甘いボール。
そこからバットを振らせ、微妙に曲げる事で芯を外しゴロを打たせる。
――確かに厄介なピッチャーだ。
兄の如き剛速球も、鋳車のような魔球も無い。
されどこの男は、はっきりとした投球の軸と、術を持っている。
高いコマンド能力と、コースを自在に操れるコントロール。その上に、バットに自らの球を
ピッチャーは、大抵が三振を取ってアウトを奪いたいと願っている。
何故か。
答えは単純で、それが一番安心だからだ。
バットに当たらなければ何も起こらない。ヒットもホームランもエラーによる出塁もない。いざボールがバットに当たった瞬間に、様々な可能性がグラウンド上に発生してしまう。
それら全てを撲滅できる手段が、バットに当てさせない事である。
だから、どうにかピッチャーの心理はバッターが当てにくいコースへ投げ込まなければならないという心理が働いてしまうのだ。それも、追い込めば追い込む程に。
だがこの男は違う。
この男は敢えて甘いコースにボールを投げ込める。
バットに当てさせるために。
異質なピッチャーだ。
されど――こういった手合いのピッチャーの方が、進にとってはやりがいがある。
――三番、キャッチャー猪狩進。
アナウンスと共に、猪狩進は打席の中へ入っていく。
※
猪狩進、パワプロ。
この打順の流れを、最も館西は警戒していた。
この二人の打者は、ヒッティングポイントが他の打者よりも後ろにある。
後ろで捌く技術を持つ打者に対し、館西の「当てさせる」ピッチングは相性が悪い。
――猪狩弟に出塁された状態でパワプロを迎えさせたくない。
館西は、そう考えていた。
パワプロは元々広角への打ち分けに定評のある打者だったが、打撃改造により現在紛れもない強打者として成長している。
今大会でも遺憾なくその威力を発揮し、現在地方大会打点王として君臨している。
故に、猪狩進とパワプロ。
苦手なバッターが並ぶこの打順の流れが、一番点が入る可能性が高い。
――まあでも、結局の所考えるべきはただ一つやな。打たれるのはしゃーない。重要なんは、打たれても点に結び付けさせない事や。
打たれない場所を探る、のではなく。
打たれても長打にならない場所へ投げる。
それがこの両者に対し必要な事だ。
――取るべきリスクは取り、投げるべき場所に投げ込む。後は野となれ山となれや。
猪狩進が打席に入った瞬間、――守備陣が微妙に変わった。
センター方向にショートが守備位置をずらし、それに引っ張られるようにサードがショート方向にずれる。
その変化を、進は気付いた。
――三塁線を、開けた?
守備陣形は、完全に引っ張り対策の陣形を敷いてきた。
センターからライト方向の守備を固め、その代わり三塁線は開ける。
そして、キャッチャーは構える。
猪狩進の、内角に。
第一投。
直球が投げ込まれる。
インサイド中頃のコース。
これを打とうとバットを出しかけるが――止める。
ストライクが宣告され、進は一度打席から外れる。
――成程。
この一球で、相手の意図が理解できた。
守備を引っ張り対策の陣形にして、その上で徹底して内角攻めをするつもりか。
引っ張りを打ちやすい球を投げ込み、守備陣形でそれをアウトとする戦略。
それを今、パワフル高校は行っている。
――舐めるな。
内角に投げ込まれると解っている相手の球に、対処できないとでも思っているのか。
守備の頭を越せば、シフトなんて関係ない。外野まで球をもって行ってやる。
第二投が、放たれる。
内角へ向け、ボールが放たれる。
――狙い通り。
進は、そのまま駒のように腰を回旋させ、そのボールを捉えにいった。
ぐるりと回ったヘッドが芯を喰らわす――その瞬間。
更にそこから、内角へ曲がっていく。
あ、と思った瞬間には――ボールはバットの根元へ小さく当たっていた。
擦れるような金属音と共に、ボールは進の足元に叩きつけられた。
――スライダー、か。
ボール一個分、ゾーンの外へと曲がっただけのスライダー。
されど、内角へ狙いを定め振りに行った進にとって手を出さざるをえない球。
そして――見事ファールボールによってカウントを稼がれた。
追い込まれる。
――守備陣形までも、揺さぶりの道具にするのですね。
これは館西の能力と、パワフル高校の守備力あっての戦略だろう。
何処にだって、どんなボールだって投げられるピッチャーと何処を切り取っても安定した守備力を持つ守備陣。
それが組み合わさり、今進は追い込まれている。
どうする。
外を無理矢理に狙うか?いや駄目だ。内角低めの球をレフト線に持っていくだけの膂力を進は持たない。
ならばまた強く引っ張るか?
今の状況では、それが最善であるように思えた。
強く振る。
その上で、変化を見届ける。
それを両立したバッティングさえ出来れば、内角に来ると解っているならば対処できるはずだ。
進はバットを構える。
ジッと、次の球を待つ。
三投目。
館西は――またしても内角へと投げ込む。
直球か。
変化球か。
見極めんと集中した進の眼には――それはボールゾーンへと流れるような球に見えた。
ここはボールカウントを稼ぎに来たのか、と判断した進はバットを止める。
されど。
内角のボールゾーンへ向かう球は――そのまま、ストライクゾーンへと流れていく。
「え」
思わずそう口に出した瞬間、
――ストライク!バッターアウト!
そう宣告を受けた。
三球で、見逃し三振。
その球の軌道は――内角のボールゾーンから、ストライクゾーンへと流れていくシュートボール。
右ピッチャーから左バッターの内角へ投げ込んだ後に、更にゾーン内へと曲がるその球。
所謂、フロントドア、と呼ばれる球であった。
「---------」
チェンジが宣告され、進は今の攻防における情報を冷静にまとめていた。
直球、スライダー、シュートを用いて、館西は進の懐を広く使って攻め込んできた。
内角しかない、という意識付けを守備陣形で植えつけ、基本的にはアベレージ型の進のバッティングを崩した。
強く振らせ、その分ゾーンからのボールの動きへの意識を散らしたのだ。
ゾーンにボールがあると思わば手を出す。手を出せばボールゾーンへ流れる為に、球が前に飛ばない。
ボールゾーンへ流れていけばバットを止める。止めたらそこからストライクゾーンへと流れていく為、カウントを稼がれる。
変幻自在。
まさしく今、猪狩進は館西勉というピッチャーの掌の上で踊らされていた。
戦況を分析すれば、凡退の原因が何であるかは理解出来る。
だが、その対策を打とうとも、対策の対策が簡単に浮かんでくる。
バッティングをもとの形に戻した所で、内角攻めの中で外に流す事はできない。
引っ張りに行けばゴロならば高確率でアウトになる。
フライを打とうと強振すれば、先程と同じ様にゾーン内外の変化で結局凡退してしまう。
――ピッチャーと、バッターの対決。
だがパワフル高校はここに、鉄壁の守備陣という相手が前面に相手として立ちはだかる。
――どうすれば、いい?
先程の攻防で、頭が混乱しかける。
「進」
その時。
声が、かけられた。
「切り替えろ。大丈夫、安心しろ。――僕が0点で抑えておいてやる。その間に、館西の対策を考えろ」
兄、守の力強い声だ。
――そうだ。僕は何度忘れて、何度思い出させられたのだろう。鋳車先輩だって言っていたじゃないか。
自分は、キャッチャーだ。
キャッチャーは、ピッチャーを使って0点で抑える事でだって、貢献できる。
「――行くぞ」
守の声に、はい、と答える。
試合は、2回へと進んでいく。
上茶谷。
ああ上茶谷。
上茶谷。
最近、この音とまれ!がアニメ化されたみたいですね。おめでとうございます。大好きな漫画です。
来栖ちゃん可愛い。けど昌先生もっと可愛い。