ノーアウト一塁。
通常であるならば、この状況では幾つもの選択肢がある。
バントで一塁走者を進めてもいい。盗塁を仕掛けてもいい。ランエンドヒットも、場合によってはあり得る。
だが――今ここにおいてはむしろこの状況が枷になっている。
守備が硬い。
この事実があるだけで、一塁走者はむしろ打者の打撃を制限する存在と化してしまう。
サードには強肩の東條。二遊間には駒坂・佐久間の守備陣が敷かれ、一塁の神宮寺も十分な守備力を持っている。
余程勢いを殺さなければ、内野ゴロは即座に併殺の餌食となる。
ならばバントの選択肢が浮かび上がるが、館西は今大会において一人もバントを成功させていない。
優れたコマンド能力を駆使し、ファールゾーンへ転がるようアウトコースへシンカー・スライダーを投げ分け、結局ツーストライクまで追い込む場面が実に多かった。更に館西自身のフィールディングも悪くない。正面付近に来たボールは、難なく捌く事が出来る。
バントも、ゴロも、常に併殺の危険がチラつく。
そうして――併殺を打ってはならない、と打者が自分のバッティングを崩す事まで見越して、館西は配球を考えているのだろう。
ならば、この場の最適解とは?
――俺が走らなければいけない。
パワプロは、そう解を出していた。
ここで自分が二塁に進む事――すなわち、盗塁を成功させる事こそ、この場における最適解。
だが。
館西に意識を集中したその瞬間――ヒュン、と投げ込まれる白球が見えた。
セットポジションに入る前、館西はこちらにしっかりと牽制球を投げ込んできた。
――まあ、そう簡単にさせてはくれないよな。
恐らく、盗塁を仕掛ける気配をバッテリーが感じ取ったのだろう。事前に走る事を念頭に置いたパワプロは、自らも気が付かぬうちに塁上で違う所作をしたのかもしれない。
――重心の置き所一つ違うだけで、ランナーは違う姿に見える、ってカズミも言ってたなぁ。
パワプロは純粋な走力で言えばチームでも早い方に入る。猪狩守よりも早く、矢部よりも遅い程度。
だが、こと盗塁に関してパワプロは突出して上手い選手ではない。
投手のクイックが遅かったり、キャッチャーの送球が甘かったり、そういうマイナス要素を相手が持っていた時にようやく盗塁を狙える程度のレベルだ。
――ふふん。パワプロ君は頭が悪いでやんす。
そう言えば、その辺りであの眼鏡が鬼の首を取ったかの如き見事なマウント取りで馬鹿にしていた事があったなぁ。
――盗塁する、ってなったらすぐにリードを大きくする。重心を進塁先に傾ける。もう走るぞ、って全身で主張しているみたいでやんす。それじゃあ走れるわけ無いでやんすよ。
あ、なんか腹が立ってきた。
けど、言っている事は解る。
今の自分は、盗塁を警戒されている。盗塁をする気配を読まれている。
――でも。それでも、走らなければ。
※
――ここに来て、色々と動く気配がある。
館西は、そう感じ取っていた。
――手の内が読まれている感覚がある。あかつきの作戦が段々と解って来た。
パワプロがスチールを仕掛けようとしている。
五番横溝も、それとなく目線が塁間とベンチに向けている姿が見える。
――パワプロは一塁釘付けが理想。せめてアウト一つ取るまではスコアリングポジションに向かわせてはならない。
パワプロがあかつきに勝つ為の条件は、館西がイニングを稼ぐことがまず第一である。
今日の猪狩守の出来具合を見れば、投手戦に持ち込む以外の勝ち筋が見えない。延長も全然あり得る。
現在はルールが改正され、延長時はタイブレーク方式となる。イニングスタート時に一塁二塁に走者を置いての勝負となる。
この場合、パワフル高校は大きく不利となると館西は想定していた。なにせ、あかつきにはもう一人のエースがいる。延長に入っても、消耗していないエースを更に投入できるのがあかつきの強みだ。
勝負をつけるならば、猪狩との一騎打ちに打ち勝たねばならない。その為には、館西は出来るだけ多くのイニングを稼がなければならない。
点を与えてはならない。
だが、長丁場を想定してスタミナも温存していかなければならない。
だからこそ――下位打線相手に、余計な力を使う訳にはいかない。
スコアリングポジションにパワプロが行ってしまっては、館西も本気で打ち取りに行かざるを得ない。それは、館西の体力の消耗を推進させてしまう。
――成程。この打順の意図がようやく解って来たかもしれない。
トップバッターに猪狩守。
一番から四番まで主力を固めている。
「上位打線」の前に「下位打線」を出してはならない――という館西の意識と共に。
「下位打線」の前には高確率でパワプロの出塁が存在している――という事実がある。
この二つと、先述のあかつき戦での勝負条件が組み合わさると、こういう結論になる。
――館西は、下位打線相手でも手を抜く訳にはいかない。
パワプロという走者がいる。そこから下位打線に打たれたら失点。
下位打線の打者を出塁させたら、その後に待っているのは恐怖の上位打線が待っている。
この流れの中で、失点を許さない投球が続く訳だ。
どの打順においても、力を入れざるを得ない。
――そうはさせへん。
館西は心の中で苦渋を飲みながら、更に一球パワプロに牽制を入れる。
――前の恋々高校と同じ作戦やな。ピッチャーの体力を削って、降板させて、そこから投手力で制圧していく。いやらしい作戦すきやなぁ、あかつき。けどなぁ。
館西は、ここでようやくピッチングを行う。
セットポジションからゆっくりとした間を置いて、一拍して、クイックモーションで内角への直球を投げ込む。
――このタイミングを、見ていろ。
今度はセットポジションを作って間もなく牽制を入れる。
次に、セット前の牽制を入れる。
牽制は、二種類。
セット前と、セット後の二つ。
館西は特別牽制がうまい訳でも、クイックが早い訳でもない。牽制でアウトを取る事は考えていない。
だから――せめて、盗塁がうまくもない選手を走らせない。その為の工夫は用意している。
次に、セットポジションに入って拍を入れる事無く投げ込む。
外角へのシンカー。
球速も遅く、落ちる球だ。走るにはぴったりの球。
――だが、走れない。
なぜなら、投球のタイミングを意識的にずらし投げているから。
スチールを仕掛けるタイミングを掴ませぬよう、セットからの静止時間と、そこから投げ込むタイミングを自分の中でずらしていく。相手が意図しているタイミングを看過した上で盗塁を仕掛けるには、余程のセンスが必要であろう。
二種類の牽制。
そして、一球ごとにずらすタイミング。
この二つさえあれば、そうそう走られる事はない。
館西は一球ずつ呼吸を入れ、落ち着き払って、投げる。
ランナーを意識しようとも、身体の動きは同じように。ただ呼吸をして、間を設けてタイミングをずらす。
カーブを投げ込む。
次に外角へ外した直球。
そして――外角へ投じられたスライダーが放たれる。
横溝は、それを実に窮屈そうなバッティングで当てた。
当ててしまった。
――ゲッツーシフト真正面の、セカンド守備位置の真正面に。
ゴロゴロと転がるそれを駒坂が落ち着いて佐久間に送球し、流れるように神宮寺のファーストミットに収まる。見事なゲッツーが完成された。
「-------」
横溝は実に悔しそうに、ベンチに引き揚げていく。
――強い。
パワプロは、如実にそう感じた。
今のワンプレーを切り取っても、チームすべてが一丸となって打者に圧をかけている事が解る。
守備でヒットゾーンを狭め、的確な投球でゴロを打たせ、出したランナーもしっかりとピッチャーが釘付けにする。
守備側の選択肢を最大限に拡げ、逆に打者側の選択肢を狭めていく。
これまで戦ってきたチームの中には、パワフル高校以上に強力な打線や投手陣を持っている高校もあった。
だが――ここまで明確なコンセプトを以て戦っているチームは無かったように思う。
――油断していたつもりは微塵もないけど。それでも、少し気持ちを入れ直さねばならない。
パワフル高校。決勝戦に相応しい相手なのは、まず間違いない。
だからこそ――あかつきも、総力で叩き潰す。
交流戦が順調すぎて怖い。怖すぎる。
-----と思ったら、ロッテ戦終わると待っているのはソフトバンクと楽天のカードかぁ。ふふ。