「すまん、扶桑!」
場所は執務室。時間は昼を少し過ぎた頃。そこに大きな声が響き渡り、ちょうど執務室の前に居た娘達が驚いて執務室の扉を見る。
そこで、私の前で提督が何度も何度も頭を下げている。
「いえ、緊急で会議が入ったのでしたら仕方がないですよ。」
表情には出さないように気を付けつつ、そう答えたものの残念な気持ちが心を支配してゆく。
基本的に提督が休みを取れることは少ない。今日だって今週の仕事を先取りして消化して行き、午前中に仕事を詰め込み。そうしてやっと得られた午後の半休だった。
秘書艦として二人で仕事を行っている静かな時間も、食事をご一緒してとりとめもない雑談に興じている時だって大切な時間だ。
そして、お話に夢中になっていると、いつの間にか同席しているむくれ顔の山城やニコニコと笑っている時雨や最上。
私が休憩を貰い中庭のベンチに座って暖かい陽気にうとうとしていると、ぺったりとくっついて一緒にお昼寝をする満潮。ここに山雲や朝雲が混じってくる時もある。
私達の皆が元気に笑い合い、時に手を取り合って戦い、傷付いたら皆でお風呂に入って、そしてまた明日と挨拶をして別れる。
全てがとても充実した日々。
それでも、今回ばかりはとても残念だった。
私から言い出した我儘だと言うのは分かっている、この日を開けておいてほしいと。
提督と二人でただお互いの事だけを考えていれば良い。何をするでもなく、ただゆっくり、まったりとする事を願った。そんな何でもない休日。
私達のケッコン記念日だったのだから。
「提督、そんなに謝らないで下さい。
確かに残念ですけれど、そもそも私の我儘だったのですから大丈夫ですよ。」
嘘だ。
「本当にすまない、扶桑。」
甘いものが好きな貴方と、間宮さんのところで新作のデザートを食べようとした。
「そんなに頭を下げられては私が困ってしまいます。」
その後に、いつも私が満潮達にやっている様に貴方の肩を借りて。そこにもたれ掛かりながら少しだけ甘えたかった。
「そうか。ではこの埋め合わせは今度必ず。」
もう少しで午前中の仕事が終わる。まるでそのときを見計らっていたかの様なタイミングで掛かってきた電話に、嫌な予感を感じながらもそれを取らないわけにはいかず秘書艦である私が提督の代わりに対応した。
呉の同期からと、提督に取り次いだ時には既に予感は確信に変わっていた。
そうして、暫く謝ってばかりいた提督は簡単に準備を整えて出かけていった。
「はぁ・・・。」
一人きりになった執務室で意図せず溜め息が漏れだす。もう少しで昼休憩だ。少し早いが食堂に行こう。
「あれ?扶桑一人?」
いつもより少な目の定食を受け取り、いつも座っている場所で食事を取っていると遠征帰りらしき時雨が話しかけてきた。
「あら、時雨。遠征任務お疲れ様。」
「うん。それで提督はどうしたの?」
「提督は緊急で会議が入ったらしいわ。」
説明しようと口を開く前に、今日は演習とその指導役だったはずの妹。山城が隣に座りながらそう言った。
「山城もお疲れ様。」
「ええ、姉様。お疲れ様です。」
外出する提督と午前中の指導を切り上げた山城は廊下ですれ違ったらしく、私の代わりに時雨に答えてくれた。山城の前には大盛りの定食が乗っている。
「遠征帰りに少しだけ見てたけど、相変わらず山城の特訓と指導はきつそうだね。」
「当たり前です、実践では何があるか分からないのだから。その全てを経験させるぐらいでちょうどいいのよ。それに撤退する時だって元気一杯な時に逃げる馬鹿いないじゃない。全部終わったり艤装にダメージを受けたから撤退するのよ。特訓メニューが終わった後みたいにヘトヘトな時に走れなきゃ意味がないじゃない。」
「鬼の山城の名に恥じないね。ま、程々にね。」
うへぇー、と辟易とした様子で声を上げ昔の特訓を思い出したらしい時雨は、苦笑いを浮かべたまま私達から離れていった。
「頑張っているわね、山城。」
「いいえ、これが私の役目ですから。」
「そうだ。山城、これ、あげるわ。」
本当は今日提督を誘って使うはずだった間宮券。それを山城の前に置く。
「ぇ?でも姉様。これって。」
「いいのよ、私は今日はもう終わりですもの。頑張っている山城へのプレゼントよ。」
未だに何か言いたげな妹に気付かないふりをしながら、私は残りの食事を片付けた。食事が終わり演習再開まで一緒に居たものの妹の口数は少ないままだった。
そうして、昼休みを終えた私は部屋に戻る気にもなれず。鎮守府を歩いていた。
何か目的がある訳ではない。ただのお散歩。
日射しが少し強いが雲も少なく青い空がどこまでも続いている。とてもいい天気だ。
『おお、キミが扶桑か!うちでは初めての戦艦だ。キミの火力には期待しているよ。よろしく頼む。』
工廠をところ狭しと歩き回る妖精さん達の邪魔にならないように端を歩いて建造ドッグへと来た。
今でもあの時の笑顔が忘れられない。
『扶桑。姉妹艦の山城が着任したぞ!』
それから私を旗艦に据えた活動を開始、新しい海域を突破。程なくして妹の山城とも会えた。
『その砲塔はどうなっているんだ?ずっと気になっていたんだ。
やはり私も男だからな、大艦巨砲主義に憧れていてね』
秘書艦としてそこそこ長い時間を共にし、ある日出撃から帰投後、唐突に質問を投げ掛けながら私の背後に回り砲塔にペタペタと触れていく提督。
船体に不釣り合いな砲塔をそこまで純粋な目で見られたことが無くて、途端に恥ずかしくなった。
掠り傷程度の軽い損傷を理由にお風呂に逃げたこともあった。
急に走って逃げた所を運悪く見つかってしまったらしく、山城が血相を変えて執務室に飛び込んでいったと。後で最上が言っていた。
今日の業務はもう終わりだと言うのに、私は執務室に戻ってきていた。そして定位置に着こうとして、辞める。
そのまま部屋を彷徨きソファに腰を下ろす。
ここに居ると着任後の皆の挨拶を思い出す。
伊勢、金剛、日向、榛名、陸奥、比叡、霧島、長門。
どんどんと増えて行く戦艦。秘書艦としての役割は増えたが、長門さんが着任した辺りで私の出撃の機会はめっきりと減った。
『提督!最近は待機ばかりじゃないですか!姉様と山城が出る海域はもう無いと言うことですか!?』
そんなある日、秘書艦として提督と仕事をしている最中に山城が凄い剣幕で乗り込んできた。私達が戦果を挙げられない現状に不満だったのだろう、挨拶もそこそこに提督に食って掛かっていた。
『山城、そんなこと言わないの。提督にも何か考えがあってのことよ』
『でも、姉様!』
なおも食い下がる山城に困ったように笑いかけ、提督からの言葉を促すようにそちらに視線をやる。
結局その時は詳しい話を聞けず、出撃中の艦隊からの無線連絡が重なったこともあり有耶無耶な感じでお開きになった。
色々な事があった。
過去に私がまだ鉄の塊だった頃には経験出来なかった連合艦隊の旗艦に選ばれた時は嬉しかった。
山城と比叡が言い争っているのを金剛と困ったように笑いながら見ていたのは楽しかった。
西村艦隊の皆と強大な深海棲艦と戦いあと少しと言うところで逃げられてしまい悔しかった。
大和が着任し、流石にあの主砲には敵いそうもなくて少しだけ悲しくて。でも私と同じ名前の由来を聞いたときは何故だか少しだけ誇らしかった。
伊勢、日向の二人と山城と私で競いあったのは大変だったけれど満ち足りた気分になった。
色々・・・あった・・・。
過去に思いを馳せていると先程食事を取った後だからか眠気を感じた。それに抗う気力も理由も先程無くなった私はそのまま執務室のふかふかのソファーに沈むように意識を溶かしていった。
◇
暖かい・・・。
けたたましい警報や総員起こしのラッパでは無く、ただ時間の経過によって睡眠欲を存分に満たした結果。私はゆっくりと目を覚ました。
自分の身の回り全てが暖かい。薄く目を開き周囲の状況を確認して、私の顔は一気に破顔した。
右側。私が顔を持たれかけさせていたのは昼に会議へと行ったハズの提督で、規則正しく静かな寝息が聞こえる。
左側。私に寄り添っているのは山城、訓練の時の厳しい顔は欠片も見受けられない、まるで幼子の様な安心しきった顔で寝ている。
それに連なる様に時雨が山城にもたれ掛かり、その腕に抱き抱えるみたいにくっついている。
向かい側のソファの端にいる満潮は、隣の最上の肩を枕にしている。そして最上の膝を枕として借りた朝雲。それに覆い被さるように山雲が寝ている。
私は皆の顔を眺めてゆき、その幸せな時間を噛み締め瞳を閉じる。山城を起こさないように気を付けながら更に提督に身を寄せ、胸の近くに耳を当てる。
トク、トク、トク、トク・・・。
規則正しい心音をBGMに山城の頭を撫でる。
妹の少しだけ不器用な笑顔は、今は見る影もなく。余計な力が微塵も入っていない緩い表情している。
彼の胸に顔を埋めたまま、彼の腕時計で時間を確認してみると、そろそろとある軽巡洋艦とその仲間の駆逐艦。まるで夜行性の様な二人が活発になる時間だった。
すっかりと夕食を食べ損なってしまった。
等と考えているとBGMにしていた心音が早鐘を打ち始める。どうやら彼も起きたらしい。
急に恥ずかしくなってくるが、それよりもただただ嬉しかった。いつも冷静な提督が動揺しているのが耳に届く音のせいで丸分かりで。
「てーとく・・・。」
呟くように呼び掛けると、更に余裕がなくなって行くのが手に取るように分かる。
それが楽しくて嬉しくて彼の大きな手を取り、自分の指と絡めて腕を引き寄せる。
「私、今、とても、幸せです。」
自分の胸の内から湧いてくる気持ちを咀嚼する様に一語一句噛み締めながら、ハッキリと伝えて顔を上げ視線を合わせる。
お互いの距離が自然と近付き、目を閉じ
「ふぁ」
「「!」」
離れた。
「あれ?僕寝てたんだ。」
最上が指で目を擦りながら声を漏らす。
「あ、扶桑さんおはよう。」
「ええ、おはよう。もう夜だけれどね。」
廊下の奥から夜だー!と、元気な声が聞こえてくる。それを皮切りに、あちらこちらから欠伸のような音が聞こえる。どうやら皆起きたらしい。
「少しだけ騒がしくなるね。」
その良く通る声を聞いて皆が寝惚けながらも苦笑いを溢し、時雨がそう締めくくった。
「変な時間に起きちゃったわね。皆、早くお風呂に入ってらっしゃい。」
「はーい、朝雲姉ーいきましょー?」
「ええ、山雲。」
「提督、お疲れ様。」
「ええ、では姉様。ごゆっくり。」
皆がぞろぞろと部屋を出て行き、最後に山城が手を空中でニギニギとしながら残した言葉に。私は提督と指を絡ませたまま皆を見送った事をようやっと自覚し、顔を急速に染め上げたのだった。
◆
皆を見送った後、執務室の隣にある小さなシャワー室を交代で使い。寝間着に着替え、二人並んでお酒を静かに傾けていた。
先程神通が夜戦二人組を鎮圧したらしく外も夜本来の静けさを取り戻している。
「扶桑、今日はすまなかったな。」
「もういいですよ。今一緒に居てくれるんですから。」
「いや、でも今日は私達の・・・。」
「ん。もうそれだけでいいです。」
ちゃんと覚えていてくれた、それだけで私は満たされた気分になる。我ながら単純だな、と思いながらも幸せな気持ちをそのままに隣にいる彼の首に腕を回す。
「んっ、ちゅっ」
何も邪魔するものがない執務室で二人の影が重なり1つになる。軽い接吻を何度も何度も繰り返し、徐々に深くなっていった。
「んっ。んんっ、はぁっ・・・。変な時間に起きてしまったし。んっ、明日1日は眠くて大変かもしれませんね。提督」
「ああ、そうだな。」
鼻孔を
「どうせならさ」
「ぇ?」
そう言うや否や提督は軽々と彼女を抱き上げ、持ち上げる。急な行動に驚いた扶桑は咄嗟に彼の首に手を回してバランスを取る。
「夜更かしするか。」
「ぁ」
そうして自室へと向かって歩くのを止めるもの何もなく、二人が入った部屋の扉が閉まって行くのを綺麗な月夜が照らし出していた。
・・・。
翌日、揃って寝坊し山城に怒られる事になる事を
二人は知らない
扶桑姉様かわいい(訳:お疲れ様です、読んでくださり感謝の極み)