真剣に私と貴方で恋をしよう!!   作:春夏秋冬 廻

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100話到達記念第2話・


武神と仁王、衣川の館

逃げ道はもはやなかった。逃げる気もなかった。

 

あの五条大橋での出来事より十五年余りの年月が過ぎ、平家討伐の悲願を叶えたと言うのに、実兄である頼朝殿が私の討伐の院宣を授かるとは……数奇な運命もここまでくると笑いしか浮かばない。

 

明日には泰衡殿の兵がこの衣川の館を取り囲む事になるだろう。

 

「お逃げなさらぬのですね」

 

「弁慶……」

 

ここまでずっと、何があろうと付き従ってくれた忠臣の言葉にも苦笑いしか返せない。

 

「あの日、尽きようとしていた命運が延びに延びて今日(こんにち)になったのだと思えば、不思議と逃げようという思いが湧いてこないのだ」

 

(それがし)も同じです。あの日、この命は失ったとものと思っております故、今さら逃げおおせようなどとは微塵にも思いませぬ」

 

やはり弁慶も同じ思いで居てくれた。

 

今でも鮮明に覚えている。平家を討つと決意したあの日、五条大橋で出会った武神の父子(おやこ)。圧倒的な武の前に感じたのは恐怖ではなく羨望。己では到達できぬ高みに存在するその強さを美しいとすら思えた。

 

あの日より十五年余り。京より遠く離れたこの平泉の地にて最期を迎える我が身。出来る事なら今一度お会いしたかった。そしてもう一度礼を言いたかった。だがそれももはや叶わぬようだ。

 

 

「そうですか。お二方共に、既に死を覚悟しているのですね。なら急いで来た甲斐があるというものです」

 

 

ぼんやりと館の庭を眺めていると、突然声が聞こえた。

 

「何者!?」

 

弁慶が私を庇う様に前に出る。その視線の先、館を囲う塀の上に一人の男が立っていた。僧兵、いやあれは修験者の行装だ。だが纏う雰囲気は修験者のそれとは全く違う。

 

鎌倉の手の者、あるいは泰衡殿の遣いの者か?

 

「しかし奥州(こんなところ)まで逃げ延びていたとは思いもよりませんでしたよ。てっきり京の方にいるものばかり思っていたのに」

 

愚痴のようなものを零しながら塀から飛び降りた男は、無造作に庭を横切り私たちの前で立ち止まった。その姿に敵意は感じられない。もし鎌倉の手の者ならば私が此処にいる事は知っているはず。

 

では何者だ?

 

困惑する私たちの前で男は飄々とした笑みを浮かべる。何故かその笑みが酷く懐かしいものに感じられた。

 

「……もしかしてお忘れですか? 確かにあの時は十にも満たなかったので面影はないかもしれませんが、それはそれで少し傷つきますね」

 

面識がある? 十にも満たない時に逢った?

 

まさか、という考えが脳裏をよぎる。そしてそれを否定する事が出来ない。男の浮かべる飄々とした笑顔とまるで風を思わせるような気配は、確かにあの時に感じたものと全く同じものだった。

 

(はやて)殿……?」

 

呆然と呟くような私の声に、浮かべていた笑みが深くなった。

 

「お久し振りにございます。義経殿、並びに弁慶殿。暁(はやて)、約条を果すため馳せ参じました」

 

やはり(はやて)殿だった。だが約条? いったい何の事を言っているのだろうか。あの折、確かに(なだれ)殿に助けていただいたが、約条を交わすような事はしていない。

 

同じ思いなのだろう、弁慶も少しだけ困惑した表情を見せている。だが風《はやて》殿はそんな私たちを見て小さく笑い声を漏らすと、居住まいを正して弁慶と向き合った。

 

「弁慶殿、我が父暁(なだれ)との『いずれまた、手合わせを願いたく思う』との約条、よもやお忘れになられたわけではありませんよね?」

 

弁慶の身体が揺れた。

 

私も覚えている。確かにあの時の別れ際、弁慶は(なだれ)殿にまた手合わせを願い、あの方もご自身か、あるいは今目の前におられる(はやて)殿が受ける、という様な言葉を残された。

 

だが、たったそれだけのために奥州まで来たというのか、(はやて)殿は。

 

「何故……あれはただの願望であり確かな約条を交わしたわけではない。言うなれば(それがし)の我がままに過ぎない願いだ。何故このような所にまで来て……」

 

「深い理由などありません。ただ私が貴方と手合わせをしたい、ただそれだけです」

 

単純明快すぎる理由に、思わず呆然となる私と弁慶。だがそれもほんの一寸、弁慶が肩を揺らして笑い出した。

 

「ふははは、それではお父上を馬鹿(うつけ)とは言えんぞ」

 

「まあそうですね。私も“暁”を名乗る事を許されて二年余り、あの時の父上の考えが多少なりとも分かるようになりました」

 

つまりは『強い武士(もののふ)と手合わせをしたい』という望みの事を言っているのだろう。武骨な偉丈夫だった(なだれ)殿とは違いどちらかと言えば細身だ。(かんばせ)もあの頃の面影が僅かながら残っており遠目に見れば女と見間違うかもしれない。

 

だが、面影は余り似ていないがやはり彼もまた武神の血を引く者なのだろう。

 

「手合わせ……受けていただけますか?」

 

「是非もなし」

 

そう答えた弁慶の顔には、久しく見ない歓喜の笑みが浮かんでいた。

 

 

 

          §  §  §

 

 

 

館の庭で(はやて)殿と対峙し薙刀を構える。

 

再び相見えるとは思ってもいなかった。

 

あの時の手合わせで十分満足していたし、再度手合わせを願う言葉も掛けたのも、ただの願望からのものだった。

だからこそ、まさかこのような京より遠く離れた奥州の地で、再び武神の一族と手合わせをする事になろうとは微塵にも考えていなかった。

 

理想の主君に仕え、武神と再び武を交える。武士(もののふ)として、これ程に誉れな事はないだろう。

 

「お父上――(なだれ)殿は息災か?」

 

「墓守ですよ。三年前に母上が亡くなりましたので」

 

「墓守か……確か名は石動(いするぎ)殿だったか?」

 

「よく覚えておいでで。ええ、母上が亡くなってから父上は一気に老け込みましたよ。それだけ母上を愛していたという事なのでしょう」

 

なるほど、故に(はやて)殿が“暁”の名を受け継いだという事か。しかしあの(なだれ)殿が老け込んだか……その姿を思い浮かべるのはかなり困難だな。

だがそうとも言えぬか。あの時で齢四十にかかるかくらいなのだから今は五十半ば。確かにもうよいお年だ。

 

十五年の月日は思った以上に長いものだったようだ。義経様と共に駆け抜けるように過ごしていたため、それほどの年月が経っているとは感じなかった。だが十にも満たない幼子であった(はやて)殿がこれ程にまで大きくなり、あの(なだれ)殿が奥方の墓守として穏やかな暮らしを送っているとは。

 

「そろそろよろしいですか?」

 

「ああ」

 

伺う様な声に頷いて答える。それがきっかけか、(はやて)殿の纏う雰囲気が激変した。この殺気、あの時の(なだれ)殿を思い出させる。武神の血は確かにこの者の中にも流れているようだ。

 

薙刀を持つ手に力を込める。外見を見て侮るつもりはなかったが、いい意味で気は引き締まった。

 

「暁(はやて)――」

 

「武蔵坊弁慶――」

 

さあ、始めよう。武神との二度目の手合わせを。

 

「「参る!」」

 

先に動いたのは(はやて)殿。始まりと同時に地面を蹴り突っ込んでくる。父親とは違い受け身ではない。あの時の手合わせを見て俺の事を評価してくれているという事なのだろう。

 

牽制気味に放った袈裟斬り。牽制といえどそう易々とかわせるものではない。だが(はやて)殿の動きは予測を越えるものだった。

 

疾い!

 

薙刀が届くよりも速く懐に入り込まれる。しかも一踏み込みでその速さを殺すも拳はその勢いのままに迫ってくる。

 

殆ど反射的に動いた腕で何とか拳を受け止める。骨身に響く素晴らしい拳。が、この一撃を受けて確信するものがあった。だが今はそれどころではない。続けて放たれた左の拳を上体を反らして何とかかわし、後ろに飛び退くと同時に薙刀を振るう。

 

飛び退いて間合いを空けるかと思ったが、(はやて)殿の動きはまたも予測を覆した。

 

地面を蹴り、飛び退くのではなく間合いを詰めるように宙に浮くと、左脚を振り上げ脳天に狙いを定め振り下ろしてきた。

左腕を上げる事で振り下ろされる蹴りを受け止め、直後、予測通り顎下から迫り来ていた右脚の蹴りを顔を反らし紙一重でかわす。

 

俺が蹴りをかわした事で(はやて)殿は一寸だけ驚いた表情を浮かべたが、すぐに小さい笑みに変えると蹴り上げた勢いのまま身体を回転させ、宙返りで地面に降り立った。

 

「まさか【燕毘龍(えんびりゅう)】をかわされるとは思いませんでした」

 

「その技は(なだれ)殿との手合わせの折り、この身で受けたもの。あらかじめ予測を立てておったからな」

 

最初の蹴りに意識を集中させ、死角の顎下からもう片方の脚で蹴りを放つ技なのだろう。同じ武神の技だ、(はやて)殿も使うと思っていた。最初から構えておけばかわす事は難しくない。だがそれよりも――

 

「軽い……な」

 

最初の拳を受けて感じた率直な感想だ。

 

「たった一合で気付くとは。さすがですね」

 

俺の言葉に(はやて)殿は苦笑いを浮かべた。

 

『軽い』とは言ったが、常人と比べれば十分な威力があり芯に響く。だが(なだれ)殿と比べれば(はやて)殿の拳は若干ではあったが軽い感じを受けた。そして、どうやら本人もそれを自覚しているらしい。

 

「私は顔つきも身体つきも父上ではなく、どうやら母上に似たようでして。男という事でそれなりの力はつきましたが、結局、最後の最後まで拳の威力は父上に及びませんでした」

 

淡々と語る言葉に、怨むような気配はない。手に入れられなかった事に嘆かず、在りのままに事実を受け入れているのだろう。自分で言うのは烏滸(おこ)がましいかもしれないが、生まれもった体躯はどうしようもないのだ。

 

「ですが、自負するものもありますよ。父上より身軽なこの体躯、故に速さならとうの昔に父上を追い越しました」

 

そう言葉にする顔は自信に満ちていた。恐らく戯言(たわごと)ではない。先ほどの踏み込みもこちらが薙刀を振り切る前に懐に入られ、技も予測しておきながらかわすので精一杯だった。

 

目で追えぬほどの速さではないが、懐に入られては見えてからでは遅い。予測と勘でかわし、無理なものは反射に任せて防ぐしかない。

後手に回るのは百も承知。ならば(はやて)殿も持ち合わせていない、戦場で培った経験をもって相対するしかない。

 

もっともらしく考えてはいるが、しょせんはそれしか勝るものがないという事か。経験を頼りにする、俺も歳を取ったという事だな。

 

さて、この経験は若き武神にどこまで通用するのやら。

 

 

 

          §  §  §

 

 

 

楽しそうだ。

 

手合わせをする二人を見て真っ先に思ったのはそれだった。なんて楽しそうに笑っているのだろう。ともすればお互いの命を奪いかねないほどのものなのに、弁慶も(はやて)殿もまるで遊んでいる様な笑顔を浮かべている。

 

ああ、そうだ。あの時の(なだれ)殿も同じような笑顔浮かべられていたな。そして気付いた。これは手向けだ。(はやて)殿から弁慶への手向けなのだ。

 

弁慶は言った。あの約条は確かに交わしたものではなく自分の願望に過ぎないと。そして(はやて)殿にはそれを果す義務など存在しない。それなのにわざわざこのような奥州の地まで訪ねてきた。

 

つまりこの手合わせは、最期を覚悟した私たちのためのものなのだ。

 

有難かった。そしてお礼を言いたかった。最後の最後のこのような素晴らしい手合わせを見せて貰えた事を。

 

明日死ぬかもしれぬこの身なれど、しかと記憶に刻んでおこう。私の生涯において二度目の至高の戦いを。

 

 

 

          §  §  §

 

 

 

またしても薙刀を振り切る前に懐に入られる。自負するだけありその素早さは瞠目に値する。薙刀の間合いの広さを完全に殺されているな。

 

顔面に迫り来る右脚蹴りを首を反らしてかわす。その後に出た隙を突き、蹴り抜いた体勢の(はやて)殿に薙刀から放した左拳をぶつけようとした時、後頭部に迫る何かに本能が危険を呼び掛けてくる。

その本能に従い間合いを空けるように大きく横に飛ぶ。その視界の端に振り抜いたはずの右脚を振り下ろしている(はやて)殿の姿が映った。

 

だが安堵などしていられない。地面に足がついた時には既に懐に入り込まれている。

 

足元を狙った蹴り。こちらの動きを止めに来たか。だが狙いが分かっているのならわざわざ受ける必要もない。そう思った時だった。

 

「がぁ」

 

いきなり顔の側面に受けた衝撃にくぐもった声が漏れると同時に、視界が強制的にずらされた。

 

蹴りの軌道が変わっただと!? 足を狙うはずだった蹴りを、俺がかわすのを察して咄嗟に顔への蹴りに変えたというのか!?

 

だが驚いてばかりはいられない。この際、刀身だろうが拵えだろうが関係ない。右手で持った薙刀をありったけの力を込めて横薙ぎに払う。

 

受け止める、あるいは飛び退くと思っていた予測はいとも簡単に覆される。(はやて)殿は右脚を振り抜いた勢いのまま左足で地を蹴り、薙刀を飛び越えると宙で回転して今度は左脚でこちらの顎を狙ってきた。

 

その蹴りを寸前で首を反らす事でかわす。と、同時に出来た隙を突き横薙ぎに払った薙刀を両手で掴み、ガラ空きの背中に向かって叩きこむ。

 

当たると思ったその時、右脚に奔った衝撃と空を斬った薙刀に、自分の腿を踏み台に飛び退き間合いを空けられた事を理解した。

 

ゆっくりと立ち上がり、父譲りの飄々とした笑みを浮かべる(はやて)殿にこちらも笑みを返すが、引き攣っているのは隠せてないだろう。

 

完全に翻弄されているな。何とか見えており、何とか身体もついていっているがかなり瀬戸際なところだ。もう少し若ければとも思わなくもないが、どのみち同じ結果になっていただろう。

 

そしてもう一つ分かった事がある。(はやて)殿の技の主体が蹴りであるという事だ。拳を使ったのは最初の一撃のみ。自身も言っていた通り(なだれ)殿より拳の威力が軽い事と、蹴りの方が拳よりも威力がある事を考慮しての選択だったのだろう。

 

そしてそれを完璧に我が物にしている辺り、さすが武神の一族と言ったところか。

 

「さすが弁慶殿。あの折、見せていただいた強さ、未だ健在ですね」

 

「なに、寄る年波には勝てぬわ。衰えていく我が身がこれほどまでに惜しいと今痛感しているところだ」

 

「そうですか……では、もう一段上げてもよろしいか?」

 

なっ!?

 

驚愕の声を出す暇すらなかった。気付いた時には既に(はやて)殿の身体は宙にあり左脚を振り下ろす体勢にあった。

 

何も考えず反射的に上体を反らして左踵での蹴りをやり過ごすが、間髪入れず身体を捻る事で放たれた右脚蹴りをかわす事は出来なかった。

 

   ゴギッ

 

肩口に奔る激痛と同時にいやな音が響く。

 

右肩が外されたか!? だが一寸でも動きが止まれば掴み取るには十分だ! 体躯の差を利用して締め上げればまだ勝機はある!

 

そう思い左手を伸ばした時、真下から突き上げられた左足により顎を跳ね上げられた。

視界に映る青空。それを遮るかのように今度は膝が迫りくる。反射的に左手をかざし膝を受け止め、渾身の力をもって投げ飛ばす。

 

蹴り上げられた顎を抑えながら正面を見遣ると、(はやて)殿は身を翻し危な気なく地に降り立っていた。

 

「『はやて』か……両親のどちらか分からぬが、よく名づけたものだな。その動き、まさに疾風の如く……だな」

 

「言ったはずです、速さなら遠の昔に父上を追い越した、と。でもご安心を、もう一段上がありますので」

 

「なにが『ご安心を』だ。まったく……」

 

これ以上速くなれるというのなら、もはや勝つ事は出来ぬな。いや、元より勝てるとは思ってはいなかったが、こうもあっさりと突き付けられると呆れた笑いしか浮かんでこない。そして同時に実感する。ああ、やはりこの男も“暁”なのだと。

 

こちらは右肩を外されまともに薙刀を振るう事すら出来ず、相手はさらに速さが上がると言う。もう目で追う事すら出来ないだろう。ならば次の合が最後となるのは必然。ならば――

 

「次の一撃で終わらせる……その意思表示ですか」

 

動かす事の出来る左手で持った薙刀を天高く掲げる。今の俺に出来る事は限られている。ならばそれに全てを賭けるだけの事。

 

「来い。我が全身全霊をこの一撃に込める」

 

「気が半端じゃないですね……殺す気ですか?」

 

「それほどの意気込みがなければお主には届かんだろうからな」

 

分かっている。どれだけ殺気を放とうとも、目の前にいる男には何の意味のない事など百も承知している。“暁”を名乗る男が、この程度の殺気で居竦む事など有り得るはずがない。

だからこその意思表示だ。この一撃でこの手合わせを終わらせる、という。

 

少しの間、静寂が辺りを覆う。

 

俺から動く事はしない。動けば動くだけ(はやて)殿を目で捉える事が難しくなるのは分かり切っている。だから迎え撃つ事だけを考え、目を凝らし相手の動きだしに集中すればいいだけだ。

そしてそれを(はやて)殿も理解しているのだろう、こちらを見つめ仕掛ける隙を伺っているように見える。

 

膠着状態がどれほど続くかと思った矢先、ほんの少しだけ(はやて)殿の上体が沈み込んだ。

 

――来るっ!

 

そう思った時には、(はやて)殿は既に彼我の距離を半分まで詰めていた。

 

確かに先程よりも速い! だが見えないほどではない! 微かではあるがその姿を捉える事が出来ている! ならばあとは間合いと距離を見極め振り下ろすのみ! かわされる事は重々に承知している!

 

だが! だからこそ! 今己が持てる総てをぶつけるのだ!

 

「うぉぉぉぉお!」

 

間合いに踏み入った(はやて)殿に向かって薙刀を振り下ろす! 十分な威力ではないが総てを込めた一撃! その一撃を――

 

   ガイィンッ

 

受け止めただと!?

 

よけるのではなく受け止めるという、予測から外れた行動に一寸だけ考えが停止する。そしてそれが決定的な隙となった。

 

空蠍(くうかつ)

 

呟きが如き小さな声が耳を打った直後、受け止めた薙刀を押し退け、地を蹴り身体を捻りながら突き出された(はやて)殿の右足が俺の喉元に突き刺さり、間を置くことなく顎を蹴り上げた。

 

仰向けに倒れる最中、思い浮かべるのは頭上で腕を交差させ、俺の振り下ろした薙刀を受け止めた(はやて)殿の顔。その顔に浮かんでいた笑みは、あの五条大橋で俺の手を蹴り砕いた時に(なだれ)殿が浮かべていた獰猛な『化物(けもの)』のような笑みと同じものだった。

 

そして改めて実感した。武神の子は、武神のなのだと。

 

 

 

          §  §  §

 

 

 

仰向けに倒れる弁慶と、それを見下ろす(はやて)殿。そして二人の口元に浮かぶ笑み。その光景を目にした時、私の心は十五年前のあの時に遡った。

 

満足気な笑みを浮かべる姿を羨ましいと思いながら、私は庭へ下り二人へ歩み寄る。弁慶は差し出された(はやて)殿の手を借りて身を起こしていた。

 

「最後の一撃……何故受け止めた。自信があったのだろうがわざわざ傷を負う必要はないはず。それにお主の動きをもってすればかわす事など容易(たやす)かったはずだ。」

 

それは私も思った疑問だった。事実、受け止めた衝撃を完全になかった事には出来なかったのだろう、(はやて)殿は額から眉間を通り血を滴らせていた。それを拭うように手で払うと、少しだけ真剣な表情を浮かべて答えた。

 

武士(もののふ)が、己の総てを込めた渾身の一撃を、何の感慨もなくかわすほど無粋ではないつもりです。それに、私にとって貴方は、父上と同じ目指すべき頂の一つでした」

 

全身全霊だからこそ、それを理解しているからこそ、相手を認めているからこそ、自分も総てをもって受け止める。相対した者へ対する礼儀という事なのだろう。

そして目指すべき強さの一つだったからこそ、受け止めるべきと判断した、という事か。

 

思いも寄らない返答だったのだろう。弁慶は少しの間、呆けるような表情をしていたが、すぐに笑みを浮かべた。ただ、その笑みはまるで何か感慨深いものを噛み締めているかのようなものだった。

 

武士(もののふ)冥利に尽きるというものだな。生涯、二度に渡り武神と手合わせをする事ができ、その武神からそのような言葉をもらう事が出来るとは……」

 

本当に弁慶に羨望の念を抱いてしまう。この中で、自分だけが感じる事の出来ない思いを、目の前の二人は共感しているのだから。それでも心が晴れやかなのはどうしてなのだろうか。

 

ああ、そうか。納得してしまっているんだ。

 

確かに弁慶が羨ましい。だが自分が二人の手合わせの立会人になれた事に、心が既に満足してしまっているのだ。このような素晴らしい手合わせを二度も目にする事が出来た事に。

 

(はやて)殿」

 

「はい?」

 

「ありがとうございました」

 

突然の私の謝礼に呆然とする彼の顔は、あの時、私か彼を女と見間違えた時と同じだった。そんな顔にも懐かしさが込み上げてきた。

 

「謝意を頂くような事はしてませんが……」

 

「貴方からすればそうかもしれませんが、私や弁慶には言葉では表せないほどの感謝があります」

 

私の言葉に同意するように弁慶も頷く。

 

そう、感謝してもし足りないほどの思いが今、胸の中に溢れている。何もなく誰の目に留まることなく、過ぎ去り、変わりゆく歴史の流れの一部として最期を迎えるものとばかり思っていた。それでも構わないと、空しい心のまま最期の時を過ごすのだと思っていた。

 

だが、(はやて)殿は忘れてはいなかった。あの十五年前の、人の生きる時の長さから見れば(まばた)きの如く短い時の出会いを忘れずに、しかも確かに交わしたわけでもない約条を覚えていてくれた。

 

そしてその約条を果しに来てくれた。私も弁慶もそれで満足だった。満ち足りた心で逝く事が出来る。

 

そんな私たちの気配を察したのだろう、(はやて)殿はほんの少しだけ顔を歪められたが、すぐさま変わらぬ飄々とした笑みを浮かべた。そんな変わる事のない態度もありがたかった。

 

「分かりました。そういう事なら素直に受け取っておきます」

 

そう言って頭を下げた(はやて)殿。そして顔を上げ、私と弁慶の目をもう一度しっかりと見据えると、無言できびすを返した。その背に声をかける。

 

「もう行かれるのですか?」

 

「ええ、やるべき事は果しましたので」

 

「これからどちらへ?」

 

「そうですね……とりあえず京を目指しつつ、いろんな場所を廻ろうかと思います」

 

(なだれ)殿か、あるいは亡くなられた母君か、どちらかに報告するために帰るのだろう。そう答えた(はやて)殿は、来た時とは違い門の方へと歩みを進める。と、その途中で何かを思い出したかのように足を止めると、こちらに振り返った。

 

「忘れるところでした……弁慶殿、父上より言付けを預かっています」

 

「言付け?」

 

「ええ、『また、やろう』との事です」

 

呆然は一寸、すぐ後に弁慶の笑い声が木霊した。顔に手を当て空を仰ぎ心の底からの笑い声。でも何故だろう、私にはそれが可笑しくて笑っているのではなく、悲しくて、でも嬉しくて笑っているように見えた。

 

弁慶はしばらく笑い続けていたが、震わせていた身体を落ち着かせるように大きく息を吐くと、満面の笑顔を浮かべて(はやて)殿に声をかけた。

 

「では、(それがし)(なだれ)殿に言付を頼みたい」

 

「なんなりと」

 

「『先に行く故、向こうでお待ちしています』と……」

 

「……承りました」

 

多くを言わずただ一言、それだけを残して(はやて)殿は館から去って行く。私たちはその背が門の向こうに消え見えなくなっても庭先で立ち尽くしていた。

 

「行ってしまわれましたな……」

 

「そうだな……弁慶は見えたか?」

 

「はい……あのような顔をさせたくて言った訳ではなかったのですが……」

 

きびすを返した時に一寸だけ見えた悲痛な表情。それがいったいどんな意味を持っていたのかは私には分からない。だが、私たちの死を悼んでくれる人がいるという事は、自分が生きてきた確かな証拠になるのかもしれない、そう思ったのだった。

 

「これで、悔いはなくなったな。最期までついてきてくれるか、弁慶?」

 

「はっ、何時(いつ)までも、何処(いずこ)までも」




あとがき〜!

「100話到達記念第2話終了。あとがき座談会、司会の春夏秋冬 廻です。今回のお相手は――」

「弁慶です」

「はい、今回は武蔵坊弁慶さんに来ていただきました」

「前のあとがきでも言ってたけど、本当に自己満足な話だね」

「この話に関しては開き直る」

「まあ、私は別になじるつもりはさらさらないんだけどね」

「だったら突っ込まないでよ。どんな反応が来るか実は戦々恐々なんだから」

「肝の小さい人」

「ノミの心臓だからな」

「自慢する事じゃないだろう。ところで作者」

「なんだ?」

「ふと思ったんだけど、今回の到達記念の話、まるで某格闘マンガの外伝話に似てないかい?」

「はて? なんのことやら?」

「もっと詳しく言うのなら、1000年不敗を誇る伝説の武術を使う――」

「はい! 次でこの話は終了ですのでよろしくお願いします!」
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