「無能な奴だったな」
それが、僕の父に与えられた祖父からの最後の言葉だった。
父は剣士だった。
現在大衆に広まっている剣道とは違う昔から、それこそ江戸時代より前の頃から続く武家の血と流派を受け継ぐ、れっきとした剣術家だった。
父親として優しく、師として厳しく偉大な父を僕はとても尊敬していたし、大好きだった。
そんな父が死んだ。
直接の死因は病気。
叔母さんが言うには、既に末期のガンだったらしい。最期まで必死で生き続け、病気に負けないように頑張った立派な人だった。
でも祖父に言わせれば、『剣士として名誉ある試合に負けた役立たず』『家名、流派を継ぐのにも値しない無能』。
つまり、祖父にとって大事なものは“息子”ではなく“家名・流派のためになる後継者”だったという事。
事実、父は剣士にとって名誉ある称号を懸けた試合に敗れた。
その時に大きなケガをしたが、それは直接の死因にはなっていない。しかし祖父はそれが直接の死因だとでも言うような言い草だった。祖父は相手を罵るのではなく父を罵った。
『無能が』と……
僕は相手の人を憎いと思った事はない。その人もまたとても尊敬できる人だったからだ。
勝負の相手だった父を敬い、病気で入院していた時もちゃんとお見舞に来てくれていたし、僕の事を子供扱いはしていたが1人の人間として接してくれていた。父と並んで僕にとってとても尊敬できる人だった。
その人が僕に向かって言った。
『君のお父さんはとても素晴らしい人だった。剣士としてはもちろん、人間的にも立派な人だった。私は彼と真剣な試合をできて嬉しく思うし、彼の最後の真剣勝負の相手を務める事が出来た事を一生涯の誇りにしている』
そして、僕の頭をその大きな手で撫でながら優しい笑顔を浮かべた。
『お父さんを亡くして辛いかもしれない、悲しいかもしれない。だけど君はあのお父さんの息子である事に誇りを持ってほしい。君にもお父さんと同じ血と才能が流れているんだ。きっと素晴らしい剣士になれる。私はそれを楽しみにしているよ』
そう言うと、その人は後ろにいた小さな女の子を連れて帰って行った。
まだ小さかった僕にすら、その言葉はとても心に残るものだった。
深々と雪の降る寒い日の出来事。
その手と、その笑顔と、その言葉は当時まだ5歳だった僕の将来をある意味決定付けるものとなった。
§ § §
部屋の窓を開け一面の銀世界を見つめる。
昨日から降り続いた雪は今朝の明け方に降り止んだけど、膝下ぐらいの高さまで降り積もったようだった。
「さっむ!」
突然後ろから声があがる。振り向けばそこにいたのは1人の女性。
ノックもなしに部屋に入ってきたその女性は、寒さに耐えるように腕を組みながら僕に近づき言葉を掛ける。
「よくもまあ、こんな寒い日に朝っぱらから窓を全開にできるな」
「叔母さん寒がりだもんね」
バシンッ
声にした直後、間髪いれず後頭部をはたかれる。
「叔母さんと呼ぶなと何度言えばわかる」
「ご、ごめんなさい……」
叩かれた所を両手で押さえ、蹲りながらも何とか声を出す。
この人が僕の叔母さんで現在、僕の保護者でもある父の妹。
父の葬儀の後、見捨てられるような形で祖父に置いて行かれた僕を引き取ってくれたのが、祖父とはほぼ絶縁、勘当状態になっていたこの人だった。
祖父にとって、僕は無能の父の息子で価値のない存在だったらしい。それを察知したらしい叔母さんが、まるで連れ去るように着の身着のままの僕を、自分が住んでいるこの川神市に連れ帰った。そのためか実家では僕もすでに叔母と同様、ほぼ絶縁状態になっているらしい。
『あんなくそジジイが威張り散らしていた堅っ苦しい家にいなくてせいせいするだろ? 感謝しなろ』
なぜ連れ帰ったのかと聞いた後の叔母が言い放った言葉だ。
この言葉を聞いた瞬間、祖父と叔母の仲がなぜ悪いのかを一瞬で理解してしまった。
「で? 朝っぱらから窓を開けて外を見ていたお前は何を考えてたんだ?」
「ちょっとあの日の事を思い出していただけだよ。あの日も雪が降っていたなぁ、って」
「そう言えばあっちにしては珍しく雪が降ってたな……」
思い出したくない人の顔でも思い出したのか、叔母は少し眉をひそめた。
数分の間、同じように窓の外を眺めていた叔母だったが、急に寒さを思い出したかのように身を震わせると、僕の横から手を伸ばし開け放たれていた窓を閉める。鍵まできちんと閉める徹底ぶり。
「そう言えば、風間の坊主が下でお前のこと呼んでたぞ」
「何で?」
「こんだけ雪が積もってんだ。雪合戦かなんかでもやるつもりだろう。直江んとこの坊主もいたし、岡本さん家の犬っ娘も呼んでたみたいだからな」
「行ってきてもいいの?」
「おう、しっかり遊んで来い」
親指で窓の外を指しながら言う叔母の言葉に頷き急いで着替える。そんな僕を楽しそうに眺めていたが、着替えが終わり部屋を出ようとした時、後ろから声が掛った。
「緋鷺刀、昼までには帰って来い。私は今日、仕事が休みだから昼飯作ってやるよ。ついでに坊主達も連れて来い」
「うん、行ってきます」
叔母の言葉に元気良く頷き、僕は飛び出す勢いで玄関を開けマンションの階段を下り外へと駆け出した。
一面を覆う雪に、あの日のあの人の言葉を思い出しながらも、少し先で大きく手を振る友達のもとへと駆けて行った。
あとがき~!
さて、ちょっとした問題が。
にじファンでは『PV突破記念』なるものを投稿していたけど、この話をどういう形で移そうかな。まあ5万、50万、200万は座談形式の話だったからこの際に消すとして、100万突破はとりあえず何とかしよう。
では次から1話ですのでよろしくです。