――2005年 8月19日 金曜日 AM11:00――
青い空。白い雲。燦々と照りつける太陽。
目の前に広がる海は遥か水平線の先で空との境界を曖昧にしている。
太陽より放たれる熱気に海面は熱を持ち、海水を蒸発させその曖昧な空と海の境界に蜃気楼を漂わせていた。
俺たちは今日、ヒロの叔母さんの凛奈さんに保護者をお願いして、海水浴に来ていた。
「暑いな……」
「暑いね……」
俺の隣でモロが同じように呟く。
荷物番と場所取りで今この場にいるのは俺とモロの2人だけ。着替えるのが簡単で、最初から海パンをはいていた男たちは既に準備は済んでいた。ちなみに女性陣は海の家で着替えの真っ最中だ。
全員でお願いされていたが、キャップは既に泳ぎに行ってしまっているし、ガクトは早くもナンパに行っている。
「中学1年生がナンパって……どうなんだよガクト」
「将来がちょっと心配だよね」
「おまけにヒロまで連れてったしな」
「後で凛奈さんに絶対ボコボコにされるよね」
思わず声に出してしまった心の声に、モロは的確なツッコミを入れてきた。
ちなみにガクトがヒロを連れていった理由は、恐らく女の人をおびき寄せるために餌代わりにするつもりなのだろう。
強く生きろヒロ……後でガクトは死ぬから堪えろな……
恐らく顔で笑って心で落ち込んでいるであろうヒロに、心からの同情を寄せておく。
「そういえばジン兄はどこに行ったんだろ?」
辺りを見渡して、いるはずの兄弟の姿が見えない事にモロが疑問の声を出す。
俺はその兄弟が突き立てたパラソルの影で、直射日光を避けるように座りながら兄弟の行き先を説明する。
「兄弟は見回りに行った。怪しい所がないかとか怪しい人物がいないかを探して、とりあえず先に目処を付けておくそうだ」
「なんか、ジン兄って完全に僕たちの保護者だよね。もう行動とかはっきり言って中学生じゃないよ」
「否定できんな」
モロの言葉に苦笑いしか浮かべられない。
確かに兄弟は俺たち風間ファミリーの『兄貴的存在』だが、こういう仲間全員で団体行動を取る時の兄弟は『兄貴』というよりも『父親』と言ってもいい行動を取る。
まあ、おかげで多少無茶な事をやっても兄弟がフォローしてくれるし、別に『親父臭い』態度を取るわけじゃない。
分かりやすく言えばいつも見守ってくれている。同学年なのに同学年らしく感じないから『父親』みたいに感じる時がある。そういう事だ。
そんな取り留めのない会話をしていたら、不貞腐れた顔のヒロと明らかに落ち込んだ雰囲気のガクトが帰って来た。
あれは間違いなくナンパに失敗したな。というか中学1年でナンパできるわけがない。
落ち込んでいるガクトを無視して俺はクーラーボックスからペットボトルの烏龍茶を取り出しヒロに手渡す。
「お疲れさん。災難だったなヒロ」
「ありがとう大和くん。全くだよ」
烏龍茶を受け取りお礼を言った後で不満を一言で片付けた。
不貞腐れたように顔をそむけたヒロの髪が少しだけ乱れている事に気付く。恐らく女の人に撫で回されたのだろう。
ということはガクトが落ち込んでいるのは、女の人を引き寄せるために連れていったヒロが構われるだけで、誰1人としてガクトに興味を示さなかったのだろう。
「自業自得なだけに同情出来ないね」
俺と同じ結論に至ったのだろう、モロのツッコミが的確にガクトの心をえぐった。
そうこうしている内にひと泳ぎ終えたのだろう、キャップが海から上がってこっちに近寄って来た。それに気付いたヒロは飲んでいた烏龍茶のキャップを閉めクーラーボックスに戻すと、キャップの荷物からタオルを取り出し、キャップに投げて寄越す。
「サンキュー! ヒロ! いやー! やっぱ海はいいな!」
受け取ったタオルで濡れた頭を拭きながら楽しそうに言うキャップに、俺たちは呆れた溜息しか吐けなかった。
「みんなまだ揃ってないのに、先に泳ぎに行ったんだキャップ」
「まーな。ところでヒロとガクトはどこに行ってたんだ?」
キャップが泳ぎに行く前にガクトがヒロを連れてナンパに行ったので、その事を聞いているのだろう。その言葉にガクトはピクリと震えモロが事情をキャップに説明している。
その話を聞いたキャップは少しだけ顔を歪ませる。
「そんな事してどーすんだよ。海で泳いだ方が楽しいじゃねーか」
キャップのもっともな意見なのだが、ガクトは納得がいかないようだ。
「うるせー! ひと夏の出会いを期待して何が悪い! 俺様も彼女が欲しいんだよ!」
ガクトの魂の叫びを聞いた気がした。
否定できない。姉さんと兄弟を見ていると確かに俺も彼女が欲しいと思った事がある。その度になぜが察知する京に迫られるが、それを差し引いてでもいいなと思った事があるのは確かだ。
ある意味で姉さんと兄弟の関係は理想的なのかもしれない。
姉さんの無茶や我がままをそれとなく叶えている兄弟。でも本当に無理な事はちゃんと無理だと言って逆に姉さんを窘めているし、振り回されているかと思いきや、どちらかと言えば姉さんをコントロールしている。
でもお互いに相手を認めて、依存ではなくて支え合って信頼し合っているのが見ている俺たちにも分かるような関係。
これを理想的と言わずして何を理想的と言うんだろうか? 2人を見ているとそんな感じを受けるのだ。
だがガクト。お前が姉さんと兄弟の関係を羨ましいと思って『彼女が欲しい』と言っているのならナンパはやめろ。ナンパで得た彼女とそんな関係を築けると思っているのか、お前は?
心の声は言葉にせず胸に仕舞っておく。ナンパで振られるガクトを見るのが実は楽しいなんて思っていない。思っていないぞ。うん。
「しっかし……せっかくタカを連れてったてのに、誰も俺様に声を掛けやしない。こんなんだったらタカを連れていかなければ――」
ゴギャッ!
何やら鈍い音がしたと思ったら、今まで不満そうに愚痴をこぼしていたガクトが顔面から太陽の光で灼熱と化した砂浜に沈んでいた。
突然後頭部に炸裂した痛みとその直後に襲った顔面への熱気。思いもしなかった激痛と熱さだったのだろう。ガクトは砂浜を悶えるようにのた打ち回っていた。
驚き視線を向けると、まるで剛速球を投げ終えたピッチャーのような格好で、殴り倒したガクトを恐ろしいほど冷めた目で見下ろしている篁凛奈さんの姿があった。
正直に言おう……怖ぇよ!!
肌寒さではなく薄ら寒さで背筋を震わせる俺たち。
「おい、島津の坊主……私の可愛い緋鷺刀に何をやらせていたんだ?」
発せられた声により一層怖さが増した。
甘かった。何もかも甘すぎた。
俺とモロはボコボコにされるだろうと思っていた。だがこれは明らかに違う。
ボコボコなんて生易しい。凛奈さんのこの雰囲気。明らかにガクトを殺す気だ。
実は凛奈さん。よくヒロで遊ぶことがあるが、自分以外がヒロで遊ぶのを良しとしない。
独占欲が強くある意味で過保護。親馬鹿ならぬ『叔母馬鹿』。ある意味での『緋鷺刀至上主義』な人だ。
そんな人の機嫌を損ね怒らせた日には、命が幾つあっても足りない。そう俺たちが思うには十分過ぎる迫力だった。
誰もがガクトの半死の姿を思い描いたと思う。でも凛奈さんは気持ちを落ち着かせるように大きく息を吐くと、腰に手を当てて未だに悶えているガクトを見下ろす。
「まあいい、海で浮かれていた事にしておいてやる」
「ありがとう……ございます」
くぐもった声で答えるガクトにさらに追い打ちを掛ける凛奈さん。
「ただし島津の坊主。お前は昼飯抜きだ。買う事も許さん」
「分かり……ました」
さすが大人の対応だと思っていたが、やはりそこは凛奈さん。きちんと罰を与えるところは抜け目がないと言っていい。しかも底意地の悪い罰だ。
凛奈さんの制裁が終わると同時に女性陣が着替えを終えて戻ってきた。
先頭を歩くのは姉さん。黒の競泳水着だ。無駄のない理想のプロポーションと誇っている通り、見事としか言いようがない。
次に京。まあ中学1年生だ。青色のワンピースに可もなく不可もないスタイルだろう。
そして最後にワン子。だがその姿を見た時、俺たちは驚きに身を固まらせた。
ワン子……いくらなんでもスク水はないだろ? お前もう中学生だぞ?
そこには学校指定のククール水着を着たワン子の姿があった。
思わず呆然としていた俺たちを見た凛奈さんと姉さんは、肩を揺らしながら笑いを堪えていた。俺たちの反応が予想通りだったのか、それともある意味でイタズラが成功して嬉しいのか、あの2人の顔では判断が出来なかった。
「おいワン子。スクール水着はねえだろ」
「うっさいわね。いいじゃない、お姉様がこれで問題ないって言ったんだから」
やっぱりあんたか姉さん!
ガクトに多少怒りを込めながら返したワン子の言葉に、俺たちはいっせいに姉さんに視線を向ける。視線の集中に気を良くして姉さんは胸を張った。
「純真爛漫、天真爛漫なワン子にはお似合いだろ?」
「似合いすぎて怖いよね」
京の呟きに同意したくなったのには責めないでほしい。でもだからと言って中学1年生にもなってプライベートの海水浴にスクール水着ってどうなんだろうな?
薦める姉さんも姉さんだけど、疑いを持たないワン子もワン子だ。
「ねえねえ。それよも大和、どう? 私の水着」
すり寄ってくる京を改めて眺めて見る。ここは素直に褒めておいた方がいいだろう。
「うん、可愛いと思うぞ」
「最近胸も大きくなってきたんだよ。触ってみる? 触ったら責任取ってね」
「うん、全くもって言葉に脈絡がないな」
「色気づくには早過ぎたな椎名の弓っ娘。中学生は中学生らしく川神の犬っ娘みたいに元気にはしゃいでおけ」
「そうだぞ京。色気はおねーさんに任せておけ」
俺と京のやり取りを声を殺して笑いながら割って入って来た凛奈さんと、それに便乗して会話に入り込んできた姉さん。
そりゃあ貴女たちにしてみれば京もまだお子様でしょう。貴方たちに比べれば。
「いいなお姉様も凛奈さんもそんなに胸が大きくて……アタシも大きくなるかな?」
「まだまだ先がある。頑張れば大丈夫だワン子。ちなみに私のバストは今は83だ」
「犬っ娘の歳ならまだ気にする事じゃない。これからの成長期で大きくなる可能性は十分あるさ。ちなみに私のバストは88だ」
「ねえ大和。私はワン子よりは大きいよ?」
ワン子の疑問に姉さんと凛奈さんの答え。そして京の自己申告。
いったい何にどう突っ込んでいいのか分からない俺はもはやグロッキー寸前だ。ガクトはだらしない顔しているし、キャップは全く興味がないのかコーラを飲んでるし、ヒロは恥ずかしそうに顔をそむけているし、頼むから突っ込んでくれモロ! というか早く帰って来い兄弟!
「みんなもう少し羞恥心を持ってよ! 聞いてるこっちが恥ずかしいよ!」
期待通りの突っ込んだモロだったが、恥ずかしさからなのかいつものキレがなかった。しかも突っ込んだせいで女性陣の視線をいっせいに浴びてしまい、すぐに顔を赤くして目を逸らした。
分からんでもないが……情けないぞモロ!
だがモロが突っ込んだおかげでその話は終わり、みんなの話題は別の方へ移った。
それに安堵していたのも束の間、次なる騒ぎはヒロの言葉から始まった。
「それにしても凛奈さん……その水着はどうかと思うんだけど……」
あえて触れなかった事柄にヒロが勇気を出して遠慮がちに声を掛けた。
親戚だから突っ込めるのだろう。俺たちにはまず無理だった。モロなんか思いっ切り目を逸らしているしガクトなんか鼻の下伸びてるぞ。
「ん? 何かおかしいか?」
おかしくはないです。でも俺たちにはちょっと刺激が強すぎます。
深紅のビキニでトップも布地が少なく、ボトムに至っては結構なローライズだ。よほど自信がなければ着れない水着なのは男の俺ですら分かる。
「凛奈さんは恥ずかしいと思わないの?」
「水着としてちゃんと売っていたものだぞ? 何を恥ずかしがる必要がある」
ヒロの言葉をさらりと受け流す凛奈さん。
確かにその通りではあるが、だからと言ってこんなに人がいっぱいいるのにその水着を着ようと思う精神が凄いよ。この人は。
「あ~もしかしてあれか? よくテレビとかで言ってるの聞くけどさ、もういい年なのに恋人がいない事に焦ってるってやつ?」
ドガッ!
再び鈍い音がしたと思ったら呟いたキャップが俺たちの視界から消えた。
見ると握り込んだ拳を突き出した格好の凛奈さんの姿。その拳の先に視線を向けると数メートル先に吹っ飛ばされて仰向けに倒れているキャップの姿。まずい感じに痙攣しているけど大丈夫なのだろうか……
「おい、風間の坊主。お前今なんて言った?」
地の底から這い上がって来た悪魔のような声で問い掛ける凛奈さん。気を失っているであろうキャップに答える術はない。と、今度は俺たちの方に視線を向けた凛奈さんは、その声音のまま問い掛けてきた。
「お前らにも聞いておきたい。お前ら私を幾つだと思ってる? 正直に答えてみろ」
「幾つって……さんじゅう――」
ゴギャッ!
空気を読まずに本当に素直に答えようとしたガクトが、再び砂浜に顔面を沈める結果になった。
馬鹿が起こした結末に誰も同情する事はない。素直に答えろと聞かれて本当に思ったまま答える馬鹿が悪いのだ。
「アホだ」
「アホだね」
「アホとしか言いようがないよね」
「うんアホだよね」
「アホだわ」
「救いようのないアホだな」
「キャップが吹っ飛んでガクが沈んでるこの状況……いったい何があったんですか?」
俺たち全員の呟きの後、見回りを終えたのだろう後ろから現れた兄弟が呆れたような声で、あろう事か怒り心頭の凛奈さんに問い掛けた。
救世主だ!
今まさに俺たち風間ファミリーの心は1つになったに違いない。俺たちはようやく文字通り『救いの神様』を得たのだ。
思った通り、凛奈さんの矛先は兄弟に向かった。
「いい時に来たな暁の坊主。お前にも聞いておきたいのだが、私を幾つだと思ってる? 正直に言ってみろ」
その凛奈さんの言葉と俺たちの雰囲気で、この場で何が起こっていたのかを瞬時に察したのだろう。吹っ飛んだヤップと顔面から沈んだガクトに呆れた眼差しを向けた兄弟は、小さく溜息を吐いて凛奈さんの質問に答えた。
「幾つって……凛奈さん、今年の3月に大学卒業して4月に誕生日迎えたばっかでしょ? 23歳だと思ってたんですけど、違うんですか?」
「なんだ、お前は知っていたのか。つまらん」
兄弟の言葉にあっけなく纏っていた雰囲気を消した凛奈さん。
だがその事実について行けないのがヒロを除いた俺たち全員だ。
え? 23歳? それホント?
兄弟以外の視線がいっせいにヒロに向く。その視線の意味を悟ったのだろう、ヒロは何も言わずに頷いて答えた。どうやら本当らしい。
先入観があった事は否定しない。小さかったヒロを引き取ったと言っていたのでその時すでに成人していて働いていると思っていた。
ヒロを引き取ったのが6年前だから計算すると若くても30歳ちょっと前。たぶんみんなそう思っていたはずだ。
でも事実だとすると何? ヒロを引き取った時って高校2年生になる前? 凛奈さんって作家だよな? その時すでに作家としての収入がちゃんとあったてこと?
衝撃的過ぎる事実に混乱していた俺たちはすっかり忘れていた。そうそれは――
「さて残りのガキども。直江の坊主に師岡の坊主。川神の戦っ娘に犬っ娘、椎名の弓っ娘。お前たちの答えを聞く気はない」
悪魔の声が聞こえた。あの姉さんすら顔を引きつらせている。誰も振り返れない。
「ああ、何で聞く気がないと言うのは、だな」
徐々に近付いてくる気配に足がすくんで動けない。
「お前らの雰囲気でどう思ってるか分かるからだ!!」
青い空。白い雲。燦々と照りつける太陽。
夏真っ盛りの浜辺に、鈍い音が5つ響き渡ったのだった。
あとがき~!
「第29話終了。あとがき座談会、司会の春夏秋冬 廻です。今回のお相手は――」
「師岡卓也です」
「久し振りのモロ登場。さて今回のお話ですが……どうだった?」
「どうだったって言われても……凛奈さんの年齢はまさに驚愕だったよ」
「だよね~実は最初はもっと年上だった。大和の予想通り緋鷺刀を引き取った時は成人して働いており、しかも物凄く物静かな人という設定だった」
「それがいつどう変わったの?」
「180度変わったのは外見イメージを作者脳内で作り上げた瞬間」
「どういう外見を思い描けば設定が間逆になんの!?」
「劇場版空の境界の蒼崎橙子」
「……………………」
「あの姿をイメージした瞬間に全てが変わった」
「なんか納得するしかないような……」
「あの性格、プロポーションはもとより天才肌的な才能も初期設定に入り込んでしまい、その関係で高校在学中に学生作家としてデビューという設定が生まれたんだ」
「イメージにズルズル引きずられたって感じだね」
「全くもって否定しない!」
「威張る事じゃないから!」
「でもそのおかげで無茶苦茶書いてて楽しい人になった。しかもその後にいろいろ設定が浮かんできたからこの人だけでも短編が数本書けそうな勢い」
「無責任なことをここで言わないでよね!?」
「う~ん……原作に突入しても絡ませようかな? いやそれとも別の何かで……」
「なんでのこの人こんなに乗り気なの!? しかも無茶苦茶収集つきそうにない感じしかしなんですけど!?」
「まあいいか、後で考えよう。ではみなさん次回投稿もよろしくお願いします」
「またしても最後は僕を無視!? 結局前回と同じオチなの!?」