ここはどこだろう……
ぼうっとする意識の中、揺れている事だけが分かった。
車で移動しているのだろうか?
背中に感じる一定の揺れと振動で今の状況を予測する。
何かを考えようと思うと頭が痛くなる。感じたままの事しか考えられない。
「気が付いたのか?」
横から声がした。
その声の方を向こうとしたが体が思うように動かないし、目を開ける事も億劫だった。
「無理に体を動かすんじゃねぇ。怪我は大したことないけど、頭を強く打ってるんだ。大事を取って動くな」
口調は荒いが声音からして女の人だ。
彼女は喋っているのは日本語。俺が日本人だからだろうか。
俺? あれ……俺って……誰だっけ?
そう思ったところで、俺の意識は暗転した。
§ § §
「記憶喪失だぁ!?」
ありのままを話したら彼女は顔を引きつらせた。
外見から見てやはり彼女は日本人だった。でも周りを見ればここが日本じゃない事ぐらい記憶をなくした俺でも分かった。
あれから数時間後、目を覚ました俺は自分の事を何も覚えていなかった。
名前を聞かれて答える事が出来なかった俺は、自分を記憶喪失と判断し、そう彼女に向かって正直に答えた。
「マジかよオイ……」
困惑したように彼女は額に手を当て、少しの間考え込んだ後、再び俺に問い掛けていた。
「記憶喪失ってどれ程だ?」
「どれ程って?」
「いろいろあるだろ。基本的な常識すら忘れているのか、それとも自分自身の事だけを忘れているのか」
そういう事か。
俺は彼女の言葉に頷くと腕を組んで考え込んだ。
基本的な常識と言われても何を指すのかは分からないが、どうやらそこら辺は問題ないようだ。彼女の言葉も分かるし、日本語はすぐに思い浮かんだ。挨拶等の一般常識的な事も忘れていない。
「大丈夫です。どうやら本当に自分の事だけを忘れてるみたいです」
「器用な記憶喪失だな。オイ」
そもそも記憶喪失に器用も不器用もあるのだろうか?
その辺りを突っ込みたかったが、ややこしくなりそうだったので自重した。
「ところで……」
「あん?」
「俺って、発見された時どんな感じだったんですか?」
気になっていた事を聞いてみた。
記憶喪失で何も覚えていない俺にとって、荷物が何よりも1番の手がかりになるはずなのに、その荷物が何1つなかった。
おかげで名前も年齢も誕生日も分からない。
漠然と自分が日本人だというのは理解している。真っ先に出てきた言語が日本語だったのがその証拠だろう。
「ここから10キロ先にある川のほとりに漂着していたんだよ。外傷はそうでもなかったが頭から血を流していてな。大事を取ってここに運んだってわけだ」
「荷物は?」
「あったらお前の名前なんて聞くか」
確かにその通りだ。
身元不明不審者の取り調べでまずやる事は荷物を調べる事だ。それがないから俺に直接名前を聞いてきたのだろう。
「お前の取る選択肢は1つだけだ。すぐにでも大使館に駆け込め。そうすれば問題はすぐに解決だ」
確かにそうだ。
だけど何故かそれはしたくなかった。だからそれを素直に言う。
「今は大使館にはいきません」
「はぁ?」
俺の言葉の意味を理解出来なかったのだろう。彼女は間抜けな声を出した。
数秒、間抜けな表情のまま口を開けていた彼女だったが、我に返ると額に手を当ててとてつもなく大きな溜息を吐いた。
「何を言ってんだよこのガキが。大使館に行かないでどうする気だ」
「今は行かないと言ったんです」
「だからどうしてだ?」
「記憶を思い出してからにしたいんです。そうしないと、帰った時に顔向けが出来ない気がするんですよ」
何でと問いかけられても答えられる自信はない。
だけど、何故かそう思ったのだ。彼女に『大使館に行け』と言われた途端に、今の俺では『あいつ』に会う資格なんていないと思ったのだ。
『あいつ』がいったい誰なのか分からないのにおかしなことだな。
何故か笑いが込み上がってきた俺は小さくその笑いをもらす。
俺のそんな笑みを見てどう思ったのかは分からないが、彼女は何を言っても無駄だという事は悟ったらしいく、もう1度だけ大きな溜息を吐いた。
そんな彼女に俺は言葉を掛ける。
「ところで、これから俺……どうなるんですか?」
「あたいが知るか」
俺の質問に彼女は吐き捨てるように言った。
そりゃそうだろう。
「Hey. 『Hornet』(オイ、『女王蜂』)」
「Commander?(隊長?)」
見捨てられたような言葉を貰い、俺がこれからの自分の身の振り方を考えていた時、部屋の中にがっしりした体格の厳つい中年の男性が入って来て彼女に声を掛けた。
椅子から立ち上がり、一応といった感じでその男の人に敬礼をしが、彼女の目は『何しに来たんだ』と言っているようなものだった。
男の人の彼女の態度に何も言わなかった。
コマンダー? 司令官というよりは隊長といった感じの人だ。
呆然と見る俺を無視して2人の話は続く。
「He says that I do?(そいつは何と言っているんだ?)」
「That is memory loss.(記憶喪失だとさ)」
彼女たちが話している英語の意味をちゃんと理解出来るし、ここが日本ではない事も分かるという事は、知識の面においての喪失はないようだ。
やっぱり俺の記憶喪失はどうやら俺個人の情報のみのようだ。
「I have what I gotta do that!?(何であたいがそんな事しなきゃならないんだ!?)」
「Japanese Dahlonega same?(同じ日本人だろ?)」
「What? Hey! Wait a minute!(は? おい! ちょっと待てよ!)」
どうやらいろいろ考えている内に俺の処遇が決まったらしい。
男の人が出て行った扉を彼女は思いっ切り蹴り飛ばしていた。そして俺の方を向く。
視線だけで人を殺せるなら俺は間違いなく殺されているだろう。それほどおっかない視線で俺を睨みつける彼女。
「本当に大使館に駆け込むつもりはねぇのか?」
「ないです。自分で思い出したいんです」
さっき身の振り方について話した時の答えをもう1度彼女にしっかりと伝える。
普通に考えれば馬鹿な行動だと思うだろうが、何故か俺はそうしたくなかった。
本当に自分の力で自分の事を思い出したかったからだ。
「当分の面倒はあたいが見る事になった。いいか? 手を煩わせたらその場で殺すからな」
「分かりました。よろしくお願いします」
逆らわずに頷いておく。
今の俺にとってこの人に頼る以外は何も出来ない。もう少し状況を把握すれば何となるかもしれないが、そうなる前に殺されては意味がない。
こうして『俺』の生活が始まった。
§ § §
同時に襲い掛かってくる左右の斬撃。
右からの斬撃に対しては左指の人差し指と中指、左からの斬撃に対しても同じように右手の人差し指と中指を突き出し、刃を指で挟んで打受け止める。
交差した腕を元に戻すように回転させた力を利用し、左手を放しその回転の勢いで彼女を投げ飛ばす。
なんとか足で地面に着地した彼女は、未だに挟まれたままの小太刀を無理して引き戻すさず、俺の顔面に向かって右脚で蹴りを放ってきた。
その蹴り脚を左手で叩き落とすと同時に再度彼女を投げ飛ばそうと、未だに小太刀を挟んでいた右手に力を入れ、彼女の身体ごと持ち上げるかのように腕を上げた。
さすがにまずいと思ったのだろう。彼女は俺の指にはさまれていた左手の小太刀を即座に放すと、腕を振り上げた事で出来た、がら空きの脇腹に向かって右逆手に持っていたもう1本の小太刀で斬り掛ってきた。
それに対して、俺は右手首を返して指で挟んでいた彼女のもう1本の小太刀を、彼女が放った斬撃の軌道上に持っていく。
甲高い音ともに、彼女の放った斬撃は皮肉にも自分のもう1本の小太刀の峰によって防がれた。
「ちぃっ! 器用なことするじゃねぇか!」
飛び下がりながら吐き捨てるように言い放った彼女に向かって、俺は持っていた小太刀を手首のスナップだけで投げ飛ばす。
俺に向かって駆け寄りながら器用に飛んできた小太刀を掴んだ彼女は、逆手に持っていた両の小太刀を準手に持ち直し、両腕を交差させ振り払い斬り掛ってきた。
俺は腰から護身用にと渡されたサバイバルナイフを抜くと、そのまま突き出しちょうど2本の小太刀が重なったところを的確に切っ先で押さえた。
「なっ!?」
思いもしなかった防御方法だったのだろう。驚きの声をあげた彼女の隙をついて放った右蹴りが綺麗に脇腹に決まり、彼女は数メートル吹っ飛んだ。
それに合わせるように俺も動き、空中で体勢を立て直し足から地面に着地した彼女の背後に回り込むと、立ち上がろうとした彼女の首筋に持っていたナイフを突き付ける。
一瞬の静寂の後、俺は彼女に問い掛ける。
「まだ続けますか?」
「あたいの負けだ」
武器を手放し両手を上げた彼女を確認した俺は、首筋に突き付けていたナイフを離し、もとの位置の腰のホルスターに戻したのだった。
「Hey. 『Darkness』. Also seems to have won 『Hornet』!(オイ、『黒髪』。また『女王蜂』に勝ったみたいだな!)」
「I was lucky.(運がよかったんですよ)」
「Don't say. Each was to sulk no over there.(そう言うなよ。あっちで不機嫌になっていたぞ)」
その言葉に俺は苦笑を浮かべるしかなかった。
『俺』がこの部隊に拾われて、半年が過ぎていた。
俺を拾ってくれたのは特殊部隊の人たちだった。
それなのにフレンドリーな人たちが多く、身元不明で怪しすぎる俺を何の問題もなく受け入れてくれた。
特殊部隊としてはどうなんだろかと、首を傾げたくなる時は多々あるが、今ここを放りだされると野垂れ死にする可能性が高いので、そこら辺に関してのツッコミはしない。
俺の目の前にいる彼の口から出ら『
それもこの部隊の掟のようなもので、個人名を言い合わずに『
どうやらこの部隊の大半が傭兵らしく、余り名前を知られたくない人が多いから生まれた掟だと聞いた。
それに従って俺は『
まあ俺の場合は記憶喪失で本名すら覚えていないから仕方ないが、髪が黒いから『
「Hey. 『Darkness』.(おい、『黒髪』)」
後ろから掛けられた声に振り向くと、そこにはこの部隊の隊長がいた。
「Commander? Do I have something for me?(隊長? 何か用ですか?)」
「Do you try to participate in the next mission?(次の任務にお前も参加してみるか?)」
は? この人はいったい何を言っているんだ?
「Commander!? What are you really saying!?(隊長!? 本気で言ってんのか!?)」
驚きの声をあげたのは俺とさっきまで話していた男だった。
そりゃあ驚くのも無理はない。お世話になっているとはいえ、俺は全くの部外者だ。本来この部隊にいる方がおかしい。
それなのに、そんな俺に次の任務に参加してみろ?
ふざけているとしか言いようがないよ。隊長さん。
「If there is no place to go for a while will this work in a unit. No problem if you are strong.(行く所がないならしばらくこの隊で働け。お前の強さなら問題ない)」
言いたいだけ言うと隊長さんは俺たちの前から去っていった。
反論する機会すら与えられず、俺はいつの間にかこの特殊部隊で働く事になったようだ。
オイ……それでいいのか? 特殊部隊?
呆然とする俺の方を誰かが同情をもって叩いたのだった。
こうして『俺』の仕事が決まった。
§ § §
任務は要人警護とそれに伴う犯人の制圧だった。
任務自体は滞りなく完遂し、要人を狙っていた組織も一網打尽に取り押さえた。
俺の力なんか全くもって必要ないのに、今回の任務でどうして俺が参加させられたのかが分かった。
要人は日本の大財閥の総帥と御曹司。
そしてその財閥の御曹司は俺と同年代。
なるほどと納得した。
要は同じ日本人、同年代の同性として御曹司の気持ちを楽にさせるのが狙いだったんだろう。と言ってもこの御曹司、気持ちを楽になんて全然関係なかった。
遠目に護衛をしていたが、周りをそれなりに強い執事たちに囲まれていたから俺の出番ははっきり言ってないと言ってもよかった。
実際、犯人グループが入って来た時も周りにいた人たちが守り切っていたし、俺がした事なんて遠目から殺気をぶつけて犯人の行動を牽制しただけだった。
そんな大財閥の御曹司が何故か俺の前に立っていた。
「貴様、日本人か?」
何とも尊大な態度の御曹司だ。いや御曹司だから尊大なのか?
どっちでもいいが、いったい何の用だろうか。
「ええ、一応日本人ですけ……ど?」
「一応とはどういう事だ」
何やら探りを入れられている。素直に答えるのがベストだろう。
俺は記憶喪失な事と自分の今の境遇を簡潔に話した。
「記憶喪失か……」
話を聞き終わった御曹司は、腕を組み何か考え込むでいたかと思うと、急に口端を吊り上げ自信満々の笑みを浮かべた。
「『
「はい?」
「さっきも1人スカウトしたが、貴様も我のために仕えてみぬか? 我の力をもってすれば、貴様の事などすぐに調べ上げてくれよう。我に仕えるという至高の喜びもある。悪い話ではないと思うがな」
つまりこういう事か。
俺の記憶、というより素性を調べる替わりに自分のもとで働かないか、そうすればお前も幸せに間違いない、と言っているのだ。
上から目線、物凄いなオイ。
「折角ですけどお断りします」
「何故だ? 貴様にとっていいことばかりではないか」
それは貴方の物差しで測った場合でしょうが。
「えっと……なんて言えばいいかちょっと言葉に困るんですけど……大切な思い出があるんです。でもその思い出は自分自身の力で思い出さなきゃいけない……そんな気がするんです」
これは嘘じゃない。
ずっと思っていた事だった。
確かに大使館に行ったり、調べてもらった方が簡単なのは間違いないだろう。俺の扱いは恐らく行方不明、あるいは生死不明だ。
大使館に行けばすぐに保護されるし、調べればすぐに分かるはずだ。
でも俺は自分の力で何とかしたかった。
そうしないと、俺がいた場所に胸を張って帰れない、誰よりも大切な『あいつ』と笑顔で再会する事が出来ない、そんな思いがあったからだ。
顔も声も思い出せない『あいつ』。でも俺にとって誰よりも大切な存在だという事は、本能的に感じていた。
だから、折角の申し出は有難かったが、断る事にしたのだ。
「そうか。残念に思うが去る者は追わずだ」
もっとしつこく勧誘されると思っていのに、案外簡単に引き下がった事に驚いた。
それが顔に出ていたのだろう。御曹司はまたしても口端を上げて笑みを浮かべた。
「なんだ? 我がもっとしつこく勧誘すると思っておったのか? なめるな! 我はそこまで卑しくないわ! 我はいずれ庶民の上に立つ選ばれし男! 些細な事に気を留めていたら器が知れるというものだ!」
自信満々に宣言する御曹司。上から目線もここまで来ると呆れしかない。
余りにも尊大な態度に呆然とした俺に御曹司は少し嬉しそうな表情を見せた。
「『
一方的に言いたい事を言い終えた御曹司は、満足気に頷くとそのまま俺の前から去って行った。
いやあのね御曹司? 友は分かったけど俺、あんたの名前聞いてないんだけど?
急展開過ぎる光景に、俺はついて行けなかったのだった。
こうして『俺』の友達が出来た……のかな?
そういえばあの御曹司。以前会った事のある誰かに似ていたよう……な?
彼との出会いは、確信はないが失ったはずの記憶を思い出す1つのピースになった……はず。たぶん。きっとそうだと思いたい。
ちなみに御曹司がスカウトしたと言っていたのは『
彼女がメイド服を着るのか……日本に帰って会うことになったら絶対に笑ってやろう。
あとがき~!
第38話終了。
前回で次で終わるとか言っておきながら終わらなかったです。
さて今回のお話ですが、分かる方には分かりますね。
はい、そうです。
あの主従との出会いです。
一応布石にならない布石を作っておきました。
この布石が原作突入後にどう影響するかは分かりません。
今度こそ次で終わる……かな?
あ、ちなみに本文の英語の会話の表記は翻訳ページを使って訳したものなので『こんな風には言わない』とのツッコミはなしでお願いします。
というより、先に英語を書いてカッコ書きで日本語、この会話文の書き方はどうなんですかね……?