ついに帰ってきました。
――2009年 4月24日 金曜日 AM10:30――
実に2年8ヶ月ぶりに俺は川神の地を踏みしめた。
駅前のロータリーで足を止め、長時間の移動で固まった身体をほぐすように伸びをする。
飛行機で約14時間と電車で約2時間。合計16時間の殆どを乗り物に乗っているとさすがにくるものがあった。
飛行機は気を利かせてくれたのかファーストクラスだったが、それでも10時間以上のフライトは慣れていないと精神的に疲れる。
そういえば2年8ヶ月前もアメリカについてすぐにそんな事を思ったな。
あの時はエコノミークラスだったから疲れも今の倍以上だったのを思い出した。
上げていた腕を下ろし時計で時間を確認する。今の時間は午前10時半。日本に着いてすぐに時刻を合わせたから間違いはない。
時計から視線を戻し駅周辺を懐かしい気持ちで眺める。
特に変わったところはない。2年8ヶ月で劇的に変わるような事がある方がおかしいが、それでも込み上げてくる懐かしさは止められなかった。
「どうじゃ、約3年振りの故郷は」
後ろから急に掛けられた声にも、気配で誰が近付いて来ていたかは分かっていたので俺は特に驚く事なく振り返る。
そこには予想していた通り、鉄心さんとルー師範代の姿があった。
「お久し振りです。鉄心さんとは2ヶ月ぶりですかね?」
「そうじゃな。元気にしておったか?」
「ええ、でもまあ帰るのに8ヶ月も掛かるとは思ってもみませんでしたよ」
俺の言葉に鉄心さんも苦笑いを浮かべた。
事情が事情だから仕方ないとは分かっていたが、さすがにあんなに待たされるとは思ってもいなかった。
俺が拾われ滞在したところがアメリカの特殊部隊だった事から、いろいろと調べなければならない事が多かったようだ。
まず何より俺が離れる事で部隊の情報が漏れないかどうかの確認。俺がいったいどういう人物なのかのプロファイリングから始まり、部隊にいた全隊員に聞き込み。
漏らすような情報を持っていない事と、知っていても本当に誰にも話さない人間なのかを徹底的に調べられた。
だが何より調べるのに時間が掛ったのは、他国の軍人や傭兵と手合わせした事で、部隊の情報が漏れていないかという確認だった。
これは俺のせいではなく間違いなく『女王蜂』や『猟犬』のせいだ。
「まあ君は特殊なケースみたいだからネ。でも帰ってきてくれて嬉しいよ」
「本当にお久し振りです、ルー師範代」
少しだけ涙を見せているルー師範代に、俺は頭を下げて挨拶する。
そんな俺を見て本当に嬉しそうに頷くルー師範代に、待っていてくれる人がいるという事が、どれだけ嬉しい事なのかを改めて実感した。
「本当に久し振りだネ。でも見違えたよ、3年近く会っていないだけでここまで変わるとはネ」
そう言って俺を見上げたルー師範代を見て笑みがこぼれる。
これも本当に不思議でしょうがない。中学2年の時はルー師範代とそんなに変わらない身長だったのに、今は頭1つ大きくなっており現在の身長は185センチだ。
「それで……これから俺はどうすればいいんですか? 一応言われた通り気配を消していますけど」
そうなのだ。
今、俺は鉄心さんに言われた通り気配を完全に殺して川神に入ってきた。
気配を完全に殺したと言っても見えなくなるわけじゃない。ただ単にどれだけ優れた武芸者であろうと今の俺を見たら普通の人と認識するというだけ。
暁の業の1つ【
「なに、それは孫娘たちを驚かせるための仕込みじゃよ。お主のこれからじゃが、先月やった試験は覚えとるか?」
「ええ、覚えてますけど……あれっていったい何だったですか? 勉強の総仕上げの割には意外と難しかったんですけど……」
先月、鉄心さんから送られてきた試験問題を思い出しながら、少しだけ顔を歪めた俺の疑問に答えたのはルー師範代だった。
「アレは川神学園の編入試験なんだヨ」
「編入試験?」
「ああ、君が戻ったら学校に通わせようと思っていてネ、ちょうど行方不明の間の勉強をすると聞いていたカラ、総仕上げとして受けてもらったんだヨ」
あの試験問題にまさかそんな意味があったとは思ってもいなかった。っていうか、俺は中学卒業した事になってるのか?
その疑問を口にした時の鉄心さんの顔を見て、ああこの人が何か無茶苦茶な事をやったんだな、と瞬時に悟った。
それはまあ置いておくとして、という事は俺は月曜から川神学園の生徒という事になるらしい。相も変わらず何というか、手際のいい人たちだ。
「そういうことじゃからな。家は今まで通り川神院じゃ。部屋はモモが時々っちゅうか、週に2度はお主の部屋で寝起きしとったから掃除とかは問題ないじゃろ」
何ともないように言う鉄心さんだったが、俺からしてみればとんでもなく問題ありまくりな、ツッコミどころ満載な内容だった。
モモが俺の部屋で過ごしてたって……いいんですかそれで? 仮にも10代の女ですよ? 普通注意すべき……ってモモが注意して聞くわけないか。
俺の考えが読めていたのだろう、鉄心さんもルー師範代も呆れたように肩をすくめてみせた。それに対してご苦労様です、と俺は声にせず視線だけで2人をねぎらった。
「してどうする? 荷物はそれだけみたいじゃが、すぐに帰るか?」
俺の持つバッグを見ながらの鉄心さんの提案に、腕を組んで考えた後で首を振る。
「荷物も数日分の衣服だけで少ないですし、持ったまま久し振りに川神を見て回りたいと思います。それに今日はちょうど金曜日ですから、
そう、まず何よりあいつらに、モモに会いたかった。
俺の思いが言葉にこもっていたのだろう、鉄心さんは優しい笑みを浮かべて頷くと、俺に1枚のクレジットカードを渡してきた。
受け取ったものの意味が分からず首を傾げる俺に鉄心さんは言葉を掛ける。
「それで服とかを買ってこい。バッグに入っている分だけでは足りんだろうに。買った物は川神院に郵送すればよい」
「いいんですか?」
「お主なら無駄遣いはせんじゃろ。問題ない」
「いや、未成年の俺が使ってもいいんですか?」
「渋ったらワシの名を出せ、それで問題ないじゃろ」
そりゃあ川神で鉄心さんの名前を出せば、大抵の事は何とかなりそうですけどね。
でも今は鉄心さんの好意をありがたく受け取っておこう。衣服以外にもいろいろ必要な物を買い込まなければならないのは間違いない。
「ではワシとルーは学園に戻るからの」
「また今夜だネ」
そう言って鉄心さんとルー師範代は来た道を戻っていった。
残された俺は僅かな時間ながらもちゃんと出迎えに来てくれた2人をありがたく思い頭を下げた後、ショッピングモールに行くかデパートに行くかを考えながら、繁華街の方へと歩き始めたのだった。
日常品数点と服と下着を数着買った後、ぶらりと繁華街を回り終えた俺は、足の向くまま1つのビルが立つ土地の前に来ていた。
都市開発でなくなった以前の秘密基地の原っぱがあった場所だ。
ここにはいろんな思い出が詰まっている。
モモと一緒に風間ファミリーに入った事。竜舌蘭を守った事。コユキと出会った事。
風間ファミリーの原点とも言っていいここを最初に見ておきたかった。ここに来れば俺の中の思い出が変わってない事に確信を持てるからだ。
2年間の記憶喪失の間に、自分の中の思い出まで変わってしまったかと思っていたけど、何も変わっていない。どうやら杞憂だったようだ。
数分、じっとビルを見上げ眺めていたが、そろそろ不審者に間違われると拙いのでその場から離れる事にする。
その足のまま今度は多馬川へと移動、川沿いから見える多馬橋を見上げる。あの橋の先に来週月曜から通う川神学園がある。
以前1度だけモモに連れられて行った事があるのを思い出した。あれは確か中学2年の夏休みになってすぐ、アメリカに行く前だったか、『来年から通うジジイの学校を1回は見てみないとな』と言うモモの言葉に、無理矢理同行させられたっけ。
またも頭をよぎる記憶に、思い出し笑いする俺。
いきなり笑い出したのでおかしい人と見られるかと思ったが、幸いにも俺の周囲に人の気配はなかった。
ひとしきり笑った後、時計を見て時間を確認、午後4時になろうかとしていた。
そろそろ秘密基地の方に行かないと誰かが来るかもしれない。下手すれば鉢合わせる事にもなりかねないから気持ち急ぐことにする。
過ぎ行く風景にも懐かしさを感じながら秘密基地への道を歩く。工業地帯に近付くにつれ景色の細かい変化は見られなくなった。
そう感じていたらすぐ目の前に秘密基地にしているビルが視界に入ってきた。
本当に変わってない。
見上げるその姿に多少の汚れや傷は増えているが、本当に変わっていないのが分かる。
モモ、ヤマ、キャップ、カズ、ガク、タク、ヒロ、ミヤ。風間ファミリーみんなの気配の残滓を感じる事が出来る。
待っていてくれたんだ。
鉄心さんの話から、みんなが変わらず俺の事を待っていてくれているのは聞いていた。でも、今ここで、この場でそれを感じる事が出来るのが、たまらなく嬉しかった。
だが建物に入ろうと1歩踏み出した時、何か違和感を感じた。
建物の中に『何か』が『ある』。
動いているのを感じるが気配からして人間のものじゃない。いや、人間どころかこの感じは生き物でもない。
だから直感で『ある』と思ったのだが、いったい何が中に『ある』んだろうか?
ロボット?
あり得ないと思ったが否定できない……だってあのキャップがいるんだ。ある日突然、
『いやー、ロボット拾っちまったぜ』
と言って本当にロボットを持ってきたとしても、十分あり得る事態だからだ。
少し疲れるがこれは完全に気配を殺して認識も出来ないようにした方がいい。
とりあえずロボットと予測を立てて、そのロボットに効果があるかは分からないが、堂々と入って行って何やら変なトラブルに巻き込まれるのも困る。
気配を完全に殺す【
ゆっくりと建物の中の階段を上っていく。
1階から2階、3階まではその『何か(たぶんロボット?)』に遭遇する事なく昇り切る。そのまま4階へと足を踏み出そうとした時、上の階から『何か(たぶんロボット?)』が階段を下りてくる音を聞き、急いですぐ近くの物陰に身を潜ませる。
息をひそめ、その『何か(たぶんロボット?)』が通り過ぎるのを待つ。
思いもよらなかった緊張感を感じながら身を潜めている俺の視界に、それは映った。
「ふんふーん♪ ふふふーん♪ ふふーん♪」
何やら物凄くムーディーな曲を口ずさみ?ながら卵型の巨大な物体が、俺に気付く事なく目の前を通り過ぎて行った。
な、何なんだあれは? いったい何故あんなものがこの秘密基地にあるんだ?
呆然としながらも視線を向こうに進んでいくロボット?に送りながら首を傾げたが、いつまでもここにいるのは拙いので、俺は業を維持しながら急ぎつつも慎重に階段を上り切り屋上へと辿り着いた。
【蜃陰】と【空踄】を止めて安堵するように大きく息を吐く。
モモとヒロに感付かれないように【絶影】だけはそのままにしておく。
しかし、あのロボット?がいったい何なのか今は考えない方がいいだろう。キャップが何やら関わっているのは恐らく間違いないのだから、後でゆっくり聞けば済む事だ。
深く考えたくなかっていうのが本当のところだが、俺が行方不明になって2年8ヶ月もたっているんだ。俺の思いもよらない事が起こっていてもおかしくないだろう。今はそう思っておこう。
後頭部で手を組み、バッグを枕にして屋上に寝転がる。雲1つない夕暮れの空を眺めながら時間が過ぎるのをじっと待つ。
だからといって暇とは全く感じな。穏やかに流れる時間も嫌いじゃないし、何よりここにいればこれから集まってくる仲間たちの気配をすぐに察知する事が出来る。
そう思いながら時間を確認すると午後5時になっていた。と、確認すると同時に1つの気配がビルの中に入ったのを感じ取った。
この静かだけど、どこか深い想いを持つ気配は――ミヤだ。
そういえばミヤは高校はどこに行ってるんだろうか? 中学校の時は仕方なく父親について行ったが、高校は義務教育じゃない。
そう考えると、たぶんみんなと同じ川神学園に通っているんだろう。
しかし、あのヤマ大好きなミヤがよく3年間も我慢したもんだ。今現在のヤマの苦労が何故かよく分かってしまうな。
そんな事を考えていると、ミヤとあのロボット?が何やら話をしているような気配を感じる。やっぱりあれは風間ファミリーに関係のあるものだったようだ。
ミヤの到着から10分後、感じた気配は2つ。
1つは荒々しい気配でもう1つは穏やかだけど芯の強い気配。間違いないガクとヒロだ。
ヒロの気配を注意深く探っていた俺は思わず感嘆の息を吐いた。
気配だけだから確かな事は言えないが、ヒロは強くなっている。初めて会った時の揚羽さんより上、恐らく武道四天王に並ぶぐらいだろう。
強くなるとは思っていたが、これほどまでとはな。
思った以上のヒロの成長に、後の楽しみが増えた事を嬉しく思っていると、ひと際大きな気配をかなり遠くにも関わらず感じ取る事が出来た。
強く、凛々しく、自信に充ち溢れた気配。それに最大級の懐かしさを感じた。
間違いなくモモの気配だ。
すぐにでも駆け寄りたかったが、今は我慢する。
今出て行ってしまえば、せっかく驚かせようと思って隠れていたのが全て水の泡になってしまう。企画した鉄心さんの面子はまあどうでもいいけど、俺も一応その提案に乗ったのだから最後までやり通そう。
次にやって来たのはヤマだ。
ただ怒っているのを気配から感じるし、部屋の中で何やら愚痴をこぼしている風な雰囲気を感じた。
何やら嫌な事でもあったみたいだが、仲間と話している内に落ち着いてきのだろう、いつもヤマの気配に戻っていった。
ヤマも変わってないな。
お? 何やらモモとミヤに絡まれてるな。俺がいない間、あいつは舎弟という事でモモに関していらない苦労を押しつけてしまったに違いない。後で謝っておこう。
そうこうしている内にカズとタクが来て、最後にキャップが原付で到着した。
まさかキャップが原付の免許を取ったとはな。これも2年8ヶ月の時間経過の1つなんだろうが、俺の知らない事があるのはやっぱりどこか寂しく感じる。
数秒間だけ胸の内に湧きあがった空虚な感情に、仕方ないといった諦めにも近い笑みが浮かんできた。
どうしたって時間は戻らない。だけど俺は過ごしてきた時間を決して無駄だと思ってはいない。
寂しいと感じる事の方がおかしい。
そう感じていたのは俺だけじゃないんだ。みんなだってそう感じてくれていたのは間違いないはずなんだ。
そんな思いを感じさせるほどの心配を俺はみんなに掛けてきた。だからみんなの変化を近くで見ることが出来なかった事に、俺が何かを言う権利なんてないんだ。
そんな事を思いながら、何やら議題をしているであろうみんなの気配を探る。
お? モモとガクの嬉しそうな気配に対し、ミヤとタクが少し陰湿な気配になったぞ。ヒロはあんまり関心なさそうだな。カズとヤマは何だろう、少し迷ってるような感じだな。何かを心配しているのか?
いろいろな気配の移り変わりが起きていたが、結局キャップが何かを言って纏めたのだろう、1番変化が大きく強かったミヤがいつもの感じに戻った。
はてさていったいどういう議題がなされていたのやら。
気になるところではあるが、そろそろ俺も動こうかな。
穏やかな雰囲気が漂い始めたであろうみんなを驚かせるため、俺は纏ってた【絶影】を最初に解き、少し間をおいて【衆寡】を解いた。
さてどんな驚いた顔を見せてくれるかな。
若干、底意地の悪い考えをしながら俺は屋上のフェンスに手を置き、そこから見える川神の工業地帯を眺めていた。
あとがき~!
「第50話終了。あとがき座談会、司会の春夏秋冬 廻です。今回のお相手は――」
「ハローボーイズアンドガールズ。川神鉄心じゃ」
「物凄い日本語英語ですね……まあいいか。はい、川神院総代にして川神学園学長、川神鉄心さん初登場です」
「うむ、改めてよろしくのう」
「よろしくお願いします。さて今回のお話ですが……」
「まだ神とモモたちはミートアゲインせんのか?」
「いきなりのツッコミですね。本当は再会させるつもりだったんですけど、いつの間にかこうなってしまいました」
「何故こうなったかアンダスタンドしておるのか?」
「まあ、神から見た、感じだ金曜集会の感じを書こうと思ったのが長くなった1番の理由ですね。気配だけで何やっているか察知できるのって神か貴方か百代ぐらいですからね」
「否定はせんがな。という事はネクストタイムでやっとミートアゲインという事かの?」
「そうですね、1話使ってってのは長いかもしれないですが、まあやっと帰ってきたからそれなりに見せ場にしないといけないですからね」
「ほっほっほ、ハッピーなモモたちのフェイスが目に浮かぶわ」
「という事ですので、次回が皆さんお待ちかねの神と百代たちの再会の話になります。皆さんの期待していたものになるかは分かりませんが、次回投稿もよろしくお願いします」
「うむ、今か今かとエンジョイしながらウェイトするがいいぞ」
「ところで鉄心さん」
「ん? なんじゃ?」
「その話し方はいったい何ですか?」
「ふふ、ちょっと若者語を話してみたんじゃがどうかのう」
「若者というよりルー○柴ですよそれ」