――2002年 5月11日 土曜日 AM10:30――
体の内側から沸き上がってくる高揚感に、私はうるさいほど速くなる鼓動とにやけそうになる頬を懸命に抑え込む。
だがどうしても込み上げてくる嬉しさに、にやける事だけは止められない。
私は吊り上がってくる口端を、今度は止めることなく口元に笑みを浮かべると正面にいる人物を真っ直ぐに見つめる。
その顔を見れば困惑と呆れがありありと見てとれる。
きっと頭の中で『どうしてこうなったんだ?』と繰り返し考えてる事だろう。
だがあいつの都合や考えなんかは私の知った事じゃない。
私にしてみればやっと巡ってきた千載一遇のチャンスを早々逃す訳にはいかないのだ。
『まだ幼い』『力の加減が出来ない内は絶対に駄目だ』
そう言われ続けて2年。やっとジジイから許可が下りた。
望んで望んで、もうどうしようもなくなっていた私の心は、ようやく待ちわびたこの時に、もはや自分を抑え込む事が出来なくなっていたのだ。
真正面にいるのだからあいつも私の表情がはっきりと見えているはずだ。
案の定、浮かべる笑みに私の心情を悟ったのだろう、一瞬だけ引きつったように顔を歪めるが直ぐに諦めたような深い溜息を吐いた。
そんな表情や行動にますます嬉しさが込み上げてくる。
「さあ! とっと始めろジジイ!」
審判と見届け役を買って出たジジイ――祖父である川神鉄心に私は感情を抑えることなく叫ぶ。
「こりゃモモ! いい加減にジジイと呼ぶのはやめろと言っておるだろうが!」
そんなジジイの抗議の声は今の私にはまったく聞こえてなどいない。
さあ、始めようじゃないかジン。
私とお前のこれから一生続くであろう闘争の始まりの試合を!
§ § §
――遡ること30分前
「ジン! 私と勝負しろ!」
一通りの修練を終え、道場の隅で腰を下ろし休憩に入っていたジンに、私は拳を突き出して宣言した。
私の急な言葉に間抜けにもポカンと口を開けていたジンだったが、言葉の意味を理解したのか戸惑った表情で首を傾げた。
「えっと……モモちゃん? 急にどうしたの?」
「急じゃない。2年も待ってやっとジジイから許可が下りたんだ。だから私と勝負しろ」
私の返答にさらに困惑したような顔を引きつらせるジン。
「いや……言葉を聞くとモモちゃんにとっては急じゃないかもしれないけど、今の今まで1度もそんなこと聞いてこなかった僕にとっては急過ぎて、何をどう答えていいのやら全く分かんないんだけ……ど?」
本当にどうしていいのか分かっていないジンは、助けを求めるように周囲を見渡し始めた。と、私の後ろからついて来ていたジジイとルー師範代、釈迦堂さんの姿を確認したのか、明らかに安心したようにホッと息を吐いくと立ち上がって言葉を掛けた。
「鉄心さん、どうなっているかの説明して下さい」
「どうもこうも、モモがお主と勝負したいと言ってきての。ワシが許可したのじゃ」
ジジイの返答に呆れた溜息を吐くジン。
「僕が知りたいのは今のこの現状ではなくて、どうして勝負することになったのか、その経緯と経過が知りたいんです」
「ホッホッホ。察しのよいお主の事じゃ、説明せんでも大体は分かっとるじゃろうて」
「分かっていても僕には説明を要求する権利があり、鉄心さんには説明をする義務と責任があるはずです」
「相も変わらず年齢に不相応な言葉遣いをしおってからに」
「そんな事どうでもいい! とっとと始めるぞ!」
いつまでも続く2人の問答に我慢のならない私は、会話に割り込むように声を荒げた。
そんな既に臨戦態勢に入っている私にジジイの厳しい言葉が掛った。
「少し落ち着かんかモモ! お主の気持ちも分からんでもないが説明もなしに急に勝負と言われた神の身にもならんか!」
苛立ちを隠す事なくジジイを睨みつける。
私の気持ちが分かっているならとっとと始めろよな。てか私が昔から勝負がしたがっていた事ぐらい前もってジンに話しておけよ。私からジンには言うなって念押ししたのジジイだろ!?
言いたい文句はあったが、それを言ってもしジンとの勝負がなしになったら拙い。
それでもここで大人しくなると何となくしゃくに障るから、私は腕を組むとそっぽを向いた。
そんな私の態度に、ジジイの呆れた溜息が聞こえてきたのだった。
「全くのこの孫娘は……まあよい。それでじゃ神」
「はい」
「実は以前より――だいたい2年ぐらい前からかのぉ、モモがお主と勝負したいと言っておったんじゃ。ワシとしてもいずれはモモとお主の手合わせを考えておった」
「でしょうね……」
ジジイの言葉に余り驚いた様子もなくジンは答える。
この言葉の感じからジンは私と戦いたかったというよりは、いつかそんな日が来るんじゃないかと呆れ半分で分かっていた、という風に取れた。
何となくムカつくな。
だが私の心情などお構いなしに2人の会話は続く。
「じゃが2年前は時期尚早と思い、モモにはワシが許可するまで戦う事を禁じておったんじゃ。あの頃のモモはまだ自分の力を制御出来ておらんかったし、お主はモモと戦うにはまだ身体が出来上がっておらんかった。もし勝負をしたら間違いなくどちらかが大怪我を負うと判断したのじゃ」
「その判断は正しかったと思います。それで? 今になって許可をしたのはどうしてですか?」
「フム、1番の理由は先ほど言った条件がクリア出来ているという事。双方十分に力をつけたからのぅ」
そう言ってジジイは髭を撫でると嬉しそうな視線を私とジンに向ける。
出来て当然だ。私はそのために修練を積んだんだ。認めてもらわなければ困る。
「でじゃ、2つ目の理由はいい加減お主に自覚させるためじゃ」
そのジジイの言葉に、ルー師範代と釈迦堂さんの気配が変わる。かくいう私もそっぽを向いていた視線をジジイに戻した。
そこにはいつものおちゃらけたジジイではなく、この川神院を纏め上げる武人、川神鉄心の姿だった。
「自覚させる……ですか?」
周りの空気が変わったのをジンも確かに感じたはずだが、その言葉はやはりどうしてなのかを理解している感じではなかった。
そう、ジンは自覚していないのだ。
自分がどれだけ強いのか、という事を。
暁神は強い。
この認識は川神院にいる全ての人間に共通している。
だがジンは門下生はおろか師範代とも手合わせした事がない。唯一手合わせした事があるのはジジイ1人なのだが、それを目撃した者も誰1人居ない。
しかもここが川神院でここに赤ん坊の頃から住んでいるにも係わらず、ジンの武術は川神流とは違う流派らしい。
師範代にまで至る門下生全員と1度も手合わせした事がない。手合わせをしたただ1人の人物が川神院の総代である川神鉄心のみ。その手合わせを目撃した者はいない。そして川神流以外の武術の遣い手。
その事実と噂によりジンの強さは川神院では謎めいたものになっていた。
だがその謎めいていたはずのジンの強さが、川神院全員の人間が確信するほどになったかにはもちろん理由がある。
まず何より日々の修練での風景。
門下生と手合わせをしないジンの修練は、1人で基礎訓練と型の往復練習になる。
だが見る人から見れば、動きに無駄がなくキレの良いその型の修練はかなり高いレベルのものだという事が分かるし、基礎訓練も誰よりも長い時間集中して行っている。
しかも他の門下生に対して、幼いながらも的確なアドバイスができるほど武に通じている。
そして師範代同士の手合わせをきちんと視ることのできる眼や反応できるほどの身体能力を持っている事と、私やジジイの喧嘩じみた手合わせに臆することなく対応し治める事が出来るという事実。
以上の事からジンは強くジジイしか相手にできない、という認識を川神院の全員に植え付けたのだ。
当の本人であるジン以外全員に。
「そうじゃ。お主は今に至るまで門下生とは誰1人として手合わせをしてこなかった。それがワシが言った事を守っての行動である事は十分理解しておる」
困惑するジンに諭すように言葉を掛けるジジイ。
「お主が遣うその特殊な流派。そのためにワシ以外との手合わせを禁じた。じゃがそのせいでお主は自分の強さを自覚できんようになっておった。それがなぜか分かるか?」
「比較対象がなかったからですか?」
ジンの返答にジジイは深く頷く。
「その通り。じゃがそうしたのはワシのせいでもあるが、自身の強さに自覚がないという事は自身の力を真の意味で理解しておらんという事じゃ。
お主はモモと違って無闇に力をふるう
そこでいったん言葉を切ったジジイは私に視線を向け頷き、次にジンの方に視線を向けると悪戯っぽい口調だったが反論を許さないような声音で告げた。
「暁神、川神百代と仕合え!」
その言葉に私の中の想いは一気に膨れ上がり爆発した。
あとがき~!
「第4話終了。あとがき座談会、司会の春夏秋冬 廻です。今回のお相手は――」
「川神百代だ! おい作者、ここには視点になった奴が出るルールでもあるのか?」
「いきなりの質問だね……特にそんなルールはないけど、始まったばっかで相手がずっと同じっていうもの新鮮味がないだろ?」
「普通始まったばかりは固定メンバーでやるのがセオリーだろ……まあいいけどな。それよりお前、私は今回の話に大いに不満がある!」
「えっ? なんで?」
「それはだな……な・ん・で! 私とジンの勝負をとっとと始めないんだ!」
バキィ
「痛っ! 仕方ないだろ? 勝負をするにはそれ相応の意味をちゃんと書かなきゃいけないんだから。それにちゃんと次の話ではちゃんと手合わせするし」
「だったらとっとと次の話を書きあげろ!!」
バキィ
「だから痛いって!」