初の三人称です。
川神院は静けさに包まれていた。
途中から門下生も話を聞いていたのか、いつの間にか自然と試合の場となる広い境内に集まってきた。そして中央で対峙する2人を囲うように円が出来上がる。
対峙する2人の様子は傍から見ても対照的だった。
片方は口端を上げ嬉しさを全く隠そうとしない首筋あたりで切り揃えたショートボブの少女。
片方は諦めたような表情を浮かべる腰までありそうな長髪を後頭部で一纏めに縛っている少年。
少女は楽しそうに笑みを浮かべたまま真正面の少年を見遣ると、下げていた両手に握り拳を作り腕を上げ顔の前で交差させる。
少年の方は未だに諦めたような表情を浮かべていたが、真正面の少女の行動を察知すると表情を引き締め、同じように握り拳を作り腕を上げ顔の前で交差させる。
「「ハアッ!」」
少女と少年が同じ構えを取って数秒動きを止めたかと思うと、同じタイミングで腕を振りおろし、裂帛の気合を吐く。
両者から放たれた気に圧されたのか、2人を囲っていた門下生たちが1歩退くかのように円が広がった。
「両者、準備はいいようじゃな」
その光景を見てとり、円の中に数歩踏み込んだ老人――川神鉄心は2人に声を掛ける。
「ああ! いつでもいいぞ!」
溢れ出る激情そのままに叫ぶ少女。
「覚悟は決めました。いつでもどうぞ」
静かに落ち着いた声音で答える少年。
対照的な2人の返答に頷いた鉄心はさらに1歩踏み出すと右腕を上げ名乗りを始める。
「西方 川神百代!」
「ああ!」
名乗りに答え微かに腰を落とし握り拳のまま右手は少し前に、左手は腰の横に置きやや右半身に構える少女――川神百代。
「東方 暁神!」
「はい!」
同じく名乗りに答え軽く開いた掌を内側にし右手を胸の前に、左手を腰の前に置きまるで球状のものを抱えるかのように構える少年――暁神。
静かに見ていた門下生たちの間に、さらに静かで緊張感のある空気が漂い始める。だが誰もがこれから始まるであろう勝負を見逃してなるものかと目をそらす事なく構える。
「いざ尋常――始め!」
そんな緊張感の漂う空気を切り裂くかのように、開始を告げる声を響かせた鉄心は掲げていた右手を勢い良く振り下ろした。
ダンッ
先に動いたのは百代。
境内の石畳を蹴る音が響き渡り、次の瞬間には構える神の目の前に。
一瞬で間合いに踏み入った百代は左足を踏ん張り一瞬でスピードを殺すと、神の顔めがけて振りかぶり気味の右正拳を繰り出す。
だが当たると思った瞬間――
「は?」
間抜けな声が百代の口から洩れた。
視界に広がる青い空。突き出されたままの右拳。背中には石畳の感触。その状況から仰向けに倒れている事を理解すると、瞬時に起き上がり振り返る。
その視線の先には未だ構えたままの神の姿。
だがその構えは右手と左手が反対になっていた。
(いなされた? 捌かれたのか!?)
起こったであろう可能性を考えるが、戦いに入った思考は次の行動を身体に命令している。
左手が上になった事で空いた右側頭部に狙いを定め、左足を鞭のようにしならせ蹴り上げる。それと同時に神の動きを見極めるため目を凝らしその姿を視界に収める。
そして蹴りが当たると百代が思った瞬間、神の姿がブレた。
潜るように身を沈みこませた神は、左手で蹴り足の左足をいなし右手で軸足である右足を払い上げた。
その結果、百代の視界は反転し上下逆さになった。
頭から地面に落ちる寸前に両手を着き体を持ち上げた百代は、その勢いのままに後ろに跳び下がり足から地面に着地した。
態勢を立て直し顔を上げ再び神の方を見ると、その構えは試合開始直後の構えに戻っていた。
見るたびに上下が変わる左右の手。その構えにようやく百代は神がやった事、そして自分がやられた事を理解した。
(なるほど、構えた両手を円に見立てて私の攻撃をその円に沿って滑らせ、いなしたという訳か)
その動き、その構え。
確かに神がこの2度の攻防に見せた業は、川神流にはないものだった。
だがそれを確認できたのは師範代以上のクラスの者たちだけであり、それ以外の者たちからしてみれば、何かしら攻防があったのだろうと理解できるが、百代が1人で勝手にひっくり返ったり回転していたようにしか見えなかった。
(はっ! 面白い! ならどこまで出来るかやってやろうじゃないか!)
嬉しそうに口元を歪めた百代は再び神に向かって駆け出した。
「あの年齢であんな事が出来るなんテ……やっぱり神は天才だネ」
「あんなものを教えていたんですかい?」
目の前で繰り広げられた百代と神の攻防を眺めていたルー・イーと釈迦堂刑部。
ルーは感心したように呟き、釈迦堂は少しだけ驚きを含ませた声で斜め前にいる鉄心に言葉を掛けた。
2人の言葉に鉄心は振り向くことなく答える。
「ワシはあやつには何も手解きはしてはおらん」
「「は?」」
思いもよらぬ鉄心の返答に、ルーも釈迦堂も思わず間抜けな声を出す。
「先ほど言ったように神の遣う武術は川神流とは違うものじゃ。なのになんで川神流の使い手たるワシが教える事が出来る」
当たり前すぎる鉄心の言葉ではあるが、だからといって納得出来るルーたちではない。
川神鉄心ほどの武人なら、例え川神流の動きではなくとも、先ほど神が見せた防御の業を教える事ぐらいは出来る筈だ。
「いやしかし、先生ならあれぐらい教える事は出来るでしょう?」
思った疑問をそのまま言葉に乗せる釈迦堂。それに同意するように頷くルー。
「確かに教える事は出来る」
そんな弟子2人に肯定の言葉を発する鉄心。
だが次に聞いた言葉は、釈迦堂とルーにとってある意味で自分たちの理解の範疇を超えるものだった。
「じゃが、ワシは確かに何も教えてはおらん。神はあの業を“覚えた”のではなく“思い出した”んじゃからな」
「それはいったい……どういう意味なのでしょうカ?」
呆然とそれでも少しだけ訝しく問い掛けるルーに鉄心は目の前の神と百代の攻防を眺めながら答える。
「暁神が……“暁”神たる由縁かのぉ……」
「アイツがアイツたる由縁ですか?」
「そうじゃ。だが今は語るべき時ではない。いずれお主たちにも話す時が来るだろうが、今はまだ神本人ですら知らぬ事……お主たちが先に知るのはフェアではないからの」
穏やかだが有無を言わさない雰囲気の鉄心の言葉に、ルーも釈迦堂も一瞬だけ目を合わせるが、示し合わせたかのように同時に首を小さく横に振った。
渾身の力を込めて放ったすくい上げるような左拳。今度は勢いよく宙に舞った。
一瞬の無重力に慌てるものの、なんとか態勢を立て直し足から地面に着く百代。
視線を上げて見ればそこにはやはり同じ構えを取ったままの神の姿。
再度攻撃を仕掛けてから数回の攻防。
そのうち3回ひっくり返り、2回前のめりに体勢が崩れ、4回視界が反転した。
そして先ほどの攻防。
手数を増やして隙なく連続攻撃を繰り出した百代だったが、神は全ての攻撃を最小限の動きで捌き、焦れた百代の大振りの攻撃を見逃さず、迫り来るその攻撃の勢いを殺さずに盛大に吹き飛ばした。
試合が始まって12回の攻防。
全て百代から仕掛け、神は全てを難なく捌き、それでいて1度も攻撃を加えていない。
だが門下生たちからしてみれば、それだけで神の強さを感じ取るには十分だった。
“あの”川神百代の攻撃を全て捌いているのだ。しかも圧倒的な余裕を持って。
門下生たちにとって、もはや百代は相手にならないほどの強さを持つ存在だ。
修練に付き合えるのは師範代以上の人間で、本気になったら総代である川神鉄心と師範代の中でもトップ2のルー・イーと釈迦堂刑部の3人しか相手に出来ない。
既に川神院で5指に数えられるほどの強さを持つ百代を、いとも簡単にあしらって見せる神。
しかも自分たちの全く知らない、出来るかどうかも分からない防御の業をもって。
共通していた認識は事実をもって確信になった。
“暁神は強い”
そんな思いが門下生たちに伝わり始めた時、身体に圧し掛かるような重さを感じ、全員が本能的に1歩後ろに下がった。
威圧感さえ感じる圧倒的な闘気を放つ百代。本気になった証拠だった。
「思った通り! 楽しませてくれるじゃないかジン!」
「そうでもないよ。でも……『自覚しろ』って言うみんなの言葉の意味は分ったよ」
嬉しそう声を張り上げ放っていた闘気を言葉と共に神にぶつける百代。
当てられる荒れ狂うような闘気に、静謐でいて鋭い闘気を放ち相殺し、対照的に静かに答えを返す神。
(なるほど……僕の強さはここまで来ていたんだ)
百代の強さは知っている。
本気の相手が出来るのは師範代ではルーと釈迦堂だけだという事は、その手合わせを見ていた神も知っていた。
そんな百代に対して難なく思い通りの行動がとれている。しかも比較的余裕を持って。
今も当てられている闘気に対しても、自分が放つ闘気で相殺出来ているため神は脅威に感じる事はない。
神の強さは、自分が思っていた以上のものだったと、今初めて自覚したのだ。
「だが、そろそろ終わりにしようかジン」
今まで浮かべていた笑みを消し、拳を握り構える百代。放たれていた闘気はさらに圧力を増した。
言葉では答えなかったが、神の放つ闘気もさらに鋭さを増した。
全体を包み込み圧し掛かるような百代の闘気に対し、自分の周りを円状に囲い天に突き抜けるような神の闘気。
2つの闘気に圧倒され門下生たちは誰も声を発する事なく静まり返った。
言葉にしなくても全員が次の一撃で勝負が決する事を悟る。
ハアァァァァ
呼気をすぼめ息を吐くと同時に、包み込んでいた百代の闘気が圧縮するようにその身体に溜め込まれていく。
呼応するように神の闘気は幕が下りるように徐々に足元に集まっていく。
ほんの数秒、この川神院を覆っていた空気は全くの真空状態になった。
そして次の瞬間――
ドガンッ
疾駆する百代。
駆け出すために踏み抜いた石畳が陥没した。
今、自分が持てる最大の速さをもって神に肉薄、間合いに踏み入る。
初撃の攻防と同じく左足を踏ん張り一瞬でスピードを殺した百代は、圧縮した闘気を纏わせた右正拳を神の顔めがけて真っ直ぐに繰り出した。
そして腕を伸ばし切ったその瞬間――
ドンッ
まるで空気を突き破ったような轟音を聞いた百代は、だがその直後に感じた鳩尾から身体を突き抜けるような衝撃に意識を手放した。
気を失い倒れこんでくる百代を優しく抱き止める神。
その足元。右足のあった場所の石畳が百代が踏み出した所と同じように陥没していた。
あの瞬間。
百代の闘気の纏った拳を右手で払うようにいなした神は、今までのように百代の体勢を崩すのではなく、右足で地面を強く踏み、その振り払った勢いのまま同じように闘気を纏った右掌底を繰り出した。
結果、百代は自分の攻撃の勢いのまま停止した物体にぶつかったような状態になり、吹き飛ぶ事なくその場で気を失い倒れたのだ。
抱き止めた百代に打撲以外の怪我がないかを確認するように背中を撫でていた神は、安堵するように息を吐くと未だに気を失ったままの百代を横抱きに抱える。
所謂“お姫様抱っこ”だ。
その様子を満足そうに頷きながら眺めていた鉄心は、右手を上げ勝ち名乗りと共に試合の終了を告げる。
「勝者! 暁神!」
勝ち名乗りを受けた神は鉄心の方に身体を向けると小さく礼をする。
そしてすぐさま踵を返し、百代を抱えたまま軽やかに駆け去って行った。恐らくは気を失った百代を寝かせるために、百代の部屋へ行ったのだろう。
またもや満足そうに頷きながら神の背中を眺める鉄心。
そしてその背中に、門下生たちから割れんばかりの拍手が送られるのであった。
あとがき~!
「第5話終了。あとがき座談会、司会の春夏秋冬 廻です。今回のお相手は――」
「前回に引き続き、川神百代だ」
「今回はちょっとだけ長めで、初の三人称で物語を進めたわけですが……」
「なあ、そもそも何で今回は三人称だったんだ?」
「いや、それがね? 途中までは神の視点で書いていたんだけど、一視点での戦闘描写ってすごく難しいのよ」
「力量のなさを露呈した瞬間だな」
「今回は言葉の暴力ですか……否定できないけどさ。まあ今後も戦闘描写があるのは間違いないし、その時にはリベンジで一人称での戦闘描写を頑張るよ」
「頑張っても結果が出ないかもな」
「だから言葉の暴力はやめてよ……」