大召喚祭-辰の大魔導士の一番弟子と受け継がれる遺志- 【六野】 作:Game Holic
――……宵。
蒼白く丸い月が満ちる頃、ゴーバッシュは迎えに来るや否や、全員に目隠しをすると、窓の無い箱の様な馬車に詰め込んだ。決して手荒ではないが、丁寧かと言われれば首を捻らざる得ない。しかし、此れも依頼の一環であるのならば、粛々と従う他無く。振動から察するに、如何やら馬車は敢えて遠回りの道を選択しているらしい。
暫しの間、馬車に揺られた後、手を引かれるように進んだ先。目隠しを取られたのは、石畳と石壁が無機質な炎の反射を放つ、殺風景な地下室だった。後ろの重厚な扉は既に閉ざされ、厳めしい鎧に身を包んだ門番が二名立っている。ゴーバッシュは先頭に立ち、行くべき場所へと導いていく。
「(匿名での依頼だったけれど、どんな人物が待って居るのやら……)」
あまりに厳重な様相に、エイボンは先を行く巌の様な背を訝し気に見るが、その背は今は答える事は無く無言で先を進む。螺旋階段を昇り、月明かりを避けるように、窓の無い通路を通り。通された部屋は、建物内部でもかなりの高所に位置する。其の部屋は他と随分と様相が異なる大きな部屋で在った。絨毯と豪華な調度品を見るからに、部屋の主が帝国でも高位の人物で在る事が否応なしに理解できるうえ、其れだけの人物の館で在るのならば、先程の殺風景な通路は、隠し通路の様な物なのだろう。
部屋の奥。天蓋と薄絹のカーテンが付いたベッドの傍らへと導かれる。豪奢なベッドの周囲には、ゴーバッシュの配下らしき騎士と、何人かとローブの人物。
その先には、金色の細い髪が目を惹く青年の姿が在った。本来であれば血色が良いだろう肌は脂汗で濡れ、病にでも罹ったの如く熱に浮かされ、荒い呼気を立てては幾度も寝返りを打つ。その姿に目を見開くのはエイボン等魔導師陣である。既に事情を知っているルディ等は、恭しく頭を垂れた。
「こ、この方は……」
「エイボン」
思わず名を口走りそうになるエイボンを、ルディは名を呼び制した。それ以上を口にするなと首を左右に振るのに、エイボンは言葉を飲み込む。ライアルフは滑る様にベッドの傍らに片膝を着き、恭しい礼をしてから青年の上着を肌蹴させ、臍の上に皺塗れの右手を載せる。
「エイボン、デュマ、ユリアン、モニーク。汗を拭いて差し上げなさい」
師に促されれば、衝撃から立ち直った弟子達が布を手に取り、玉の様に浮く汗を拭っていく。護衛として呼ばれた面々は周囲を警戒する様に、各々武器に手を軽くかけている。暫くすると、青年の息は落ち着いていく。周囲に驚きの色と「奇跡だ」と囁く声が広がるものの、ライアルフは其れを小声で制す。
「否、此処に手を添え、心を落ち着かせるとな。幼子は安心する物故。……風体は大人。才能に恵まれ、知恵もある。内に秘めた野心も十二分。汝等を率いているのであろう、然も有りなん。然し、野心が年齢に釣り合わないが故のしわ寄せが来よったのじゃろう。差し詰め、……失うは今か、過去の辰か」
ライアルフは、蒼く輝く星の様な瞳を、ローブの人影へと投げる。ローブの人影は何事かを察した様で、暫しの間、囁き合っていたものの、ライアルフに「頼む」と低く伝えた。
「……悪夢は、罪悪感より出る物。其れを失くして、本当に宜しいのですかな?」
「構わん、早く遣れ」
ローブの人々は、短く且つ素っ気なく繰り返す。その言葉に、ライアルフは腰を上げ、神木より掘り出したロッドを構えると、絨毯に陣を描く。其れに合せて木の葉の様に舞い、虚空に次々と魔法文字が煌々と燃える。その様子に、弟子達は下がり、エイボンは自身の杖を取り出し来たるべき出来事に備える。
「鬼が出るか、邪が出るか……後は結果を御覧じろ」
空に弾けた魔法文字が青年の体を包み、蜷局を巻く。泡がはじける様な、軽い破裂音が室内に響く。と、同時に、絨毯を隙間無く埋め尽くす程の、浅黒い蠢きが生まれる。骨と皮、と云う表現がまさに似合う通りの、民の姿。無限に湧く飢えと渇き。彼等は口々に悶え、転げ、叫び、カーテンや絨毯、花瓶ですら掴んで頬張り始める。
エイボンは経験上、此れが餓鬼と云う魔物で在る事を知っていた。然し、通常は膨大な量を個人が有している事は無い。
「これは、グール……?でも、これ程の量に為る事なんて……」
驚愕に見開かれた木苺色の眼が、は、と餓鬼を捉える。ルキスラ帝国のみならず、地方で広がった飢饉に対し、幾つもの集落が滅んでいると云う。時の権力者は其の対策を提示したが、資本と野心が在るルキスラ帝国は、其の中でも大きな支援を申し出ていた。然し、其れの効果は芳しくない。其の援助は、只の援助では無かったのかもしれない。故にこの餓鬼は……。
「(罪悪感の開放で、此れだけのグールが出てくるって事は……あの飢饉と関係が……?)」
悲壮な叫び声を上げ、視界の中の彼等は、只管に腹へ詰め込んでいく。二度と満たされることは無く、餓え許が膨らんで行く腹へ。その様に、エイボンは無意識のうちに杖を握る手を強めた。
「さて、お出ましか。俺はこいつ等をどうすればいいんだ?」
目の前に蠢く餓鬼の数は、凡五十。盾と剣を構えたモーデルの隣で、双剣を引き抜いたルディが魔法使い達に問う。動かずに待つのは、この場を仕切るのは彼等であり、その思惑に従い動くのが遊撃の務めだからだ。
「……ふむ、数が多いとは雖も……、其処は直ぐに済むじゃろう。のう、エイボン、デュマ」
ロッドを構えて、目を細めて見るのは、己の愛弟子達の姿。数は多いと言えど、対峙する者の力量から言えば、一人で相手出来る数も相当数に昇る。
「はい、一掃することは簡単ですが……」
「任せてくれよ、先生」
言うが早いか、デュマは得意の魔法でゴーレムを二つ作り出すと、その身を餓鬼の中へと躍らせていた。その姿に一歩出遅れ、エイボンが杖を振るう。その姿に茶化すように後ろに下がったモニークが笑う。
「是ァ、エイボン大一番弟子が大方焼き払って呉れンだろ」
「この数だと、一発でって訳にはいかないけどな」
そう言い乍らも、内の気を高め魔力を練る。紡ぐのは、昼間に見せた物と同じもの。
「真、第十階位の攻。冷気、吹雪、嵐風――猛雪!」
吹き荒ぶ雪が、餓鬼達を瞬く間に氷の中に閉ざす。その威力たるや、昼の其れとは比べ物に為らない程だ。崩れるように砕け散る氷の向こうで、更に蠢く餓鬼へとエイボンは二回、三回と杖を振るう。
「……あ おなかすいたぁ おな か す いたぁ」
「なんでおれ こんなめに なんで どうしてらいふぉすさま」
「しにたくない しにたくない」
エイボンの絶対零度の魔術で祓われて行く度に、凄まじい悲痛な叫び声が上がる。
「……罪悪感の皺寄せが、こっちにきてるじゃねえか」
苦虫を噛み潰したかの様な顔で、されどその魔法は止める事は無く、エイボンは呪文を詠唱し続ける。
「わたしなにか わるいことしたんですか? わたしのなにがいけなかったんですか?」
「なんでぇ…… だれもたすけてくれないの……」
エイボンの前で、幼い餓鬼が氷に閉じ込められる。その顔は、絶望に染まっていた。
「誰も助けてくれない、か……」
最後の詠唱を終えた後、思わず零れた言葉は、懺悔にも似る様な響きを持ち乍ら、氷が弾ける音と共に消える。
「……ぃんな……死、……——」
そして静かに氷の欠片が消えた時、周囲には静寂が満ちる。華やかな調度品の数々は見る影も無いが、床を覆い尽さんばかりの餓鬼はその姿を消していた。ふと、視線を餓鬼を生んだ青年へ向ければ、寝顔の安らぎが窺えた。
「おお……、奇跡だ……!」
ゴーバッシュの顔に喜色が広がるも、ライアルフは静かに其れを制する様に、青い目を細めた。
「……全てでは無いのじゃが。今日は此の辺りで宜しいじゃろうて」
「今日”は”?」
意味深な言葉に、ゴーバッシュはライアルフへとその鋭い目を向ける。
「……飢饉だけが悩みの種では無い。また魘される」
一時凌ぎでしかない事を、老いた魔法使いは言外に告げ乍ら、ローブの裾を緩やかに直し、ゴーバッシュへと向き直る。
「我々は、今回は此処で引き上げる事と致す。御見送り頂けますかな?」
外に出れば、真上に在った蒼い月は西へと傾いていた。
「先生。一つ質問してもいいか?」
道すがら、隣を歩くライアルフにモニークが問う。その声に応えるように、ライアルフは元門下生を見下ろした。
「罪悪感を失ったって事は、飢饉の事とか、如何でも良くなっちまうのか?」
「残念じゃが、飢饉で人が苦しんでいると云う大切な事を忘れる可能性は高い」
モニークの色の違う双眸から視線を外して、外に出てより寄り添うように肩に止まる大鷲の頭を右手の指先で撫でる。
「然し、モニークよ。そう云った諸々の問題の根は残るの物なのじゃ。体験と、した事は残ってしまう。……苦しい心の傷も、嬉しい想いも、失う事は無い。只、其の場の中に残って籠る、感情の坩堝のみが取り除かれたのじゃ」
そう云って、ライアルフは弟子達の顔を見回す。
「人とは、本来、そう云う負の思いや困難を、想い出と云う形に出来る生き物なのじゃ。年齢が若ければ若い程、其れと如何様に付き合って行けば良いのか……、判らなくなる物。……否、此れは年を取っても変わらぬ事か」
最後、小さく、聞こえるか否か曖昧な声量で呟き、首から下げていた丸眼鏡の縁に触れる。視力の衰えが無いライアルフが、何時からか常に着けている丸眼鏡を見て、弟子達は口を噤む。
蒼い月と星明りの下を、彼等は歩く。その天井は、あの餓鬼達の叫びに共鳴しているかの様に、星の光が震えていた。