信じられない、とでも言うような華陀の目。明らかにこちらへ歩み寄ってくる志乃達への恐怖を表していた。
志乃の耳に、大勢の足音が聞こえてくる。音がだんだん大きくなっているため、こちらへ向かってくるのがわかった。
華陀の目に入ってきたのは、かぶき町連合軍。その先頭に立つのは……たまとお瀧に支えられたお登勢だった。
そこに、華陀の部下が報告にやってくる。
「華陀様、市中に配した兵が各地で住民どもの抵抗に遭っております。兵のほとんどが『獣衆』によって潰され、ここにもじき四天王の率いる勢力が……」
その報告を最後まで、華陀が聞くことはなかった。孔雀の羽を模した扇から刃を出し、傍らに立つ部下を斬る。
「争いの絶えることのなかった無法者どもが。窮地を前に、一つになったと……。……ククク、ハハハハハハハ!」
空に、彼女の笑い声が響く。それに舌打ちをしつつ、睨むように華陀を見つめた。
荒くなっていた呼吸が、少し大人しくなる。後ろにいる男二人は、未だに虫の息だが。
「よもやこの汚れた街が、かような勇ましき顔も持ち併せていようとは……まことに奥深き街よ……かぶき町」
ベキベキ、と木材が握り潰されているような音がする。こちらを振り返った華陀は、普段のすました笑顔とは全く違う、憤怒の表情を浮かべていた。
「………………お……覚えておれ次郎長。次にわしが訪れし時は、阿鼻叫喚の地獄が如き街の顔を見ることになろう。この借り、必ずや春雨が返す」
そう捨て台詞を残して、華陀が去っていく。
一度呼吸を整えてから、一歩前に踏み出す。背後にいる銀時と次郎長も志乃の後を追おうとしたが、互いの足に引っかかり、二人仲良く畳の上に倒れ込んだ。
「っ……あんたら……大丈夫か……?」
「人の……心配、してる……場合か……」
「早く追え、嬢ちゃん……目当ての獲物だぞ」
倒れた二人を振り返ると、微かな声で志乃の背中を押す。もう放っておいたら先に揃ってくたばりそうだと思ったが、溜息を吐いて、再び前を向いた。
「言われなくてもやってやらァ」
太刀を杖代わりに、負傷した足を引きずって歩き出す。屍となった敵を跨いでから、志乃はふと口を開いた。
「銀、一ついいかな」
「……あ?」
「悪ィ。しばらくは帰らない。そう、
体を起こそうとする銀時を横目で見て、微笑む。
ーー黙っててごめんね、みんな。
心の中でポツリと呟いて、志乃は華陀を追うべく両足で歩き出した。
********
「ッ……ハァッ、ハァッ!」
華陀の城の、最深部。脱出用に準備していた船を目指して、華陀は走っていた。残った仲間は全て斬られ、今や彼女一人。生き延びるべく、華陀は必死に足を動かしていた。
止まるな、止まるな。止まってはいけない。止まったら、あの女がーー‼︎
「ーー待て……」
「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ」
「待てって……」
掠れた声と共に、気配が迫ってくる。
もう少しで、目的の船に辿り着く。あと三歩、というところで。
ーーガッ‼︎
「ぅあっ!」
後頭部に強い衝撃を食らい、華陀の意識が遠のく。彼女を襲撃した人物は、額から滴る血を拭い、振り払った。
「待て、っつってんのに……」
はぁ、と溜息を吐いた少女ーー霧島志乃は、自らの足元に崩れ落ちた華陀を見下ろす。
「殺すつもりはないって言いたかったんだけどなァ……ま、いっか」
すぐに思考を切り替え、懐に手を入れる。中から携帯を取り出して電話のアドレス帳を開き、最近登録したばかりのある番号に電話をかけた。
「……もしもし?」
『ハイもしも……ゴホン!何でござるか』
「ねぇ何でさっき一瞬咳払いした?何のノリでいこうとしてた?ねぇ」
『ぬしが気にする必要はないでござる。して、何の用件でござるか』
今一瞬だけだけど、なんか明らかに違うノリでいこうとしてたよね。なんかちょっと商業者っぽいノリだったよね。
追求してやりたかったが、もう面倒なのでさっさと用事を済ませる。
「華陀を捕まえた」
『!……やっとでござるか』
「時間がかかって悪かったね。あんたの大将、しびれ切らしてない?」
『いや……ぬしの好きなようにしろと言ったのは、他でもない
「へーえ。いい男」
『嫁に来る気になったでござるか?』
「バカじゃないの?」
嘲笑いながら吐き捨てると、電話の向こうの相手もフッと笑った。
わかってるなら、最初から聞くな。そう言いたくなるのを、口を噤んで堪える。
「で?どーすればいい?こいつ」
『三日後、そちらへ遣いをよこす。その時にぬしへの報酬を払うでござる』
「……わかった。それじゃあ、あの埠頭で待ち合わせね」
『わかった』と短く答えると、通話が切れる。携帯を耳から離し、溜息を吐いてから空を仰いだ。いつの間にか陽は暮れていて、青と赤のグラデーションが満天を塗り潰していた。
ゆっくりと、携帯を下ろす。
その画面には、「万斉さん」と表示されていた。
********
ーー時は遡り、騒動の起こる十日前。
ある日、志乃の元に一通の手紙が届いた。差出人は封筒には書かれていなかったが、手紙の一番最後に、差出人であろう名前が入っていた。
その名を見た瞬間、志乃は手紙に目を通す。
『二日後、江戸外れの屋形船で待っている』
こんな手紙をわざわざよこすとは、何か自分に用事があるのか。この淡々とした一文からは、それ以上何も読み取れなかった。
しかし、志乃はこの誘いに乗る。約束通りこの二日後、江戸の街はずれの河川に停泊する屋形船に向かったのだ。
中に通されると、そこには箱膳が二つ、向かい合うように並べられている。その志乃の目の前に、煙管を吹かした隻眼の男が座っていた。
「よォ」
男は志乃の姿を認めて、口角を上げる。銀時といいこの男といい、どうしてこうも笑うのが下手なのか。一言で言うなら悪人ヅラの笑顔、というやつである。
志乃は溜息を吐いて、予め用意されていたもう一つの箱膳の前に腰を下ろした。
「……どーも、こんばんは」
「なんだ、愛想ねェなァ」
「どうでもいいでしょ。珍しくアンタが誘うもんだから仕方なく来てやったってのに、早速文句?帰るよ?」
「そう急くな。今日はお前に話があって呼んだんだ」
「あっそ」と呟いた志乃は、座布団の上に胡座をかく。その時、船と陸を繋ぎ止めていた縄が解かれ、船は川を下っていった。
いつ何があってもいいように、事前準備はして来ていた。懐や裾にはクナイを隠してあるし、帯には愛用の金属バット、そして特殊警棒も忍ばせている。
それほど警戒しないと、こうして会いに行くなどできない。特にこの男ーー高杉晋助には。
志乃の並ならぬ気配を感じ取ったのか、高杉はくつくつと笑って、煙管の煙草を捨てた。
「安心しな。この通り俺は武器を何一つ持ち込んじゃいねェ。お前が予想してる事態は決して起きねーよ。それとも何だ?期待してたのか?」
「んなわけねーだろ。バカじゃねーのお前」
呆れて、湯呑みを持って鼻に近づける。アルコールやら薬独特の刺激的な匂いはしないから、問題ないとは思うが……警戒を解かずに、志乃は高杉を睨んだ。
「……ただの茶だ。そこまで信用ないか?」
「無いね。あるはずがない」
相変わらずの毒舌に、高杉は溜息を吐く。昔はあんなに可愛げがあったのに、一体誰に育てられたのか。
こんな捻くれた性格に育ったのは、紛れもなく環境のせいだろう。志乃は一度、人間不信に陥ったことがある。自分以外の誰も信じられなくなって、誰も自分の心に触れられないようにしていた。
ゆえに敵の心の奥底を読み取る洞察力が養われ、自分の身を護れる強さまで手に入れた。戦いに明け暮れる"銀狼"の娘としてではなく、普通の娘として育ってほしいと願っていた父の思いなど知らず。
「……で?私に何の用?」
本題を聞き出そうと、高杉を見やる。彼は徳利を傾けながら、口を開いた。
「…………お前、万事屋とか言ってたな。金さえ払えば何でもやるっていう」
「そーだよ。それが?」
「お前に頼みがあるのさ。……まぁ、依頼と言った方が早ェか」
高杉が持ち出してきたのは、なんと依頼。まさかあの高杉がそんなことをするはずが……動揺した志乃だったがそれを呑み込み、続きを促す。
「内容は?それによっちゃ斬る」
「相変わらず物騒だな。……ま、少なくともお前が思ってるような内容じゃねーよ」
ーー逃げ出した女狐を捕まえてきてもらいてェんだ。
ここら辺からオリジナルルートを突っ走ります。「もうついてけねーよ!作者意味わかんねーよ!」という方はもし質問などあれば作者へGOGO。ネタバレを含みながら話します。