ラブライブ!サンシャイン!!アンソロジー『夏――ついに来た』 作:鍵のすけ
読んで無くても楽しめるとは思いますが、まだの方は是非そちらに目を通してくださいませ。
「まだですわ! 今回の試験で最低でも片手で数えられる順位になっていただかなくては到底
「ひえ~!」
「ひえ~! じゃありません! 泣き叫ぶ暇があったら方程式を解きなさい!」
狭いアパートメントの部屋に、男の悲鳴とガミガミ一人で姦しい女性の声が響き渡っていた。まぁ男の方は俺なんですけどね。これ時間が時間だったら完璧に壁ドン案件だよね。
現在は夕刻、短い針はもうすぐ七を指すかというところ。あと少しで春とはいえ、まだ肌寒さを残すし太陽は定期よりも早く退勤する。
「会ちょ……あ~、ダイヤさん」
「なんですの?」
「そろそろ、帰った方が良くないですかね。ご両親心配するんじゃないですか? 自由登校期間に入った娘が朝から出かけて夜まで帰ってこないとか確実に危ない話ですよ」
そう言うと会……ダイヤさんはまるで般若と能面の中間くらいの形相で俺を見つめていた。そこから読み取れるのは、私を追い返して勉強をサボタージュするつもりですわね……という意思の篭った顔だった。
「大丈夫です、ちゃんと勉強はしますから! とにかく会っダイヤさんのご家族には良い印象を残しておきたいんですよ! ただでさえルビィちゃんには一言も口を利いてもらえないんですから!」
ここらでちょっと誠実で紳士な男を演出しておかないと後々絶対不利になる。まぁそれを言ったら学力が伴わなければ意味ありませんっていうダイヤさんの意見が尤もすぎて刺さるんですが、辛い。
彼女の妹のルビィちゃん、何度か会長時代のダイヤさんにアタックしていた頃、何度か顔を合わせたことがある。外堀を埋める意味で彼女に接近した瞬間、まるで同極の磁石のように近づくだけ後退されてあえなく撃沈、とても辛い。
ダイヤさんの外堀を埋めるなら失礼だけどルビィちゃんしかいなかったからだ。残りはご両親だけ、とかハードルが淡島ホテル並にデカい。
まぁ、それでもダイヤさんだけでも俺を認めてくれたっていうのは、嬉しい誤算だった。しかし、それにより埋めるはずだった外堀がそのままでありこれからそこを埋めていかねばならない、これがとにかく辛い。
外堀を後から埋めるというわけで、つまり黒澤家の人間を言い方はあれだけど懐柔するなり説得するなりして認めてもらわなければならないわけで。
で、認めてもらおうにも俺の学力低すぎでまずそこから変わらなくちゃいけない。でも学力など一朝一夕で手に入るものじゃないのはもはや当たり前で……
「まぁ、そこまで言うのなら……ただし、私が帰った後もきちんと勉強を続けること! 良いですわね!?」
「分かってますって、俺だって会長に恥かかせたくはないですから。ちゃんと釣り合う男になってみせます」
「よろしい、それと……いつまで間違えるつもりですの? 私のことはダイヤ、と名前で呼ぶように言ったはずですわ。もう会長ではありませんから、不適切ですわ」
「尽力します……とほほ」
どうやら俺が彼女に釣り合うようになるにはもう少しの努力が必要らしい。前途多難だけど、頑張ってみますかね。なんせ惚れた女のためですから。
と俺が人知れず静かに決意を固めたところで、ダイヤさんは自分の荷物を纏めていた。手伝おうとしたけれど、そもそもダイヤさんは己の荷物を出先でも理路整然と纏めてあったので、そもそもその荷物を鞄に入れるだけで終わってしまった。
「あら……?」
ダイヤさんが荷物を纏め終える、その直前に一枚のプリントを手にとってそれに目を通していた、ような気がする。それから周囲を見渡していた。
「どうしました? いえ、ペンが一本だけ見当たらなくて、探していただけます?」
「任せてください。この部屋で探し物するのだけはダイヤさんより得意ですから!」
「綺麗にしておけば問題無いのですわ」
ごもっとも、正論というナイフが容赦なくサクサク俺に刺さる。しかしテーブルの下には無いし、机の上には俺の勉強道具しかない。その中に混ざってるかな、と思ったけどそういうわけでもないし。
「あ、ありましたわ。すみませんわね」
「なら良かったです」
ダイヤさんはさっそくささっと荷物を纏めて玄関へ向かった。俺もジャケットとネックウォーマーくらい装備して表へ向かった。
「何してますの?」
「なに、って送るに決まってるじゃないですか。もう真っ暗ですよ、こんな中ダイヤさん一人で帰すような男じゃありませんっていうアピールです」
「言わなければかっこよかった……じゃなくて、誠実に見えましたのに。ことごとくあなたは残念な人ですわ」
溜息を吐かれてしまった。ダイヤさんはどんな顔しても可愛いから、俺もいろんな顔させたくなりますって。
「うわー手が冷たい。なんでここまで防寒しておいて手袋持ってこなかったし、迂闊」
「ほんっとうに迂闊で残念ですわね! ほら、手を出しなさい!」
むすっとした顔でダイヤさんが俺に向かってそう言った。手を差し出すと片方だけ手袋を貸してくれるらしい、と思いきやまずサイズが合わなかったのでダイヤさんがさらにむすっとする、可愛い。
「じゃあ、しょうがないから手を繋いであげるわ……」
「え、あ、はい……ありがとうございます、暖かいお気遣いどうも」
ダイヤさんは片方の手袋を外したまま、俺の手をやや包み込むみたいに握ってくれた。それだけで体温がグイッと上がる気がした。見ればダイヤさんの横顔がどこか朱く……
「手、暖かいですね」
「あなたの手も程々に暖かいですわよ」
程々らしい。緊張して、手汗噴出しそうなくらいになってるのは内緒だ。せっかくだから、ダイヤさんの手の柔らかさとか温度とかしっかり楽しんでおこう。あぁふにふにしてるなぁ、細いのに骨ばってるわけじゃなくて本当に綺麗な手だ。
そんな具合に、彼女の手の感覚を楽しんでいたらすぐに立派な門が見えてきた。
「あっという間でしたね、じゃあまた明日です」
「少しくらい会う頻度を下げて、勉強に費やしなさいな」
「燃料補給しないと乗り物は動かないんですよ」
「ようは私があなたのエンジンですのね、わかりましたわ」
小さく手を振ってくれるダイヤさんに大きく手を振り返して俺は門が閉じるまで見送った。心なしか、一人になった途端気温がぐんと下がった気がする。
さぁ、帰って勉強しよう。俺は冷たくなる前に、掌にはぁ~っと息を吐いて擦り合わせると少し早足で家に戻った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「試験前に授業参観やるか、普通?」
ぼやく同級生に心中で同意を示す。授業参観と言っても、高校生になった身だ。まさか見に来る親もいないだろう。どんだけ親馬鹿なんだ。
と、思いきやどうやら名札をつけ、ボードに授業内容などを書き連ねている人がいた。どうやら他所の学校の先生らしく、所謂研究授業も兼ねているようだった。なるほど、それなら納得だ。
「まぁ、それで俺らが真面目に授業受けるかは別だよな、母ちゃんこないし」
「それな、俺も別に保護者が見に来るわけ――――」
ないし、と呟こうとしたときだ。見目麗しい美女が廊下から教室に入ってきた。スーツやちょっぴりタイトな女性用スーツの中では飛び切り浮いた、クリーム色のセーラー服。青緑色のタイがきっちりと胸元で整えられており、ともすれば肌の白さも合わせて制服見本のマネキンのようであった。
「あったわ、保護者きたわ。ごめん俺真面目に授業受けるから」
「は? どうしたんだよお前」
友人が俺に食い下がるがそれどころではない。俺はぴしっと背筋を伸ばし授業へ臨む態度を姿勢で示した。
視線を感じる。あぁ、こんなたくさんの生徒がいる中、先生の授業法を学ぼうにも授業すら始まっていないこの状況で、俺にのみビシビシと向けられている視線。ペンケースの中にスマホを隠しちらりと確認する。
バリバリこっち見てる~、超見てる~射殺さんばかりにこっち見てる~スマホで窺ってるの完璧にバレてる~。
観念して俺は振り返るとダイヤさんに向かって恐る恐る手を振ってみた。すると向こうも微笑を浮かべながら小さく手を振ってきた、天使かよ。
「おいあれお前の知り合いかよ……紹介しろ」
「ええい授業に集中すると言っただろうが……それともなにか、紹介したら放っといてくれるのか?」
「ああいいぜギブ&テイクだ、さぁ早く教えろ……!」
「だが断る」
誰が教えるものか貴様俺のミューズでヴィーナスだぞ。あぁ生まれてこの方授業参観にろくな思い出が無かったけどこんなに嬉しいものだったんだ、今分かりました。
こうして良いトコ見せてバッチリアピール授業参観が始まったわけだが、解を求められれば挙手するのは俺のみ。まるで俺だけ小学生に戻ったみたいだった。ちなみに問題はすんでのところで凡ミス。
誰が言ったか、世界を救うのがエアロスミスならば足元を掬うのがケアレスミス。出来れば世界のついでに俺も救ってください。
昼休みになると俺はダイヤさんを探してそこら辺を走り回ったけれど、どこへ行ったのかまったく見つからなかった。もしかすると帰ってしまったのかもしれない。肩を落として教室へ戻った。
午後の授業はまるで別人のように生気を失くした俺を逆に心配した友人たちの助けもあり、なんとか授業を乗り越えた。
さて、とりあえずイレギュラーはあったけど今日もあそこへ向かおう。
「お待たせしました」
「別に待ってませんわ、今来たところですもの」
「その割にはひまを持て余していたように見えますけど……いだいいだいですずびばぜん」
いつもの待ち合わせ場所に彼女はいた。近所の浜だ、俺とダイヤさんの家の中間くらいにあって俺が学校から帰るとき必ず通りかかることからここでの待ち合わせがデフォになっていた。
「海を見ていましたわ」
「そりゃあここに立ったら海しか目に入らないでしょうね」
「……厳密には波を見ていましたわっ」
少しムッとしたのか訂正するダイヤさん。俺は彼女の視線を追って、いつもよりも少し勢いの強い波を見た。急にやってきては、すぐ引き返す。
「少し前の私とあなたみたいだと思いましたわ」
少々、ロマンスが過ぎる気がしたものの彼女の声の柔らかさは完全に波に俺たちを重ねていた。ただの、寄せてはすぐに引っ込む水の動きが、少し前の俺たちに似ているそうだった。
言われてみれば、浜へどうしても上がりたい水が、勢いをつけては寄せてくる。しかし後数尺届かず、すごすごと引き下がっていくのにすぐにまた勢いよく、さっきよりも強く浜へと押し寄せる。
「私は、しつこい男は嫌いどころか眼中には入れませんの」
「かなり耳が痛いです」
「最後まで聞きなさいな、あなたは最初こそしつこいと思っていましたけれど、今思えば諦めが悪かったというべきですわね。まぁ同じ手法でアプローチするものだから、しつこいと思われても仕方ないですわよ」
「言葉を飾るのが苦手なもので、あはは……」
苦笑いで場を濁す。どうも、ダイヤさんに真摯に褒められたり認められたりするってことに慣れていない。それこそ、結構な年月かけてアタックし続けてきたわけだし、ともすればしつこいというダイヤさんの言い分は尤もだろう。
「とにかく、私はもうあなた以外の殿方に微塵も興味が無いの。みんな同じ顔に見えますわ」
「お見合いで相当褒められたんですね」
「えぇ、見た目だけね」
俺と彼女の関係に転機が訪れたのは確か、ダイヤさんがお家の事情でお見合いをし始めた頃だっただろうか。実は内心気が気ではなかったんだけど、好きな女の頑張りを否定するわけにも行かずしばらくは様子見していた。
……のだが、しばらくするとダイヤさんは不機嫌と不健康が服を着て歩いてるみたいな感じになっていた。それは彼女のお見合いが上手くいかなかったからだ、理由は単純に彼女から見て自分に見合う男がいなかったから。
「誰一人として、
「見る目がある、ってことでいいですかね?」
「あなたが見つけた原石はホンモノですわ、手放さないようになさいな」
そう言って、頬を小突かれた。そっちを向くと、夕日に照らされたダイヤさんが口の端を珍しくニッと持ち上げながら俺のことを見つめ上げていた。
「さぁ、帰って勉強あるのみ。ですわ、あなたの千里の道はまだ踏み出し始めたばかりですわよ!」
「そうですね、今日は文系でお願いします先生」
「文系は得意科目じゃない、ひたすら理数あるのみですわ」
それはとても辛い。波打ち際に別れを告げ、帰路についた。またしても、おっかなびっくり手を繋ぎながら。
「もーう無理です、知恵熱で北極の氷が溶けます勘弁してください」
「…………まぁ、確かに今日のノルマは越しましたし及第点ですわね」
さすが黒澤ダイヤ先生、今日俺が凡ミスした場所をしっかり把握していた。隣にいた別の学校の教師陣に負けず劣らず取っていたメモはこのためだったのか。
「こうも連日知識と方程式の解き方を詰め込んでいると、この努力が実るのか心配になってきましたね」
「そんな心意気ではダメですわ、私のことを黒澤の家から奪い取るくらいの気概を持ちなさい。思うに、あなたは立ち向かう困難に対しての見返りをまったく把握してませんわね?」
「正直住む世界が違うもんで、どうにも……」
中流家庭で生きてきた俺が上流も上流の家の人間に釣り合うようになってどんなことが起こるのかなんかさっぱりですよ。ダイヤさんと添い遂げるという約束を果たすことが出来る、くらいしか思いつかない。
「あなたも黒澤の家に迎え入れられ、いずれは次期当主ということにもなりえますのよ」
「うわーすげぇ突飛な話になってきた……先生、もう少し身近な報酬について提示してくれた方が分かり易いです」
「む、そういうものですの?」
「そういうもんです、馬もゴールより目先にニンジン吊るしてた方が速く走るってマリーさんが言ってました」
嘘だけどね。ダイヤさんと好き合うようになってからというもの、よく鞠莉さんや果南さんにからかわれる。特に鞠莉さん、親父まがいのセクハラとかしてくるもん、俺に。
しかしどうやら真に受けたらしいダイヤさんは、顎に細く白い指を当てて口をもごもごさせながら悩んでいるみたいだった。しかし思いついたのか、顔をパァッと輝かせて手を打った、可愛すぎかよ。
「そうですわね、そういえば恋人らしいことを一つもしてませんしここらで何かしら、あなたにしてさしあげますわ」
「そ、それは本当っすか……!?」
血が躍った。心臓が跳ねた。目が血走った。どれを取っても今の俺の歓喜を表現できるものではないだろう。強いて言うなら、パブロフの犬。
「えぇ、そうですわね……じゃあ手始めに、耳かきでどうでしょう? 偶然目に耳かき棒が映ったからですが」
「全然構わないです、むしろお願いします。そうですよね、恋人としても段階踏まないとですよね……!」
「わ、わかりましたから少し落ち着きなさいっ! 少し目が怖いですわよ……」
これが落ち着いていられますでしょうか、いいや無理。
知恵熱を凌駕するほどの熱気が頭に上る。頭に完全に血が上っている。血の循環が幾分か早まったのを体で感じる。俺の身体に迸る衝動、それは喜びの感情。
耳かきも嬉しい、嬉しいがもっと嬉しいのは、ダイヤさんが俺と恋人っぽいことしたいって思ってくれていることだ。
「ここでやらなきゃもったいねーって」
そう言ってノートに走らせたシャーペンの芯は当然の如くへし折れた。
「我ながら、眠れる獅子を起こしてしまった気分ですわ」
「地獄の番犬並に手強いんで、よろしくお願い致します」
こうして、テストに向けてのデッドヒートが始まるのであった。しかし、気分は星を取った配管工の髭兄弟のようだった。立ちふさがる障害など全て叩き壊していくくらいの勢いだ。
目標が出来たからか、俺の頭脳は先ほどとは比べ物にならない理解力を示し、カラッカラのスポンジの如く知識方程式を吸い込んでいった。
これは、いける。そう確信せざるを得なかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
そして、あっという間に一週間という時間が過ぎ去りました。彼は日に日に元気が高まりすぎて、逆にこっちが不安になるほどでした。耳かきの秘めたるポテンシャルは計り知れませんわね……
しかし彼は高揚すればするほど周囲が見えなくなる悪癖がありますから、私が程々にリードして差し上げなければなりません。それがまた楽しいんですけれどね。
後は結果待ちという状況、私たちは彼の部屋で小さな打ち上げを行っていた。と言ってもウーロン茶で乾杯する程度の些細なものですけどね。彼はかなり疲れているのか、笑みを浮かべても眉は下がりかかっていた。
部屋の隅、私に見せないようにと配慮がされているけれど結局見えてしまっている眠気覚ましの薬や栄養ドリンクの姿がいくつも確認できた。それを見て確信した。
彼は少なくともテスト期間中、睡眠時間を減らしてまで勉強した。その上、無理を押してまで私との時間を作ろうとしている。今日くらい休めばいいのに、こう言ってはなんですが本当に馬鹿ですわ。
けれど、それほど本気だったということでしょうし、求められるのは案外気持ちの良いことでしたから大目に見ましょう。
「ふぁ……んん、すいません。欠伸なんかしちゃって、退屈ではないんですけどね」
「眠いのなら、無理はなさらなくてもいいのですけど」
「げげ、見抜かれてますか。へへへ、ちょっと気合い入れて勉強しすぎましたね」
そう言ってまた欠伸を漏らし、ぐっと伸びをする彼。私の視界にはこれでもかと存在感を放つあの棒の姿が映っていた。私はそれに手を伸ばすと、居住まいを正し膝の上をぽんぽんと叩いた。
目をぱちぱちさせる彼は小学生の男の子のようで、少しだけ、ほんっの少しだけ可愛いと思ってしまいましたわ。なんだか彼と好き合ってからというもの、私までどうかしてしまったのかもしれないわね。
「本当にいいんですか?」
「頑張ったご褒美は誰にも与えられるべきですわ」
実際恥ずかしさが爆発しそうでしたので、彼の首が変な音を鳴らす勢いで頭を腿に下ろした。すると、彼の髪が肌を撫でて一気に落ち着かなくなってしまいました。このままでは脈拍が彼に悟られてしまいそうで……は、恥ずかしいことこの上ありませんわ! 私はこんな恥ずかしいことを殿方にしてあげると言ったの!? 無知で無謀で無用心すぎますわ!!
「あの、無理は……」
「してませんわっ! あなたは黙って私の奉仕を受けていなさい! わかった!?」
「イ、イエスマム!!」
「よろしい、タオルで視界を塞ぎますわよ。い、いいですわね……?」
彼の目を薄手のタオルで塞ぐ。すると、彼は語感の一つが禁じられたせいか寝相を正すような、そんな動きを繰り返すようになりました。やはり、視界を塞がれるのは不安なのかしら。
「――――じゃあ、始めますわよ……」
「うひぃ……」
「変な声出さないでくださいます?」
耳元で囁いてみると、彼はまるで石のように硬くなりながら反応した。視界が無い状態で耳に訪れる衝撃は通常の数倍のようですわね。
手に取った耳かき棒をそっと彼の耳の穴の中へと進ませる。カリカリと耳腔を優しく引っかくと、彼の身体はピクンピクンと触るたびに小さく跳ねる。ペンライトを使って照らしてみると、やけに綺麗なのがわかった。
耳垢が特に見当たらなかった、もしかして自分で掃除した後だったりするのかしら……
「掃除するところ、特に見当たりませんわね……」
「汚れてるところ見せたくないですからね」
「その気持ちをもう少しこのお部屋に向けてほしいものですわね……」
もっとも前よりかはずいぶんとマシになっているのですけど……なにぶん狭いお部屋ですから、荷物が増えても片付ける場所が無いというのは仕方の無いことだとは思いますけれど……むぅ。
僅かに取れた耳垢もティッシュに包んで片付ける。次に、ウェットティッシュを使って耳の周りを擦る。耳の周りを重点的に拭き取ると、私は彼の耳に口を近づけた。そして――――
「ふぅ~……」
「うひゃあ……」
さっきのことから耳は弱いと思ってましたが、全身が弛緩するほどの衝撃だったみたい。その反応が面白くて、思わず微笑んでしまう。
「じゃあ、もう一回しますわね」
そう告げてから、じたばたと動こうとする彼の耳にもう一度口を近づけていく。そして、私が唇を窄めたまさにその瞬間でした。
ピンポーン、と彼の家のインターホンが鳴った。
「あ、お客さ――――」
んっ、という音が皮膚で伝わってきた。私が現状を理解するまでに、数回のインターホンが鳴り響いた。
起き上がろうとした彼の唇が、自分の唇にぶつかっていた。私はともかく、彼にとっては衝撃かもしれない。なにせ視界が塞がっている状態でつい起き上がったら、何かがぶつかったのだから。
しかしムードなど皆無、さらに彼は急いで起き上がらないといけないと思っていたらしくほぼ頭突きのような速度でぶつかってきたし、すぐ起き上がってしまった。私が恥ずかしさと痛さとあと綯い交ぜになった何かで悶えてることに目もくれず玄関に向かっていった。
「はい……って、あっ、ちょっと!」
来訪者は、彼を振り切って入ってきた。土足のまま、不躾に。
それが彼の知り合いだったら、まだ良かった。しかし、
「お父様……」
「最近、帰りが遅いからと家の者を尾けさせてみれば逢引か。いつからそんなに悪い娘になった?」
厳しくも温厚だった父が他者に対し無礼を犯してでも連れ戻すという気迫を持っていた。私はお父さんに対して、言い訳することは出来ない。
何度も設定してくれたお見合いを破談にしたり、最近に至ってはお見合いの相手と顔を合わせることすらしようとしないから。顔に泥を塗り続けた娘が、男と逢引しているともなればこの表情は当たり前ですわね。
「今日のところは、大人しく帰ります……それでよろしいですか?」
「いいや、私は紹介もされていない男との交際など絶対に認めない。尤も、お前が紹介したいと言ってもお前に見合う男でなければならない」
「お言葉ですが、彼こそ私が見初めた殿方ですわ。お父様、いくらなんでも横暴が過ぎます!」
「いつもなら私もお前の意見を尊重するだろう、ただ今回に限ってはお前の人生がかかっている。さらに言えば我が黒澤の家の未来もな。こればかりは私も折れるつもりは毛頭ない」
ダメだ、気がつけば彼を庇おうと牙を剥き始める。それではお父様の思うつぼだとわかっていても、仮にも思慕しあっている相手をまるで少しも眼中に無いように扱うなんて……
「君は、どこかの御曹司かな。それとも、有名な弁護士や医者の息子かな」
思った矢先だった。お父さんは彼に対して、静かな笑みを浮かべて尋ねた。まるで、そうあるのが当たり前だと言わんばかりの笑みだった。
「あー……いえ、僕はごく普通の一般家庭の生まれと育ちで、親族も特に高給取りだったりしませんしビッグな人間はいません」
「なんと、それで私の娘を誑かしてみせたのか、ひょっとして催眠術でも嗜んでいるのかな」
「お父様!!」
我慢出来なかった。彼が馬鹿にされたことも、もちろん。ただ今は、それ以上に父親が人を明確に貶したことが何よりもショックだったし受け入れがたかった。
「今日は大人しく帰ると、そう言ったつもりですが……」
「……わかった、下で車を待たせている。荷物を纏めなさい」
「はい……」
そう言ってお父さんは一足先に出ていった。私は、少し頭を掻き乱しそうになって踏みとどまった。今、一番むしゃくしゃしているのは彼のはずだ。私が取り乱すわけにはいかない。
「ごめんなさいね、また……来る、から……」
彼は静かに頷いた。けど、表情に元気は無かった。力の無い笑み、まさに落とされた鳥のようだった。生まれについては、もはや誰であろうと覆すことなど出来ないのだから。
私は、家を出る前に数週だけ迷った。けれど、どうしても外にいるであろう父の圧力を感じて行動を起こすことは出来なかった。
生まれが違っても、彼は私を見つけてくれただろう。
せめて、私が黒澤の人間でなければ、こんなにも非道な運命の悪戯は無かったのに。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
嵐が過ぎ去ったようだ。元から汚い部屋だったけど、荒れているように見える。
俺の内側には、焦りと諦観の二律背反な感情が綯い交ぜになり心が焼かれたり、冷え切ったりと忙しく風邪を引くかと思った。
部屋の中心で座ってただただ黄昏ていると、インターホンではなくドアがドンドンとやや乱雑に叩かれた。しかし出る元気も無かった俺はそれを無視しようとした。
が、どうにも今日の来訪者はみんな容赦なく、ドアを蹴破って突入してきた。
「無事!?」
「いやなにしてくれてんの!? あぁドア!!」
「ワオ……既に荒れきった後だネ……間に合わなかったか」
「間に合ってますから、まだ暴れてませんからこれが素ですからっていうかいきなりなんですか二人とも」
来訪者っていうか侵入者っていうか闖入者は、松浦果南さんと小原鞠莉さんの二人だった。ダイヤさんと隠れて交際するようになってから、よく話すようになって友達とは言い合えるくらいの仲だと思う。
「ダイヤから様子を見に行ってほしいって連絡が来て、ダイヤもダイヤでなんかボロボロみたいな感じで気になってさ」
「それで来てみたら、まさにハリケーン? サイクロンって感じ」
ダイヤさんが……あの人は、本当にやさしいな。俺のこと、想ってくれてるみたいだ。けど……
「そうですか、大丈夫なんで帰って大丈夫ですよ。ドア、直さないと」
「大丈夫そうには見えないんけど? 鏡、見た?」
……薄々勘付いてはいた、ただ二人の顔を見るに俺の顔は今相当見苦しいことになっているらしい。
「どうするの、ダイヤ取られちゃってもいいの?」
鞠莉さんの一言が鋭く胸をえぐる。果南さんが鞠莉さんを窘めるものの、思ってることは一緒らしかった。
「そりゃ、取られたくないですよ。ただ、どうすればあのお父さんを納得させられるか分からないんですよ。ステータスって大事なんだって改めて思い知らされました。努力で覆せない数字ってあるんですよ」
俺がどれだけ今から頑張ったところで、ダイヤさんのお父さんが言っていた「御曹司」や「有名弁護士や医者の息子」にはなれない。どこまで頑張っても一般家庭の人間であるという生まれの問題は変えられない。
だけど黒澤家が求めているのは、やっぱりそういう人間なんだ。
「あのね、ダイヤからのメッセージはあなたの様子を見に行ってほしいってだけじゃなかったんだ」
「そうそう、相変わらずダイヤはダイヤって感じだったわ」
二人は立て続けにそんなことを言っていた。そして果南さんは、スマートフォンの画面を見せてきた。そこには、ダイヤさんからのメッセージと思われる一行の文。
メッセージという割には、感情が見えてこない。当然か、なぜならこれは……
「住所、ですね」
「ちなみに、ワタシのにはこんな文字列が送られてきてね」
鞠莉さんのスマホの画面には、数字とアルファベットの文字列。一瞬郵便番号かとも思ったけど、数字が少なすぎる。
だけどこれもすぐにピンと来た。そしてダイヤさんが俺に何を求めているのかも。
「ここまで言われてるのに、諦めちゃうの? そんなの、誰よりダイヤが求めてないよ」
「もし諦めちゃうんなら、それも一つの結果。だけど、ダイヤの友達としてそれは認められないかな」
諦めてしまうのは誰でも出来る。ダイヤさんを手に入れることが出来る人間は、それこそ家の力さえあれば出来るはずだ。
でも、ダイヤさんの心を手に入れられるのは……きっと俺しかいない。結局、どうなっても俺の結論はこの方向に向かうよう運命は決まっているのかもしれない。
「わかりました。俺、やります。ダイヤさんを取り返してみせます。だって、まだ片方やってもらって、無いですから」
――――耳かき。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
あれから、数日が経った。結局私は彼の部屋に荷物を置いてきてしまい、登校しようにも出来なかったので今日まで部屋に閉じこもっていた。
ルビィが何度か心配して部屋を訪ねてきたけれど、入れたりはしなかった。その後ろに父の存在があると思っていたから、それもありますけどとにかく誰も入れたくなかった。
そして今日、幾度目かの正装に着替えて私は車に乗っていた。隣には、私と同じような華々しいドレスを着ていた。お父様もお母様もまた、網元らしい服で着飾っていた。
少し前まで誇りだったことが、今では足枷に思えてならない。好きな人と自由に想い合うことすら出来ないのだから、足枷という表現はこれ以上無いくらいだろう。
「ついたぞ」
お父様の一言で私はハッとした。私より先にルビィが車を降りるくらいには、私の気は別に逸れていた。遅れてヒールをアスファルトにつける。目に入るのは見知らぬホテル。わざわざ隣町へ来てまで、かなり慎重な場所選びをしたのだとわかってしまう。
けれど、私が親友に託したメッセージが届いているのなら。彼ならば……
「今回は会食とちょっとした顔合わせの席だ。だからといって、先方に失礼の無いようにな」
「……はい」
失礼の無いように、そう言われても私はまだ笑顔の仮面をつけることが出来ずにいた。ルビィが心配して眉を寄せていた。姉がこんなことではいけない、そう思っていてもやはり割り切ることは出来なかった。
ロビーで受付を済ませる。わざわざ会場を貸しきってまで、会食を行うなんて。お父様の本気を垣間見、同時に歯噛みしてしまいそうでしたわ。
「お姉ちゃん、本当にいいの……?」
「ひとまずは、お父様の気の済むまで、待つしかありませんもの……ッ」
ルビィの悲しそうな顔が胸に刺さる。私が欲しているものは、妹をこんな顔にさせてまで得たいものなのですか、と自分に問う。しかし、彼とルビィを天秤にかけることなんて、とてもじゃないけれど出来ない。
スタッフの方が私たちを引率し、一つの扉を指して言った。
「先方の方、もう既にお待ちです。どうぞ中へ」
「なんと、ずいぶんとお早い……待たせてはいけない、さぁ入ろう」
お父様が、その絢爛な扉に手をかけた。さぁ私も覚悟を決めなければ、彼を捨てる覚悟でもなければかの殿方と添い遂げる覚悟でもありません。
それは、私の強さを確かめるための覚悟――――!
「――お待ちしておりました」
そう言いながら、先方の男性は立ち上がった。尤も、私もルビィもお父様も度肝を抜かれた。唯一、お母様だけが首を傾げていた。
「な……」
「なんで……?」
ルビィが目を白黒させる。当然だ、確かに、私はヒントを残した。ここへと繋がる、ヒントを確かに散りばめた。けれど、まさか……
「初めまして、お母様。お父様は数日ぶりでございますね。ルビィちゃんも久しぶり」
まだ唖然としているお父様とルビィに声をかけたものの、やはり二人からは反応が無い。お母様だけは顔見知りだったのなどとどこかずれたことを言っていた。
「ダイヤさん、迎えに来ました……ですかね。一番しっくりくるのは」
彼は、やっぱりどこまでも破天荒だ。さらに言えばこちらの予測など完全にアテにならないくらい、えぇそうですわぶっ飛んだ行動を選ぶ。
「……ぷっ、くすくす……お父様お母様、改めて紹介致しますわ。ルビィはもう知っているわね?」
私のしてやったり、という笑みで告げた言葉にお父様はじとりと汗を垂らしお母様は微笑み、ルビィもニッコリと花丸笑顔で彼を見つめた。
「私が認めた、日本一の男ですわ。今日まで、幾度と無く悩んでまいりましたが、やはり彼以外に私の伴侶は考えられません!!」
だから私も、今までに無いほど力に満ちた言葉でそう宣言した。それでも、それでもまだ受け入れられないというお父様は、なんと私を一旦視界の外へ置き、ゆっくりと彼に歩み寄った。
「今日、ダイヤと見合いをするはずだった方はどこだね……?」
「一つ上の階にいらっしゃいます」
「ッ……なら話は早い。みんな移動するぞ、これ以上彼の相手は――――」
してられない、そう言おうとしたのでしょう。けどそれも、彼が慌てて止めた。
「あーあー! 待ってください! 邪魔したらまずいですよ、あっちはもう始まってるんですから!」
「始まってるだと!? いったい何がだね!」
「ですから! お見合いですって!!」
それは、私も驚くことになった。終始首を傾げているお母様はどこまでも蚊帳の外だった。しかし、数日前と違い彼がお父様を手玉に取っている。私と添い遂げる気があるのなら程々にしておきなさいと言いたいところですが先日のリベンジくらいはさせてあげるべきですわ。
彼はテーブルの上の端末の電源を入れると、誰かと通話を始めるらしかった。と思いきや、端末を耳から離しスピーカーへ切り替えた。
『Realy!? オウ、すごいわもっと聞かせていただける?』
『あはは、とてもお話上手ですね、あれよあれよと話題が溢れてきますよ。えぇもちろん、こんな与太話でよければいくらでも』
端末の向こうから楽しそうに談笑する声が聞こえてくる。その声の内、女性の方には聞き覚えがあった。忘れられるはずもない、親友の声ですわ。
「鞠莉さん……ありがとう」
小さく、そう感謝を述べる。その様子を聞いて、お父様は歩みを止めた。私とルビィは彼に元へと近づき、振り返ってお父様と対峙した。眉が異常なまでに寄っていて、これ以上無いほどの怒りと困惑を示していた。
「君は……ダイヤの、娘の将来をふいにする気なのかね……」
お父様は低い声音を維持しながら、そう言った。私は、またしてもムッとしてしまったけれど彼とルビィが止めてくれたおかげで口を開かずに済んだ。
「確かに、俺では彼女に不釣合いかもしれない。けれど、だからってやる前から諦めたくはないんです」
「そんなことなら誰であっても言える。そこで、本当に釣り合いが取れるようになり幸せをつかめる人間こそが成功者なのだ! そういう人物こそがダイヤの人生のパートナーに相応しいのだと、君は思うことが出来ないかね!」
「出来ませんッ!!」
ビリッ、空気が揺れた。私たちだけの空間にしては些か広いこの空間を余すところなく揺らす彼の咆哮にお父様はたじろいだ。
「確かに、ダイヤさんはそれで一生幸せになれるかもしれません。そう思ったら、それも悪くない。好きな女が一生幸せならそっちが良い、そうも思いますけど……この手で、幸せにしてみせたいんです。そのためなら、俺はお義父さんからダイヤさんを勝ち取ってみせます」
「それがダメだと私は言っているんだ。破綻していると、私がそう言っているのが、君たちには分からないのかね!!」
「分かったらそれでおしまいなんです!! 俺には、お義父さんが求めているような、家の力が無い。これからだって未知数です。ステータスが無い人間は、諦めるしかない。そんなの理不尽すぎます、だから俺はその理不尽を覆してでも彼女と添い遂げます――――約束だから!!」
彼の一言一言には、この数日かけて培った意思の力が宿っていた。私は、彼の素直でド直球な言葉がただただ純粋に嬉しかった。
そんな彼に対し、汗を拭ったお父様は少し意地悪そうな笑みを浮かべて問うた。
「なら、いくら積めば君は諦める?」
「っ、お父さん!?」
ルビィが声を荒らげた。これには、さすがに私も、お母様も驚かざるを得なかった。ただ、お父様と彼だけが粛々と佇んでいた。
「手始めに100万だ。ここから君の好きな額を言いたまえ、私もそれで手打ちにする。遠慮せずに言ってみるがいい」
誰だ、この男は。
気分が悪い、目の前がグルグルする。すると高いヒールが災いして、体がぐらついた。そして、ヒールが抜け体勢を崩してしまった。
しかし、彼がすかさず手を出して私を支えてくれた。いつもなら軽口で場を和ませたりするのだろう、でも今は今までに無いほど真面目な顔でお父様と対峙していた。
「うーん……100万、か……」
「えぇっ!? どうしたの!?」
ルビィがまたしても悲鳴のような声を上げた。彼が、そんなことを口にしたからだ。お父様の口元がゆっくりと持ち上がる。
「好きな額だ、遠慮することはない」
「そうですね、じゃあ…………
――――――お金はいりません」
……少し、ホッとしてしまいました。ここで、彼が好きな額で手を打てば、私たちの関係は終わっていた。もちろん彼はそんなこと分かっていたから断ったのだろう。
「確かに、それぐらいのお金あればしばらく遊びも暮らしも困りません」
「そうだろう、だのに君はなぜ拒む。この金で新しいガールフレンドを見つけるくらい造作も無いだろう。家系や学歴に関してはともかく、君は容姿に恵まれている。捨てた身とはならないはずだ」
「あ、そうですか……? なんか、照れるなぁ」
「照れてる場合ですの!? 篭絡されかけてるんですのよ!」
先ほどまでの尖った雰囲気と打って変わりいつもみたいなヘラヘラした彼に戻っていたので、頬を引っ張って気合いを入れさせる。
「いで、いででででで!! っつー……いや、まぁかっこつけていたのはあるんすけどね。確かに、俺みたいな、それこそあんなボロアパートに住んでる身としては100万を超えるお金は確かに魅力の塊です。だけど、ダイヤさんは100万じゃ買えない。もちろんそれ以上の値でも。それどころか、ダイヤさんはお金で買えない。それは、あなたが一番良く分かってるでしょう?」
彼の言葉を受けて、お父様は押し黙った。そして、ようやく気付いたらしい。
愛する娘に値をつけて、天秤にかけさせた。それはすなわち、娘を売買するということになんら変わりが無い。その外道とも呼べる行いに、お父様はようやく気がついた。
「……私は、君たちぐらいの年の頃、それはもう偉大な野望や野心があった。しかし大人になるうちに気付くのだ、そんなこと子供の戯言に過ぎなかった、自分は甘かったと辛酸を舐めさせられる」
お父様の独白は、先ほどまでの鬼気としたものがなかった。一人の男が生きてきた中で、思い知った苦悩や苦難を物語っていた。
「だから、どれほど愛が深くとも勝ち得ない理不尽が必ず存在する。そんな理不尽から、娘を守るために手を尽くすことを君は間違いだと糾弾するかね」
「しません、俺がお義父さんでも同じことをしたんじゃないかって、思います。だけど、俺はお義父さんの言う、立ちはだかる理不尽を背負ってでもダイヤさんのことを愛していきたいんです」
その返答には、まだお父様に負けないという意思が満ちていた。後もう一押しで、勝てる。私の目には戦況がそう見えていた。
「わ、私ね……お父さん以外の男の人がどうしても怖かった。正直言うと、お兄さんも少し怖かった。けどね、お姉ちゃんのために全力だっていう姿勢が、とってもとってもかっこいいなって。そこは、ルビィの密かな憧れなんです……えへへ、言っちゃった」
少し頬を朱に染めるルビィ。お母様はいつものお父様未満の厳格さを納めてあらあらと笑っていた。それを見て、お父様はさらに顔を気まずそうにする。
畳み掛けるなら、今しかない。
「お父様……一先ず、ありがとうございます。私を想っての行動の数々、その想いを汲み取ることが出来ず申し訳ありませんわ……」
深々と頭を下げる。すると隣で彼も頭を下げた。私は顔を上げると、偽りの無い本心を持って喉を奮わせた。
「確かに、お父様の敷いてくださったレールは私にとってこれ以上無いほどの安寧の道。けれど、その安寧は私だけのもの。私は、一人で幸せな世界に隔離されるよりも、愛する人とあらゆる苦しみや逆境の中を進み捜し求めた先にある、与えられたのではない本当の幸せが欲しいのです……いいえ、掴み取ってみせますわ、彼と二人で」
だから、再び私は頭を下げる。先の言葉を汲み取った彼も、私と共に頭を下げた。
「私たちの、結婚をお許しください。お父様」
私たちの、全力を以ての説得に対し、お父様は最後まで苦虫を噛み潰したかのような顔をしていたけれど、
「――――許す、その代わり、絶対に幸せになりなさい。いいね?」
最後には、子供の頃から見せてくれていた厳格な中にある父の優しさを含んだ笑みを以て頷いてくれました。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「はぁ~……疲れた」
「えぇ、そうですわね……特にあなたは頑張りましたものね」
数時間後、私は家にて正装を解きその辺にあった私服を身に纏い彼の家へと走った。そこには、果南と鞠莉さんがいました。二人とも、よく私のメッセージを彼につなげてくれましたね、とお礼を言おうとした矢先なぜか果南さんはウェイトレスのようなかわいらしいヒラヒラの服を着ていた。
「鞠莉とお坊ちゃんのテーブルにいろいろ運んだの、実は私なんだよ? 雰囲気が怪しくなるたびに場を濁すために乱入してすごい大変だったんだから!」
「そうそう! 果南ってば危ないってタイミングで必ずヘルプに入ってくれて、もうエクセレント! 果南ってば実はこういう仕事の方が向いてるんじゃない?」
「いやいや、出来ればもうしたくないよ~」
二人とも、私たちと同じくらいに疲れているみたいでした。鞠莉さんは相手の方と若干意気投合しかけたらしいけれど、どうも相手の方が自分語りの長い人だったらしく果南が私たちの決着がついた頃に合図して鞠莉さんは離席するふりをしてそのまま帰ってきたみたい。
だからか、鞠莉さんもお嬢様のような煌びやかなドレスを纏っておりこの部屋の密度に大いに貢献していた。不本意極まりないでしょうけど。
「にしても、熱々ねぇ?」
「ほーんと、お邪魔かな?」
鞠莉さんと果南が口々に言う。というのも、私は先日の続きとばかりに彼に膝枕をして耳かきの続きを行っていました。といっても、彼はきっちり掃除し終えてるせいで私がすることは耳かき棒で彼の耳をマッサージする程度なのですけど。
「じゃあ果南エスコートしてくれない? どこか別に落ち着ける場所にでも」
「はいはいお嬢様、こちらへどうぞ。じゃあね二人とも、末永くお幸せに~」
「よ、余計な一言ですわ! ちょっと果南てば! ……もう」
タイトなメイドとお嬢様が部屋からいなくなり、あっという間に彼の部屋で二人っきりになった。沈黙が部屋を支配する。が、やがてどちらともなく口を開いた。
「ダイヤさん、本当にいい友達を持ってますね」
「えぇ、私の数ある自慢の一つですから」
「あの二人がいなかったら、俺はきっとお義父さんに屈していたと思うんですよ」
ドアは壊されたけど、と彼がなにやらぶつぶつ呟いていた。私からのメッセージを迅速かつ、しっかり咀嚼し解釈できる人間などルビィを含む身内以外ではあの二人しかいませんもの。
「友情に、救われたんですね俺たち」
「けど、お父様を説き伏せたのはひとえにあなたの頑張り、努力ですわ」
そして、勝ち取った。二人で歩む未来を。
「そういえば、もうお父様のお許しも出たことですし……あげちゃっても、いいわよね……?」
「はい?」
首を捻った彼の目を見据え、私の最大の喜びを浮かべた顔を近づけていく。ちゅっと触れた唇は、こないだみたいな乱雑なぶつかり方はしない。
「これから、忙しくなりますわよ。旦那様?」
「え、あ、えと……はい、お嫁様?」
これから二人で歩く道は、茨も茨。光の見えない闇夜の航海。
けれど、彼となら、二人の愛で照らしあげたのなら、その航海に間違いなんかありえませんわ。
本当は1万文字くらいのギャグにしようと思ったんですが相変わらずのシリアスな恋愛ドラマ書きてぇ症候群に襲われ、締め切りをオーバーラップしての寄稿に。待ってくれたすけたろうくんに感謝、度々遊んですみません。
またこういう企画やってくれたら今度も参加するし、締め切りは守ります笑