ラブライブ!サンシャイン!!アンソロジー『夏――ついに来た』   作:鍵のすけ

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初めましての方は初めまして。そうでない方も初めまして。ゆいろうと申します。
サンシャイン企画小説第2弾!という事で、恐れ多いですが今回も参加させて頂きました。


輝きに溶かされて

 夢を見ていた。

 

 

 満員の観客で埋め尽くされた水泳場。高さ10メートルの飛び込み台の上で私は一人、期待の視線を向ける観客を見下ろしている。

 自身に向けられる大きな期待、集中できない。雑念を振り払うかのように、私はかぶりを振った。

 

 

 飛び込みの先端に両足をしっかり着けて立つ。下を見る。波紋一つ立っていない真っさらで綺麗な水面。

 

 

 準備は万全、の筈だった。とてつもなく大きな恐怖が、今になって波となり押し寄せる。まるで津波に飲み込まれるような恐怖。怖くなんかない筈だったのに、一歩後ろに退いてしまいそうになる。

 思わず飛び退いてしまいそうな恐怖を押し殺し、今度はただ前だけを見据える。

 

 

 大丈夫。失敗なんてしない。きっと成功する。成功のイメージはある。だから、きっと、大丈夫。

 

 

 ――いきます!

 

 

 右手を高く突き上げた宣誓。視界に入っていないのに、観客の視線が、期待が、より大きくなって私に襲いかかってくる。

 

 

 しかし、もう止まれない。

 

 

 膝を折り、反動をつけ、私は飛んだ。

 

 

 10メートルの高さから跳び、空中を回転技で翔び、華麗に水面に飛び込む。

 

 

 

 

 

 

 筈だった。

 

 

 全身が水面に叩きつけられる。体験した事のない衝撃が襲う。私を優しく包み込んでくれる筈の水が、凶器となって牙を剥いた。

 

 

 水面に叩きつけられた身体が水中に沈んでいく。浮上しようと身体を動かそうとするが、思うように動かない。

 身体は確実に沈んでいるのに、意識は沈むどころかハッキリとしていた。とてつもない衝撃が襲い、全身は力を失っている。なのに、意識はハッキリとしている。不思議な感覚。

 

 

 このままどこまでも沈んでいってしまいそうだ。沈みきった先で、私はどうなってしまうのだろう。もしかしたら泡となって、水の中に消え去るのかもしれない。そんな非現実を想像していた。

 

 

 そう、非現実。この瞬間は紛れもない非現実だ。

 

 

 私は知っている。今私に起こった出来事は。高飛び込みの入水に失敗し、おそらく大怪我を負ってしまったであろう出来事は。

 

 

 全て、夢なのだ。

 

 

 

 

 

 

 夢を見ていた。

 

 

 夢はそこで幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 高く昇った夏の突き刺さるような日差しが、窓から途絶える事なく差し込んでいる。冷房が回っているとはいえ、教室の中は暑かった。

 

 

 私が(うら)(ほし)女学院に入学して早くも三ヶ月。この学校で初めて迎える夏が到来していた。

 

 

 夏の暑さに絶賛辟易中の私は、眠るように机の上に突っ伏していた。机の上は少しだけ冷んやりとしていて、このまま眠ってしまいたくなる。

 だけど私はどうしても、このまま眠る気分にはなれなかった。

 

 

 理由は、ここ一週間近くほぼ毎日のように見ている悪夢。高飛び込みの大会で失敗し、大怪我を負ってしまう夢。

 偶然見ていたテレビのニュースで、高飛び込みの選手が入水に失敗し大怪我をした事を知った。自分もいつかこうなってしまうんじゃないかという漠然とした恐怖を抱いた。

 

 

 そんな状態になってから一度だけ高飛び込みの練習を行ったが、飛び込む事が出来ずにコーチにはこっぴどく怒られた。

 一月後には高飛び込みの大会が控えているというのに、この調子ではコーチが怒るのも当然だ。

 

 

 嫌な事を思い出して、私は机により深く身体を預ける。そんな私の頭上から、浦の星に入学して以来、最もよく聞いた声で呼びかけられる。

 

 

「曜ちゃんどうしたの? 最近元気ないよ?」

 

 

 私を心配するようなその声に身体を起こそうかと思ったけど、面倒だったので顔だけを動かして声をかけてきた人物を視界に入れる。

 

 

「なんだ、千歌ちゃんかぁ」

「むうっ……なんだかんだと聞かれたら、答えてあげるのが私だよ! 曜ちゃんの友達の高海千歌だよ! ピッチピチの15歳JKだよ!」

 

 

 高海千歌(たかみちか)。私のクラスメイトであり、比較的仲の良い友達。いつも元気で明るく可愛くて、みかんが大の好物で、時々出るダジャレが玉に瑕な、そんな女の子。

 

 

「ロケット団的な自己紹介ありがとう」

「みかん畑の破壊を防ぐため! みかん畑の平和を守るためー! ってね!」

「あはは、千歌ちゃんは本当にみかんが好きだね」

「みかんは完全食だよ! アルミ缶の上にあるみかんこそ最強だよ! そうだ曜ちゃん先生、みかんはおやつに入りますか!?」

「みかんもバナナもおやつに入らないよ」

「バナナはいらないかなぁ」

 

 

 ナチュラルにいらないと言われるバナナが可哀想だと思ってしまう。私はみかんも好きだし、バナナも好きなんだけどなぁ。

 

 

 千歌ちゃんとの、いつもと変わらないやり取り。変わったものがあるとすれば、それはここ一週間で見えない恐怖に凍りついてしまった私の心。夏の暑さを以ってしても、この凍結した心を溶かす事は出来ずにいる。

 

 

「それで、どうしたの? 今日はいつもより元気ないよ? 輝いてないよ? イマドキのJKは毎日キラキラ輝いてないとダメなんだよ?」

 

 

 ふざけたようにそう言いながら、再び心配そうに見つめられる。千歌ちゃんは一見アホの子っぽく見えるけど、いや実際アホの子なんだけど、本当は周りに気を配れる良い子なんだって事を私は知っている。

 さっきまでのやり取りも、氷のように固まった私の心を溶かすための行動。それは私も理解していた。

 

 

 私はどこかで期待していたのだ。太陽のような眩しさと温もりを持つ千歌ちゃんが、奥底まで凍ってしまった私の心を溶かし切ってくれる事を。

 

 

 だけど、実際は。

 

 

「何でもないよ、気にしないで」

 

 

 その温もりで表面を少し溶かす事はあっても、より深くまで溶かしてくれる事は無かった。

 

 

「曜ちゃん……もしかして……」

 

 

 私の悩みは今のところ誰にも相談していない。それなのに千歌ちゃんは自信ありげな、どこか確信めいた表情をしていた。

 

 

「女の子の日!?」

「ちっ、違うから! そうじゃないよ!」

「ありゃ、違っちゃった。あっ、千歌だけに!」

 

 

 昼休みの教室で恥ずかしげもなく堂々と女の子の日とか言う千歌ちゃん。その言葉を、顔を熱くなるのを感じつつ否定する。その後千歌ちゃんは誤魔化すようにダジャレを言ったけど、ヒャダルコ並みのその寒さで顔の熱が引く事はなかった。

 

 

 ここ浦の星女学院は女子高だ。千歌ちゃんの発言も女子高だから良かったものの、いや良くないけど、共学の学校でそんな事を言われた日には、恥ずかしくて内浦湾の藻屑になってしまいそうだ。

 今も恥ずかしすぎて、穴があったら入りたいし、海があったら飛び込みた――

 

 

「……」

「曜ちゃん?」

「……」

「もしもーし、曜ちゃーん?」

「……」

「――曜ちゃんッ!」

 

 

 

 

「あ、ごめん。ボーッとしてた」

 

 

 自分で考えていた事なのに、思考がフリーズしていた。その思考の果てに迎える結末を想像して頭痛がした。私の心はもう手遅れなほど凍り固まってしまったのだと、絶望した。

 

 

「もー、急に黙っちゃうから心配したんだよ!」

「ごめんごめん、でも大丈夫だから。心配かけてごめんね、千歌ちゃん」

「ほんとに? 曜ちゃんほんとに大丈夫?」

「大丈夫だよ。千歌ちゃんは心配性だなぁ」

 

 

 本当は大丈夫じゃないのかもしれない。ついさっき、私はもう手遅れなのかもしれないと感じてしまったから。だから友達に嘘をついてまで、心配する友達を安心させようとしている。そんな気がした。

 

 

 これは私自身の問題。千歌ちゃんには関係ないのだ。千歌ちゃんは友達だけど、友達だからこそ、余計な心配はかけたくない。そう思うのは、友達なら当然だと思う。

 

 

「でも、私のせいだよね……」

「うん? 千歌ちゃんのせいじゃないよ?」

「でも、だって、曜ちゃんが急に黙っちゃったのって……」

 

 

 急に黙ってしまったのは思考がフリーズしてしまったから。私の心が手遅れなほど凍っているのだと自覚したから。だけど千歌ちゃんは、そんな私の心情を知っている筈がない。

 

 

 だけど千歌ちゃんには、私が黙ってしまった原因に心当たりがあるらしい。そして千歌ちゃんはまたしてもその言葉を、恥ずかしげもなく堂々と言ってのけた。

 

 

 

 

「女の子の日って言った事、怒ってるからだよね」

 

 

 違う、そうじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。主に千歌ちゃんのせいで、今日の私は女の子の日だとクラスメイト全員に認識された日の放課後。諦めて今日一日はその設定で過ごしたという、そんな放課後。

 

 

 不思議と一人になりたい気分だった私は、教室で千歌ちゃんと交わしていた雑談を理由をつけて切り上げ、屋上に向かっていた。

 

 

 屋上へと続く階段を最後まで上りきり、重たい扉を開けた先に待っていたのは、誰一人として存在しない開放的な空間。

 一歩、また一歩と足を踏み入れていく。今この場所には私一人。まるで世界に自分一人だけが取り残されたような、そんな気分になる。

 

 

 屋上の端までやって来て、手すりに両手を掛ける。ふと上を見上げると、青と白の綺麗なコントラスト。普段から何気なく見ているそれは、いつもより距離が近かった。

 

 

 どれだけの時間を空を見る事に費やしたか分からない程に、気が付けばずっと上を向けていた首に疲れを感じた。

 上空を見上げるのをやめ、今度は視線を下に向ける。見えるのは、楽しそうに談笑しながら下校している人の集団。屋上から見下ろす彼女達の姿は、とても小さく見えた。

 小さな群れはゆっくりと、しかし着実に同じ方向へと進んで行く。それはまるで、海面に現れる波のようで。

 

 

 それは私を自然と、高飛び込みの世界へと(いざな)った。飛び込み台に一歩引いて立っている私。眼下には、波紋を打つ水面。

 

 

 怖い。

 

 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。

 

 

 それだけ。ただそれを想像しただけで、巨大な恐怖が大波となって押し寄せてきた。

 

 

 足が竦む。慄く。震える。

 

 

 立っていられない。そんな恐怖に手すりを掴む両手の力が自然と強くなる。そうする事でしか、地に足をつけるという当たり前のような行動を維持する事が出来た。

 想像しただけでこのザマだ。実際の飛び込み台に立った時には、きっとこれ以上の恐怖が押し寄せるのだろう。

 

 

 こんなんじゃ、ダメだ。

 

 

 ここでこの恐怖に打ち勝たなければ、私はきっとダメになる。もう高飛び込みが出来なくなる。そんな予感がした。

 

 

 だから。

 

 

 だから私は、柵の上部を掴んでいた両手にグッと押し込むような力を込め、その柵を乗り越えようと片足を上げた。

 

 

「ダメぇぇええええええ!!!」

 

 

 そんな悲痛な叫びと共に、足音も聞こえた。足音のテンポは早く、そして段々と大きくなっていく。その人物は駆け足で向かってきているようだ。

 

 

 片足を上げた状態のまま静止して、私は声と足音の主を確かめようと後ろを振り向いた。

 真っ先に目に飛び込んできたのは、鮮やかなオレンジ色。それを認識した時には、そのオレンジ色の持ち主に私の胴を両手で抱きかかえられていた。

 次の瞬間にやって来たのは、ふわりとした浮遊感。私は持ち上げるようにして、その人物と共に屋上に倒れた。その行動には、私をその場から引き剥がそうという、固い決意を感じて。

 

 

 胸の奥で凍っていた何かが少し溶けたような、そんな気がした。

 

 

「はぁ、はぁ……良かった、曜ちゃんが無事で。あいたたた……」

 

 

 私の横で地面に打ちつけた頭を手で押さえながらも、ホッと安堵したような表情をその人物は、高海千歌ちゃんは見せていた。

 そんな突然現れたと思いきや私を抱えて倒れこんだ友達の行動に、私は理解が追いつかず、ただ目を大きくして驚くしかなかった。

 

 

「ダメだよ曜ちゃん! そりゃあ人生色んな悩みとかあるだろうけど……それでも、生きてたら楽しい事も沢山あるよ! だから、悩みがあるんだったらまずは私に相談して! 私達――友達でしょ!」

 

 

 千歌ちゃんは、目に涙を浮かべながら何かを訴えかけていた。けど私には、千歌ちゃんが私に何を訴えているのかよく分からなくて。

 

 

「えっと、千歌ちゃん。よく分からないけど、泣かないで」

 

 

 でもその言葉には、不思議と温もりが籠っていて。私の凍り付いた心に、しっかりと届いた。理由はよく分からないけど、私の為に涙する友達の姿に、心打たれない筈がなかった。

 

 

「だって……曜ちゃんが自殺して、いなくなっちゃうの想像したら……ううっ、良かったよぉぉぉぉぉぉ!!」

 

 

 堰を切ったように大粒の涙を流して泣きじゃくる千歌ちゃん。そんな友達を私は自分の胸に抱き寄せ、頭を撫でて落ち着かせる。私の胸で赤子のように泣きじゃくる千歌ちゃんを、こんなにも愛おしいと思ったことはなかった。

 でも、千歌ちゃんはどうやら一つ盛大な勘違いをしている。その勘違いを正そうと、私は千歌ちゃんに優しく話しかけた。

 

 

「あのね千歌ちゃん。一つ言っておくけど、私は自殺しようとしてた訳じゃないよ?」

「ふぇ?」

 

 

 今までの大泣きが嘘だったかのように千歌ちゃんはピッタリと泣き止み、素っ頓狂な声を上げる。

 

 

「え、違うの?」

「うん」

「柵を超えようとしてたのに?」

「あれは……確かに紛らわしかったと思うけど、そういう事じゃないの」

「ううっ……恥ずかしい……」

 

 

 自分の勘違いをようやく理解した千歌ちゃんは、顔を真っ赤にして恥ずかしがった。抱きしめている千歌ちゃんを、私は両腕でグッとより強く抱き寄せる。

 

 

「でも、千歌ちゃんの想いは届いたよ。ありがとう」

「……うん」

「ねえ、千歌ちゃん。私ね、悩みがあるんだ。聞いてくれる?」

 

 

 千歌ちゃんがコクリと頷く。私は今まで隠し通してきた悩みを、初めて千歌ちゃんに告白した。

 

 

 高飛び込みには、大怪我の危険があるという事。もしかしたら、自分がそうなってしまうんじゃないかという事。それを想像すると、怖くて高飛び込みが出来なくなった事。そんな小さな悩み事を包み隠さず、全てを千歌ちゃんに話す。

 私が話している途中、千歌ちゃんは何度も何度も強く頷きながら、親身に話を聞いてくれた。

 

 

 やがて私の話が全て終わると、千歌ちゃんは私に一つ質問をしてきた。

 

 

「それって、高所恐怖症?」

「ううん、ちょっと違うかな。高い所が怖いっていうより、高い所から水の中に飛び込むのが怖いって感じ」

 

 

 私の返した答えに、千歌ちゃんは悩ましそうに首を捻りながらう~んと唸っている。

 次は私が、今まで誰にも聞けなかった事を千歌ちゃんに聞いてみる。今まで他の人には決して聞けなかった事。だけど千歌ちゃんなら、千歌ちゃんだからこそ聞けるような、そんな気がする。

 

 

「ねえ千歌ちゃん。私、どうしたらいいと思う?」

 

 

 自分ではどうにも判断できない。だから千歌ちゃんに答えを求める。高飛び込みについてよく知らない千歌ちゃんだからこそ。

 息を呑んで千歌ちゃんの言葉を待つ。どんな答えが返ってこようと、受け入れる覚悟は出来ている。

 

 

 やがて、千歌ちゃんがその口を開いた。

 

 

 

「私には……分からないかな」

 

 

 

 ……それはそうだ。高飛び込みの経験が無い千歌ちゃんには、その恐怖を想像する事は難しいだろう。

 

 

「でも私は、曜ちゃんが怪我しちゃうのは……嫌かな」

 

 

 そう言われて、少しホッとする。やっぱり怪我をするのは――あれ? なんで私、ホッとしてるんだろう? 私はそういう言葉が欲しかったのだろうか。分からない、自分の心なのに。それ程までに、私の心はとっくに凍りきってしまっていて。

 

 

「でも、それでも! 今の曜ちゃんは……もっと嫌かな」

「……どうして?」

 

 

 怪我をすること以上に、今の私が嫌だと千歌ちゃんは言う。その理由が知りたくて、私は千歌ちゃんに尋ねた。

 

 

 

 

「だって、今の曜ちゃん――輝いていないから」

 

 

 

 

 真っ直ぐと、面と向かって、躊躇う事なく、千歌ちゃんは言った。

 

 

「輝いて、いない?」

「うん。最近の曜ちゃん、全然輝いていないよ」

 

 

 それは、私の心が恐怖で凍りきってしまったからだろうか。千歌ちゃんの温もりで少し溶けたような気はしていたけど、それでも完全には溶かされていない。一度氷になってしまったものは、そう簡単に溶け切らない。

 

 

「ねえ曜ちゃん。今度の日曜日って暇?」

 

 

 唐突に話題を変える千歌ちゃん。どういう意図があって聞いてきたのかは分からないけど、嘘をつく理由もないので正直に答える。

 

 

「今のところは何も無いけど……」

「暇なんだね! じゃあさ――」

 

 

 千歌ちゃんは得意気な表情で、自信満々に顔を輝かせて言った。

 

 

 

 

 

 

「デートしよっか?」

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 日曜日。今まで生きてきた中でこれ程ドキドキした気持ちで迎えた事はない、そんな日曜日。今日は人生で初めてのデートである。

 近所の駅前。私はそこで腕時計を何度も確認しながら待ちぼうけていた。うだるような夏の日差しが容赦なく降り注ぎ、私はかなり汗ばんでいた。日焼け止めをしてきて正解だった。

 

 

「曜ちゃーん! ごめーん!」

 

 

 遠くから待ち人の声が聞こえる。アスファルトから立ち上る陽炎でぼんやりとしか見えないその姿が、徐々に鮮明になっていく。

 程なくしてその人が待っていた私のもとに辿り着き、パチンと両手を合わせて頭を下げた。

 

 

「ごめん曜ちゃん……待たせちゃったよね?」

「ううん、私も今来たところだよ」

 

 

 謝る千歌ちゃんに私は優しい嘘をつく。いや、それも嘘だ。本当はそんなベタなやり取りに憧れていて、やってみたかっただけ。勿論、その事を千歌ちゃんに言うつもりは無い。

 

 

「それじゃあ行こっか? あ、ちゃんと水着持ってきた?」

「持ってきたよ。ねえ千歌ちゃん、どこに行くか教えてくれないの?」

「うん! デートプランはこの高海千歌にお任せあれ!」

 

 

 今日のデートについて、千歌ちゃんは私に何も教えてくれない。私が知っている事といえば、この時間にここで待ち合わせをした事と、水着を持参する事ぐらいだ。

 まあ水着を持参したという事は、水着が必要になるような場所に行くという事なんだろう。プールとか海水浴場とか、そんな所だと推測する。

 

 

「それじゃあ行っくよー! 出発進行ー!」

「お、おー……」

 

 

 いつも以上にテンションの高い千歌ちゃんと、緊張のあまりぎこちない私。そんな対照的な私達の、記念すべき初デート。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃーい! こんにちは、お二人さん」

 

 

 ダイビング用のウェットスーツを着た見知った女性の、活気の良いハツラツとした声に私達は出迎えられた。予想外の場所に連れてこられて、私はパチクリと瞬きを何度も繰り返した。だけど、目の前に広がるその光景は現実で。

 

 

「果南ちゃんやっほー!」

「やっほー千歌。曜も、やっほー」

「や、やっほー……」

 

 

 千歌ちゃんに連れられやって来たのはダイビングショップ。陽気に挨拶をする彼女は松浦果南(まつうらかなん)。このダイビングショップは、果南さんの祖父が経営している。

 果南さんは私と同じ浦の星女学院に通う、一つ年上の先輩だ。果南さんと千歌ちゃんは幼馴染で、千歌ちゃんと友達の私はこれまで何度か果南さんに会った事がある。例えるならば、友達の友達のような関係。

 

 

「えっと……千歌ちゃん?」

「ん? どうしたの?」

「え、これ、デート?」

「あら、千歌と曜ってデートだったの!? もしかして私って邪魔だったりする?」

「もー! からかわないでよ!」

「それで、どうなの千歌ちゃん!」

 

 

 慌てるように言う千歌ちゃんを見て、果南さんはニヒルな笑みを浮かべている。

 状況が今ひとつ分かっていない私は、発起人である千歌ちゃんに説明を求める。混乱しすぎて言葉になっていないけれど、それだけ私は現状を理解出来ていなかった。

 

 

「デートだよ! 曜ちゃんとダイビングしたいなーって、ずっと前から思ってたんだ! だから、ダイビングデート!」

「ああ、そういう事……」

 

 

 二人きりでデートするのだと思い込んでいた私が馬鹿みたいだ。変に緊張して、変に浮かれていて、恥ずかしい。

 

 

「千歌。曜に謝りなさい」

「えー、なんでー?」

「デートって言って曜を連れてきたんでしょ? 簡単に言うと、千歌は曜を騙したのよ」

「あっ……そうだよね。ごめんね曜ちゃん」

 

 

 果南さんに諭されて、千歌ちゃんはようやくその事実に私に謝った。申し訳なさそうに、しゅんとした表情で。

 千歌ちゃんがそんな顔をしている事が、何故か私まで罪悪感に駆られしまう。千歌ちゃんに悲しい顔は似合わない。太陽のようにいつもキラキラと輝いている千歌ちゃんが、私は好きだから。

 

 

「うん、許してあげる」

「曜ちゃん……ありがとー!」

「ちょっ千歌ちゃん急に抱きつかないで! まだ心の準備が……!」

 

 

 千歌ちゃんに飛びつくように抱きつかれ、私は慌てふためいてしまう。当たってるから! お互い当たってるから!

 

 

「はいはーい。イチャつくのも程々にして、二人ともこれに着替えてきてね」

 

 

 どこか冷めた表情をした果南さんに、ダイビング用のウェットスーツをそれぞれ手渡される。

 

 

「曜ちゃん、着替えに行こっ!」

「う、うん」

「ごゆっくりー」

 

 

 今度はどこかからかうような言葉を果南さんに浴びせられながら、私は千歌ちゃんと一緒に更衣室へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 更衣室で千歌ちゃんが隠しも恥ずかしがりもせず堂々と、服を脱ぎ水着に着替えその上にウェットスーツを着て。

 普段は女の子の裸を見る事も見せる事にも恥ずかしさを微塵も感じない私が、この時ばかりは恥ずかしがって。それを見た千歌ちゃんに服を剥ぎ取られ思わず悲鳴を上げたり。着慣れている競泳水着じゃなくて可愛らしいビキニを持ってきた事を千歌ちゃんからかわれたり。

 何だかんだありながらも、私も水着に着替えその上からウェットスーツを着て。

 

 

 私達が着替え終えるのを待っていた果南さんと三人で早速、ダイビングをして海中の世界を堪能していた。

 

 

 今私達が行っているのはスキューバダイビングと呼ばれるもの。専用の大きな水中ゴーグル、フィン、他にもグローブ等様々な道具が必要だが、まず思い浮かべるのは空気の入ったタンク。ここから供給される空気で呼吸をしながら行うのがスキューバダイビングで、深い水深で長時間楽しむ事が出来る。

 

 

 果南さんの趣味はダイビングなんだけど、普段主に行っているのはスキンダイビングと呼ばれているらしい。必要な道具はゴーグル、フィン、シュノーケルのみ。

 スキューバダイビングとは違い空気タンクを使わないので、私のような初心者だと潜れてせいぜい5メートル程度らしい。ちなみに経験者の果南さんは20メートルは潜れると言っていた。果南さん凄い。

 

 

 そんな説明とスキューバダイビングの簡単なレクチャーを、ダイビングライセンスを取得している果南さんから受け、私達はダイビングを楽しんでいる。

 今私達が行っているのは、果南さんの店が提供している初心者向けのダイビングツアーで、水深20メートル程度までの簡単なものらしい。

 それでも、私や千歌ちゃんのような初心者は、ライセンス所持者同伴でないと海に潜る事は許されない。

 

 

 それと、今回ダイビングに使用している道具は、果南さんのお店からレンタルしている物だ。因みに料金は今回はツアー料金も含めて特別に無料(タダ)にしてもらっている。何でも初デートのお祝いだとか。

 実は果南さんにこっそり本当の金額を教えてもらったのだけど、高校生の私が軽く出せるような値段ではなくて、これから暫くは果南さんに頭が上がらないなと思った。

 

 

 ちょんちょん、と果南さんにグローブ越しの人差し指で二の腕を突かれる。視線を向けると、果南さんは人差し指で左前方を見るように促してきた。

 その方向に目を向けると、小さな魚達が群れを成して泳いでいた。こんなにも間近で魚の群れを見られた事に、感動するなと言う方が無理な話だった。

 隣にいる千歌ちゃんも、ゴーグル越しに見える目が大きく見開いていて、感動している様子だった。

 

 

 ちょんちょん、と再び果南さんに二の腕を突かれる。今度は首にぶら下げていた専用のデジタルカメラを手に取って、ニッコリと微笑んでみせる。写真を撮ろうという合図だ。

 千歌ちゃんはウンウンと首を大きく縦に振り、果南さんの提案に賛同する。そんな千歌ちゃんを見て、私もコクリと頷いた。

 

 

 私と千歌ちゃんは水中を移動して横に並ぶ。慣れない水中に千歌ちゃんとの距離が少し離れてしまったが、千歌ちゃんが私の左手をとって、優しく引き寄せてくれた。

 それを見た果南さんは、聖母のような優しい笑みを浮かべている。そして片手でカメラを構えながら、もう片方の手の指を三つ立てる。それが秒単位で一本、また一本と折られていき。

 

 

 私と千歌ちゃんはそれぞれ空いた手でピースを作り、果南さんに写真を撮ってもらった。海の中で写真を撮るなんて初めての事で、それを千歌ちゃんと一緒に出来た事を嬉しく思う。

 

 

 千歌ちゃんとのツーショット写真を果南さんに撮ってもらった。すると千歌ちゃんが私と手を繋いだまま、左指を三本立てて果南さんに何やら合図を送り始めた。

 その仕草だけで果南さんは千歌ちゃんの伝えていた事を汲み取ったのか、水中を器用に泳ぎながら空いていた私の右隣にやって来た。そして、私の右手が果南さんの左手と繋がれる。

 

 

 左手には、千歌ちゃんの右手。

 右手には、果南さんの左手。

 

 

 グローブ越しに伝わる二人の掌の温もりが、私を優しく包み込んでくれる。

 

 

 果南さんは自撮り写真を撮るように、右手を伸ばしてカメラをこちらに向ける。そして私達に目で合図を送り、カメラのシャッターを切った。

 撮った写真を確認すると、私達三人の姿がキッチリと写り込んでいた。それを見て、三人で笑い合う。そんな楽しい時間。

 

 

 

 それから三十分程、私達はダイビングを楽しんだ。楽しかった時間はあっという間に過ぎていき、果南さんに終わりを告げられた時にはもっと潜っていたかったと率直な欲求が湧いた。

 

 

 

 初めてのダイビング。初めての深い海の中。何もかもが初めての出来事で、最高に輝かしいものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「んんーっ! ダイビング、楽しかった!」

 

 

 ダイビングを終えた私達は、果南さんの店を後にして帰路についている。ダイビングの時に撮影した写真はこれから現像して、後日学校で手渡す事を果南さんは約束してくれた。

 ここまでしてくれる果南さんには、いくら感謝してもし足りない。後日きちんとした形で何かお礼をしなければ。

 

 

 そんな決意を固めながら、千歌ちゃんと二人で並んで歩く帰り道。鮮やかなオレンジ色に照らされ、幻想的な雰囲気が漂う。初めてダイビング。深い海の中という未知の世界を体験した事が、この場の非現実さに拍車をかけていた。

 両手を広げて大きくグーッと背伸びをしながら、私は隣を歩く千歌ちゃんに今日の感想を述べた。

 

 

「曜ちゃんが楽しんでくれて良かったよ! デートは大成功だね!」

「うん! ありがとう、千歌ちゃん!」

 

 

 その後も今日の思い出を話しながら、夕日に見守られた私達は歩みを進めていく。会話が弾み、時間の流れが早く感じる。気が付けば私達は、お互いの別れ道である交差点に辿り着いていた。

 私達は示し合わせていたかのように、そこで自然と足を止めていた。先程まで続いていた会話も、ここに来て無くなっていた。

 

 

「ねえ、曜ちゃん」

 

 

 先に口を開いたのは、千歌ちゃんだった。

 

 

「ダイビング、楽しかったよね?」

「うん、今まで生きてきた中で一番楽しかったかも!」

 

 

 それは、嘘偽り無い私の本心。今日という一日は、本当に今まで生きてきた中で最高に楽しく、濃密な一日だった。

 

 

「水の中、怖くなかった?」

「全っ然! もう夢中になって潜ってたよ! もう少し潜っていたい位だった!」

 

 

 海の中という世界に、私はすっかり魅了されていた。今度はお小遣いを貯めて一人で果南さんの店を訪れようと、そう思うくらい今日のダイビングは楽しかった。そこに恐怖なんて感情は微塵も存在しなかった。

 

 

 

「じゃあ、もう大丈夫かな?」

 

 

 

 ――え、何が?

 

 そう言葉を返すよりも早く、私は千歌ちゃんの言わんとしている事を理解してしまった。

 

 

 千歌ちゃんは私の悩んでいた事を解決しようと、今日のデートを計画してくれたのだと。

 高飛び込みで水の中に飛び込むのが怖いと吐き出した私の為に、水への恐怖を取り除いてあげようと画策した結果が今日のデートなんだと。

 

 

 今の言葉だけで、たったその一言だけで、私はその事実を痛感させられた。

 

 

「うん……うん……! ありがとう、千歌ちゃん……もう、大丈夫だよ……!」

 

 

 千歌ちゃんへの感謝を伝える言葉は、自分でも気付かないうちに震えていた。気付かないうちに、頬に熱いモノが伝っていた。

 

 

 そんな私を千歌ちゃんは何も言わず、そっと優しく抱きしめてくれた。千歌ちゃんの温もりが直に伝わる。胸に熱い何かが流れ込んでくる感覚。

 

 

 

 

 それは、凍りついていた私の心を急速に溶かしているようで。

 

 

 

 氷が溶ける事で生じた液体が込み上げてきて、瞳から零れ落ちているような。

 

 

 

 

 そんな気がした。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢に見た光景だった。

 

 

 だけど、今は夢ではない現実。

 

 

 満員の観客で埋め尽くされた水泳場。高さ10メートルの飛び込み台の上で私は一人、期待の視線を向ける観客を見下ろしている。今日は、高飛び込み大会当日だった。

 自身に向けられる大きな期待。大丈夫、集中できている。千歌ちゃんとのデートから一月程経った今日まで、私はそれまでの恐怖を払拭しようと高飛び込みの練習を積み重ねてきた。

 

 

 飛び込みの先端に両足をしっかり着けて立つ。下を見る。波紋一つ立っていない真っさらで綺麗な水面。

 

 

 準備は万全。今日まで積み重ねた練習のおかげで、今まで感じていた恐怖は殆ど無くなった。それでも、ほんの僅かに恐怖は残っている。一度覚えてしまった恐怖は中々消え去らない。でも以前と比べれば、格段に恐怖は薄くなった。

 前を見据える。大丈夫、小さくなった恐怖は、友達の力を借りれば埋められる程の大きさだ。千歌ちゃんと果南さんと体験したダイビングが、私に力を貸してくれる。

 

 

 無意識に両手を強く握りしめていた。左右それぞれの手に、ふと温もりが流れ込んでくる。その温もりの正体を、私は知っている。

 

 

 左手には、千歌ちゃんの右手。

 右手には、果南さんの左手。

 

 

 ダイビングの時に覚えたそれぞれの温もり。

 

 

 大丈夫。二人がいれば、三人なら、怖くない。

 

 

「いきます!」

 

 

 右手を高く突き上げた宣誓。高く掲げた右手をその後どうするべきか、私は迷っていた。

 

 

 これから私は、輝くための一歩を踏み出す。そう思うとこの右手をそのまま素直に下ろすのは、何だか勿体無い気がした。

 

 

 ふと、私の好きな言葉を思い出した。

 

 

 恐怖が芽生えてから今まで、すっかりその言葉を口に出していなかった。私の元気の源となっていた言葉の筈なのに。

 

 

 

 ならば今ここで、再度宣誓しよう。

 

 

 

 

 

 

 全力全開。

 

 ――輝きに憧れた私は。

 

 

 

 

 全身全霊。

 

 ――輝く私でいたいから。

 

 

 

 

 全速全進。

 

 ――輝きに向かって。

 

 

 

 

 

 

「ヨーソロー!」




そろそろサンシャインのアニメが始まりますね、とても楽しみです。もしかしたら、この話が投稿された日には放送されているかもしれませんが(笑)
この企画を通して、サンシャインキャラ達に愛着が湧きました。みんな可愛いです。
キャラの可愛さやストーリー等、この企画を楽しんで頂けているのなら幸いです。ありがとうございました。
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