って、なんでしょうね?何にせよ永続的なものではないのでしょうが。
古参蜻蛉切と来たばかりの貞宗兄のお話。将軍刀概念をこじらせた結果のものとん未満。pixivにも投稿しています。
物吉貞宗がこの本丸へやって来たのはつい一週間前のことだった。政府の管理下で行われる仮想敵相手の演習、その「報酬」としてその小脇差は与えられ、すぐに狂喜乱舞した
物吉貞宗は、主人に幸運を運ぶ刀だ。そういう刀だった。けれどここで言う幸運というのは十六世紀の基準で、つまり合戦で傷を負わないように、死なないようにというものだった。戦においては周囲の人間も一緒くたに救わねば立ち行かないというだけだったが、物吉の加護は必ずしも直接の主人のみに向いたものではない。
ひょっとしたら、彼の寵愛を最も受けたのは徳川家康ではなかったのかもしれない。物吉自身が何も語らぬ以上それは憶測以上のものにはならないが、あれだけの戦場、それもその第一線で戦い続けた存在が生涯に一度しか傷を負わなかったというのは異様に過ぎた。
その日は、新たに進軍を許可された時代──延享の白糸台だ──に様子見をかねて本丸の最高戦力が派遣されたところだった。先日「修行」から帰ったばかりの今剣と厚藤四郎、蛍丸、次郎太刀、日本号、それからいち早く「カンスト」したという蜻蛉切。
敵は強かった。どうすればこれほどまでの戦力を用意できるのか疑念がわくほどに。取り逃がした歴史修正主義者が少なくなかっただけでなく、日本号と厚などは破壊寸前まで追いやられた。幸いにも浅い傷一つで住んだ蛍丸を除いて、誰もが深い傷を負って帰還した。左の肘から切り落とされた今剣も、複数の刺し傷を負った次郎太刀も、肋骨を何本も叩き割られた蜻蛉切も、細かい傷はいちいち数えることも億劫になるほど血にまみれていた。
蜻蛉切が日本号を背負い、蛍丸が厚を本体共々抱えて戻ったとき、彼らを手入れ部屋に運んだのは堀川派と吉光作の脇差三振りだった。堀川国広と鯰尾藤四郎はその場で応急処置を始め、骨喰藤四郎はそのまま審神者と世話係にと残りの脇差二振り、それから力仕事要員の御手杵を呼びにいった。薬研藤四郎の本領は調剤にあるため、彼が活躍するのはもう少し先になる。
にっかり青江と御手杵はすぐに見つかったが、厨房にいた物吉貞宗が手入れ部屋にやってきたのは半刻は経ってからのことだった。彼は始め自分の見たものが信じられなかったが、それでも脇差といういきものの性か、働く手を休めることはしなかった。
慌ただしい
草木も眠る、とまではいかない宵の始め。月の明かりが閉められた障子の紙を越して人型の鋼たちを照らしていた。
「あなたは、怪我などしないのだと思っていました」
蜻蛉切の胸に巻かれた包帯を取り替えながら、物吉貞宗は何かにおびえるようにそう言った。
「物吉殿。私は……」
「僕がいたらない所為でしょうか」
「それは違います!」
感情任せにそう言って、蜻蛉切は引き攣る傷口の痛みに顔を顰める。人の身ですら膏薬で癒える刀剣男士の肉体に感謝しつつ、自らを武人と称す槍は居住まいを正した。
「私が力不足であっただけのこと。物吉殿の問題ではありません」
蜻蛉切の元の主は、生涯にただ一度きり、それもほんの小さな切り傷を負っただけと言い伝えられている。その伝承が真のものなのか蜻蛉切は知らず、所詮戦に出るようになってからの本多忠勝しか知らぬ彼には確かめるすべもなかったが、ともかく「生涯無傷」とまで称えられる彼の名がなければ、蜻蛉切と言う槍が広く知られるようなこともなかったろう。
蜻蛉切は、できることなら、かつての主人のように在りたかった。そのものではないにせよ、三国黒と名を持つ
そのような有り様をたしかに知っている以上、そう成れないのは彼の問題だと彼は言った。
物吉貞宗は、神君の刀である。すべて物を
「けれど、僕は『物吉貞宗』なんです。勝利を運ぶ刀です」
幸運を、勝利を、生存を運べなければ、自身の存在はどこにあるのだろうかと彼は恐れていた。神と王とは名に縛られるものだと物吉は知っている。縛られていなければならないと理解していた。
「物吉殿」
蜻蛉切が静かに口を開く。
それならば自分は「常勝の槍」であると。
それでも、このざまであると。
「我々は、もう鋼ではないのです。あなたももう、将軍の刃ではない。気負わずとも、良いのですよ」
そうでなくては、この肉の
「僕らは刀で、神です。人間の信仰には、応えてやるべきではありませんか?」
信仰、と彼は言った。それは、蜻蛉切を何百年も悩ませ続けてきた呪いの敬称だ。
藤原正真が作のその槍は、開祖の刀が、決してあのような穢れを孕む存在であるはずが無いと思っていた。けれど彼がどれほどそう言っても、名も伝わらぬ人々にはその声は聞こえない。そしてそんな人間にこそ、神を規定する力は宿るのだった。この小さな刀に重すぎる役割を背負わせたのも、きっとそんな「大衆」というやつだった。
それでも蜻蛉切は、蜻蛉切すらも、神君御刀を東照大権現の幸運の刀を信じていた。期待していたのだ、彼が来たからには、かつての主人のように戦えるだろうと。願わないことなど、できるはずもなかった。
本多忠勝は、きっと、物吉貞宗に愛されていた。それは決して物吉自身が意図したものでも忠勝がねだったものでもなかったにせよ、蜻蛉切はそれを知っていた。誰よりも近くでそれを見ていた。けれどその愛が、槍に向けられることはないのだとも知っていたのだろう、彼はまだ、迷っていた。
「人になれというのなら、そうしましょう。物吉貞宗殿」
「共に戦ってくださるのであればこの蜻蛉切、望外の喜び」
「今の、主は寛大な方です。人でも刀でも、自分がなりたい物になって構わないと仰います」
「ですから、もう」
「期待など、信仰など。考えなくとも、良いのです」
けれどそう信じたいのは、彼の方だ。自分がどれほどその小刀に重しを付けているか知らないはずのない、二丈の槍の方だ。
浅ましいことだ、と思った。こんなこと言っておきながらまだ彼は、希望を捨て切れていない。物吉貞宗を「神君の刀」にしておきたい自身を、蜻蛉切は否定できなかった。そして、
もしここで彼が「蜻蛉切さん」と呼びかけることができたなら、それはきっと一つのハッピーエンドだったのだろう。けれど物吉貞宗は人でも刀でもない。彼は、王だった。で、あれば配下の将の心くらい、透かし見て掴むは容易であった。
「蜻蛉切、あなたは」
「また、僕と一緒に、僕たちのために、戦ってくれますか」
物吉貞宗は王だった。蜻蛉切は武士になりたかった。
滅んだ国の、滅んだ王朝の、今なお象徴である刀と幻想を追う槍の話。