九十九、境遇を語る
あぁ、空が青い。
どうしてこんなにも空が青いのに俺は部屋の中で計算をしているのだろう。
「別にしなくてもいいけど……その場合はあんたの給料なしにするわよ」
世知辛い世の中ですね。
どうしてもっと人間はのんびりと暮らしていけないのだろうか。
「贅沢を知れば知るほど、人は更に贅沢を求めるものよ。そしてもっとも簡単なのが他の人から、弱い人から搾取すること」
戦がなくならない理由がそれなんですね。
なんとも浅はかな。
「それより計算は終わったのかしら?」
今時間稼ぎをしている間に終わりました、どうぞ。
「……あんたは休憩なしで仕事してなさい」
わーぉ、まさかの真っ黒な職場……転職してもいいですか?
「別に構わないけど……今の時期にのんびりしてる所なんて生き残れないわよ? というか計算以外に何が出来るの?」
飲食関係で売り子でもします。
「ふ~ん、あんたが何の仕事をしようと勝手だけど、飲食業とかもっと忙しくなると思うけどね」
そうでした。
いつも行くお店はいつも昼間も夜も忙しそうです、あんなに働いたら死んでしまう。
寝て食べてまた寝る仙人の様な仕事はないでしょうか。
「兵士に戻って敵地に突っ込めば寝れるわよ。永遠に」
冗談きついです。
「冗談じゃなく死になさい」
あぁ……不幸だ。
どうして俺はこんな所で働いているのだろうか、書庫でのんびりと名簿を管理して本を読んでいた生活が懐かしい。
「はいはい、さっさと仕事に戻りなさい。九十九」
承知しました。荀彧様。
初めまして、
今年で二十四歳となり、曹操軍軍師の荀文若様の下で文官をしております。
どうしてこうなったのかと言えば、住んでいた村が黄巾賊に襲われて壊滅し、生きる為に軍へと入りました。
最初は一般兵士として働いていたのですが、文字が読めるのと計算が出来る為、書庫へと飛ばされまして流れながら生きてます。
いやー、書庫は本当に天国でした。
本を借りていく人の名簿を付け、返された本を元に戻し名簿を付け直す。
大抵はその繰り返しでたまにこの本がどこにあるのかと聞かれる程度のもの。
一緒に仕事していた同僚は、早くこんな辛気臭い所から抜け出したいとボヤいてましたが、自分は逆です。
むしろ暇な時間も多く、本を読んでいられるので好きでした。
しかし、そんな天国な日々も今現在目の前で書類を人とは思えぬ速さで処理をしている荀彧様によって砕かれます。
あれは、何時ものように書庫内をのんびりと探索しているときの事……。
猫耳フードを被った女の子が一生懸命、一番上の段の本を取ろうとしてる場面に出くわしました。
その時の俺は何を思ったのか仕事をしたくて堪らず、代わりに本を取ってあげる事にしました。
今思えばちょっとした親切心と下心があったなとか覚えてます。
同僚が彼女が出来たと自慢していたので焦ってたんです。その頃の俺は若かったんです。
三ヶ月前の出来事ですけど。
お嬢さん、欲しい本はこれですか?
と自分でも人の良いと思う笑みを浮かべ、少女の後ろから本を取り渡しました。
あれは会心の笑顔でしたね。
返って来たのは、泣き声と大声の罵倒でしたが……。
『いやー、男! 犯される!』
いえ、お嬢さん。彼女が出来なくて焦ってますけどそこまではしませんよー。
と思いつつ呆然と彼女の泣き姿を見てました。
それはそれは盛大で今まで見た事ないような泣き方でした。
痴漢の冤罪で捕まる人ってこんな心境なのかなと思いつつも諦めていれば、曹操様がやってきて場を収めてくださいました。
あの時は驚きましたよ。生曹操様ですよ? あの三国志に出てくる魏の王、曹孟徳。
感激やら可愛らしい美少女やらで大興奮でした。
『ごめんなさいね、この子……男性が苦手なのよ』
にっこりと笑いかけて下さる曹操様に見惚れ、思わず気にしてませんのでと笑い返しました。
よく考えればその時の対応が間違ってたんですね。此方に非がないのだから少し顔を顰めておくべきでした。
まぁ、本音で言ってもどうにかなったし、男性が苦手ならしょうがないよねと言う心境だったのですが。
その泣いた少女を連れて去っていく際の曹操様の何かを見つけたような、獲物を狙うかのような視線を疑うべきでした。
疑っても察しても逃げ場なんてないんですけどね。
『九十九と申します』
『何であんたみたいな男を部下に持たないといけないのかしら、男なんて役立たずで下品で不毛で下劣な生き物で……』
それから数日後部署が移動となり、現在の位置に収まっています。
荀彧様、軍師として優秀で『王佐の才』と称されるほどのお人です。
しかしながら致命的な問題があった、それが『男嫌い』。
何でも荀彧様の男嫌いというのは限りないもので曹操様も頭を抱えていた問題らしいです。
軍を回すには多くの人が必要となります。
その中で女性だけで編成しようとするのは無謀なもの……というか無理です。
故に荀彧様にも男性の自分より優秀な方々が付いていたのですが、全員数日も経たない内に逃げてしまったそうな。
この時代、教養がある人は珍しくプライドが高い人が多いですからね。
普通の人と違い賢いのですから見下すのも分かるのですが、自分より優秀で女性のしかも年下の子の罵倒に耐えれなかったんですね。
南無。
それでも男嫌いをどうにか緩和しないことには困る事は必須。
しかし、慣らそうにも荀彧様の周りで耐えられる男性が居ない、どうしよう……。
と考えた時に見つけたのが俺ということらしいです。
書庫の件を見て試しにということでくっ付けて見れば、あら不思議耐えるじゃないですか。
ラッキーこいつでいいやと決まりました。
「まだ終わらないの? これだから男は使えないのよね」
まぁ、自分としましては見た目可愛らしい人ですし、自分より優秀な人であると分かってるので不満はないです。
男嫌いになったのには何か理由があるのでしょう。荀彧様の男嫌いが治る日まで、せめて軽減されるその日までお傍に居ようと思います。
……ところでお腹空いたので休憩したいです。
「そこの竹簡を全て終えたらいいわよ」
昨日一日で終えた仕事の量と同じですね!
どうやら今日はまともに食事が出来ないようだ……青い空を見てやめようかな、この仕事と思った。
……続くかな?