夢や希望を打ち砕くつもりは毛頭ございませんが、人によっては衝撃的とも取れるシーンが最後にありますので、同田貫ファンの方は菩薩の如き心を持ってお読みいただければ幸いです。
梅雨は、
同田貫正国は重く垂れ込める泣き空を睨みつける。
何日降るつもりなのか、全く忌々しい。
彼はついこの間、この本丸に顕現したばかりだ。
時代の皮肉で、生み出された時はいくさで活躍できなかったどころか実用一辺倒で真っ当に評価すらしてもらえなかった自分が、何の因果か人の身を得て、あまつさえ審神者に、力を貸してくれ、いくさに出て戦えと言われた。
願ってもないことである。なんと、幾星霜を経て、まさか自分がいくさに出られるとは。自分で自分を振るうとはあまりに予想の範囲外ではあったが。
何はともあれ二つ返事で了承したところ、彼の意志を汲み取ったのか、この本丸の通称「虎の穴部隊」・歌仙兼定率いる第四部隊に組んでもらい、何度か出陣の機会を得た――ところで、入梅を迎えてしまった。
まだ、特付きにもなっていないというのに。
数日は道場で手合せをして
正国より余程長くいる錬度五十を超えた歌仙と、特すら付いていない正国では話にならない。一部始終を目撃していた、初期刀でまとめ役の陸奥守吉行には「おんし、色々と修行が足りんぜよ」と大笑いされた。
ちなみに己が与り知らぬところで歌仙に嫌味を言われたどこかの鳥太刀は、卓の反対側で新茶を味わっているところである。君にも淹れてやろうか、と言われたのをむかっ腹を立てていた正国は断ってしまったが、今になってちょっと勿体無いことをしたと後悔している。
「ん。旨いな。俺の生まれた地も茶を作っていたか。大包平にも飲ませてやりたいな。早く来れば良いものを」
やっぱり同じことを一日中言っている。口を開けば茶が欲しい、そして二言目には大包平だ。
「あんた、そればっかりだな」
「うん? 何がだ?」
呆れた声を上げれば、鶯丸はにこにこしながら聞き返してくる。話が噛み合う気がしない。
「あんただって刀だろう」
「ここにいるのはお屋形様以外皆刀だった筈だが」
まだ若いのに忘れてはいけないぞ、とじいさんに何故か変な心配までされている。解せぬ。
「違ぇ。あんただっていくさに出なくて退屈にならねぇのか」
ふむ、と鶯丸は考え込むそぶりをした。
「まあ座れ。茶を淹れてやろう」
鶯丸は薬研藤四郎が持っている薬籠のような箱を卓に載せた。初誉のときにお屋形様から贈られた、桐でできた鶯丸専用の茶箱である。
鶯丸は細かい引き出しから一つ選ぶと、引き抜いて鉛の蓋を開けた。引き出しの中も、湿気ぬ様、鉛で内貼りがしてあるらしい。
「朝宮の茶だ。茶が育つのにいい霧がよく出るらしい」
鶯丸がいつも使っている急須に茶葉を入れる。万屋でも売っている、どこにでもある弁柄色のあれだ。
「じいさん、そんな面倒なこといいぞ」
鶯丸が茶碗にポットの湯を注ぐのを見て、正国は声を掛けた。鶯丸はふふ、と笑う。
「俺が旨い茶を飲みたいのさ」
茶碗で少しばかり冷めた湯を急須に入れる。蓋をして、少し待つ。
「待つというのも、大事な時間さ」
鶯丸は目を閉じた。
居間はそのまま暫し、沈黙が広がる。
さあさあという雨の音が聞こえる。雨の音の向こうから、遠く、打ち合いの音。不意に聞こえる雨蛙の鳴き声。
「――俺はな、君が生まれた時代には、ほとんど死んでいた」
不意打ち過ぎた。
「はあ? 罅でも入ってたのか? それでよく応じたな」
「罅ではないよ。持病みたいなものでね、それが悪化したのを、御一新の頃、腕の良い研師が治してくれたのさ」
葉の開き具合を確認し、均等に注ぎ分ける。濃い緑の茶は、甘い匂いを立てる。
「ん? なんで湯呑が三つだ?」
「まあ、後のお楽しみだ」
す、と正国の前に茶碗が差し出された。
「おう」
受け取って啜ると、成程、まろやかな渋みの中に甘みを感じる。上品な味である。
「旨い。旨いが……俺には勿体無いな」
「何を言う。茶は飲むものだ。俺たちと同じ、役割を持った道具だ」
だが、俺は振るわれたことがない。
鶯丸の声音は、相変わらず落ち着いていた。
「……あんた」
結城の合戦で武功として小笠原家に齎された褒賞が、武骨な実戦刀であるわけもない。鞘を払うとどこからともなく鶯の囀りが聞こえるという逸話すら持つ「伝家の宝刀」だ。
しかし、小笠原家の越前勝山藩は貧しかった。まず、土地が貧しかった。民も貧しく、故に藩の財政も貧しかった。家宝の刀が手入れ不能なほどに傷んでいても、修理することもままならなかった。
それでも、小笠原家は鶯丸を大事にしてくれた。美術品としての価値すらなくなった鶯丸を、見捨てず、鋳潰すこともなく、最後まで所有し続けてくれていた。
それは小笠原家の過去の武功の証としての鶯丸であったかも知れないが、半死半生の体でありながらも鶯丸は生き延び、ついに彼を直せる天の時と優れた研師を得たのだ。
「他人がどう言おうが俺を大事にしてくれた、小笠原家と高田の
まあ、だから、世話になった人たちに恩返しをしたいというところかな。
茶を喫するのと同じぐらい自然な言葉だった。
「いいかな」
「ああ」
突然の頭上を飛び交う会話に、正国は胡坐のまま飛び上がりそうになった。いつの間にやらお屋形様が、左手に瓢箪を割ったような面妖な形の琵琶をぶら下げて真後ろに立っている。
「そんな夢中になっていたとは。俺の茶がそんなに良かったのかな」
鶯丸はいったい何を見ていたのか。いくら淹れてもらった茶が旨かったとはいえ、正国はそんながぶ飲みをした覚えはない。
「何の話だったんだい、二人とも。それにしても珍しい組み合わせだね」
お屋形様も空いている席に腰を下ろす。
「お屋形様、いつになったらいくさに出られるんだ」
「そんな話をしていたのか、鶯丸と」
珍しい、とは鶯丸に向けられた言葉だ。
「あるじ、少し遅かったな。茶が冷めてしまったから淹れ直そう」
「ああ、冷めている方が今は飲みたいな、喉が渇いているんだ。飲んだら改めて淹れ直してくれ、とびきりの美味しいのを」
わかった、と首肯して先程淹れた三杯目をすっとお屋形様に寄せる。
「鶯丸の淹れてくれた茶は冷めても美味しいんだがなあ」
「淹れたてには敵わないさ」
「正国も茶の話をしていたのかい」
急に話を振られて、正国は狼狽える。
「いや、歌仙にうるさいと追い出されたんだよ」
口に出すとえらくお恥ずかしい話でして、という気分になる。
「正国には悪いと思っているよ。うちに来てもらったばかりで早速足止めだからね」
ただ、今の同田貫正国は「刀」ではあるがそれだけではない、ということは自覚しておいてくれ、お屋形様はそう言うと脇に置いていた琵琶のようなものを抱えた。
「変な琵琶だな。三味線じゃねえよな」
でけえし穴空いてるし、と指を突っ込もうとすると、お屋形様があーこらこら、と手をはたく。
「琵琶の、西洋に住む親戚といったところかな。ギターという。これはガット弦だから、より三味線や琵琶に近いかも知れないな。尤も、撥では弾かないよ、これは」
「あるじの時代の楽は調子が速いぞ。君も聞いたらきっと目を回す。俺も目を回した」
一応ゆっくりした曲を選んでいるつもりだがなぁ、お屋形様は六弦をぽろぽろとはじきながら穴に耳を近づける。
「変な格好で弾くんだな、その……なんだ、びたーというのは」
「ギターだよ。これは調子を合わせているんだ。たぶん琵琶でも同じことをすると思うがなぁ……少しEが低いか」
首のところにあるねじを少しばかり捻り、再度耳を澄ませる。満足いったのか、じゃらん、とひとつ大きくかき鳴らした。ひどく手慣れた手つきで左手が指板を滑る。
「さしずめ正国の今の気分は、こんなところかな」
お屋形様の右手が弦を爪弾くと、物悲しい旋律がその手から零れ出た。ぽろろ、ぽろろ、ぽろろと一人で間を埋め尽くすような、初めて聞く曲調である。笛だの
少し高めの音域で奏でられるその旋律を、正国は雨の音のようだと思った。
「なんかよく解らんが、悲しそうな楽だな」
はは、と鶯丸がおかしそうに笑い、正国に口を寄せた。
「これはなぁ、『禁じられた遊び』という芝居に付いていた楽だ。ぴったりだな?」
「なっ……」
「俺はあの芝居を見せてもらったが、たぬきは見ていなかったか」
あの遊びは確かに悪趣味だったなあるじ、あれを大包平が真似したらさすがに俺も禁じるな、鶯丸はにこにこと頬杖ついてお屋形様を見ている。
「なんだよそれ、どういう遊びだよ」
「葬式ごっこだ、童が飼い犬の墓を手始めにたくさん墓を立てて、自分たちだけの墓場を作る」
笑顔で告げられた鶯丸の言葉に、正国の喉が勝手に「うえっ」と音を立てた。確かにそれを短刀たちがやっていたら、正国も引くだろう。大包平がやっていたら……知らん。知らん奴のことは知らん。
「そんなのといくさを一緒にするな……」
「そうはいってもたぬき、その童が葬式ごっこを始めたのもいくさが原因なのだぞ」
「たぬきじゃねえっつってんだろ、ど、う、だ、ぬ、き、だ!」
議論を始めた刀剣たちの横で、お屋形様は「次は何にしようか」と呟きながら指の運動をしている。
刀剣たちが議論をはたと止めたのは、お屋形様が楽器を弾きながら、何やら異国の言葉で歌っていたからだ。
低く、呟くような声で、紡がれる異つ国の言葉。
「……なんだあ、そりゃ。どこの言葉だ?」
「
Hello darkness, my old friend, I've come to talk with you again
闇よ、わが友よ、今ひとたび語らん
Because a vision softly creeping, left its seeds while I was sleeping
幻は緩く忍び
And the vision that was planted in my brain, still remains
目裏に焼きついた幻は 未だ消えぬ
Within the sound of silence
「英語――
And in the naked light I saw, ten thousand people, maybe more
何千もの人の群れ 皓皓と照らさる
People talking without speaking,
語ることなく
people hearing without listening
耳澄ますことなく流され
People writing songs that voices never shared,
共に歌われること永久に無き歌を綴る者たち
and no one dared
誰も見当たらぬ
To stir the sound of silence
静寂の調べに身を任せる者など
合戦において武装を貫き断つことを追求した同田貫はそれゆえに、太平の世になり鎧兜を脱いだ武士には武骨な洗練されていない刀と評された。掌を返したように、見向きもされなくなった。
「同田貫正国、私はあなたを強く美しい刀だと知っている」
いつの間にか歌も、ギターの音色も止んでいた。
「戦うという機能を窮めた誇り高い剛の刀、それは何よりも自分自身で解っているだろう。世間の評価がどう振れようが、あなたの価値は変わりがない」
鶯丸がうんうん、と頷いている。
「世間の評価など、当てにはできん。現に修復される前の俺なんて、知らぬ者には『あの鶯太刀か』と期待され、姿を見た者には『見る価値もない』とすら言われた。それでも、俺を信じて病から救ってくれた人たちがいた。
お前も、お前が好きだと言ってくれる、お屋形様のような人たちがいる。世間の世迷言なんて気にするな、たぬき」
ああ、それもいつも言っているお決まりの文句じゃねぇか――
「うん、二煎目で悪いが、まあ飲め」
鶯丸がいつの間にか、茶を汲んでくれていた。この刀にしては随分気が利く、と思いながらすまん、と声に出すと、自分の声がなぜかしゃがれていた。
茶碗に伸ばした手に、水滴がひとつ、ふたつ。
「あ……?」
なんだ、これは。俺はどうかしてしまったのか。目から何か流れている。冷却水か。
「俺は……」
縋るようにお屋形様に目を向けると、お屋形様はひとつ、深く肯いた。
「大丈夫だ。あなたは刀であるが、今は、人の身を得た『刀剣男士』だ。人にしかできない『泣く』ということを、今覚えたんだよ」
人は、感情の昂りで自然と涙を溢すのだと、
悲しさのあまり、悔しさのあまり、怒りのあまり、喜びのあまりに、気を鎮めようと涙が出るのだと、
お屋形様の言葉に、また涙が零れた。
掌を返したように、美しくなければ価値が無いと、言われ続けたのが悔しかった。悲しかった。無用の長物と言われた時代にも、その刀の機能を突き詰めた武骨さこそが同田貫正国の良さだと、美だと、愛してくれた人はいたのに、気づいていなかった。
今、そのことがまた悔しい。
そして、愛してくれる人がいたことを知れた喜び。
今目の前に、同田貫正国の同田貫正国らしさを、愛してくれる人の一人がいる。
そのことへの感謝に、自然に
「お屋形様……俺を、折れるまで使ってくれ。それがお屋形様に……同田貫正国を見ていてくれた人たちに返せる、唯一の礼だ」
お屋形様に向き直り、両の拳を突いて深く頭を下げると、お屋形様はギターを置いて顎を撫でた。
「刀のままの同田貫正国に言われたらそうしたかも知れんが……今の正国は刀剣男士だからな」
正国が不穏な空気に顔を上げると、お屋形様がにやりと笑った。
「刀剣男士であるからには、手足があるんだから這ってでも戻ってこい。何度でも直してやろう。研いで研いで、紙みたいにぺらっぺらになるまで使い倒してやるから覚悟するんだな。なに、あなたのような剛刀が紙のようになる頃には、さすがにいくさも終わっているだろう」
早速だが、明日は晴れるらしいぞ。
「あ? ……それじゃあ、出陣できるのか」
お屋形様は強く肯いた。
「長篠に出てもらう。あなたにとっては新しい戦場だ。錬度を高めて来い。あなたはすぐ突っ込もうとするが、強い敵と当たるには狡すっからい手も覚えろ。脇差……そうだな、堀川国広をつけてやる。死ぬ気があるなら彼らの戦い方もよく見て来い。ぼうっとしてると堀川が誉を総なめにするぞ」
「お、おう」
出陣となったらお屋形様は各刀剣男士に結構な目標を課してくる。同じ刀種の他の男士が取る戦法は、得意不得意に限らずひとまず学習せよ。他の刀種の戦法を見て、取り入れろ。そういう理由があるから、お屋形様はあまり部隊を固定しない。
「あるじ。俺も出たいな」
鶯丸が、万屋にでも出かけるような気楽さで出陣を願う。お屋形様が、普段使っていない兵装を試すのであればと条件を付ける。いつもの柔和な笑顔に見えて、実は刃の如きぎらぎらとした炎を宿す目で頷く。普段どんなに鶯丸が縁側で茶を啜るばかりの爺に見えても、刀としての鶯丸が美術品としての価値ばかりを見出されても、その本性は紛うことなきいくさの道具だ。
「誉は俺が貰うぞ、たぬき」
すうと細められた目に自信を見てとり、正国は鼻息を荒くした。
「何言ってやがるじじい。俺こそがいくさの為に鍛えられた刀だってこと、見せてやる」
お屋形様が強く美しいと言ってくださったこの刃を、遠くあらん者は音に聞け。近くば寄って目にも見よ。
我があるじのように、静寂に身を置き、俺を使い、自らその価値を検めた者にこそ、この身が折れるまで仕えよう。