では。
空気を切ってうねり迫る『蛇』。
と見えた拳は、私に届くことはなかった。
既のところで顕現したランサーが、文字通りに私を掴んで放り投げたからだ。
軽々と投げられ、くるりと受け身を取って廊下に転がった時にはランサーの腕が相手の─────教師、葛木宗一郎の拳を受け止めていた。
「ランサー、捕縛を!」
「承知した」
どうして、とか、何故、とか。
息を整え『視た』、葛木先生に暗示の類はない。あるのは、精緻な術式で編まれた身体強化と防御の魔術のみ。
この襲撃は彼の意志によるものだ。
そして、彼にはサーヴァントの手によるものとひと目で看破できるほどの、巧みな魔術の加護がある。
その巧みさたるや、かなりの加減をしているとは言え無手のランサーが攻めきれない事実からもわかる。
拳足による打撃がほぼ完璧に吸収され、絞め技は先生本人の技量でするりと避けられていた。
暗殺拳─────初見殺しの殺法だった。
「ランサー、彼はアサシンと関わりがあります。魔術による不意打ちに警戒を!」
「わかった。おまえもな」
それでも、最後にはランサーが勝つだろう。根っからの武人だからこそだ。
ランサーからは相手を現代人の教師と侮る空気は欠片もない。初見殺しの拳だからどうにか拮抗している─────
だとするなら、警戒すべきは彼ではない。
……瞳を閉じて、私はそこで動きを止めた。
自らの呼吸音、血流、拍動等々の、生きるために必要な『音』を意識から排除して、気配を探る。
ランサーと教師の殴り合いの音すらも、排除して、取り除いて、澄み渡る湖面のような『意識』を形成して──────。
ィン、と湖面を震わせる『音』が来た。
刹那で手元に顕現した黒弓を、『音』に誘われるまま無心で背後へ向けて振り抜く。
手応えは─────あった。
目を開ける工程は踏まずに、弩弓となった黒弓を連射する。手応えのない感覚にやっと目を見開き、そこでようやく私は、『敵』を視た。
数メートル先、柱の根元に、刀身の曲がった短剣を握る黒衣を羽織った女性がいる。サーヴァントだ。
床に膝をついた彼女の周囲に、幾つも穴が空いているのは、障壁で己を守ったからだろう。
空間転移でこちらに不意打ちしようとしたところを弓で叩き飛ばされ、追撃の矢を魔術で防いだ、と言ったところか。
なるほど、と思考する。
この弓、サーヴァントにも割とまともに効果があるのだ。防御態勢を取らせる程度の強さがあれば十分だった。
しかし、武器の修復がぎりぎりで終わっていて助かった。
ゆらり、と立ち上がって弓に矢を番え、鏃を彼女に向ける。
「コルキスのメディア王女……ですか?」
「ッ!」
「良かった。当たっていましたか。私たちが接触していないのは、もう、あなた方の陣営だけでした」
恐らくは、アサシンはあの短剣を私に突き刺そうとしたのだろう。
殺傷にしては殺気のない行動であったから、何らかの魔術行使が目的と思われる。
「……どうでもいい、ですね」
マスターとサーヴァントが戦うのはイレギュラーだけれど、仕方ないだろう。
黒弓を構えて放ち、アサシンが呼び出しかけていた何らかの骨の使い魔を砕く。
「メディア王女の、骨の逸話……?」
疑問はあるけれど、手は勝手に動いて矢を番え、放つ。
空間を埋める矢はアサシンの障壁に阻まれて跳弾と化し、廊下の窓ガラスを砂糖菓子のように打ち砕いていく。
自分の手で、自分の学び舎を破壊するのに思うところがないではなかった。
蛍光灯も矢が破壊し、廊下が一気に薄暗く、茜色に染まる。雨霰のように降りしきるガラス片が夕日を照り返し赤くきらめく。
血の乱舞のようなガラスが妖しく光り輝き、こちらへ向きを変えて襲い掛かった。
そうか、それなら。
「全部、撃ち落とせば、いいですね」
一息に、幾本もの矢を魔力で生成し、放つ。
鏃或いは矢の軌跡に触れたガラス片は粉となって廊下に降り積もり、アサシンが息を呑む音が聞こえた。
「魔術師が、武器を手にするですって……!」
「己のマスターにサーヴァントの相手をさせているあなたが言いますか」
図星だったのか何なのか、気配を荒ぶらせたアサシンは詠唱を声高に唱えもせず魔術を解き放つ。廊下を埋め尽くす光弾はさすがに一息では消し切れない─────けれど、唐突に現れたランサーが踏み込み槍で切り払った。
叩き落としきれない部分はランサーの鎧が受け止め、こちらには一つも届かない。
「まだ無意味な争いを続けるか、黒海の王女よ」
煽りでないただの問いなのは、こちらにはわかったけれど、アサシンがどう思ったかはわからない。
ローブでほぼ隠れ、口元しかろくに見えない顔を歪めていた。
「ランサー、彼女のマスターは?」
「殺してはいない。だが、オレを狩るには足りんな。……己のマスターに前衛を任せるほど追い詰められながら、無辜の民を犠牲にオレたちを陥れなかった辺り、根の甘さが透けているぞ、アサシン。魔女よりも、王女に相応しい魂だ」
本心であるとはわかっていても、挑発すれすれに聞こえると内心思いながら、発言の底に透けているランサーの提案を汲み取ることにした。
当然、鏃はアサシンに向けたままだ。
「……ランサー、彼らを、この場で脱落させるには惜しいと言ってますか?」
「同意する。……おまえも、己の日常の一部たる教師を排除して良いのか?」
「聞き方が狡いです。良い訳ありません。そもそも、聖杯戦争のシステム自体が良い訳ないものなんですが?」
「では、聖杯戦争のシステム自体に介入し得る可能性がある有能な魔術師を、即排除するのは早計だろう。生憎オレたちの知る此度のキャスターは、突撃と献身を旨としているからな」
「……」
キャスターが聞いたら、わたしを猪娘と言いたいんですか!と憤慨しそうな意見だった。賛成だったけれど。
バゼット姐さんやセイバーとは、アサシンは優先して排除する方針で決めていたんだけど、とは思う。
土壇場で決断を変えさせようとするなと言う話だった。
────あの時は正規のキャスターがあの子になると知りもしなかったし、八騎目が来るなんて予想すらしていなかったのだが。
ランサーは、どこまでも淡々と岩に刻むように言葉を繋いでいた。
「街の民より魔力を徴集する外法も、あの男をマスターとしたならば納得だ。……彼は魔術師ではない。つまり、己のサーヴァントに必要な魔力を供給できない」
「だのに、アサシンは魂喰いに走らず生命を脅かさない程度の魔力の回収に留め、今回もこちらに対して人質等を取らなかった。だから、甘い、と?」
「そうだな。総合すれば、そこのアサシンは神話に刻まれた狂乱の魔女ではなく、理性ある巫女で王女の側面を保った現界と考えられる。どうだ?マスター」
どうだも何も。
ランサーとしては、大真面目にアサシンの助命を願っているつもりなのだろうが、本人を前にしてその精神を言葉で詳らかにしてもいる。
誠心誠意でやっているとはいえ、人によっては激怒ものだろう。誰が本心を他人の手で赤裸々に解体されたいのか。
「どうだも何も……これで戦闘続行できるほど私の肝は太くないし、どのみち葛木先生を五体満足で聖杯戦争から降ろすなら、アサシンと交渉する気でしたが」
セイバー陣営との調整は、うん、最悪泣き落としすればいいだろう。それに、私は葛木先生の授業が好きなのだ。少し、ランサーと物言いも似ているし。
その内心は読んでくれているのかいないのか、ランサーは浅く首肯した。
「そうか。マスターであるなら、片手を切り落としてもマスター権は奪えるのを、おまえも知っているな?」
「教師がチョークを握るのに必要な手を切り落とせと?」
あ。
しまった、素で応えてしまったと気がついた時には、ランサーはアサシンを見ていた。
「アサシン、聞いての通りだ。オレのマスターはこの通り、おまえと同じく根が甘い。人を誑す技量に至っては三流以下だ。魔術に対する深い見識を、こちらに貸す気はないか?」
「……」
「……」
思わず、アサシンと視線を合わせてしまった。
あなたのサーヴァントをどうにかしなさいと、咎められているような気分になって思わず身が縮む。
けれどランサーは、マスターに対してもこの歯に衣着せぬ物言いで、裏表がないのだとアサシンにも読み取れたらしい。
短剣からは手を離さないまま、彼女は立ち上がって転移した。私もランサーも、それは止めない。
ランサーによって壁に叩きつけられ、気絶している葛木先生の元へ現れて彼を持ち上げたアサシンは、こちらを見た。
「……いいでしょう。提案に一考の価値はあると認めます。ランサー、あなたは大方
「…………ん?」
「何?」
─────呪い、とは?
完全に意識の外から来た指摘に、思わず鏃と槍の穂先が下がる。
アサシンはアサシンで、困惑していたようだった。
手袋に覆われた指で、私を指す。
「その娘、呪われているのでしょう?相当古い呪いよ。私の生前にもあったような、神々の気配がするわ」
「え?」
「……知らなかったのね」
一気に、アサシンの気配が哀れみを帯びたものに変わった。
ああ、メディア王女も神々の呪いで苦労どころではない人生を歩まされたからなと冷静に判断する自分が現れる。
現れて、私は首を傾げた。
「私にはまったく自覚がないのですが、どういう意味ですか、アサシン」
「知りたければ、柳洞寺までやって来なさい。そこで教えてあげましょう」
「魔術師の領域に自ら踏み込めと言うか?」
「来なくてもいいのよ、神殺しの槍使い。けれど、私はメディア。コルキスの王女として、女神ヘカテに教えを受けた魔術師」
「……」
「今、この時代においてその呪いを解析できる者が私以外にいると思うの?」
いるわけないだろう。
しかし。
「アサシン、ソレは交渉材料にはなりませんが」
「……は?」
「その呪いがあったとて、私は今まで生きてきました。この先もそうでしょう」
聖杯戦争で危機に晒される大勢の街の人。
まったく自覚なく、呪いと共に育って来た私。
ぶれていた鏃が、元に戻った。
そんなもの、天秤にすら乗らない。
「先祖返りで、武器を魂から汲み上げて、十八になったら争いと共に生きると決まっているのが、私です。即ち、生まれた時から私は戦いの因果という呪いと共にある。……ええ、そうですね。神代から続く呪いとしたら、私たちの在り方がそうなったのにも、納得できました」
「は、はぁ?」
「理解しました。私たちの一族がこうなった始めに神々が関わっていたと、承知しました。……そしてそれを、人の手でどうにかしようとしてきたのが私たちです。よって、あなたの手は借りません。アサシン」
「あ、あなた正気なの!神々に呪われていると言っているのよ!」
「
そんな企みに、乗ったとして。
「ランサーから、まともな戦いの機会を奪われたくは、ありませんので」
「ランサーから?」
「そうです。何故だかわかりませんけれど、彼は私の平穏と生命を随分慮ってくれているようなので。それに応じるなら、私は彼の戦士の誇りを尊びます。脅かす可能性があるなら、断ります」
己を自害させろと私に要求した時点で、ランサーにとって彼自身の生命が優先事項でないのは、わかりきっているのだ。
私にはよくわからない価値観で、真似できない矜持で己を保つランサーが、何を望んでいるかは正直知らないのだ。
刺激が強いとかなんとか言って、結局、自分の過去の開示をしないランサーなので、こちらとて、やり方が手探りにもなる。
何か、あり得ないものでも見たように私を見ているアサシンの顔を狙っていた鏃を、今度は己の意志で下げた。
ふ、と少しだけ自然と頬が緩むのを感じる。
「……あなたは、私が見た中で最も真っ当に聖杯を欲していそうな人ですね、アサシン」
「どういう意味かしら?」
「私が今まで出会ったランサーも、セイバーも、キャスターも、そのマスターたちも、全員一様に聖杯に捧げる願いがないので」
サーヴァントの目的は三人順に言うとマスターの平穏維持、心躍る戦い、マスターの守護だし、マスターのほうも街の治安維持が二人に、純粋な闘争の勝利が一人。
全員が全員、聖杯に『何かをしてもらおう』とは思っていないのだ。
例外は、今のところひとりだけ。
「聖杯に願いを叶えさせようとしているのは、あなたで二人目ですよ、アサシン。存在しないはずの、八番目のイレギュラーサーヴァントが、聖杯を用いた願いの成就にご執心のようでした。今の器から聖杯を抜いて、私に埋め込んで降臨させたい様子でしたけど」
「……は?」
「私のように、神の呪いがかかった上神代の血が残る肉体に、英霊の魂を焚べた器を入れたら、最低最悪の
さっさと私が自害しておいたほうがいいんじゃないだろうかと思わないでもない。それほどの、厄災の気配がする。
確かなのは、あの黄金の英霊が本当にろくなコトを企んでないというコトだ。
「……」
「有益な情報に感謝します、アサシン。民を殺さず魔力を集め続けるあなたのところには、いずれバーサーカーかあの八番目が襲来するでしょう」
「……!」
「あなたの魔術の技量ならば、サーヴァントとマスターの契約にも干渉できるでしょうが、八番目は受肉すら果たしています。ご注意を」
鏃を、完全に下ろす。
再戦の空気ではないというか、どたばたと駆け付ける衛宮くんたちの気配は既にあるのだ。
あちらも、何某か修羅場ったかもしれない。
帰るなら帰ればいいと意を込めて窓の外を弓で指すと、アサシンはローブを翻し、葛木先生と共に消え去る。
すぐ振り返ったランサーと、目が合った。
「……」
「……」
目の奥が嵐みたいに揺れているランサーに、小首を傾げる。
「マスター、おまえは──────」
ランサーが口を開きかけた途端である。
どたばたどんどん、と階段を転がり降りてくる足音と共に、少年少女が現れた。
「ランサー、ハクヤ!今戦闘の気配が……って、廊下がめちゃくちゃだーーー!」
「何だこれ!!誰だこれをしたのは!」
「こんなに矢の痕だらけなら犯人は明白よ!キリキリ吐きなさい曙宇!」
キャスター、衛宮くん、凛の雪崩を打っての登場だった。
ごめんごめんと言いながら手元から弓を消す私に、ランサーとアーチャーの視線が注がれていた。
不意討ちルールブレイカーVS気配探知全力カウンターでした。