嵐のようだ、とキャスターは思う。
槍が振るわれるたび大地が抉られ、弓のただ一矢で轟音と共に崖が崩れる。
すわ敵襲か、と野営地から走り出て来た兵士たちに、キャスターは近付いては駄目だと叫んで空を舞う岩を風の呪術で彼らから離れたところへ落とし、叩き付けられるだけで彼らの喉を焼くだろう熱風を水の呪術で緩和する。
悪意などなく、宝具の開帳すらしていなくても、余波だけで人を殺めかねない破壊の嵐が神話の戦いというものである。
キャスターの生きていた神代の頃の兵ならいざ知らず、神秘を纏わず銃と機械で武装したこの時代の兵では一溜まりもない。
「死にたくないなら、ここに来ては行けません!野営地に戻っていてください!」
投石機のように飛ぶ岩を砕きながら怒鳴れば、兵士たちは一目散に駆け去っていった。
これでひとまず彼らが巻き込まれることはないだろう。
戦いの始まった瞬間に全力で飛びすさって距離を取ったキャスターにも、何が起きているかを目で追うだけで精一杯だ。
槍兵と弓兵。
普通なら懐に入られた弓兵が槍兵に勝てる道理はない。冬木で戦ったサーヴァントの中には、剣を使うアーチャーという例外はいたが、アルジュナの獲物はいかに優れているとはいえ、神弓ガーンディーヴァのみだ。
それなのに勝負の決着はなかなかつかない。アルジュナの技量がそれだけ優れているからだ。
槍が矢を撃ち落とし、槍に切り払われた矢は地で爆ぜて大地を大きく削る。
宙に飛び上がってアルジュナが無数の矢を放てば、地に立つカルナが大槍の腹で打ち返す。
地を走り宙を駆け、破壊を生み出しながら戦う二人の表情は紛れもない歓喜のそれである。
再びアルジュナが、ガーンディーヴァで空が暗くなるほどの矢の雨を降らす。千の軍勢すらも倒すだろう矢を迎え撃つカルナは小揺るぎもせず、矢の隙間を走り抜けアルジュナへと斬りかかった。
喉元めがけて伸びてくる槍を、アルジュナはガーンディーヴァで受け止め、甲高い音と共に火花が散る。
一撃でもまともに当たれば、常人なら消し飛ばされかねない攻撃を撃ち合いながらやはり二人は紛れもなく、命のやり取りをを楽しんでいた。
―――――これこそが宿願、これこそ我らが望み。幾千幾百の年月を経て掴んだ、この幸運!
すでに二人の意識は、神代のあの戦いへと戻ってしまっているのだろう。
キャスターには戦いに手を出す気はなかった。戦いの最後に立っているのが例えどちらであっても、動きそうになる自分の手を自分で押さえつけてでも。他の相手との戦いならともかく、こればかりは生前から続くカルナだけの因縁である。
武人同士のぶつかり合いに癒し手の出る幕はない。役目があるなら、それは戦いの前と後だ。
何より、ああも心躍らせている彼らに水は差せない。自分が蚊帳の外に置かれているという気がしないではないし、彼らの見ている世界が自分には見えないことに思うところが無いではないのだけれど、それでもキャスターは戦場を見守ることを選択した。
戦いから逃げずに最後まで見届ける。
それが生前から続くキャスターの役目で、生前、自分一人で自分の命を使いつくして果てた彼女が全うできなかったことだった。
見つめるキャスターの前で戦いは動く、動き続ける。止まることはない。
が、勝負は徐々に一方に傾き始めた。
矢がカルナの頬を掠めて血が飛ぶが傷はたちどころに癒え、逆にアルジュナの傷は癒えず、徐々に傷が刻まれていく。
―――――次第にアルジュナが押され始めた。
奪われることでのみ攻略された不死の守りを与える黄金の鎧と神の槍。その二つを今のカルナは同時に所持している。
加えて、騎兵ではなく弓のサーヴァントとして顕現しているアルジュナはかつてのように戦車を駆っているわけではない。
やがて、そのときが訪れる。
カルナの槍がアルジュナの肩を切り裂いて血が吹き出し、アルジュナの顔が歪む。
それでもアルジュナはカルナの腹を蹴り飛ばして、距離を取った。
双方の動きが止まる。
アルジュナの周りに、周囲一体の魔力が吸い寄せられていくのを、キャスターは感じた。
キャスターの束ねられた黒髪が風に舞い、彼女が身に纏う灰色の布がはためく。
宝具を開帳する気なのだと思う端から、ガーンディーヴァがアルジュナの手元から消え失せ、代わりに白い光が集まっていく。
カルナもそれを悟ったのかこちらも台風の眼のように魔力を吸い集め出す。
終にそれらはほぼ同時に放たれた。
「破壊神の――――」
「梵天よ―――――」
叩き付けられる爆風を全身で感じながら、キャスターはその場に踏みとどまった。
通信機から某か音がしている気もしたが、あえて聞き飛ばす。
「――――手翳!」
「――――我を呪え!」
世界を七度滅ぼせる力を持つ神造宝具と、炎熱を纏って放たれた神の槍が正面からぶつかり合う。
凄まじいエネルギーを孕んだ二つの光は数秒拮抗し、その余波だけで周囲が消し飛んだ。
炎熱に対しては、高い耐性を持つキャスターすら肌が焼けるような熱さを感じ腕で顔を守る。次の瞬間には彼女も吹き飛ばされて足が浮いたが、風の呪術で何とかその場に止まる。
結論から言えば、ほぼ同時に同じ威力で放たれた宝具同士の衝突は、お互いを相殺しあい、決定打にはならなかった。
槍は空へとはね上げられ、アルジュナの手には再び光が集まってガーンディーヴァの形を取り始める。
そうはさせじと槍を手に取り戻したカルナが疾駆し、アルジュナは未だ形が朧なガーンディーヴァを構えた。
槍兵が走り、弓兵が迎え撃つ。
交差は一瞬で、そしてその一瞬ですべてが決していた。
戦いの終わりが訪れた。
アルジュナの矢はカルナの首筋を深く切り裂きはしたが、致命傷には至っていない。黄金の鎧の治癒の守りがカルナを癒すだろう。
対してカルナの槍はアルジュナの霊核たる心臓を穿っていた。キャスターの宝具にも完全に破壊された霊核を治す力はない。
槍兵は残り、弓兵は敗れて消える。
それが時と空間の果てに起こった、二度目の戦いの決着だった。
すでに、アルジュナの体は端から金色の光の粒子となってほどけ始めていた。だがその表情は一種の清々しさを湛えていた。
「なるほど、これが決着か。望んだままに戦い、負けるとはな」
額に手を当て、アルジュナは高い空を仰ぎ見た。
「何だろうな。―――――奇妙な気分だ。私の望みは叶ったが完全に満たされたわけではない」
負けたことは悔しい。だが悪くはない。
もう二度と、このような機会はないだろうが、それでも得られるものがなかった訳ではない、そうアルジュナは言った。
その間も崩壊は進む。金色の粒子の流出は止まらない。
間もなく、授かりの英雄はこの地を去るだろう。
「カルナ、一つ聞かせろ」
「何だ?」
「あの呪術師、彼女はお前の妻と名乗っていたが、それは本当か?」
彼女はアルジュナを透かし見たように、『私たちを殺めてでも』と言った。
あのときは、戦場に立たなかっただろう脆い少女が、よく知りもしないはずの己を見透かしたような物言いをしたことに激情を感じたが、今はそれが気にかかった。
脆弱な身で大英雄を見据えてあれだけの啖呵を切り、紛れもなく戦士の持つ殺気を放って、宝具を発動しかけていた何とも物騒な術師。
そんな少女が宿敵の妻として存在したなら、名くらい覚えていてもおかしくはない。だがアルジュナは彼女のことを覚えていなかった。
「……そうか。お前の記憶もか」
「?」
「いや何でもない。お前の問いには是と答えよう。確かに彼女は妻だ。死してからも探していた、オレの家族だ」
「つまり、貴様は妻が見ている前で戦っていたわけか」
「そうだ。始めに言った。オレにも願いはあり、敗北のために戦うことはないとな」
半ば消えかけたまま、アルジュナが顔をしかめた。苦笑したようにも見えた。
長年探し求めた妻の目の前で宿敵と戦うとは、さぞ負けられない戦いだったろう。
積年の願いというなら、自らの想いとてその重みは変わらないとアルジュナは自負している。それを譲るつもりはない。
ただ、自分は己一人のためにだけ戦い、この能面のような表情の宿敵は己のためだけではなく、もう一人の守るべき者のために戦った。
勝敗を分けた差があるとするなら、あるいは、その重み故か。
それは対等に戦ったからこそ見えた一つの答えだったかもしれない。しかし、アルジュナはそれを告げるつもりはなかった。
この宿敵にそこまでしてやる義理はない。
「貴様は――――――――」
金色の粒子に還った英雄の言葉は消える。後には何も残らず、ただ風が吹いていた。
ざく、と後ろで砂を踏み締める音がした。
カルナはその音で振り返る。
風に黒髪をなびかせ青い瞳をした灰色の術師が、そこにいた。
「終わったのですか?」
「ああ」
キャスターはざくざくと地を踏みしめ、カルナの前に立つ。
一秒、二秒、と無言の時間が流れ空のどこかで鳥が鳴いた。
「……すみません。どうも感情が振り切れてしまったようです。上手く言葉が出てきません」
ややあって、キャスターが口を開いた。
本気で困っているらしく胸の前で手を握り締めていた。
とりあえず傷を治します、と言ったキャスターの手から放たれた橙色の焔がカルナの傷に絡み付き、元から鎧の効果で修復されつつあった傷は一瞬で消えた。
「気にするな。オレもお前に会えたら言いたいことがあったのだが、上手く思い出せん。言葉もない、というやつだ」
ただ一つこれだけは先に言っておく、とカルナは続けた。
「お前と、また会えて良かった」
ぽん、とカルナの手がキャスターの頭に乗せられる。キャスターの瞼が潤み手で口元を押さえる。
「それはこちらも同じです、カルナ」
少し震える声で答え、頭に乗せられた手をキャスターはさりげなく外して微笑んだ。
けれど、一呼吸の後にはキャスターの口調も潤んでいた瞳も泉が枯れたようにたちまち元に戻る。
「積もる話はあるが、今はそういう状況では無いのだ。共に来てくれ」
「わかりました。」
キャスターが頷きかけたところで、ふいに懐で通信機が音を立てた。
すっかり忘れていました、とキャスターは呟いて懐からそれを取り出した。
『もしもしカルナ?何かすごい魔力反応が記録されてるんだけど、何がどうなってるんだ!?』
ん、とキャスターが首をかしげた。
「その声、もしやドクターさんですか?」
『あれ?そういう君は冬木のキャスターちゃんかい!?』
「ええ。お久しぶりです。カルデアのドクターさん」
『良かった!再会できたんだね!カルナ、おめでとう!』
「……感謝する」
微妙に通信機から目をそらしながら答えるカルナと苦笑するキャスター。
それからキャスターは、ドクターから白斗たちの状況を聞いた。
カルナと別れた後、セイバーとランサーを探す白斗たちは、ランサーのエリザベート・バートリ、セイバーのネロ・クラウディウスを味方に引き入れることに成功した。
その過程で交戦したケルトのサーヴァント、フェルグス・マック・ロイから、白斗たちはシータがアルカトラズ島に囚われていることを知る。
白斗たちは今、ケルトの王と女王を暗殺する部隊と、ゲイ・ボルクの呪いを受けたラーマを快癒させるための部隊とに別れて行動しているということだった。
「事情は分かりました。ラーマさんの治癒のために私の宝具と、シータが必要なのですね」
『うん。白斗くんたちは今、シータが囚われているというアルカトラズに向かっている。だから君たちも急いでそこへ向かって欲しい。あ、それと君たちの周辺から大量の敵性反応が出てるんだが』
ドクターに言われ、キャスターは後ろを振り返った。抉れ吹き飛び、大穴が数多穿たれた大地を越えて、機械化兵たちが野営地の方から押し寄せてきていた。
恐らく戦いの音が止んだために偵察に来たのだろう。それにしては物々しい装備で、日の光を受けて光る銃口はどう見てもカルナとキャスターに定められていた。
人的被害こそ出していないが、野営地の近辺で地形が変わりかけるほどの凄まじい破壊をまき散らした相手への対処としては当たり前であった。
『離脱できるようなら、そこからすぐ離脱してくれ。ラーマの傷の具合はあまり余裕がないようだから』
「分かりました」
「了解した。アルカトラズへ向かう」
アメリカの西部にある監獄島、アルカトラズ。そこに行くには大陸の約半分を踏破しなければならないのだが、二人は何の躊躇いもなく頷く。
キャスターは内心でシータの消息が分かったことに大いに安堵もしていた。
『あ、そうだ。さっきの大規模な魔力反応は何だったんだい?』
「アルジュナと互いに宝具を開帳して交戦した。魔力反応は恐らくそれだろう」
『アルジュナ!?え、マハーバーラタのあのアルジュナ?』
「そうだが?」
通信機の向こうが沈黙した。
『で、君たちは無事なのかい!?』
「戦闘には勝った。問題はない」
『そ、そうなんだ』
あまりに平坦に返されドクターはどう答えてよいのやら戸惑っているようだった。
「ドクターさん、その辺りはまた後で報告します。こちらがアルカトラズ島へ向かうことをマスターたちへ伝えてもらえませんか?」
『うん。分かったよ』
それきり通信は切れ、キャスターは通信機を仕舞う。
二人は全速力で走り出した。サーヴァントが本気で走れば、機械化兵でも追いつくことはできない。
「アルジュナ様は満足されたのでしょうか?」
走る合間にキャスターがぽつりと呟いた。足を止めずに前を向いたままカルナが答える。
「それは奴にしか分からないだろう。オレやお前が、奴の心情を推し量って何かを言うことは欺瞞にしかなるまい」
キャスターは無言で頷いた。
彼女も薄々は分かっていた。先ほどの戦いは本当の本気で行われたものではない。あの場で
何もかもを滅ぼしかねないほどの威力で、アルジュナは宝具を撃たなかったのだ。守るために英雄となった故だったのかもしれない。
それに、神代の頃と同じ力を振るえる戦いなど、行えることはもうないだろう。めぐり合いの問題ではなく、死者となってサーヴァントとしての『枠』に縛られる存在になっている以上、生前と同じ力は十全には振るえない。
あるがままの力を振るえるのは、生きている英雄だけだ。ほとんどのサーヴァントは、死によって『座』というシステムに束縛されている。生き死にの区別はそれだけ重い。
ではカルナは満足したのか、という問いを彼女は口に出さなかった。それこそ余計な質問だ。
「そう言えば聞いていなかったが、何故お前とアルジュナは睨み合っていたのだ?」
「……意見の不一致、です」
「意見の不一致は分かるがみだりに宝具は撃つな。あの宝具、あれはお前の命を燃やして使うものだろう」
う、とキャスターが視線をそらした。図星だったからだ。
「やはりか。冬木の記録を見たがあそこでもあれを何度か使っていただろう。あまり無茶ばかりするな」
「無茶をするなという言葉、あなたにだけは絶ッ対に言われたくないのですが」
「む、そうか?」
意外だ、という風に首を捻るカルナを見て、ああもうこの人は、とキャスターは走りながら器用に頭を抱えた。
しかし、こんなやり取りも何時ぶりだろうとキャスターは考えてすぐやめた。五千年も三千年も一秒も一瞬も、過ぎてしまえばどれだけ永かろうが同じだ。今はただ、また会えた幸運に感謝していたかった。
「カルナ、あなたは今はカルデアのマスター、白斗さんと契約しているのですか?」
「ああ。お前も冬木で仮契約していたな」
「はい」
実質的には、白斗がキャスターの初めてのマスターだ。冬木でキャスターを呼び出した魔術師もいるにはいたが、サーヴァントとしてろくに行動する前にあの異常が起きたのだから。
「初めてということは、お前は聖杯戦争などで呼び出されたことはないのか」
「覚えている限りではありません」
ふるふるとキャスターは首を振った。
「カルナはあるのですか?」
「聖杯戦争に参じたことなら何度かな」
感情を露にすることなく、淡々とキャスターとカルナは話し続けた。
離れていた時を埋めるように糸で布を織っていくように言葉を紡ぐ。
「冬木の聖杯戦争は中途から狂ってしまいましたが、最後の勝者には聖杯が与えられるんでしたね」
「万能の願望器とも言われているがな。お前も興味があるのか?」
「興味本位でいいならあります」
使いたいとは欠片も思っていなさそうな口調でキャスターは言い、そういうあなたはどうなのか、とカルナに尋ねた。
「無いわけではなかった。が、今はいい」
「え?」
「聖杯にはお前の行方を尋ねようかと思っていた。だがこうして会えた。だからもう必要はない」
その言葉を聞いて。
キャスターが、胸を叩かれたように一瞬足を止めた。
「……どうした?」
「いえ、何でも。何でもありません」
震える声でキャスターが答え、二人の間にしばらく無言の時間が流れた。
「カルナ、私には後で聞いて欲しいコトがあります。長くなるかもしれませんが、聞いてくれますか?」
「聞こう。どれほど長くてもな」
だが今はマスターに先に合流しよう、とカルナが言い、分かっていますよ、とキャスターは元の声音に戻って肩をすくめて言って、さらに足を早めた。
夕焼けの中、二つの影が飛ぶように西へ西へと大地を駆けて行った。
戦闘は避けられずに、槍兵だけが北米の大地に残りました。
……魔神柱いますが。
あと、感想なのですが、全て読ませて頂いていますし、大変感謝しているのですが、現状、感想返しに時間をかけすぎて本編を書くのに時間が取れない事態になりかねないのです。
それはかえって読者の方に失礼な話だと思いまして。
なので、勝手ながら感想返しを当分は停止させて頂きます。
ご理解下さるようお願いします。