では。
冬木の教会は、白矢曙宇という少女にとって兎に角立ち入りたくない鬼門だったらしい。
今まで一度も足を向けず、当然そこの神父とも教会で顔を合わせたことはない。
それでも言峰綺礼を知っていたのは、町中の中華店で出くわしたことがあるからで、要するに完全な偶然だったそうだ。
「辛い料理を食べたくなった時に入る店で何回か見かけてたんだよ。知らない?中華料理屋の、泰山ってとこの麻婆豆腐」
「前に夏夜さんに奢ってもらったコトがある。……あれ、おまえも食べるのか?」
「好きなインド料理屋が閉まってる時に辛い物が食べたくなったら行くよ。うちは皆スパイスが好きだし」
スパイスがどうとかいうレベルなのか、あの赤黒いマグマの塊みたいなナニカは。下手をすると同い年ぐらいの少女に見えるほど若い見た目の某母親は、向日葵のような笑顔で食べていたが。
と思えど、衛宮士郎は黙っていることにした。
尚、カレーの本場インド出身だろう英雄はと言えば、涼しい顔で前だけを見ていた。
「……香辛料の効いた料理は、早々口にできるものでもなかった。塩があればいいが、それも手に入らないのは珍しくなかった」
「話聞いてたのかよ。ていうか、ランサーだって王様だったんじゃないのか?どっかの国の王様になってたってキャスターが言ってたぞ」
「あれは、あの場では必要な肩書きだっただけだ。軍の指揮ならできるだろうが、王をするなら、せめて請われれば与える誓いはどうにかしないと民が飢えると止められた」
「……」「……」「……」
「人間は万民にあたたかさを与える太陽ではない。己の民以外は飢え死にさせても構わないと言い切れないなら、ドゥリーヨダナの選んだ者に統治させたほうが民が暮らせる、オレが向いているのは国を護る弓と剣だと忠告されたゆえ、その通りにした」
「忠告って、誰に?」
黙っていたら無表情で、口を開けば悪意のない毒舌が飛んでくるこの英雄の生前ともなったら、もっと迫力があったんじゃなかろうか。
でもそこで忠告だと捉えて真面目に考えたのなら、ランサー・カルナはやはり思慮深かったのだろう。
そんな英雄はと言えば、しらりと続けていた。
「妻だな。事実、オレは請われて家を解体したからあの忠告は正しかったのだろう。オレは平時には役に立たん無骨者だ」
これに、奮然と顔を上げたのはキャスターだった。
「奥方様にめちゃくちゃ苦労させてませんかねそれは!ねぇハクヤ!」
「何でみんなして私に奥方の話を振るのかな?マスターだから?……確かに、家を解体するのはどうかと思うし、王様がそんなのは問題だと思うけど。だって、自分のものを請われたら与えると言うなら、自分の妻も請われたら与えられるってコトじゃないんですか?実際、パーンダヴァは骰子賭博で大負けして奥方を巻き上げられてませんでした?高貴な姫君だろうと、夫の失策で財産として取り扱われたんでしょう?」
「あっ!」
「……」
声を出したキャスターと薄っすら固まったランサーは気にしないふうに、白矢は続ける。
「人に請われたら自分のものを与える誓いの危うさ怖さを、奥方は一番身に沁みてわかっていたんじゃないですか?死活問題なんですから。知りませんけど」
「待てよ。奥さんは奥さん自身のものじゃないのか?」
うーん、と黒い髪に青い瞳の少女は困り顔で首を傾げた。
「何千年も前なら、妻は基本夫のものだからね。今の価値観でのいい悪いじゃなくて、当時は普通だったと思うよ。その分夫に守ってもらえるはずなんだけど、肝心の夫が賭博狂いだの財産管理がザルだのだと……まぁ……うん……」
「……それはオレも感じていたから、妻はオレのものではないと言っていた。彼女を所有できるのは彼女自身だろう」
「なら、社会的にどこに属している人間なのか不透明で一番大変なのでは?奥方は大丈夫だったんでしょうか?……あ、でもドゥリーヨダナ王子へ薬を作っていたんでしたか?王族相手に薬師の仕事をしていたなら、そこは保証されてたんですね」
「……」
「何にせよ、ガルギー・ヴァーチャナクヴィーよりもずっとずっと前なら色々あったんでしょう。今の私にはよくわからない色々が」
むごい。
何がむごいってこの少女、一ミリも悪意や意地悪はなく、ただ自分の所見を正直に述べているだけらしいのだ。
あかいあくまのようないじめっ子ではない、暴風のような天然ゆえの破壊力が場を焼き払ってぺんぺん草も残さない勢いだった。シンプルに酷い。
ランサーは元々無表情ながら顔が凍っているし、キャスターすらもうお手上げだとばかりに明後日の方向を向いていた。
どこまでも淡々とした少女は、道の先に現れた神の家の証、十字架を指さしていた。
清らかであるべき教会で、間桐慎二はサーヴァントを手に入れていた。正確には、手に入れたと思い込まされ、謀られていたのだ。
「教会が視えました。ランサー、霊体化をお願いします」
「何かあればすぐに撤退だ。忘れるな」
「わかってます。でも、あなたの気配は潜入に向いてませんから」
ふわりと光の粒子になり、ランサーの姿は消えた。キャスターも、杖を掲げて呪文を唱えていた。
「潜入はあんまり経験がないですが、隠れる方法は持ってますので!」
「そうみたいだけど、今の呪文、こっち……というか、インド寄り?」
「ちょっと前にそっちの魔術を教えてくれた人がいまして。マーリン魔術ならぬ、
やはりどこかでインドと繋がりがあったと思しいブリテンのキャスターに、白矢曙宇は小さく笑っていた。
その笑顔のまま、ひょいと教会の門を飛び越えて内側から鍵を外す。
「言峰神父、中にはいないよ」
「ああ。急ごう」
間桐慎二から死臭がすると、白矢は弓を手に取った。だが、その臭いの大元は彼ではなく、彼がつい先ほどまでいた教会から来ていたと言うのだ。
だからこうして、白昼に侵入している。
キャスターを召喚したあの夜以来、一度も足を踏み入れなかった教会は静かに扉を開いていた。
最も大きな礼拝堂の、さらに奥へ踏み込みながら、白矢はぽつりと言う。
「孤児院」
「ん?」
「ここ、孤児院があるって聞いたコトがある。冬木のあの火災でそうなった子どもたちの、受け入れ先」
「……ああ。けど、俺は来たコトなかった。俺は……俺には、切嗣がいたから。ここは、避けてたんだ」
もしも、あの日同じ病室にいる彼らと再会するなら、それは、街や雑踏の中で、すれ違うぐらいがよかった。
自分は、衛宮切嗣という人間が迎えに来てくれたのだから。
でも、と今思う。
唐突に、予感が頭を掠めた。
ぐる、と意識が蠢いた。
─────自分はあれから、あの日の彼らを、ひとりでも、
白矢が鍵で封じられた奥の扉を開ける音で、我に返る。
教会の正面にあるあの広々とした礼拝堂ではない小さく薄暗い部屋の空気に、どうしてかあの黒衣の聖職者が重なった。
■■士郎の何もかもを燃やした大火災の原因が、聖杯戦争にあると、神父は告げてきた。
だから、衛宮士郎は戦うと決めたのだ。
二度と、あんな災害を引き起こすわけには行かなかったから。
黒い髪の少女は、今度は小さな弓を手にし前だけを見ていた。青い瞳が見つめているのは、奥の、さらに奥にある隠されるようにして存在する扉だった。
「私も、来たコトない。私は、病院に母さんと姉さんが迎えに来てくれたから。でも、病院にいた子どもたちは覚えてる。だって私も、ほんの少しだけどあそこにいたから」
「待ってくれ!白矢、おまえ、あの火事の時にいたのか?」
「いたよ。ちゃんと言ってなかったっけ?」
石畳の上で音も立てずに振り返り、少女は言った。
微かに燐光を放つ青い瞳は、何を見透かしているかも定かではない。
「私は父が亡くなった。火の中にいた私を助けて、死んでしまった」
「……」
「魔術師だったけど、父さんは星から時間の流れを覗く魔術を使うだけで、全然強くなんてなかった。何で、あんな夜にあそこにいたんだろうね」
「占星術師だったんですか?」
「うん、そう。
箱に仕舞い込んだ宝物を見せるように、ぽつぽつと白矢は話した。
それは、聖杯戦争がなければ今も続いていただろう、家族の形だった。奪われていい理由などない、当然の幸せだった。
「白矢」
「ん?」
「ランサーにその話、したのか?」
「家族の話?……したよ。というかうちのアルバム、あちこちで見てたみたいだし、蔵を勝手に探して鳥の的を持ち出すし」
「イリヤスフィールみたいだな。……ランサーは復讐なんてしそうにないけど」
「そうだよね。……でも、私はそうじゃないな。憎いものは、憎いままだ」
少女はそのまま、弓に矢を番えて扉の蝶番を撃ち抜いた。流水のように無駄のない滑らかな動きだった。
内側に向かって倒れ込む扉にも矢を放ち、床に届く前に木片に変えるとその奥に広がる暗闇へ脚を向ける。
─────闇が、手招いている。
引き返せ、と。
前へ進め、と。
二つの声が頭の中で木霊する。
「シロウ?」
隣で、静かな声がした。
杖を構えて、隣に立ってくれているサーヴァントの少女が。
アーチャーやランサー、バーサーカーのような英雄たちとは、どこまでもかけ離れているキャスターは、きっと本当に、女の子なのだろう。
自分が逃げたら、別の誰かが犠牲になるのが怖くて、逃げないだけの普通の女の子。
彼女は、白矢曙宇という少女をそう表したが、あれはきっと自分も同じだったからではないのだろうか。
だったら、逃げるわけには行かなかった。
「悪い、キャスター。行こう。……俺はここから、逃げたら駄目なんだ」
「……わかりました。でも、わたしの側から離れないでくださいね」
「私からは何かあったら離れなよ?手加減できずに弓を撃ちまくるかもしれないから」
「台無しだぞハクヤァ!これだからインドは!」
「あはは」
「おまえらなぁ……」
その辺りにいるランサーが、薄っすら困っていないだろうか。
でもきっとこのやり取りも、少しでも今から見る光景に耐えられるようにするためだろう。その予感はあったし、二人の気遣いがわからないほど鈍くはないつもりはあった。
大丈夫とは言えないけれど、足を折らない覚悟は、できた。
うん、と弓の少女は頷いて、暗闇の奥へ消える。その後を、見失わないように追いかける。
進んで、進んで、進、んで─────。
──────そうして、見覚えのある地獄に辿り着く。
日の光は決して届かない地下の奥深く、黴と水の気配が巣食った空間に横たえられた、『誰か』がいた。
頭と胴体だけを残し、手足は枯れ木の如く痩せ衰えた屍としか見えない『人間』たちが、生きていた。
闇の奥にいたのは、生かされていたのは、そういう『彼ら』だった。
「……は?」
あく、と戦慄いた口から音が漏れる。
衛宮士郎より先にその光景を─────生きる死体を目の当たりにしていた少女は、青い瞳で振り返った。
真っ直ぐに、衛宮士郎をその瞳が射抜く。
「…………この皆が誰かを、わたしたちは、知っている。私たちだけは、知っているはずだ。だってきみは、
「なん、だって……?」
「わからない?一度も、彼らを見たコトがない?」
暗闇の中、あらゆるモノを見抜く瞳が熾火のように揺らめく。燐光を宿す蒼い瞳が、こちらを見ていた。
不知火のような、人魂のような光を覗き込んでいると、次第に記憶から像が形作られる。
あの火災の後、衛宮切嗣が■■士郎を迎えに来るまでの僅かな時間、同じ病室にいた『彼ら』。
あの子どもたちと、目の前にいるこの彼らの顔が、面影が、重なる。
重なって、しまった。
「な、んで……」
ぽつり、と落ちた声を。
傍らの少女が掬い上げる。
「シロウ、彼らは生命と魂を、吸われています。……そういうコトをする存在を、あなたはもう知っている」
ああ、と。
揺蕩う脳が思考を巡らせる。
魂を、苦痛を、吸い上げて己の糧とする超常の存在を、確かに衛宮士郎は、既に知っていた。
「……サーヴァントの、魂喰い」
うん、とキャスターが青褪めた顔で頷いた。
ゆらり、と弓の少女は既に前を向いていた。風に吹かれる柳の枝のようだった。
無言で構えられた弓には、幾本もの魔力の矢が番えられている。
あの夜、間桐桜に矢を向けたときと同じ、静謐にして冷徹な気配を肌に感じた。
「白矢、何、を……」
「彼らを自由にする。……元にはもう、戻れないから。魂が欠けて、無い。聖杯でも、魔法使いでも、もう戻せない。……それなら、彼らの家族がいるのと同じ場所に送る」
自由にする。
この苗床から解き放つ。
家族のいる場所へ送る。
それの意味するところは、一つだけだ。
「白矢、待─────」
「待て」
弓を掴み、鏃を下げる手があった。
幽鬼のような姿が闇を引き裂いて現れ、黄金の鎧の輝きが暗闇を僅かなりとも追いやる。
現れた槍兵は、静かに己の主を見下ろしていた。
「蟲の翁の時とは訳が違う。それを放てば、彼らの中の己ごと撃つことになる。そうなれば、おまえは真の意味で人を殺すだろう」
「わかっています。でも、誰かがやらないと」
「そうか。ならばオレでもよかろう」
ふ、と。
ランサーが、広げた己の手のひらに息を吹きかける。
解き放たれたのは、炎の矢だった。蛇のように滑らかに宙を飛び、一人一人の喉元に突き刺さり、瞬時に首が落ちる。
熟れた果実が木から離れるように首は一人残らず胴から分かたれ、二つになった身体に蝋燭のように火が移った。
薄暗い地下を、炎が赫々と照らす。穢れた空間に、太陽の陽光が広がって照らし、燃やしていく。
太陽神の子は、黄金の具足の音を鳴らして踵を返した。
「出るぞ、此処には何もない」
「ランサー……」
「出る。行くぞ、マスター」
少女の手から弓を取り上げ、ランサーはその腕を掴んだ。
地上への階段へ足を向けるランサーに、迷いはなかった。手から弓を取り上げられた白矢も、何も言わない。俯いた横顔を、黒い髪が隠していた。
衛宮士郎は、動けなかった。
足から根が生えたように、踏み出せない。
炎の中で人の形を失い、ほろほろと灰になっていく彼らから目が離せなかった。
「シロウ」
氷のようになった手の中に、そっとあたたかい手が滑り込んできた。
「シロウ、行きましょう。……帰ろうよ、あの家に。待ってるひとが、いるんだから」
「……」
頷く。
首を縦に、微かに振る。
それだけしかできないのに、キャスターはすべてを読んだように手を握ってくれていた。
生前
カルナ「という訳だ。知恵を借りたい」
ドゥリーヨダナ「じゃあわし様の薬師にするぞ!」
主人公「ご随意に(外での仕事は好きだしカルナの誓いは守れるな、ヨシ)」
カルナ「(精霊が関わる危うい仕事も割り当てるつもりだろうが、オレを同行させる意志もあるな)感謝する」
アシュヴァッターマン「おまえら本当にそれでいいのか」
賭博ボロ負けパーンダヴァ「あの野郎己の妻を家で守らずに外で何させてんだ」
大体こんなんです。双方現場猫。
カルナ抜きでもドゥリーヨダナに命令されてあちこち行っていた理由はこれ。