では。
『マハーバーラタ』。
それは、数千年前の物語だと言う。
善であれ、悪であれと神によって定められた人々の、争いの物語。
人々が武器を取り、肉親同士が殺し合い、大地に幾千幾万の屍を積み上げ幕を閉じた、戦いの物語。
最後の戦い、クルクシェートラに集った戦士たちは、いずれも一騎当千。
その中尚、大英雄と語られる者がいる。
『彼』の戦いの激しさは、衛宮士郎の想像を越えていた。
轟音と共に、地上に降臨した太陽が壮麗な石造りの城を焼き、融かして行く。
既に吹き飛んでいた屋根から火柱が吹き上がり、そこから黒の巨人と黄金の英霊、大槍を携えた戦士が現れた。
バーサーカー、ヘラクレス。
アーチャー、ギルガメッシュ。
そしてランサー、カルナ。
彼らの戦いは、最早人の範疇のそれではない。
人の形をし、人の技を振るう、天の災いに等しかった。
城が崩れ、大地が裂け、天が猛り、炎が奔る。
バーサーカーとランサーの初戦など、ただの腕試しに過ぎなかったのだ。
炎を纏ったランサーの槍がギルガメッシュの立つ場を焼き払い、ギルガメッシュの放つ宝具はバーサーカーの斧剣に打ち払われ城を砕き、バーサーカーの突進はギルガメッシュが召喚する盾に阻まれても大地を割る。
一瞬ごとに土地の形を容赦なく変えて行く争いから、必死に逃げること。
それが、今衛宮士郎にできるすべてだった。
「衛宮くん、脚が遅くなってるよ。イリヤスフィール運ぶの、変わろうか?」
「い、いい!おまえは弓を手放しちゃだめだろ!白矢!」
「ん」
けれど。
神話の戦いの中であってさえ、変わらない者もいる。
太陽の英雄のマスターたる少女は平然と口を開き、断られると素直に頷くだけだった。
尤も、見た目だけなら少女は様変わりしている。
両腕には金環が嵌まり、耳には小さな黄金の耳飾り。細くて白い首には、襟巻のような赤い布が巻かれていた。黒一色だったはずの髪に、一房紅が混ざってもいる。
それに何よりも、手にしたその弓が、
見た目は以前のものとほぼ同一だが、視ればすぐ違うと悟れた。
あれは、
自分の魂の具現だという弓を、この少女は己の手から離し、代わりのように形を変えた『鎧』を身に着けているのだ。
何があったのかは気にかかる。
だが、尋ねる余裕ってものがなかった。
地震のように大地が揺らされ、英雄たちの激突は終わりが見えない。
鎧がここにあるのなら、カルナはもう無敵で不死身の英雄ではない。
なのに、ギルガメッシュの宝具の群れを槍の絶技一つで凌いでいるどころか、炎を操り反撃までしていた。
それは、この主を守りたいと言う決意の表れに違いなかった。
ランサーのカルナと、そのマスターである白矢曙宇にどんな交流があって今の形に落ち着いたのか、衛宮士郎は知らない。
知り合ったときにはもう彼らは言葉を気兼ねなく交わしていたし、信頼し合っていた。遠坂凛とアーチャー、白矢曙宇とランサーという二組の相棒関係は、違うようで似ていると思ったのだ。
彼女の信頼と魂を預けられたランサーが、負けるとは思えない。思いたくない。
「白矢、ランサーは負けない、よな?」
だけど、何故だろう。
あの黄金の英雄を見ていると、その確信が揺らぐのだ。
確信が、ただの願望に過ぎないのだと突き付けられるような無慈悲さが、あの黄金の英雄、ギルガメッシュから滲み出ていた。
走りながら、少女は少し口ごもったようだった。
「わからない。戦いに絶対はないから」
「……」
「でも、それはきみの戦いじゃないよ、衛宮くん。きみの戦場は、そこじゃないでしょう?」
「その通りです。衛宮士郎、ギルガメッシュの狙いはイリヤスフィールの心臓と、曙宇の肉体です。両方がここにある以上、あなたにランサーの戦いに意識を割く余裕はありません」
「待って下さいバゼット姐さん!イリヤスフィールの心臓狙いってどういう意味ですか!」
恐らく、この場で最も戦闘に長けているだろうセイバーのマスターは、どこか少女のように首を傾げた。
「言っていませんでしたか?イリヤスフィールこそ小聖杯です。脱落したサーヴァントの魂は彼女に格納されてゆき、完全な聖杯となるのです。彼女の心臓を奪って魔術師の体に埋め込めば、埋め込まれたその者は新たな聖杯になります」
「初めて聞いたんですけど!!!」
「その理屈なら、金ピカはイリヤスフィールの心臓をハクヤに入れるつもりじゃないですかぁ!」
「……あ、そう言えばこの情報は、本日アインツベルン城を偵察した際に手に入れたものでした」
「…………」
黒い髪の少女は、眼を蒼に光らせて気を失ったままのイリヤスフィールを覗き込む。
「……確かに、サーヴァントの魂が一つ……ライダーのものがあるようですが、このまま魂が注がれてはイリヤスフィールは消えてしまうのでは?」
「ええ。それこそがアインツベルンの聖杯の仕組みです。これだから生粋の魔術師と、あなた方白矢の一族は合わないのでしょうね。己らの子を贄に育て上げるのは、そちらの地雷ですから」
「冷静な分析ありがとうございます!元々ギルガメッシュの狙いはイリヤスフィールの生命だとは思ってましたから、あまり状況も変わってないのは幸いです!」
「幸いの意味を辞書で引けぇ!結局、ハクヤもイリヤも狙われてるめちゃくちゃな状況なのは変わりないってんですかぁ!おのれあの金ピカァ!」
先頭を走り、枝や岩を打ち払ってくれているキャスターの叫びである。
その叫びの間にも、英雄たちの激突の音は途切れることがない。森の出口も視えない。
行きはランサーのあの凄まじい運転で短時間で辿り着けたが、帰りはああは行かないのは明らかだった。
不意に。
淀みなく走っていた白矢が、立ち竦む。
鞭のように背後の戦場を振り返り、朝日でも見たように眼を細める。
蒼に染まっていた片目が薄青に転じた瞬間、彼女は手を掲げていた。
「ランサー、回避!」
叫びと共に令呪が一画かき消え、頭上に強大な気配が現れる。
「!」
令呪による空間転移で突如現れた痩躯の青年は音もなく着地し、瞬間的に背後を振り向く。
釣られてそちらに視線をやれば、そこには膠着した戦場が見えた。
遠目に、バーサーカーの黒い体躯が吊り下げられていた。出現した幾本もの鎖に絡め取られ、空中に固定されているのだ。
「……神性か」
短く呟いたランサーが、大槍を消して虚空から弓を掴み直す。
見覚えのある漆黒の大弓を満月のように引き絞り、ランサーは同時に四発もの矢を放つ。
流れるような絶技に、見惚れる暇もなかった。ひとつで地面を抉り取れるだろう威力の込められた矢の行く先は、ギルガメッシュではなくバーサーカー。
炎を纏う赤の矢は正確に狂戦士の四肢を切り落とし、鎖の縛から巨人を解き放った。だが、力尽きていたのかバーサーカーは成す術なく地上を舐める業火の中に消えて行く。
それを見届けたギルガメッシュは、
巨大な、黄金の船に立っていたのだ。
空を見上げた白矢が、慄いたように眼を瞬く。
「まさか、マヤの神器を……!」
「慧眼だな、マスター。だが、アレを出された以上、追いつかれるのは時間の問題だ。どうする?」
「……残ります。残ってください、ランサー」
「………………一応、問うが」
「無理です。どちらか残らないと、ギルガメッシュは止まらない。舟を持ち出された以上、時間切れです」
「やむを得ん、か……」
忸怩。
そうとしか呼べない苦悩の顔で、ランサーは弓を握り締めていた。
嫌な予感が、した。
「なぁ、どういう意味だよ?」
「私とランサーを残して、みんな撤退して。ギルガメッシュに空を取られた」
こんな時までも。
凡そ、動揺というものが見えない少女は、真っ直ぐにそう言った。
「時間内に英雄王を押し切れなかったオレの不手際だ。おまえたちは逃れろ」
そう告げる槍兵のほうが、まだしも人間らしい感情があった。
動揺、焦燥、後悔に己への怒り。
如何なる時でも揺らがない日輪のようだった英雄の、初めて見えた斜陽の貌だった。
「……わかりました。セイバーは残します。武運を」
「はい。そちらも」
剣士と槍兵の主は、共に淡々としていた。彼女たちはとうに、手筈も戦い方も、決めていたのだ。
何を、誰を、いつ、どうやって犠牲にして、誰が生き残るかまで考えていた。弓の少女はその計算のうちに、容赦なく自分自身をも数値として組み込んでいただけだ。
すい、と水鳥のように少女がこちらを見る。
「あ、衛宮くん、私もランサーも、死ぬ気はないからね。だから、きみが死にそうな顔しないでよ。キャスターも、また後で」
「ハクヤ……!」
「だってこのままだと全滅だよ。私は肉体全部残す必要があるけど、イリヤスフィールは心臓だけでいいんだもの。殺されてしまうよ」
ほら、速く。
─────また、誰かが死ぬの、嫌でしょう?
唄うように言って、白矢曙宇は弓を引き絞った。
軽々と大弓を引き、放つ。
青い魔力を帯びた矢は森を一直線に切り裂き、黒い枝が犇めく樹海を薙ぎ払った。
海を割った預言者の奇跡のような光景を生み出したのは、英霊の宝具にも匹敵するような、あり得ぬ破壊力と魔力の込められた一矢だった。
「衛宮士郎、何を呆けているのですか。行きますよ」
「……シロウ、行きましょう」
バゼットとキャスターの二人が、その道に踏み込む。白矢曙宇とランサーは動かない。
衛宮士郎は。
衛宮士郎は、脚を踏み出した。
外へ続く、道へと。
腕の中の、銀の少女のぬくもりを、失いたくなかったからだ。
「……絶対、死んだりするなよ。俺は、最後の一人になってやらないからな」
弓の少女と太陽の英雄に背を向けて、告げる。
少女は軽やかに、笑ったようだった。
「私もだよ。……あと、忠告をひとつ。さっき話をしていてわかったけれど、きみは戦い方を間違えてるよ。きみのは、投影魔術であってそうではない。世界に影を投げかけるのでなく、己の世界をカタチにするモノだ」
「……?」
「振り返るな。おまえの答えは常に、己の裡にある。見極めろ。衛宮士郎、おまえは何のために生きている?」
それだけ。
それだけで、槍兵と少女は外への道に背を向けた。
「行こう、キャスター」
「……はい!」
歯を食いしばって走り出す先には、森を切り裂く道だけが伸びていた。
■■■■■
─────さて。
人を助けるのは、殺すより何倍も難しい。
なんて。
そんな愚痴がつい、口をついて出そうな状況だった。
こちらはランサーと二人で殿になって地上に在り、ギルガメッシュはアスラ族のマヤが手にしていたとも伝わる神器─────空駆けるヴィマーナに乗っている。
太陽に属する英雄が空を奪われるのは洒落にならなかった。
それを当然理解もしているギルガメッシュは、泰然とヴィマーナの機首を巡らせて一瞬でこちらへ追いついた。
三騎のサーヴァントが戦う地獄から、必死で地べたを這うように逃れた人間の努力を嘲笑うような速さだった。
パーンダヴァが築いた都、インドラプラスタにその名を刻んだ、アスラの名工マヤースラも所有していた輝かしき戦車、或いは宮殿。
それが、マハーバーラタのヴィマーナのはず、なのだが。
戦闘機さながらなフォルムを誇る宙船になるとは、聞いてない。
マヤースラと同時代を生きていたはずの『零』のわたしなら、わかるのだろうか。
頭が痛くなりそうだと思いながら、空を見上げる。
見た、途端に王の言葉が降ってきた。
「誰の許しを得て
「……」
─────
とは思うが、口に出すべきでないのはわかる。何と言ったらいいのかわからず黙っていると、ギルガメッシュは嗤ったようだった。
空にいるギルガメッシュの声が目の前にいるようによく届くのは、そういう宝具があるのだろう。
「
「…………」
そんなので喜ばれても。
こちら、自分の魂が七千年経っても大して摩耗しない頑固ってことぐらいしかわからないほどの白痴である。
いや、それよりも。
「前は肉体って言ったのに、今度は魂まで焚べろって……」
要求、増えてるのだが。しかも呑めない方向に。
肉体だけなら、最悪最低また生まれたらいいと思っていたけれど、魂まで焚べられるのは無理だ。そもそも、神罰で七千年ほど武器の器となっている人間の魂を燃料にしたら確実にろくなことにならない。
…………嗚呼、それが狙いか、と納得する。
天から来たる託宣のようなギルガメッシュの声は、いよいよ愉しげだった。
「理解したようだな。貴様の魂の源流たる『父』はアグニ。人の祈りを束ねて天へ届ける仲介者にして、人の願いの受け皿。神でありながら、人間の欲望で肥え太らされる炎神だ」
「…………」
「『この世すべての悪であれ』なぞという人の祈りで満ちた杯に炎の力の一部を宿す魂を焚べれば、何が現れるだろうなぁ、施しの英雄よ」
そんな祈りに、半神の魂が混ざれば。
「……『悪であれ』という人々の願いを膨れ上がらせ、一切を焼き滅ぼすだろう。天の太陽、中空の雷火、大地の祭火のみならず、人の意志や体内にまで遍在するとされたアグニの炎の特性が加われば、人が滅びから逃れる術などない」
「わかっているではないか!」
「だが、それをオレが許すと思うのか?」
「
最早物理的な痛みすら伴うようなランサーの戦意の高まりだった。
逆に、こちらは頭がもう冷えに冷えて、何も感じない。
強いて言うなら、魂が炎神と人の
─────多分、実感がないからだろう。
魂まで半神半人だったと告げられても、自分事として受け止めきれていない。
事実だとしても、今の私にとっての父母は一人ずつしかいないのだ。
しかし、肉体の父祖に雷霆神インドラがいて、魂の父にアグニがいるというならは──────使える、だろうか?
あ、と気がつく。
自分の
そこに流れる神秘を、世界を司る神々の力を、畏れ敬うのではなく、どう
もしも、この思考が、数千年前の『零』と同じものだとしたなら。
そんな存在、神代における異端に決まっている。
神罰も已む無しだろう。
だって、神の子がその血筋を尊ばないどころか、
いや、場合によっては
神が世界そのものを司った神代において、しかも、世の英雄たちすべてに現世で成すべき役割が与えられていたマハーバーラタの世において、神の奇跡を体現すべき半神半人が、
だから、『いなかったこと』にしなければならなかったのか。
彼女の成したことが、たとえ悪逆でなかったとしても。
英雄などとは程遠い、素朴な想いしか持たなかったとしても。
……あなたはそれを、わかっていたんじゃあないの?
…………それでも、捨てられない想いが、あったの?
心の中で投げかけた『零』への問いは、黄金の王には見透かされていたらしい。
こちらを見下ろす視線に、喜悦が混ざる気配があった。
「理解したか、炎神の娘。貴様は些か生まれるのが
「……」
なんか。
嫌だな、と初めて思った。
蟲に肌を這われたような不快感が、ぞわぞわと血管の中を通って指先まで伝わる。
みんなの中にいるのに、みんなと違う孤独は、今も私に付き纏っている。
魔術師に生まれたならば周囲との隔絶は当然だけれど、私はその違いを特別なんだとは誇れない。
どこかでいつも淋しくて、でも、目の前の日常が大好きで、それを壊さないように生きている。
零の私と今の私は
だったら私たちは、寂しさを抱えて、自分の寂しさで周りを壊さないように頑張るしかない、そういう人間だ。
それを、嗤われた。
愉しいのだと、見下された。
報いなんてないけれど、続けるしかない努力を、愉悦の肴にされた。
くだらない私の、私たちすべての、小さな誇りを、嗤われた。
ぷつん、とナニカがキレた。
言葉が、するり、と落ちる。
「……う─────い」
「ん?」
ギルガメッシュがこちらを見ている。
鑑定し、裁定するために視ている。
ランサーと似て非なる、すべてを見透かす眼だった。
そんなもの、もう、構うものかと思った。見たければ見ればいい。何も、恥じることなどないのだから。
弓をきつく握り締め、顔を上げる。
次の瞬間首が落ちるとしても、『敵』の顔は見つめていたかった。
だから、今度こそははっきり言う。
「うるさい」
赤い瞳が広がるのが見えて、睨み返した。ランサーがぴくりと槍を動かすのが見えたけど、見なかった。
すっごく、ムカついたのだ。
もう腹の底から、嫌になったのだ。
偉大な王だと思ってはいたけれど、思っているけれど、それを上回るほどに視線が厭らしい。
だいたいこの人聖杯戦争において、イリヤスフィールや私や、二十年も生きてない女の子を追いかけ回すことしか、してないではないか。桜さんにも何か変なこと言っていたらしいし。さっさと死ねとか何とか、そういう先見に寄った何かを。
共犯者の神父だって、教会で子どもを苛め殺していただけで、何をやっているのか何をしたいかもわかってなさそうなコトしかしてない。
そんなやつらがこぞって、私に、私たちに、ひとごろしの道具に、なれと言う。
怒るだろう、さすがに。
「あなたのすべてが、聞き苦しい。極下の文句を囀るくらいならば、黙っていて下さい、永遠に」
ひしり、と空気が凍る音が、聴こえた。
マハーバーラタ時代主人公「カーンダヴァ森林大殺戮よりはマシ」
前話の侍女ちゃんがこの転生主人公を見ていた場合、奥様ァ!とずっと団扇を振っています。
カルナ召喚の辺りでヒビが入り、金ピカ登場で団扇がへし折れます。