では。
「マスター」
風すら静止するような沈黙を、破ったのはランサーだった。
鎧を譲ったあとの幽鬼のような痩躯で不釣り合いにも見える大槍を構え、ランサーは前に出る。
「端的に言うが、何故そう間が悪いのだ。おまえは滅多に怒りが出ない代わり、一度火が点けば箍が外れると忠告したはずだったのだが」
「覚えて、いましたけど」
それで止まれるような怒りでなかったのだ。普段怒らないから、加減がわからず歯止めが利かなかった自覚はある。
さすがに夜襲を敢行して人々を皆殺しにするほどではないが、目から光を放って仇敵の指先を焼き焦がすぐらいの怒りはあった。
「ごめんなさい。無理でした」
「謝罪の必要はない。自尊心が息を吹き返したのは良いことだ。……とても、良いことだ。少なくとも、衆生を護るために自らでその生命を断つよりは、余程」
「ん゛ッッッ!」
内心をあっさり見透かされていたことで、変な呼吸になった。予想はしていたけれど、改めて言われると返す言葉がない。
多分、『主を無事に生還させる』というランサーの願いを一番脅かしているのは、私なんだろうな、とは思う。無茶ばっかり言い出すし、実行するし。
それも読んでいたように、ランサーは穏やかに続けた。
「おまえは護りたいものを護り、意地を張り通す。その結果として、己の生命を差し出すことになっても躊躇いは薄く、己の芯を曲げられたことも無ければ、魂を変えられた訳でもない。……おまえに永劫輪廻を強いて、魂の凋落を望み呪った者に、おまえは負けていない。勝ってもいないが」
「……」
「おまえ自身を明け渡さず、在り方を貫いたおまえは何者にも敗北してはいない。ならば、それをオレの敗北で曲げる訳には行かない。……下がっていろ、マスター。ここから先はおまえの槍の役目だ」
言いつつ、ランサーは槍でなく弓を手に前へ出た。
その肉体に黄金の鎧はなく、鎧のないランサーは人間が持つべき無駄を一切刮げ落とした細い体躯にも見える。
けれど、踏み出す脚にも視線にも、迷いはなかった。どころか、遠い昔に結んだ約束をやっと果たせるような安堵感を背負っている。
ここまで沈黙している英雄王相手にも、ランサーは変わらなかった。日輪が、何千年と変わらず空に座しているように。
一方、太陽を背にして空に浮かぶ王は、既に背後に十八もの宝具を展開していた。
端正な彫刻のような面貌に浮かぶのは、この上なく残忍な笑みだった。
「鎧を己の主に譲るとは呆れた男よ。ヘラクレスと言い貴様と言い、同じ半神と言うからには期待はしていたものを、人形や愚かな女を護って己を窮地に晒すとはな」
「……不屈の闘志と忍耐の末、神に至った男の心中を、オレのような詰まらぬ男が推し量るのは烏滸がましいが、ひとつ言わせてもらおう。……彼にしろオレにしろ、自らの生命など考慮に値しない。我等はただ、未来へ向かう人々の為にひた走り、斃れた
ヘラクレスは、かつて神の思惑で狂乱し、己の子を手にかけた。
カルナは、神々の呪いに囚われて奥方を助けに行けなかった。
その想いを、英雄王は一笑に付す。
「くだらんな。ヘラクレスも貴様も、かつて己の過ちで失った者共の面影を追い求めているだけだろう。雑種に心を傾け、すべてを失うつもりか?」
「亡くした者を尊び、振り返るのは人として欠いてはならない良心だ。神となろうとも、神と一体化しようとも、無力な人間であった時を忘れはしない。彼女らはオレたちに取り、失ってはならない輝きだ。……今を生きる人々を切り捨てたおまえに、わかるはずもない」
「よくぞ吠えた!ならば、妄言が口先でないことを証明してみせよ!施しの聖者!」
空にきらめく星々の如くに、ギルガメッシュの背後で砲門が次々と口を開く。十八の宝具どころではなかった。
視認できただけで、二百八。
百を超えた宝具に狙われて、生き残れる道理などない。
…………ない、はずだった。
「─────!」
ランサーが黒の弓を取り、引き絞る。
一つの動作であったはずなのに、二百を越すの矢が空間を埋めていた。
──────どういう、術理で。
─────弓を、どう用いれば、ああなる、の?
同じ弓を使っていただけに、ランサーの弓術の凄まじさはより強く理解させられる。
速く飛ぶため炎の魔力を伴わないただの魔力矢は、宝具一つ一つと激突して弾き飛ばしていく。花火のように爆発し、宝具はあらぬ方向へ飛ばされてこちらを傷つけるには至らなかった。
が、余波だけでも人を消し去る神話同士の激突は、自力でどうにかするしかない。
雨霰と降り注ぐ宝具の雨を感じながら、いつぞや凛の宝石を弾いた盾を顕現させ、告げた。
「『
円形の盾がその一言で二十一に割れ、一つ一つが自由に空中を駆け巡る。
蜂のように自在に飛来した盾は、ランサーの頭上、死角に展開しかけていた
「女、貴様……!」
「……」
ギルガメッシュの顔が憤怒に染まるが、受け答えの余裕などない。
ランサーの呟きとバーサーカーの封じられ方から察するに、あの鎖は恐らく神性への特攻性を持つのだろう。
多分、神に近いほど強く縛められるような、そういう特殊能力がある。
半神半人で、死後に父たるスーリヤ神と一体化した逸話まであるランサーの、天敵になり得る宝具だ。
「私はランサーの、マスターなんだから、ちゃんとやらないと」
呟いた。
ランサーは私の槍だと言ってくれたけど、何もかも任せるって訳にも行かない。彼が万能の英雄じゃないってコトぐらい、とっくのとうにわかってる。
鎧を借りているのなら、我儘を押し通しているのなら、その分何とかしないと、嘘になるのだ。必死にもなる。
その方法の一つが、今呼び出した盾『ヴィシュヴァーヴァラー』だった。
一族が遺した多くの武具の一つである。
彼女が生きたのは、遡ること五千年前。マハーバーラタの時代よりは後だが、それでも神代である。彼女の名を冠する盾は過酷な時代を生き抜いた、無名戦士の魂の残響だった。
女戦士ヴィシュヴァーヴァラーはその盾であらゆる敵から一族を守り、特に子どもらを慈しんだと伝わっている。
私たち一族の誰も信じていない物語であろうと、五千年前の代物なら宝具も凌げる。もとい、凌いでくれるだろうと期待して宝物庫の奥の奥から引っ張り出したのだ。
果たしてその目論見は、間違っていなかった。
主諸共千々に砕けようと、ヴィシュヴァーヴァラーが護ると決めた者を護ったと伝えられた盾は、名を呼ばれれば破片となって自在に飛び回り、盾となる。『ヴィシュヴァーヴァラー』自体が魔力を発生させるので、私への魔力負担もない。
それにランサーの弓術が合わさり、ギルガメッシュの宝具の乱射は防ぎ切れていた。
……尤も、ランサーの鎧を預かってなかったら、魂から来る魔力回路の稼働に耐え切れず、体が崩壊していたのだろうけれど。
生前のランサーがしたような、戦場を矢で埋める離れ業の幾らかを再現するためには魔力が必要で、それを私が生成するには肉体が崩壊するぐらいに魂を通して魔力を生成しないと行けない。
神代の半神の英雄が思うがままに弓を扱えるほどに魔力生成能力を稼働させても、恐ろしいことに私の魂には何ら問題はなかった。
でも鎧の治癒力がなかったら、桜さんの補助がなかったら、今頃内臓がほぼ潰れて肺に血が溜まっていたろうな、と考えはする。
その考えの間にも、宝具の掃射を耐えないといけないのだ。
『ヴィシュヴァーヴァラー』の自動防御は滞りなくランサーをギルガメッシュの鎖から護っているし、宝具はランサーの矢が叩き落としている。
けれど、反撃までは至らない。
湯水のように放たれる宝具に囲まれていて生きてるのが儲けものって話だけれど、いつまでも続けていられないのもわかっていた。
上空のギルガメッシュの顔は苛立ち一色で、指を微かに動かすのが視える。
私は、ほとんど反射的に、背後に矢を撃っていた。飛んだ矢は背後に現出していた鎖の輪に突き刺さって弾き飛ばし、退ける。
視えてはなかった。
ただ、ギルガメッシュの指先で『次』の動きを感じたからそちらへ放っただけだ。
「……!」
しかし、それで堰が切れたように鎖が一気に現出する。
宝具で押し潰す戦法はそのままに、鎖の量が増え、狙いは私個人だった。
もしかして、と嫌な予感に肌が粟立つ。
──────薄れに薄れたとは言え神の血が流れ、魂は半神半人のままだという私にも。
─────この鎖は、効き目が強い?
それは、考えてなかった驚異だった。
けれど、ギルガメッシュの厭な嗤いを見れば答えは明らかだった。
鏖殺の道具でしかなかったはずの私にも、『宝具』を向けてきている。気づかず蟻を踏み潰すように下すのではなく、『個』として殺しにかかってきていた。
この英雄に、『個』として認識されるとろくな目に遭わない。
そう感じた私の勘は、間違ってなかったってコトだろう。
それでもまだ、護りは途切れない。鎖は矢で跳ね除けて、足りない部分は盾の自動迎撃機能に任せる。肉体の損傷は鎧に治してもらう。
どこまでこれを続けられるかの、我慢勝負であった。
「呆れた女よ。父神に従っていれば、地上を這いずる蟲でなく、天を飾る花となれたろうに」
「……?」
ギルガメッシュの声が再び降り落ちたのは、その時だ。
森が焼ける音に加え、宝具と矢、盾が衝突する轟音が響き渡っているのに、声が鮮明に耳に届くのはまた宝具なのだろう。
聴きたくないのに、無理やり思考に割り込む呪いのような声に、ランサーが微かに眉を顰めていた。
聞かなかった振りはできそうになく、嫌々だけれど口を開く。
「……私は咲けば散るのみの花より、生命を媒介する虫がまだしも性に合いますので、悪しからず」
無論間桐の蟲ではなく、一般的な虫の話だ。
ギルガメッシュはその答えに、悦びはしたらしかった。
「花でなく虫を選ぶか、女!ならば虫の始まりを語って聞かせてやろう。始まりの仔細が詳らかになれば、澱みに塗れた魂も一層輝くだろう!」
「……は?」
いや、それは──────それは、とても、不味い。
ギルガメッシュの無視できない声が、思考を侵食してくる感覚を覚えながら、弓を引く手は休まずに青褪める。
理屈が全然わからないけれど、ギルガメッシュは多分─────でなく確実に、私の『始まり』を識っている。
識って、語り部のように告げようとしているのだ。今、この瞬間に。
そんな、コト。
そんなコトを、ここでされたら。
呼吸も瞬きも、生命活動すら完全に止まり、『巻き戻す』呪いがこんなところで発現すれば、ランサーでも私を護りきれない。
魔力供給すら、一瞬停止する可能性がある。
「……ッ!」
ランサーも当然それは悟ったのか、弓を強く引き絞り、放つ。
矢を以て放たれた『
ランサーの宝具は次々盾を粉砕するが、ギルガメッシュの声は止められない。
「貴様の魂の始まりは、炎神と捕虜の女のまぐわい、神の一方的な暴力だ。巫女でありながら異国の神の子を孕ませられ、絶望した女は子を産み落とし、子に愛を向けず死んだ」
「……」
「遺された娘はな、望郷の念に囚われ死んだ女を哀れみ、己が額づくべきだった神々を敬う道から外れた。父神の権能の一部を与えられ、それを私欲で使いながらも、神々を讃えず敬わなかった。……そら、神代を生きるに向かん女だろう?」
─────大丈夫。
──────まだ、大丈夫、だった。
でも、
聞いたらいけない。
聴いたら、これまでと決定的に何かがずれる。
そんな絶望的な予感があるのに、ギルガメッシュを止める術がない。離脱しても、声は追ってくるだろう。
「神の敷いた道理で廻る世に、神に背を向け影を追うと決めた女が受け入れられるはずもない。だからこそ、女は出会った男に執着した」
「─────ッ!」
私ではなく、ランサーの方から激情を感じた。
ギルガメッシュは、残酷に続けた。
「だが、男は万人を花と尊ぶ聖者だった。聖人に徒人が執着したとて、得られるものは何もない。わかるか?女の愛は詰まる所、徒労だった。子を愛さず死んだ母、すべての人間を慈しみ尊ぶ男。─────そんなものに幾ら心を傾けようが、得られるものなぞ何もない。ゆえに女は、何者にもなれず、何も遺さなかった。は、まさに徒労の極みよな」
「黙、れ───────!」
今まで。
何を視ようと、何を聴こうと、声を荒らげることのなかったランサーの、獣のような咆哮だった。
戦意が高まったからではない、純粋な怒りだ。
「ランサー!」
そんなところで冷静さを欠くのか、と。
驚いてる暇はやっぱりなくて、あの異国の物語にしか聞こえないギルガメッシュの語りを止めるのが先だった。
しかし、向こうも防御宝具を全方位に展開しているのだ。引き換えにこちらへ向ける攻撃宝具は減ったけれど、鎖の巧みさは変わらない。
なら、ランサーを鎮める以外ない。
「ランサー!落ち着かないと令呪を切ります!」
「ッ!」
「王の語りがどうであれ、『彼女』が何を思ったかは、別の話でしょう!」
生命の終わりにその意味を決めるのは、生き抜いた本人だけだとイリヤスフィールに言ったのではなかったのか。
私は、王様の語る女が、自分自身とは思えないけど、でも、ランサーが知悉している人だとは、思う。
わからないけど、そう感じたのだ。
「そのひとは、自分が愛されたいから他人を愛していたんですか!」
「ほぅ?」
ギルガメッシュがまた愉しげな声が聞こえたけれど、もう無視した。
こちらを見ていないランサーの背中に、叫ぶしかない。
見ていないその背中に、何かが、誰かが、『私』の中で叫んだ。
「
──────魂の内奥が、蠢く感覚がした。
殻を破り現れる鳥のように、何かが現れ出でて私の口を動かしたのだ。
だって私は、ランサーをカルナと呼ぶ気がなかったのだから。
それは私の呼ぶべき名前ではないと、召喚した瞬間よりずっと感じていたから。
自らの変化に驚く暇もなく、私の体はほとんど勝手に動いて弓に矢を番え、一際強い魔力を込めて放つ。
それは、ランサーが砕いていた盾の間を縫うようにすり抜け、盾も貫通して、ギルガメッシュの頬を掠め、
途端。
ギルガメッシュが、呵々と笑った。
「フ、ハハハハハハハハッ!女、貴様そこまで阿呆の類いだったか!ハハッ!その愛を万人に向ければ、貴様は慈愛の女神にでも成れたろうに!或いはそれこそが、貴様を造った父神の思惑であったかもしれん!が、一人の男に己が愛を向けたがために、人のままであったか!」
「……」
「よいぞ!神に与えられた道を捨て、己が選んだ道を歩き通したのならば、
─────もう。
─────何言っても、無駄な類である。
ランサーは静まったが、今度はギルガメッシュが悦んでいる。憤怒も歓喜も、激情という点で扱いが難しいのに変わりはなかった。
まだ笑いが引かないらしいギルガメッシュは、また口を開いた。
「貴様、もう既に己を取り戻しているではないか。何故水際で己を留める?真実などそこに転がっているだろうが。
───────また。
また、あの暗闇が、ノイズが視覚と聴覚に走る。
嫌だ、と思うのに指先から力が抜ける。
弓が手から離れて、盾が力を失ってしまう。
「マスター!」
気がついたランサーが振り返るのと、その背後に一際長大な弓が現れるのが見えた。
その弓にひとりでに矢が番えられ、引き絞られるのまでもが。
それを止めたいのに、体が動かない。
魂が凍りついて、時が止められる。
けれど、何もかもが途切れる前に、声がした。
「『
知っているようで、知らないその声が。
見たコトのない光を、生み出すのが視えた
「─────
かくして、ランサーと私の眼前に七枚花弁の盾が花開いたのだった。
英雄王は、この女金髪碧眼でさらに小柄だったなら尚良しとか思ってるかもしれません。
掲示板の侍女ちゃんの話がかなり気に入ってしまったので、番外編書けたら書きます。バレンタインとか。
侍女ちゃんはカルデアのマスターに対しては、『わたしが心よりお仕えするのは奥様だけですが、奥様と旦那様の縁を結び直して下すったあなた様に最上の敬意を以て、サーヴァントとして奉公いたします』のスタンスです。保護者の言いつけでロングスカート死守のクーデレメイドです。
クリシュナ系さえいなければ狂戦士になりません。ラーマはシータがいるのでOK判定。
大体藤堂平助に似たツッコミ属性です。