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李書文の嵐のような襲撃と撤退は済んだが、日が暮れていたため一行は基地まで戻って休息を取ることになった。
エリザベート以外のサーヴァントは、皆野営に慣れており、焚き火から何からすぐに整えられた。
ちなみに焚き火を作ったのはキャスターで、燃えているのは彼女の宝具たる焔である。込められている神秘の割りに、宝具の使い方がそこらのマッチじゃないかとドクターがツッコミを入れたのだが、使えるものなら使った方が良いとキャスターが言うので、そのままにされた。
補給物資で食事を済ませれば、話題に上がるのは李書文の発言である。
「エジソンが何かに憑かれてる、か」
「憑かれる、とは憑依されているということでしょうか?先輩」
「憑依されてるっつぅなら、エジソンの行動が全部本人の意志とは限らないってのか?」
この場にいる面々の中で、直接にエジソンと話をしたのはナイチンゲールと白斗、それにドクター・ロマンだけだ。
「いや、違うと思うよ。ロビン。あのライオン……じゃなかった、エジソンには絶対に彼の意志があったよ」
アメリカを守る、という言葉は本心からのものだったと白斗には感じられた。
「マスター、エジソン王は獅子の姿なのですか?」
首を傾げたキャスターが尋ねてくる。その隣でシータも不思議そうに目を丸くしていた。
「頭から上だけね。他は普通の人間、かな?」
ちょっと感情が昂ると絶叫したり、放電していたけれどベースは確実に人間だった。
「いや、頭から上が獅子ってだけで普通じゃねえよ。俺も人面をした獅子の怪物と日本で戦ったことはあるが」
『エジソン曰く、サーヴァントになって頭が獅子になっても問題はないらしいけど……』
サーヴァントになったことで生前と姿が変わり、竜の角と尾を持つようになったエリザベートという例もいる、とドクターは言ったが、ラーマとカルナが首を振った。
「それにしてもおかしかろう。余たちの生きていた頃ならいざ知らず、エジソンというのは新しき時代の発明王だ」
「ナラシンハでもあるまいに獅子の頭というのは明らかな異常だ。それに発明家が一人であそこまで国を作り上げ、軍を率いていられるという事実にも疑問はある。王子だったジークフリートが手を貸していたとしてもだ」
「結局どういうコト?」
エリザベートの疑問に、つまりですね、とナイチンゲールが人差し指を立てて答えた。
その腰には、焚き火の炎で照らされた拳銃が光っている。
「要するに、あの分からず屋に麻酔にも似た打撃を与え、正気に戻せば良いということでしょう」
「あ、そういうことなのね。分かりやすくて良いわ!」
「まあそうだろうな。脳筋だが、この場合は正しいと思うぞ。私たちがここで話し合っていても結論は出ん。が、決めるのはお前だ。マスターよ。どうする?」
シータやラーマとは色合いの違う、スカサハの赤い瞳が白斗を見据える。
音立てて燃える橙色の焚き火を見てから、白斗は顔を上げた。
「俺も、エジソンとはもう一度会った方が良いと思う。アーラシュたちから聞いたけど、ジークフリートがエジソンを危ういって言っていたんだろ?」
「ああ」
アーラシュ、カルナ、マシュが相槌を打つ。
「だったら放っておけないと思うんだ。俺たちだけではケルトを攻めきれないけど、それはあっちも同じだ」
『白斗くんならそう言うと思ってたけどさ、一回捕まったところに戻るのかい?』
「ただ戻るのではありません、ドクター。エジソンはすでに明確に治療すべき患者です。私は、私一人でも治療に行く所存です」
『それは止めてくださいよ婦長!ちなみにキャスターちゃん、神代の呪術師の君なら見れば分かるかい?』
話を振られ、キャスターは腕組みをした。
「場合によりますが、恐らくは分かります。話を聞く限り、何かに取り憑かれた結果として姿形が変わることはあり得ると思います。……本拠地に乗り込んで説得をする案には私も賛成です」
「となると、あとはどうやって機械化兵の網を潜って本拠地に行くか、でしょうか?」
シータの問いに、それは任せてくれ、とロビンが言った。
「潜入とか斥候はオレの得意分野さ。任せてくれ。まあ、今日はそろそろここまでにしようぜ、マスター。明日はまた早くから動くだろ?」
ロビンのその一言で、一同は明日朝まで解
散、休憩と相成ったのだった。
「キャスター、少々良いでしょうか?」
カルナとラーマ、アーラシュとロビンが見張りに立った後、寝ている白斗の横でマシュと並んで焚き火の番をしていたキャスターにシータが話しかけてきたのは、それからしばらくのちのことである。
「はい。何ですか?」
「少し話したいことがあるので、来てくれませんか?」
静かな言葉の中にも、有無を言わせぬ王女の威厳があり、キャスターは素直に頷いた。
白斗をマシュとスカサハに任せ、シータに連れられて着いたのは焚き火から少し離れた岩だらけの荒野。一跳びで身の丈より高い岩の上に乗ったシータは、上からキャスターを手招きした。
キャスターもサーヴァントとしての身体能力で、ひょいと飛び上がって岩の上に乗れば、シータはすでに岩の縁に腰掛けていた。
キャスターはその隣に座る。
空には満天の星と、夜になって一層目立つようになった光輪が光輝いている。
「あのシータ、話というのは?」
「……キャスター、スカサハさんの仰られたことは本当なのですか?」
スカサハの言ったこと、という世界から弾かれたというあの話だろう。
キャスターは、森でシータには呪いのことを話した。話しはしたが全てではない。逸話と真名を持たないことまでは話したが、そこから先、話の根幹にあたる、自分が神に呪われた正しき英霊ではないということをキャスターは言っていなかった。
時間が無かったというより、単に話したくなかったのだ。聞く方も話す方も辛くなるだけの話だから。
「本当です。私は英霊の座にはいられない。いてはならないと神に定められた者です。スカサハさんと違って私は確かに死んでいますけれど」
「そして貴女は、それを誰にも明かしていなかった。マスターの白斗さんにもマシュさんにもカルナさんにも、誰にも言っていない。なぜですか?」
何故、と言われてキャスターは大地の果てに目をやった。
「……マスターやマシュさんに言わなかったのは、重荷になるからと思ったからです」
「重荷など……」
「ええ。マスターもマシュさんも重荷だなんて思わないでしょう。でも、私の呪いは過去の存在である私だけのものです。未来を生き、未来を取り戻そうとしているマスターに、分かち合ってもらうわけにはいかないんです」
白斗は優しい。マシュも優しい。ちょっと頼りないけれどドクターも優しい。
だからきっと、キャスターの在り方を聞けば心を痛める。それは駄目だ。
人類の未来を取り戻すという果てのない重すぎる荷を負わされた彼らに、これ以上何かを背負わせたくなかった。
「優しいのは貴女も同じだと思いますが」
「やめてください。優しさではありません。自分が嫌というただの我が儘です」
首を振って否定する。
「カルナさんに言っていないのは?」
「それは……」
キャスターは俯いて視線を膝の上に落とした。
「……どういう風に何を言えばいいのか、迷っているのです。別れてから何千年も経っていたのに、カルナはその間ずっと私を忘れないでいてくれて、それだけで本当に私は嬉しかった」
一年や二年、十年の話ではない。何千年だ。それは半分とはいえ、人の身には永遠と等しい時間ではなかったか。
だから胸が詰まって言葉が尽きてしまった。
カルナは自分に何があったかを知りたいと思っている。
当然だと思う。神の言った通りに呪いが働いたなら、自分は幻か幽霊のように、始めから存在していなかったように消えたのだ。
何をしたのか、何があったのか、知りたいと思うのは当たり前で、けれど自分から問うてはこないのはカルナの優しさだろう。
キャスターが自分から話すときを待っていてくれている。
しかし、それにいつまでも甘えていられないのはキャスター本人が一番よくわかっていた。
何故ならカルナはカルデアのサーヴァントで、キャスターははぐれのサーヴァントだから。特異点の修正は、即ち別れの訪れだ。旅の一歩一歩が二度目の別離へと向かっている。
そこから逃げたいとは思わない。未来を取り戻し、今を眩しく生きる白斗たちの明日を守ることは何より大切だ。サーヴァントとしてというより、過去を生きていた一人の死人として、そう思うのだ。
「でもキャスター、私は敢えて貴女に言います。迷っている時間はありません。戦いは、この先もっと激しくなるでしょう」
強い光を湛えた目でシータはキャスターに言って、視線を受けたキャスターは。
「そう言ってくれてありがとうございます、シータ。仰る通り、いい加減逃げている場合ではありませんね。……とはいえ、伏兵は少々やりすぎではありませんか?」
キャスターはそう言って自分たちの座る岩の隣に聳え立っている、一回り大きな岩のてっぺんを指差し、シータはあら、と呟いて眼を丸くした。
「分かりましたか」
「一度手痛い不意討ちされましたしね。気配には気を配るようにしているのです」
キャスターの指差した岩のてっぺんにいたのは、カルナとラーマ。二人は一跳びで岩から跳び移り、キャスターとシータに近寄ってきた。
「……気配は消していたつもりだったのだが」
「自然の気配に敏感なのが呪術師です。それに、あなた方二人は隠れるには少々向きません」
ラーマの気配は凄烈過ぎ、カルナの気配はキャスターには馴染み深い。
「やはり余にはアサシンの真似事は無理か」
「謀の真似事もするものではありませんね」
頬をかいたラーマとシータにキャスターはいいえ、と首を振った。
「気遣いありがとうございます。それからごめんなさい、私が足踏みをしていたせいで慣れないことをさせてしまって」
頭を下げるキャスターにラーマとシータは顔を見合わせた。
「頭を上げて下さい、キャスター。私たちは見張りに行ってきますから、その間にちゃんと語り合って来てください」
「今晩くらい、お主ら二人が見張りから抜けても構わんだろう。存分に語り尽くしてから戻って来るといい」
ではな、とシータとラーマは岩の上から跳び降り、後にはカルナとキャスターだけが残された。
何も言わず、二人とも同時に岩の端に腰を下ろした。
下に広がる暗い大地の上には、白斗たちが暖を取っている焚き火が夜の海に灯った灯台の如くにぽつんと一つだけ輝いている。
遠くにゆらゆら揺れる明かりを見ていると、遥か昔に、最期に共に見た焚き火の明かりが思い出された。
「最後に会ったのもこのような夜だったな」
隣でぼそりと囁かれた。感情を排したように無機質で、しかし不思議と暖かみがある声。
「……そうですね。あなたが何度目かの戦いに赴く前の夜、でしたか」
それから戦いが始まって、クンティーと共にクリシュナが訪れて、そのあと自分は死んだ。
訥々とキャスターは語った。
自分が遥かな時の彼方に何をして、そのあとどうなったかを。
神の化身を殺そうとして失敗し、代償に呪われて、不可思議な空間に留め置かれて時を過ごし、人類史焼却という異常に抗うためのサーヴァントとして喚び出された。
涙も怒りもなく語るなら、キャスターの話はそれほど長くはならない。
「無謀なことをしたな。クリシュナやガトートカチャに一人で挑むなど、常のお前なら考えもしなかっただろう。何故だ?」
聞き終えてカルナは言い、キャスターは抱えた膝に顎を乗せたまま答えた。
「何故って………腹が立ったからですね」
人の手ですべき戦いに化身の姿をとって現れ、運命という名の下に滅亡への道を敷こうとする神にキャスターは心底怒った。
非道が罷り通る戦場にも、壊してはならないものはある。
親子の情も利用しつくし、ひたすらに勝利を求めるクリシュナは無機質な機構のようで、人を駒のように摘まんでは盤外へ弾き出す神の指し手に見えた。
そこに死の床について病み衰えた母と、鎧を剥いで血塗れになったカルナの姿が重なった瞬間、感情を抑えていた何かが消し飛んだのだ。
それは、半分だけ人の血が流れる身としての意地から出た怒りだったと、今なら思える。
「怒りか」
「そうですね。私にはあるがまま全てを受け入れるというコトは出来ませんでした」
できるはずがなかった。
無力だった幼い頃は、全てを受け入れるしかなかった。そうして受け入れるしかなかった果てに残ったのは、己の信じる神の名を呟きながら、徐々に冷たくなっていった母の体の感触だ。
あの夜、自分は母の亡骸の傍らで目が溶け落ちるかと思うくらい泣き尽くした。母の命が戻るなら、何一つ惜しくなかった。自分の命も焔も何もいらなかった。それくらい奇跡が欲しかった。何かにすがりたかった。
けれど、何も起きなかった。母が真摯に祈りを捧げた異教の神々や炎神は、気配すら顕さなかった。
自分の中の何かが決定的に砕けたのは間違いなくあのときだ。
感情任せにとりかえしのつかないことを引き起こした、とも思う。でも、やり直しをしようと思えないのは心のどこかで自分にはあの道を辿る以外になかったという気がしているからだ。
後悔があるとするなら。
「私はあなたにした願い事を自分の手で壊しました。それだけはずっと―――――ずっと謝りたかった」
家族に遺されたものが何を思うか、よくよく分かっていたはずなのに。
何千年も時の止まった空間にいて、キャスターが正気を無くさなかったのもその一念があったからだ。
キャスターは立ち上がって、星空を背にして深く深く頭を下げた。涙は出なかったが、言葉も出なかった。
下げていたキャスターの頭に、暖かい手が置かれ、そのまま髪がかき乱されてキャスターは頭を上げた。
「あの……」
何なのですか、と聞きかけてキャスターは口を閉じた。カルナの目に浮かぶ光が真剣だったからだ。
「……知らなかったな」
キャスターの頭から手を離してカルナが言った。
「お前は人の考えを察し、見抜いた上で上手く相手に伝えられた。それはオレにはできないことだ。オレやアルジュナの裡にあるものもお前は正しく見抜けていた」
「……」
「だからだろうな。オレはお前の気持ちというものを改まって訊くことが無かった。お前がお前の意志を貫くなら、それが何より大切だとも思っていた」
施しの英雄、カルナは、万人に等しく価値があると考えている。それは何があろうと変わらないカルナの信条だ。
何よりも優先し尊重されるべきは当人の意志だとカルナは信じている。
そう信じていたから、カルナはキャスターの信条も言葉にして聞くことがなかった。
「お前がそこまで理不尽に怒る激情を持っていたと知っていたなら、オレがお前の在り方に口を出してでも止めていたなら、お前が死ぬことはなかったかもしれないな」
「それはどうでしょうか?」
カルナに言われたとしても、怒りが消えたとは思えない。
自分でも気づかないふりをしていただけで、怒りの感情はカルナと出会うずっと前からキャスターの中に根付いていた。
どれだけ穏やかな日々を薄皮のように重ねていっても、それが消えることはなかったのだ。
それでも、とカルナは言った。
「オレはお前に生きていてほしいと思っていた。そのために言葉を尽くすという努力をオレが怠ったと言われれば返す言葉がない」
それまで何を語っても、硬い宝石のようだったキャスターの瞳が曇り、雫が一粒だけ目尻から流れ落ちた。
「待て、何故泣く?」
「泣いていません」
「いや、今」
「泣いていませんったら泣いていません」
「……そうか」
横を向いたキャスターは、また元の通りの無表情になっていた。
表情に乏しい色白の顔を、地平線から昇る朝日が金色に染める。
「出発の時間ですね。マスターのところに戻りましょう」
「ああ」
二人は軽く地面を蹴って岩から跳び降り、野営地へ戻った。戻る間、どちらも口を利かなかった。
焚き火の近くには伸びをする白斗と、その世話を焼くマシュ、彼女の肩に足を引っ掻けてぶらさがっているフォウが、一塊になって眩い朝日に照らされていた。
「あ、キャスターにカルナ。おはよ」
「おはようございます。マスター、マシュさん、フォウさん」
朝日に目を細めながら、キャスターとカルナは彼らの輪へと入っていった。
神に関してかなり拗らせていた主人公。
怨んだり憎んだりの方向に行かなかったのは、幼くて何かを憎む心がまだあまり育っておらず、成長してからそうならなかったのは師匠さんやカルナと出会えたからです。
重い話続きです。明るい話が書きたいものです。