カルデアからの物資を受けとる間、白斗はどこか上の空だった。
「先輩?」
マシュにそう呼び掛けられるたびに何でもないよ、と答えることはできたものの、自分でも分かるくらい白斗は集中できていなかった。
気を抜くとスカサハが死んだ、というエレナの言葉が蘇る。
たくさんのサーヴァントに出会い、別れ、契約してきた白斗にはサーヴァントがどれくらい強いのか、何となく分かるようになっていた。その勘を信じるなら、スカサハはとても強いサーヴァントだった。
雰囲気と風格だけでいうなら、カルデアにいるキャスターのクー・フーリン、ランサーのクー・フーリンたちにスカサハは勝っていた。
なのに、そのスカサハは黒く染まったオルタのクー・フーリンに殺されたという。
それにもう一つ、引っ掛かるのは腕を真っ赤に染めていたキャスターである。
クー・フーリンと戦ったあと、帰ってきたキャスターの腕は、そのまま千切れてしまうんじゃないかと思えるくらい血に染まり、ぼろぼろになっていた。
見た目よりひどくないから平気です、とキャスターは笑って、すぐにマシュと白斗の眼から隠すように腕を覆ったあと、ナイチンゲールに速攻でとっ捕まって包帯を巻かれていたが、裂けた肉の隙間から見えていた骨の白さが、服を染めていた血の赤さが、白斗の眼には焼き付いてしまった。
白斗もこれまでたくさん傷つく人を見てきた。冬木で、ローマで、オケアノスで、ロンドンで、それにこのアメリカでも。
レフ・ライノールやイアソンの化けたおぞましい魔神柱にも、ソロモン王にも出会った。
でも慣れた訳じゃない。今でも思いだすだに怖いのだ。何度悪夢を見て飛び起きたかわからない。
キャスターは白斗には最初に出会った『頼もしい』と思えたサーヴァントだ。今のマシュは頼もしいけれど、そのマシュに最初に宝具の使い方を教え、守りながら導いてくれたのはキャスターだ。
そのキャスターが一目見て重傷と分かるほどの怪我をした、という事実は自分で思うより白斗に深い衝撃を与えていた。
テントでじっと座っているのも落ち着かず、結局白斗はマシュとそこらを歩き回ることにした。
少し離れてカルナもいるが、カルデアにいるときと変わらず無表情でただ泰然としていた。
「カルナさん、そう言えばキャスターさんは?どこへ行ったのですか?」
マシュの問いに、カルナは即答した。
「ナイチンゲールに引っ張って行かれたあとは見ていないが、偵察の使い魔を弄っているか兵士の手当てをしているだろう。用事があるのか?」
「いや、無いよ。無いんだけど…………」
最終戦前夜なのだから、キャスターとカルナは話したりしなくて良いのだろうか、と白斗は思ったのだ。
再会してからこっち、端から見ればカルナもキャスターもどうも感情が見えない。
ラーマは時々シータを愛しげに見つめたり、シータもラーマの手を握ったりしているが、キャスターとカルナはそういう感じがない。淡白と言っていいのかもしれない。
「マスターにマシュ。それは余計な感傷だ」
と、大体そういうことを言った白斗とマシュにカルナはこれまた淡々と答えた。
何時もながら彼にとっては悪気は全く無いのだろうが、取り付く島もない言い方に、白斗とマシュは思わず顔を見合わせた。
「あのですね、そういう言い方は無いでしょう」
そこへまた別の誰かの声がして、白斗は振り返った。
テントの間に立っていたのはキャスター。いつも被っている灰色のフードを下ろしており、艶やかな黒髪が肩の周りにこぼれ落ちていた。
キャスターは歩いてくると、やや背伸びしてカルナの肩を手刀で叩いた。
「今のはマスターの気遣いですよ。そんな唐竹割りみたいな答え方がありますか」
「もちろんマスターの気遣いは有り難い。だが、スカサハの消滅を気にかけるマスターに、これ以上気を回させる訳にもいかないだろう」
ここでキャスターは、成り行きを見ていた白斗とマシュの方をくるりと振り返った。
「と、カルナは本当はこのように言いたかったようですよ、白斗さん」
無表情ながらキャスターの物言いはややおどけており、少し悪戯っぽく青い瞳がきらきらしている。そういう眼をすると、キャスターはマシュとそれほど違わない歳に見えた。
「うん。ありがと、キャスター」
苦笑しながらの白斗にキャスターは軽く頷いた。
「気にしないで下さい、マスター。ちなみにつかぬことを聞きますが、カルデアのこの人はいつもこんな調子なんですか?言葉足らずで喧嘩とかになっていませんか?」
「…………どこを心配しているのだお前は」
「心配というより気になるんです」
「同じことだ。オレのコミュ力とやらを気にするより、他にすべきことはたくさんあるだろう」
ぷ、とマシュと白斗はキャスターとカルナのやり取りに思わず吹き出し、それを見てキャスターが頬を緩めた。
「良かったです。マスターとマシュさんが笑ってくれて」
「…………オレとの会話を出汁にしてマスターの緊張を解したか。なるほど、ことコミュ力とやらに関しては、オレよりお前の方が遥かに上手のようだな」
「いえ、私のコミュ力とやらが高いというより、むしろあなたのが…………貧弱なのでは?」
「……………………確かにな」
これまた真顔でどこかすっとぼけた会話を続ける二人に、白斗はたまらず吹き出した。アメリカに来てから初めてなんじゃなかろうか、と思えるくらい白斗は笑った。笑うことができた。
「それにしてもキャスター、君も結構言い方に遠慮ないよね」
散々笑って、目尻に浮かんだ涙を拭いながら白斗が言った。
というより、カルナと話すとき一番顕著に遠慮がなくなるというべきか。
言われて、キャスターは肩をすくめた。
「だってこの人相手に嘘は付けないでしょう。なので必然的に本音で話すしかなくなったと言いましょうか」
「あ、『貧者の見識』ですね」
分かった、と言う風にマシュが手を叩いた。
言葉による欺瞞、相手の本質を見抜くカルナの眼力は、スキルにまで昇華されている。
かといって、嘘が通じない相手なら本音で語ってしまえばいい、というキャスターのやり方もかなり荒業な気がするのだが。
それにしても、と白斗は改めてキャスターを見て思う。
キャスターは紛れもない善人だ。何か大それたこともしそうにない。性質もかなり素直で、必要と判断してしまうと無茶はするが、英雄の好むような蛮勇はてんで好いていない。
なのに、メディアの見立てでは、キャスターは神から呪われているという。
「キャスター、君の呪いって何とかして解けないのかな?」
気付いたら、白斗はそんなことを口走っていた。
マシュは躊躇いがちに白斗の袖を握り、カルナは眉をあげ、そしてキャスターは一度首を傾け、ゆっくり首をふった。
「それは無理なのです、マスター。私の宝具は、元はと言えば神から与えられた力。だから神からの呪いには効きません」
「そう、なんだ」
呪いを燃やすキャスターなのに、彼女は自分の呪いは燃やせないという。皮肉な話、とは簡単に言えなかった。
それを聞いて、カルナが目を瞑ったからだ。嘘が通じないカルナにはキャスターが真実を言っていると分かるのだろう。
「マスター、また怖い顔になっていますよ」
だのに、当の本人のキャスターは笑っていた。さっきとは違う、薄く儚げな笑みだったけれど。
「私が呪われたのは、ここで説明すると長くなりますので省きますが、結局は私の意思です。誰に言われたからでも、運命の流れに従ったわけでもない。まあ…………散々人に迷惑はかけたことは心苦しい話ですが」
「自分の意思を貫いただけと言いたいのか。確かにその言い方をされるとオレやマスターからは何も言えん。お前にとっての今の命題がマスターを守り、精神的かつ肉体的な負担をできるだけ軽減することであるなら、そうして話題をそらそうとするのは妥当な判断だな」
キャスターの光速の肘打ちがカルナに刺さるが、痛さで顔をしかめたのはキャスターの方だった。
「わざとですか。わざとなんですか。いえ、わざとでしょう。気遣いというのは懇切丁寧にばらされると意味がなくなるのですよ」
「…………すまん」
謝られても知りません、とキャスターがふんとそっぽを向き、カルナが困ったように頬をかく。
「先輩、これは喧嘩…………ではないのですよね?」
おまけにマシュまでがそんなことを言い出す。この場にいる人間は、自分以外はかなり天然が入っている、と白斗は改めて思った。
が、気がほぐれたか否かという意味では成果はあったのは確かである。
「うん、ありがとうキャスター」
それを聞き、深い海の色をしたキャスターの青い瞳が、白斗の黒い瞳と正面から交わった。
「礼を言うのはこちらです。あなたたちは、冬木で見ず知らずのサーヴァントだった私を一途に信じてくれたし、今に至るまで覚えていてくれた。私にはどちらも嬉しいことです。それに、あなたたちがいたから私はこの地でカルナにも会えた。マスターにマシュさん、私はあなたたちにとても感謝しています」
キャスターが気遣いをするのは、二人がカルデアのマスターとその一番のデミ・サーヴァントだからというわけなくて、白斗とマシュだからこそ。
この先いつ言えるかわからないからこそ、今感謝を告げておきたいのだ、とキャスターは言い、カルナも組んでいた腕をほどいた。
「それならオレもマスターに礼を言いたい。マスターがオレを喚び、アメリカにまで伴ってくれたからオレは願いを叶え、こいつとも会うことができた。だからマスターには心からの感謝とオレの槍を捧げよう」
色合いは違えど、瞳の中に浮かぶ優しい光はよく似ている二対の碧眼が白斗とマシュを見た。
何故この二人はこう怖いくらい人の目を真っ直ぐに見て感謝できるのだろう、と白斗は思った。
白斗もカルナの逸話はたくさん調べたから知っているし、キャスターの生前の話は概ねはカルナから聞いた。
神の血をひいてはいたが、幸せな育ち方をしなかった二人の子どもが別々に大人になり、武人と癒し手になり、出会って夫婦になった。一時は穏やかに暮らせたかもしれないが、彼らの果てにあったのは悲劇だった。
だのに、二人からは悲痛さも、生涯を悔いているサーヴァントが見せる影もない。自然体でそこにいる。
当たり前のように戦いをし、当たり前のように癒している。事実、彼らにとってはそれが当然の行いなのだろう。
きっと戦いが終わり、キャスターがこれまで特異点で出会ったサーヴァントたちと同じようにどこへか消え、自分たちがカルデアへ帰るときが来てもこの二人は変わらないまま、しごくあっさりと別れてしまいそうな気がした。
それは仕方ないからと、諦めて良いことなのだろうか。何とか出来ないのだろうか。例えば、奇跡を生む聖杯とか。
「マスター」
穏やかな声でキャスターが白斗を呼んだ。
何もかも見透かした、青い水晶のような透明な眼でキャスターは白斗を見、駄目ですよ、というように唇に指を当てた。
隣でカルナがキャスターの横顔をちらりと見、キャスターは一瞬だけそちらに視線をやり、目を伏せた。
「いつか、カルデアに私が召喚されるかもしれません。そのときが来たら、またよろしくお願いします。…………召喚されるかは、マスターの幸運値が良かったらでしょうか」
最後の一言だけは、一転して、キャスターが少しおどけ気味にいった。
「そこでお前はマスターの幸運値に頼るのか」
キャスターが肩をすくめ、マシュがそれを見て大真面目に言った。
「それならきっと大丈夫です。先輩のサーヴァント召喚の成功率は良いんです」
ですよね、と後輩にきらきらした目で見つめられ、白斗は思わず深く頷いた。
「ほら、先輩もこう言ってます」
「それは頼もしいですね。ああ、安心しました」
キャスターは花が綻ぶようににっこり笑い、隣でカルナも笑いをこらえるように口を手で覆った。
「と、マスター。そろそろ睡眠した方が良いのでは?明日に備えるのも重要ですよ」
「…………そうだね。分かったよ」
ほら行きましょう、とキャスターとマシュに押され、白斗は自分に割り当てられたテントまで戻った。
マシュにキャスター、カルナには睡眠は必要ないが、それでも白斗が寝入るまではと三人ともテントにまでついてきた。
カルデアの廊下であろうと、船の上だろうと、どこでも眠れるのは白斗の特技である。薄暗いテントの向こうでは兵士たちのざわめきが途切れることなく続いていたが、寝床に横たわると、白斗はすぐに眠気に襲われ、瞼が重くなった。
「先輩、やはりお疲れのようですね」
すぐに眠りについた白斗の頬にはりついた髪をそっと整えながら、マシュが呟いた。
「そうですね。マシュさんは平気なのですか?」
「わたしは先輩のデミ・サーヴァントですから大丈夫です。このままここにいます」
「分かりました。マスターをよろしくお願いします」
はい、と力強く答えたマシュに微笑みかけキャスターは、外へ出ましょう。とカルナをテントの外へと誘った。
「マスターの側についていなくて良いのか?」
「護りに関してはマシュさんがいます。大勢がテントの中にいたら、マスターは気を張りますよ」
カルナとキャスターは、テントの入り口に門番のように並んで立った。
物言わぬ石像のように二人はしばらく沈黙していたが、カルナの方が先に口を開いた。
「傷は痛まないのか?」
「…………もう治っています。何も支障はありません」
「体が魔力で編まれたサーヴァントならそうだろう。だが生身ならあれだけの怪我をすれば腕が二度と動かなくなる。結果的にお前の行動でオレは命を救われたわけだが、そう易々と、生と死の狭間へ踏み出されるのは肝が冷える」
「つまり…………心配させるな、と?」
「簡潔に言えばな」
はぁ、とキャスターは魂が抜けるような深い息を吐いた。
心配してくれるのは有り難いし、ゲイ・ボルクの前に飛び出したのは蛮勇と言われても仕方ない行動だったのは分かっている。本音を言えば、あんな恐ろしいことは二度とごめんだ。
たがカルナに言われると、それはお互い様だろう、という気になる。
カルナも必要だと感じたら、躊躇いなく生と死の狭間に踏み出すだろう。何せ請われたからという理由で己の不死身の護りの鎧まで与えてしまったくらい、我欲が無いのだから。
人を慈しみ他人の幸福を願い、その過程で自分というものが天から抜け落ちてしまう、という点ではカルナとキャスターは似ていた。
さらに言うなら、そういう人間二人が互いに向けて無茶をするなと言っても、説得力など皆無なのであった。
ともあれ、誰かにものを頼まれればすげなく断ることができないのはキャスターも同じである。
「…………分かりました。今後はああいう行動はなるたけ控えます」
「なるたけか?」
「嘘は、つきたくありません」
ついたところで意味がない。
が、キャスターはまだカルナには何か言わねばならないという気がした。
満天の星空を仰ぎ見、キャスターは言葉を口から押し出した。
「カルナ、召喚されたサーヴァントのほとんどの人は、願いがあるものですよね」
「まあ、例外はあるだろうが。大抵はな。尤も、お前には是が非でも聖杯にかけている願いはないようだが」
正解です、とキャスターは頷いた。
万能の願望器、というのはキャスターの性に合わない。所謂全知全能の神と言うのとどうしようもなく被るからだ。
「そうです。でも願いが無いわけではありません。私の願いは、最後まであなたと戦うことです」
生前、キャスターは自分の命を自分一人で使い果たしてしまったから。
「私はさよならまではあなたの側にいたいのです。そして、その日が明日であっても惜しくはないのです」
「…………最後までオレやマスターと共に戦うことが願いというなら、中途で命を落とすつもりはない、ということか。それがお前の答えか?」
「答えというより約束です。この戦いの終わりまで、私は死にません」
戦場で己は、己だけは死なないという言葉の虚しさはキャスターもカルナも知っている。
知っていて尚キャスターは言い、カルナは目を閉じて頷いた。
「了解した。確かに、お前の頑固さと律儀さ、一途さと約束への義理堅さは信じられるからな」
「あの、それらの言葉は私というよりあなたに当てはまると思うのですが。ともかく―――――信じてくれてありがとうございます、カルナ」
星の光で髪を洗われながら、キャスターは呟いた。
それから、二人は小声で他愛ない話をした。
カルナが聖杯戦争の話をすれば、キャスターは呆れたり苦笑いしたり怒ったりと、珍しくもくるくると表情を変えた。
自分には話せる聖杯戦争の経験が一つもないのがキャスターには残念だったが、こればかりは仕方ない。
ともあれ二人は夜通し番をし、マスターの眠りとそれを見守るマシュとの穏やかな一夜は誰にも妨げられないまま、地平線の彼方に金色の光が差す時間となった。
ついに、戦いの始まりを告げる朝日が上ったのだった。
最終の戦い前のマスターのメンタルケアの回。
物語もそろそろ本当に終わりが見えてきました。
この主人公がオルタ化したらどうなるか、等と可笑しなことを考えながら話を書いたりする作者ですが、もう少し物語に付き合って頂けたら何よりです。